20220 お願い
「探偵さんは大概面倒くさいよな、自分のためにゃ戦えねーのかよ?」
「小野には言われたくない言葉だな」
イムとの待ち合わせの場所に、探偵目貫千と小野は半日以上早めに到着していた。
『大地の裂け目』は100メートル以上にわたる異様に深く暗い地割れで、河の水は無限に吸い込まれて、底が見えない。
二人は周辺を軽く一周して、なにも見つけられなかった。イムがここでなにを調べるつもりなのかは聞いていない。
しかし、千の気持ちを変えられる何かがあってほしかった。ネヘプと戦い、討つ。そのために。
小野の言う通り、千は自分の命のために他人を害するなんてできない。それが彼の弱点だ。
ハードボイルドに反する生き方を許せない。当たり前だろう? ハードボイルドをやめてしまったら生きる意味も価値も無くなる。
そんな千である。自身の面倒くささについては言い返せないが、それでも面倒くささのチャンピオンは小野だと思っている。
「はっ倒すぞ?」
「自覚がないのか?」
「ぶっ飛ばす」
言葉遣いこそ最悪だが、小野は笑顔だった。正直言って、小野はいい女だった。さっぱりしていて善悪をズバズバ口にする性格も、化粧気の薄さも、大きなおっぱいも千の好みだった。
だからと言って生まれた年代も違う女だ。口説く気などさらさらない。
「なあ探偵さん。あたしを助けてくれないか?」
「なんだ? オレが助けられてばかりだからな。可能な限りのことはするぞ」
その小野に頼られて、悪い気はしない。どんどん頼ってくれとすら思う。
「あたしの【望み】は、恥ずかしながらガキの頃の嫌な記憶を取り除く事だ」
「三つ子の魂百までだ。幼少期のトラウマをどうにかしたい気持ちは分かる」
千が幼い自分を守るためにハードボイルドな探偵になったように。
「だが、今はもう一つ【望み】がある…………明らかに欠落した記憶の補完だ」
「…………」
「探偵さん、シス、クリス……あたしに『一回目』で何かがあった。それを知らなきゃならない」
ヤオと小野の関係は不明だが、シスやクリス、そして翔斗の口振りは不審である。
複数の証言がある以上、何かあって記憶は失われたと見るのが妥当であろう。
「で、頼みは何だ? 悪いがオレも自分で自分で手一杯だぞ」
「なに、難しいことは頼まない」
小野が視線を外した。どこまでも広がる赤い荒野に、日本ではあり得ない情景に目を向ける。
「2008年、12月25日の夜。神奈川県M田市〇〇町〇〇番地のアパートで、十三歳の小娘が母親の愛人に乱暴される。母親はそれを肴に酒を飲んでいた。止めてくれ」
少しだけ震える声で、それでも極力感情を交えずに、小野はそう言った。
それがどこの誰なのか、聞くまでもない話だった。
「あのなぁ……オレは私立探偵だぞ? 冗談じゃない。報酬はどこから出る?」
「体で払う」
「バカを言うな小娘が…………オレに頼むと、今のお前は居なくなるぞ? カタギの仕事には就けなくなる」
そんな親でも、小野を高校卒業までは育ててくれた。
しかし……親元から逃げ出したら、中学校中退で、流れ着いた場所で最底辺の仕事しかなくなるだろう。今の、スーツで出勤するOLではなくなる。
千にできることは、暴力と非合法だ。
少女を救うなんてできることではない。
「別に、今の仕事に愛着がある訳でもなし、探偵助手位ならできると思うが?」
「…………クソみたいな仕事だ」
「悪くないと思ったんだがね。どんなところでも、あの親の所よりマシだから、探偵さんは連れ出してくれりゃいい。あとは児童養護施設にでも飛び込むさ」
社会の枠を外れて、儲けにならなくて、ゴミみたいな人間とばかり付き合うことになって、何一つ報われない。
そんな仕事に。
「一番の問題はな」
千は大きくため息をついた。タバコが吸いたい。ホープは最後の一本だ。
「この風体の男が、十三歳の小娘に話しかけるのはアウトって事だろうがよ。袖搦にとっ捕まるぞ?」
「違いない。あたしなら悲鳴あげて逃げるな」
「何とかしろ」
何とかしなければならないのは、小野以上に千だった。
幼い小野を助ける方法なんて、誘拐以外に思いつかない。そうすると、彼女のその後の人生に責任を負わなければならなくなる。小野本人は別にそこまでする必要はないという雰囲気だが、そういう訳にも行くものか。
探偵助手? そんなヤクザな仕事は絶対にさせない。
「『チッヒ』の友達だって名乗ってよ」
「誰だ?」
「あたしのイマジナリーフレンド。誰にも言ったことない」
「…………」
千は小野の本気を感じた。それ故に、答えが難しくなった。どうすればいいのだろうか。ハードボイルドなら? …………純粋な少女を助けるためになら、何でもするだろう。そうだよな。
ここにいるクレバーでハードボイルドな女は、そうならざるを得ない人生を歩んできたのだ。
擦り切れ、ひねくれないで済むならば、小野は知的で真面目でまっすぐな人間に育つだろう。
「わかった、オレの負けだ! …………ただし、期待するなよ? 実はどうすれば切り抜けられるかもわかっていないんだ」
「はは、ありがとよ」
小野はさみしげに笑った。ワガママを押し通したはずなのに、その笑みは勝利者のものではなかった。
「誰かが助けてくれたかもしれない。それだけでもいいんだよ…………本当はさ」
「…………」
千は何も言えず、最後のホープに火をつけた。




