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武器を取れ、ドラゴンを殺す 第二部 『補欠の僕らも星を見る』  作者: 運果 尽ク乃
序章 2008年の暗夜行

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20012 川瀬夫人


 川瀬夫人……正確には夫人ではなく、どこにでもいるような『不幸な家庭』の女だった。


 中学生で反抗期の息子と、セックスレスでパチンコ狂いの夫。家では奴隷のように扱われ、パートタイムの職場では年下の正社員から罵られる。どこにも居場所のない、どこで何を間違えたのかもわからない。

 川瀬氏は職場の上司。大体同じ。たぶん浮気をしている妻、夜遊びを覚えた高校生の娘。大学を卒業してからこちら、会社に二十年も尽くしているのに、部長に嫌われて主任止まり。


「お前が誰にも受け入れられないのは、その見栄っ張りと知ったかぶりだよ。川瀬氏は自分を見てくれる女なら誰でもいい。そういう話さ」

「うぅぅぅぅ……」

目貫(めぬき)の旦那、もう少しその、手心というか……」


 (あまた)は川瀬夫人を嘲笑わなかった。ただ、事実として突き付けた。それは自分自身にも突き刺さる言葉だが、そんなことは理解していた。理解していても、省みれるかは別問題だ。

 見栄をなくして、ハードボイルドに生きるのを諦めて、それで私立探偵だなんて言えるか? 知朱(ちあき)に胸を張れるのか?


 川瀬氏の傷は致命的ではないが、数か所を枝やガラスで切っている。失血量が多く、動くのは難しかろう。目貫千は極めつけに残念だった。成人男性を抱えて登山とか、どんな苦行だ?

 ハンカチやネクタイを総動員して傷口を縛る。清潔な水も消毒液もないので、今はこれが精いっぱい。


 コロナショック以降は、アルコールや消毒ウェットティッシュを持ち歩く人も増えたが、それは十二年も先の話である。


「二つ言っておくが、オレは正義の味方じゃない。どちらかといえば悪党寄りだ。積極的な殺しを好まないだけで勘違いをするな。

 もう一つ、ヤオが言い残した二つの忠告の一つを、川瀬氏によって破っていることを忘れるな」

「二つの忠告?」

「『白くて動くものを見かけたら逃げろ』『自分の命を最優先にしろ』か」


 『アナグマ』が川瀬氏を見下ろしながら言った。青ざめる夫人。


「お、お荷物だとそう言うの?」

「言ってるんだ。危険な野生動物だか、妖怪だかが出るらしい。獣の臭いがしたら気をつけろとも」

「血の臭いをプンプンさせてるは危険でやすねぇ……置いていくんで?」


 意識を失った川瀬氏を担げるのは千だけだ。他の三人では、二人掛かりでも難しかろう。

 ここまで千はいわゆるファイアーマンズキャリー、肩に乗せるようにして運んできた。この方法なら背負えるし歩けるが、咄嗟の対処は難しい。


「俺ぁ置いていくべきだと思うぜ、少なくとも『獣』とやらはまずそいつを狙う」

「置いていくなら、ライトも置いていきやす」

「……いいの?」


 美咲の言葉を勘違いした夫人が、縋るような視線を向ける。残念ながら勘違いだ。

 ライトは、完全に囮だ。本当に存在するのかもわからないような怪物よりも確実な脅威、ヤキトに対する。


 あの粗暴な強姦魔が追いかけてくるとしたら、その目印はフラッシュライトである。

 であるならば、川瀬氏と一緒に置き去りにすれば、運が良ければヤキトと『獣』が鉢合わせになる。

 

「そもそも置いていかない。可能な限り連れていく」


 千は川瀬氏を抱えなおした。このままバスの通った破壊跡を辿れば、舗装された道に出る。そこまでの我慢だ。

 何度でも言うが千は正義の味方でも何でもない。むしろアウトローだ。川瀬氏を助ける理由もない。一同を促し、再び歩き出す。


「『施設』に着いたら色々便宜を図れる人間を紹介しろ。命の恩人のために。それでオレの探し人も美咲の探し人も見つかる。それと美咲、『河童』の宿敵はなんだ?」

「ええ? 猿とは仲が悪いらしいでやすが…………」

「そうなの?」


 猿は日本では強い魔除け効果を持つ動物として信仰されている。桃太郎のお供としても有名だがそれだけではない。


「猿は『魔去る』で『勝る』の語呂合わせの上に、十二支の『申』は『縁』と同じ『えん』読みなので」

「ダジャレか?」

「語呂合わせと韻は、魔術的に大事なんでやす」


 千は『豆降(まめふり)』についての美咲の説明を思い出した。

 あの時も豆は『魔滅(まめ)』がどうのと言っていた。


「一応『河童』除けには鹿角のお守りが効くとされとりやす。でもそもそも鹿はタケミカヅチ神の御使いなんで、並大抵の怪異は手も足も出ないんでやすが」

「あの白い女は『河童』を敵と呼んでいた……すると、あいつは『天狗』よりも猿の怪異なのかもな」


 鹿がいるなら奈良県だろう少しばかり距離がある。いや、N県も山中に鹿くらいいるかもしれないが。


「…………目貫の旦那、念のため言っておきやすが、あっしの言葉の全部を信じちゃなりやせんぜ?」

「名前とかか?」

「名前?」


 不思議そうに首をかしげる美咲。千は問いただしたい気持ちを抑えた。

 今のタイミングで尻尾を出さないならどうすることもできない。


 バスでの態度は何だったのか。名前を呼んだ時の反応もおかしかった。しかし、ここでとぼけられたらこれ以上は何も言えない。


「あっしの知識は神話や民俗学由来のものでやす。『地域ごとに名前が違うが本当は同じ怪異』ってのと同じように、『同じものだと思われているけど違う怪異』ってのもありえやす」

「…………なるほど、あの女が『河童』と呼んでも、伝承上の『河童』とは限らないってことか」

「へい」


 であるならば、対処法もわからないし、ヤオの正体もわからないということか。

 千は小さく息を吐き……顔を上げた。


 風に乗ってかすかな悪臭が……一週間以上風呂に入っていないような、据えた匂いが漂ってきた。


「全員走れ!!」


 恐らく、これが『獣』の臭いだ。


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