20015 七人ミサキ
「痛ででででで!! マジ勘弁してくだせぇ……あっしは普通の女なんでやすよ? 膝擦りむいただけで走れなくなっちまいやす」
「さっきまで普通に立ってたじゃねぇか」
「そりゃ死地妊はアドレナリンも何も自前でドプドプ出せるんで……『わいら』の話でやんしたか?」
ロックな人格、死地妊から美咲に戻った美咲……その名もまた本名ではない。だからと言っても偽名でもない。多重人格者は自分の名前を認識している。死地妊と美咲にしてみれば、それらこそが自己なのだ。
……『死地妊美咲』。期せずして、それもまた妖怪の名前だった。
『七人ミサキ』は海難事故などで亡くなった七人組の怨霊だ。『ミサキ』には成仏できずにさまよう悪霊という意味もあるという。
遭遇した人間は高熱を出したり気が狂ったりして死んでしまい、死後『七人ミサキ』の一人になってしまう。
成仏するには次の犠牲者と入れ替わるしかない。『七人ミサキ』は常に七人なので、一人増えたら一人が解き放たれる。自分が解放されるために次々に犠牲者を求める悪霊であり、いわゆる『次が来るまで解き放たれない』系の怪談のベースでもある。
探偵、目貫千たちは知らぬことであるが、『眠っている、あるいは死んだ』とされる残りの人格は五つ。
美咲と死地妊はすべてを理解した上で、復讐相手を呪い殺す怨霊として、自己を『七人ミサキ』と呼んでいる。
七人殺すまでは解放されない、夜をさまよう魂であると。
「『わいら』? 『ムジナ』じゃないのか?」
「頭と前足だけのデザイン、鎌のような前脚。ありゃ間違いなく『わいら』でやすね。
しかし、そもそも『わいら』は名前と外見以上の情報の少ない妖怪で、『ムジナ』は変身して人間をだます妖怪でやす。ここいらではあの『わいら』を『ムジナ』と呼んでいるだけでやしょう」
この話は、直前に言っていた「信じるな」と重なる。
「対処法は?」
「そもそも、あれはなんでやしょうか。【あの夜の敵】に余りにも……」
「心当たりが?」
千の問いに美咲は頭を振った。だがその言い方が引っかかる。
『アナグマ』が舌を打った。おそらく彼は、多重人格すら信じていない。
「逃げられるのか?」
「『ムジナ』は執念深さで知られてやす。『のっぺらぼう』はご存じで?」
「名前なら。目鼻口のない妖怪だろ?」
「『のっぺらぼう』は『ムジナ』が化けた姿の一つとも言われてやす。いちばん有名な話は、夜道で出会って逃げる話でやす」
『のっぺらぼう』は目も鼻も口もない、ぬめりとした顔面の妖怪である。
「逃げた先で蕎麦屋がいて、息も絶え絶えの男は言うんでやすよ『そこにオバケが出たんだ』蕎麦屋は答えやす『へぇ、そいつは』」
「わかった」「聞いたことあった」
『こんな顔かい?』のオチまで言わせてもらえず、美咲は鼻白んだ。
『のっぺらぼう』はいわゆる『再度の怪』であり、繰り返して先回りして脅かしに来る。
「先回りしてくると?」
「臭いを覚えられてるかもしれやせん……武器を用意するべきでやす。あの針の攻撃も音が変わったら分かりやす」
川瀬婦人を丸呑みにした件に関しても、警戒をする以外に手はないだろう。
「あのな、俺はただの詐欺師だぞ? 刃傷沙汰は管轄外だ」
「だが、痛みには強いだろ?」
「…………なぜそう思う?」
千の指摘に『アナグマ』が唸る。
「アナグマは死んだふりをする。『当り屋』なのでは?」
「…………心臓が止められんだよ」
この『アナグマ』という男は一時的に自分の心臓を止める特技を有していた、
それを利用して車にぶつかり、仲間が運転手を脅すというやり方で脅迫をしてきた。
もちろん、そんなやり方はいつまでも続かない。政治家の車にぶつかって脅迫したものの、詐欺が暴露され仲間は始末された。命からがら逃げてきたのが現状である。
「自動車の前に飛び出す根性があるんだろ?」
「気軽に言ってくれるぜ」
「あっしはもういいでやすか?」
千は頷いた。そしてふと気が付いた。確認しておくことがある。
「美咲は死地妊が前にいる時になにができる?」
「何もできやしやせんね。テレビを見てるみてーなもんでやして」
「いいご身分だな。羨ましいぜ」
皮肉っぽく吐き捨てる『アナグマ』。しかし千の見解は少し違った。
羨ましいのは確かだが……のんびり見学とは行かせない。
「美咲、『ムジナ』だけじゃない。常に警戒を怠らずに周囲を確認しろ。常に冷静でいられるんだ。オレたちが生き残れるかどうかはお前にかかっていると思え」
「ええ……」
美咲は突如のしかかったプレッシャーに呻いた。そんなつもりはななかったのに。
しかし、美咲と『アナグマ』が思っている以上に、状況を俯瞰して分析できる人物がいるのは重要だった。
冗談ではなく、美咲こそが勝負の鍵になる。
そう千は感じていた。




