20009 ヤオ
「おやおやおやおや、責任感じて来て見たら……何をなさっておりますか?」
バスは、前半分を崖から突き出した形で停止していた。へし倒した樹木が引っかかってなんとかバランスを保っているものの、いつ落下してもおかしくはない形。
それを、黒人ヤキトと手下のチンピラ、そして嫌々ながら『アナグマ』が押していた。中にいる正義漢ぶった探偵、目貫千を葬り去り、残った女二人を好き勝手するためである。
途中までは順調だった。車体は30度を超す傾斜に入り、あとは勢いのままに落下するかと思われた。
だが、突然の衝撃がすべてを狂わせた。固定されたかのようにバスは動かなくなっていた。
「な、なんだてめえは!?」
「時に『八尺』などと呼ばれてますが……そんなにデカくございませんでしょ?
せいぜい五尺六寸。いろいろな名前がありますが、この所は『ヤオ』で通しています」
どこから現れたか、あるいは飛んできたのか……『そいつ』はバスの上に立っていた。
宵闇の中でぼんやりと浮かぶ白いシルエット。ヤキトたちの印象は『オバケ』だった。上から下まで真っ白の、風になびくシーツの如き存在。
「ふ、ふざけんな!!」
「ああ、おやめなさって。スカートですんで」
チンピラがライターを点けて照らすと、白いワンピースの女が悠然と立っている。異様なことにそのざんばらの頭髪は老婆のように白い。近くで見ればその眉やまつ毛はおろか、全身の体毛が白いことが分かったであろう。
膝丈のワンピースだが、その下には黒いストッキングと登山靴。足が見えない原因だ。腰と、豊満極まるバストの上下にベルト。激しい動きに衣服や荷物が邪魔にならないように締め付けているのだ。
「なんでもいい、穴が増えたってだけだ」
ヤキトが舌なめずりする。ヤオと名乗った白女は冷たく彼を見下ろした。
「鐘が鳴ったのになんで外にいるんです?」
「あ?」
「…………だから【ドラゴン】の尖兵に、『くねくね』なんぞに見つかるんです」
ヤオの言葉を、三人の男は理解できなかった。いや、ただ一人……ヤキトだけが獰猛な獣のように怒りを露わにする。
「ん? んんん? おやおやおやおやぁ? まだ車内に人がおるではありませんか。しかもその顔は探偵さんでは? これはこれはお久しぶりです」
バスの内側で動く光に気づき、覗き込んだヤオが驚きの声を上げた。座席を伝いリアウィンドウまで到達した探偵、目貫千に親しげに声をかける。
「…………誰だ? アンタみたいに派手な知り合いはいないぞ」
「……こりゃ失礼。『まだ』でしたか」
息も絶え絶えの千に、ヤオは手を差し伸べた。しかし、あまりにも遠い距離。1メートル以上だ。手を伸ばすのも馬鹿馬鹿しい。
座席をつかんで体を持ち上げようとした千の背中から重量が消える。瀕死の男が浮いていた。
「な……!?」
「【体内粒子】と【防具】の使い方は把握しておくんですな」
何を言っているのか何も理解できない。しかし一つ、確かなことがあった。
ヤオの右手から黒い何かが伸びて、男を吊り上げている。千の知る常識ではあり得ない動き。本当に人間なのか?
……いやそもそも、こいつはどうやってここまで来た?
崖に落ちる直前のマイクロバスの上に、どこから? どうやって?
「あんた……あの『白い奴』か?」
「『くねくね』の事を言ってるなら違います。あたしは……そうですな、大女扱いは癪でありますし、『スワンプマン』とでもお考えくださいな」
「スワンプ……?」
直訳すると『沼の男』になる。その意味については、いずれ語ることもあろう。
「まあ、とにかく探偵さんの味方です。そして、この事故の原因になった『くねくね』あるいは『河童』の敵」
「は?」
バスのリアウィンドウまでたどり着く。それと同時に、投石が車体を叩いた。ヤキトたちが手頃な石を掴んで投げつけてくる。
「うるせぇな」
乱暴な口調でヤオが舌を打った。気絶した男を抱えているのに、重さを感じさせない動きで飛び降りる。
「こ、こいつ!!」
「運が無い野郎どもですね。夜の山は異界なので、一刻も早く降りなさい」
掴みかかるチンピラ、腰の引けた『アナグマ』。ヤオは男を転がしながらチンピラの腕を掻い潜り、その頬面に音高くビンタ。
「う……っ!?」
後に残る程のダメージはない。相手に実力差を思い知らせ、なおかつ屈辱を与えるだけの打撃。
たたらを踏むチンピラ、押しのけるようにしてヤキト。
巨漢と、圧倒的筋肉による暴力。192センチの体躯と100kgを越える重量によるヘビー級の打ち下ろし。
対するヤオは女にして大きい168センチ。体重は…………見た目通りなら60kg程度、二倍近い体重差。
『アナグマ』の見立て通り、ヤキトは暴力に躊躇の無い男だった。目の前の女を苦痛を用いて黙らせてレイプする。
人間社会において害悪にしかならない存在。この時も、ヤオを叩きのめす事しか頭になかった。
吹き付けられた破壊的衝動の発露、対するヤオは恐ろしいことに、迫る拳を見もしなかった。緩やかな踏み込み、ダンスのような回転。長く白い髪が広がり、拳の風圧でなびいた。
「年上で女だぞ? 敬えクソガキ」
ヤキトの拳は空を切る。
逆に回転を利用したヤオの肘打ちが鳩尾に突き刺さる。右の掌底が顎を撃ち抜く。ヤキトが怯む、ヤオが一歩下がり長い脚をしならせた。
「damn!!!」
容赦がない。その点ではヤオもまた同じだった。少しの遅滞もなく、目も背けずに。周囲の男たちが息を呑む。
金的を激烈に蹴り上げられた黒人男は泡を吹いて白目を剥いた。
「しまった」
地響きを立てて倒れるヤキト。震えるチンピラ、ようやく降りてきた千。
三人の視線を浴びながら、ヤオは高々と振り上げていた足を下ろし、気恥ずかしそうにスカートを整えた。
「ザコ過ぎてのしちまった……」




