20327 『スワンプマン』
「我々の身体は、【義体】だったな。おかげで休憩の必要がなく石を削れる。そして何千年も前の時代に肉体があるのもおかしい。確かに、この身体はニセモノだ。
しかし、それは我々の本質はどこにあるのかという根本的な問いと同じだよ」
出羽と美咲の揉め事に、巌野は嬉々として介入した。
この時、巌野を訪ねていた宍戸も同行。揉め事をつまらなさそうに見つめる。
「我々の本質は魂だ。命の輝きだ。死体には存在しない光だ。なにより、人間は日々変化している。外から取り込んだもので肉体を絶えず入れ替えている。
【義体】によって『シェルドレイクの仮説』は証明された。『テセウスの船』の答えも然り」
いつになく多弁に、巌野は喋り、最後にこう結論付けた。
「つまり、『我々は本物だ』」
これには、出羽も、彼を混乱させて煙に巻こうとしていた美咲も呆気に取られた。
「巌野さん、『スワンプマン』てなんでやすか?」
「ん? なんだと?」
不意に思い出して、美咲が尋ねた。2008年の山の中で出会った白い女ヤオが言ったという言葉。
『自分はスワンプマン』だ。
「アメリカ人の思考実験ですね。『テセウスの船』と類似する点があります」
巌野の代わりに、異様に爽やかな微笑みで答えたのは宍戸だった。
ちなみに『テセウスの船』あるいは『テセウスのパラドクス』はギリシャ神話における問いかけだ。
英雄テセウスが使っていた船はアテネに保管されていた。長い期間だったので、船は腐食し破損した。
悪くなった部品はどんどん新しい木材に差し替えられ、ついには全ての部品が置き換わったのだという。
…………では、元のパーツの一つも残っていない船は未だに『テセウスの船』なのか?
「これは思考実験ですので、可能性とか確率みたいな話は要りません。
ある男が落雷で死に、それと同時に沼に落ちた落雷が、死んだ男とそっくりで、記憶の連続性を持つニセモノを作り上げます」
「ニセモノ……?」
「ニセモノです。肉体、記憶、知識はニセモノに継承されて、本人も区別がつきません。ただし、本物は落雷で確かに死んでいるのです」
記憶の連続性を持つ、ニセモノ。
美咲は背筋が凍りつく気持ちで三人の男たちを見回した。
まさに、【狩人】のことではないか。
ではヤオは、【狩人】のコピーを自称したということか?
「それで、どうなるんだ?」
「それだけです。『二者は同一か、別物か』『知識とは経験から作られるものであるなら、生まれたばかりのスワンプマンの記憶はなんなのか』そんな哲学実験です」
物語ではないため、その男がどうなったのかは関係ない。先を尋ねた出羽は不思議そうだった。
ものすごく面白いお話の最初だけ聞かされて、続きはないと言われる気分。
「……千夜一夜、なるほどぉ」
「なに?」
「なんでもないわ、ストーくん」
美咲はアラビアン・ナイト、女嫌いの暴君から身を守るために面白い話で気を引く女の物語を思い出していた。
「『テセウスの船』にも『形態形成場』にも通じるな……『空っぽの女』、それは誰が言い出した?」
「現実側で遭遇した、【敵】と戦ってる【狩人】でやす」
痺れた腕はマシになってきた。背中、や腕の切り傷は燃えるように熱い。だが……美咲は、『外面』は一番得意なことをするべきだ。
『自分は大した問題ではない』ふりをして、こいつらを丸め込む。
「こんな所で身内同士争っている場合じゃないという話ですね?」
食い付いた! 一番、与太話に興味のなさそうな宍戸が。美咲は心中でガッツポーズを取った。
「へぇ、本当に倒すべき【ドラゴン】はシスちゃんでやしょ? あれを倒して、ストーくんは自分だけの『あの子』を、巌野さんは『光』を見つければ」
「門浦くんには悪いが、これは協力していいんじゃないかな? 私も現実側で、このままでは死んでしまいそうなんだ」
美咲がもう少し、仇の一人の逃げ込んだ宗教組織に詳しければ、宍戸がその指導者だと分かっただろう。
宍戸がもう少し、現実の【敵】について掘り進めれば、そこが地元というかお膝元だと理解できただろう。
「なるほど、納得した」
「…………」
うんうんと頷く巌野、理解する気がないのか、理解したくないのか、頭を振って一歩下がる出羽。
「二つ、指摘がある。まず『薬いらず』はもっと面倒だ。そして……」
「がっ!?」
次の瞬間、電光石火で打ち込まれたタガネが、宍戸の腰骨を穿った。振り下ろされた玄翁。腰骨粉砕!
「あの長月とかいう娘は『撒き餌』だ。臭いに寄ってきた連中は全員『敵』だと門浦は言っていた」
「が!? あぐ……っ」
腰骨を破壊された人間はどうなるだろうか。当然立っていられない。身体をよじると激痛が走る。一撃で確実に、戦闘不能になる。
「あ……」
「『二人のどちらかあるいは両方』と疑っていたが、『空っぽのお女』だけだな。薬いらず、その『詐欺師』をアトリエに連れてこい。小娘と交換してやる」
「!?」
出羽が歪んだ笑みを浮かべた。
失敗した。美咲は恐怖で顔を引き攣らせながら逃げ場を探した。いや、もう無理だ。どこにもない。
出羽に腕を掴まれた。包丁が突きつけられる。
「なら、お前みたいな『ニセモノ』はもういらない」
次の瞬間、闇が口を開いた。一瞬の浮遊感。美咲は深淵に吸い込まれた。
「…………ん?」
巌野が振り返った時、そこには美咲の姿はなかった。宍戸も、出羽も。
こつ然と消えていた。




