20336 私は一人も殺していない
「…………クソっ、【防具】越しに狙ってくるとは……」
先ほど貫かれた左肩、【防具】の上から狙い撃ちにされた笛吹は激痛に膝を付いていた。
「貫通しなかった……どうやっているんだ?」
対するマツは左のふとももの肉を裂かれていた。【防具】を切り裂く笛吹の斬撃。真似できなかったことへの驚きと苛立ち。
「…………練習したんだよ、剣で負けたくないからな」
「『お前より強いやつ』か」
「ケブラー斬れるんだとよ、ふざけんな」
虚無の剣士後虎の話である。剣への敬意をまるで抱かない癖に、剣からはこの上なく愛されている女? 男? とにかく笛吹とは何から何まで正反対の怪人に、負けたくなかった。
後虎曰く、『ケブラー斬るのはニガテ』。つまり斬れる。【義体】ではなく生身で。
正直、笛吹は筋金入りの負けず嫌いである。特に剣に関しては誰にも負けたくない。相手が男でも、先輩でも、プロでも。
だから特訓した。
空中の物質を斬ることは困難である。刃をまっすぐ当て、正しく引く。押す力が強すぎた場合ぶつかっただけでおしまいだ。
笛吹はこの時代に来る前から練習した。訓練した。そしてその結果、【防具】を切り裂く剣筋をものにしていた。
恐らくは、【狩人】全体でも唯一無二の必殺剣である。
「一朝一夕で会得されてたまるものかよ」
「ククク……いやはや、流石だな」
とは言え、忸怩たるものあれど……管金や後虎ならコツを掴んだら真似されかねない。
「…………ふぅー」
「真似はできんが、左肩を狙い続ける事はできる」
笛吹が立ち上がり、マツが身構える。血で血を洗う剣術死合。チキンレースの再開だ。
と、思った瞬間…………笛吹とマツが揃って同じ方向に目を向けた。これまで脇目も振らずただお互いだけを見ていた二人の剣鬼。それが、同時に目をそらした。
「邪魔をするわよ」
周囲でどうしたものかと遠巻きに見つめていた兵士たちも、同じ方向を注目していた。
ゆるくウェーブのかかった髪、オーシャンブルーのナイトドレス、大きく開いた胸元と背中。美しく、妖艶で、男の視線を集めてやまない。そんな女が立っていた。
「神崎か、邪魔をするな」
「神崎さん、下手なことをするな、マツは容赦しないぞ」
剣士たちの警告を無視して、神崎が前に出る。二つの切先の間に立つ。
「選手交代よ笛吹さん」
「は?」
「こういうの、柄じゃないんどけど……私がやるわ」
「はぁ?」
神崎は素人である。構えも、身のこなしも、戦士のそれではない。
「神崎、これが最後の警告だ」
「その前に三つ、いい?」
「…………言ってみろ」
マツのエスパーダが、ピタリと神崎の眉間に向く。神崎は全くひるまない。その手にはカーボン製のトンファーが握られていた。
神崎の【武器】は毒だとマツは聞いていた。ではあのトンファーは……なんだ?
「まだ半月だけど、ボクササイズ始めたのよ? 『前回』は守られるだけで、戦うことも逃げることもできなかったし!」
つけ焼き刃だ。無いも同然のカスみたいな技量。
「馬鹿なのか? マツは手加減してくれないぞ?」
「上等よ、最悪巴静な覚悟で来てるわ!」
「…………正気か!?」
凌辱済全裸土下座で屈服宣言を巴静と呼ぶのはやめて差し上げよう。マツも驚きを隠せない。
「笛吹くんには借りがあるのよ。それこそ、是が非でも返さなきゃならないやつが!」
「オレが死んだことに負い目でも感じてるのか? あれはオレの慢心だ。自業自得だよ」
【敵】の駐屯地を襲撃した笛吹たちは、待ち伏せにあって混乱し、その最中に拳銃を持ったアンネによって笛吹は暗殺された。
あの女を殺せるタイミングはあった。しかし嬲るだけ嬲って生かしておいたのが笛吹の誤りだった。
「あの時、私がうまくやってたら【敵】の視線は集められた。笛吹くんも寅木屋くんも死なずに済んだ」
「済んだ話だ」
笛吹はあの結果に納得はしていない。しかし受け入れていた。似たようなミスはもうしないと決めていた。
だから神崎が気に病む事など一つもない。
「三つ目。娘は元気よ。私は一人も殺してない」
その言葉を聞いて、マツは剣を下ろさざるを得なかった。神崎を挟んで反対側。笛吹は目を見開き、破顔したからだ。今までで最高の表情だとマツは思った。
巌野が求める『輝き』は、まさにこれなんじゃないかとも。
「おめでとう! やったな!!」
「…………許してくれる?」
「おいおい! もしかして気に病んでいるのは勝ち残った事か!?」
目の端に涙を浮かべ、笛吹は笑った。愚かな神崎を笑い飛ばした。
「あの時の仲間の中に、他の誰かが【望み】を叶えて喜べないやつがいるか? 羨ましいとは思っても、恨み言を吐くやつがいるかよ!」
まあ、宍戸は皮肉を言いそうだなと笛吹は思った。そして、神崎も同じ理由で宍戸には黙っていた。
「………だから苦しいの、申し訳ないの。私だけ幸せになっちゃって」
神崎がマツを見る。美しい、まっすぐな瞳。マツは小さく頷いた。エスパーダを消す。ムレータを消す。
「今の私の【望み】は……あの時の仲間の、志半ばに倒れた人たちの【望み】を叶える事よ」
「度し難い!!」
マツはバキベキと指を鳴らした。
「私はマツ! 手加減はしないぞ!」
「連続殺人犯じゃない神崎紫杏、やれるだけやってやるわ」




