5.新たな世界
森から戻った二人は、もはや以前のような緊張感はなかった。互いの弱さを知ったことで、彼らの間には確かな信頼が生まれていた。
「私の村では、八つの領地にある遺跡に、神の力が眠っていると信じられていたわ。」
「うん、父さんの日記にも、遺跡の力の仕組みを解析することで、大地への道が開くって書いてあったから、まずは遺跡に行ってみないとね。」
二人の中で、もう結論は出ていた。キラは故郷飛び出し、各地の遺跡を巡る旅へ、すでに心は動いていた。
翌日、二人は旅に必要なものを買い出しに行くことにした。
ここ数日、帝国の騎士は諦めることなくティアを探していた。キラはティアを変装させることにした。深めの帽子でプラチナブロンドの髪を隠し、ティアはキラから借りた、サイズの合わないシャツに袖を通した。案の定、その袖は彼女の小さな手をすっぽりと覆い隠し、ぶかぶかのズボンはウエストを何度も折り返しても、歩くたびにずり落ちそうになるので、ベルトで固定している。
「うーん……ちょっと大きい、かな?」
ティアは困ったように自分の姿を見下ろした。何よりも、キラの父親の形見だという古い丸メガネが、彼女の小さな顔には大きすぎた。レンズはまるで二つの大きな窓のようで、その奥にある可愛らしい黄金の瞳をすっかり覆い隠しているが、メガネの重みで、鼻からずれ落ちそうになるのを、彼女が何度も慌てて押し上げる仕草は、どこか微笑ましかった。
キラは、そんなティアのちぐはぐな姿を見て、笑いをこらえる。
「まあ、仕方ないよ。ティアだってバレないのが一番だから。」
そうは言ったものの、ぶかぶかの服の中で一生懸命「男の子」を演じようとするティアの姿には、隠しきれない愛嬌があった。二人は互いの顔を見合わせ、その滑稽さに思わずくすくすと笑い出してしまった。
「すぐにサイズの合った服を買おう。旅の装備も揃えなければならないから、市場へ行こう。」
キラは笑いを堪えながら言った。
「馴染みの店の人に声をかけられたら、ティアは僕の母方の遠い親戚で、工房の修理を手伝いに来てくれたことにしよう。工房があのような状態だから、誰も疑わないはずだ。」
「わかったわ!私は男の子のふりをすればいいのね!」
ティアは身を乗り出して頷いた。どこかぎこちない、しかし嬉しそうなその仕草に、キラは静かに微笑む。
「よし、じゃあ、行こうか!」
工房を出てしばらく歩くと、目の前に空島の市場が広がった。
「うわぁ……!」
ティアは思わず感嘆の声を漏らした。様々な声が飛び交い、色とりどりの商品がひしめき合い、香ばしい匂いや甘い匂いが混ざり合う。空島の青空の下、カイトの帆がひらめき、人々が行き交うその活気は、ティアにとって全てがまばゆい光景だった。
キラは、目を輝かせながら周囲を見回すティアの手を引き、人波を縫って進んだ。活気あふれる市場には、虹光師が使う光石の専門店の他に、獲れたての空魚を売る魚屋、見たこともない珍しい果物が並ぶ八百屋、様々な鉱物を扱う店など、無数の屋台が軒を連ねている。ティアは、一つ一つの屋台を興味津々に覗き込んでは、初めて見る品々に目を奪われた。キラも時折立ち止まり、ティアに商品の説明をする。
「この鉱石はトルマン。電気を通すから、砕いて機械の回路なんかに使われる。」
「この空魚はね、夜になると光るんだ。だから夜釣りで獲るんだよ。」
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キラの説明に、ティアは再び「わぁ!」と目を輝かせた。隔離された世界では知る由もなかった、空島の人々の豊かな暮らしと、光の多様な利用法に、彼女の好奇心は尽きることがなかった。特に、見たこともない鮮やかな光石がずらりと並んだ店では、彼女は思わず立ち止まってうっとり見入ってしまうほど。自身の「虹の力」と通じる、光の様々な姿に、すっかり心を奪われたようだった。
市場の奥へと進んでいくと、キラは顔なじみの店主たちに次々声をかけられた。
「おや、キラくん!工房の様子はどうだい?あの騒ぎは大変だったな!」
「今日は珍しく連れと買い出しかい!」
キラはそのたび、隣に立つティアを紹介する。
「ええ、親戚の子が手伝いに来てくれまして。工房の修理に腕を貸してくれるんで、助かっています」
と、にこやかに話した。
ティアは教えられた通り、少し俯き加減で「こんにちは」と控えめに挨拶をした。ぶかぶかの服と大きなメガネのせいで、その声は一層幼く聞こえる。店主たちは納得したように頷き、ティアの頭をなでたり、お菓子をくれたりした。人々の温かい眼差しに触れて、ティアはほっとしたようだった。
その様子を、市場の入り口近くで、虹光師のガジェットが遠くから眺めていた。偶然キラを見つけ、声をかけようとしたが、ふと足を止める。隣に立つ少年を見つめるキラの表情が、これまでの彼とはうってかわって生き生きと輝いていたからだ。
キラはこれまで、どこか影があり、常に何かを心に抱え込でいるようだった。幼い頃から見守ってきたガジェットには、キラの夢を心から応援できないことが、二人間に見えない壁を作ってしまったように感じていた。だが、今日のキラは全く違う。彼の顔には希望が満ち、瞳には確かな活力が宿っている。長年探し求めていた何かを見つけ、心の迷いがすっかり晴れた様子に、ガジェットは深く安堵すると同時に、わずかな寂しさも感じながらその背中を、今はただ見守ることにした。
二人は目的の品を探しつつ、ティアの新しい服も手に入れた。サイズの合ったシャツとズボンに身を包んだティアは、ようやく動きやすくなったとばかりに、軽く飛び跳ねて見せた。
「これなら動きやすいわ!」
しかし、キラが「メガネも新しいのにしようか?」と尋ねると、ティアは首を横に振った。
「ううん、これはこれでいいの。」
「そう?サイズが合ってないのに?」
「うん。…だってキラのお父さんの大事な形見だもの。」
ティアのつぶやきはキラには聞こえなかった。
ティアはパッと顔を上げてなんでもないという素振りを見せる。
市場での買い物を終え、二人は工房へ向かう道を急いでいた。市場に慣れないティアは、まだ周囲の視線に敏感だったが、キラはそんな彼女の手を引き、慣れた様子で人混みを縫う。しかし、その足音が不意に早まる。
「ティア、少し速く歩いてくれ!」
キラの声に、ティアは緊張を感じた。金属音が近づき、人々のざわめきが驚きの声に変わる。
先を急ごうとして走り出した瞬間、風が吹いてティアの帽子からプラチナブロンドのかみがこぼれ出た。
「止まれ!そこの少年!動くな!」
帝国の騎士だ。
「走れ!ティア!」
キラはティアの手を強く引き、路地裏へと飛び込んだ。騎士たちは橙色の光の鎖を放ち、二人の行く手を阻もうとする。屋台の商品が次々と倒れ、果物が路上に散乱し、市場の活気は一瞬にして混乱へと変わった。キラはティアを庇いながら、迷路のような路地を駆け抜ける。しかし、訓練された騎士たちの追跡は容赦なく、二人の行く手は次第に塞がれていく。行き止まりの壁が目前に迫った時、
「うちの弟子のガキに何しやがる!」
轟くようなガジェットの声が、市場の喧騒を切り裂いた。その瞬間、彼の杖の先から眩いばかりの閃光が迸り、騎士たちの視界を白く染め上げる。同時に、ガジェットは二人の前に仁王立ちになり、その大きな背中でキラとティアを庇った。
「キラ!こっちだ!」
振り返ることなく、ガジェットは低い声で叫び、工房へと続く細い路地を指し示した。
「何をする!」
騎士たちが、ガジェットの突然の介入に驚く。
「これが虹光師のちょっとした遊びさね!」
懐から取り出した数個の光玉を、躊躇なく騎士たちの足元へ投げつけた。炸裂した光玉からは、強烈な光と共に刺激臭を伴う煙が勢いよく噴き出し、あたりは一時的に視界が遮られた。
市場での追跡を振り切り、キラとティアはガジェットに導かれ、彼の工房へと身を寄せていた。薄暗い工房の中、ガジェットは荒い息をつきながら、二人の無事を確認するようにじっと見つめた。
ガジェットは深く息を吐いた。そして、キラと、震えるティアの顔を交互に見る。
「…おいおい、この子は、まさか。」
ガジェットの視線は、ティアの黄金の瞳に吸い寄せられた。
「この子は、の姿形だけでなく、その力『光の神』のものなのか?それはお前と父さんの夢の助けになるのか?」
キラは、隠し事をする意味がないと悟り、頷いた。
そして、彼はゆっくりとキラに歩み寄ると、その体をぎゅっと抱きしめた。
「これまで俺ァ素直にお前さんの夢を応援できなかった。お前の親父の二の舞にさせたくなかったんだ。」
ガジェットの声は震えていた。キラは驚きと困惑で身動きが取れない。
「だが、俺ァ間違っていたんだな。子供は心配して守ってやるだけじゃ成長しねぇ。キラ、お前はやるべきことを見つけたんだな。」
キラの瞳は、これまでにないほど強く、真っ直ぐにガジェットを見つめていた。その確固たる意志に、ガジェットは目を瞠った。彼の教え子の姿に、若き日の友、つまりキラの父の情熱が重なって見えた。ガジェットは、口元に微かな笑みを浮かべた。
ガジェットの言葉は、まるで彼の胸の内をそのまま吐き出すようだった。その真剣な眼差しから、キラはこれまでのガジェットの不器用な態度が、キラを心配する親心なのだと悟った。そして今、ガジェットは自分の背中を押そうとしてくれている。
ガジェットは工房の奥から小さな木箱を取り出し、キラに手渡した。
「これは、お前さんの父さんが、最後の旅に出る前に俺に託してくれたもんだ。『いつかお前が一人前になったら渡してくれ』、とな。もう、その時が来たようだ。」
箱の中には、虹色の結晶体が入っていた。父がガジェットに託し、自分が一人前になったら渡してくれるようにと願ったもの。キラは、その事実を噛みしめながら、結晶体を両手でそっと握りしめた。
キラはその結晶がキラが今まで製作していた装置の最後のパーツだと確信する。未完成だった装置を取り出した。ガジェットから受け取った虹色の結晶体を、装置にはめ込む。最後のパーツが嵌った瞬間、装置は眩い光を放った。それが、父の研究の集大成、**「虹の核」**だった。
「虹の核」と共鳴するように、ティアの体から光が溢れる。ティアは予想外の出来事に、力が暴走するのではないかと不安になり、力を抑えようと体を手で押さえた。ティアの感情に呼応するように、アルクスコアも激しく脈打つ。
キラはアルクスコアとティアの様子を見比べ、そっとティアの首にアルクスコアをかける。
「ティア、これはきみに必要なものだと思う。きっと君の力を制御するためのものだし、多分君じゃないと扱えない。父さんのアルクスコアと僕で、きみの力を良い方向に導くから、怖がらないで。」
ティアは、その眩い輝きを前に、戸惑いの表情を浮かべている。
「キラ、これは頑張って作ったものでしょう?お父さんの大事な研究の道具でしょう?なのに私が持ってて良いの?」
キラは、その小さな背中を優しく撫でた。
「きみにこれが必要なように、僕にはきみが必要だから。二人で夢を叶えるんだ!」
キラの言葉に、ティアは静かに頷いた。彼女は、自分の力を恐れるだけでなく、この力を使って誰かを救いたいと願っていた。キラの差し出すペンダントは、彼女にとって、その願いを叶えるための希望そのものだった。
「心配はもうなしだ。お前さんは一人前の虹光師だ。自分の信じた道を、しっかり進め。」
ガジェットが二人の間にしっかりと結ばれた絆を確認し、安心したようにキラの背中をおした。
二人はどうにか工房へと戻ると息を切らしながらも、キラはすぐに出発する準備に取り掛かる。
「荷物を持って、乗って!」
キラの指示に、ティアは市場で買い入れたものと準備していた旅の用意を手早く積み込んだ。
「よし、行こう!」
キラの声が夜の静寂を破ると同時に、カイトの機関が低く唸り始めた。
巻き起こる風が二人の髪を激しく逆なでる。夜の帳が降りた漆黒の空へ、カイトが浮上する。夜空を切り裂くように白い光を放つカイトのシルエットは、まるで夜の鳥のようだ。
吹き付ける風は冷たく、二人の頬を叩き、これから始まる未知の旅を予感させるようだった。帝国兵の放つ探索のサーチライトが、まるで地を這う蛇のように足元を蠢いているが、カイトはそれを嘲笑うかのように、風を切り裂き、ぐんぐん力強く高度を上げていく。
操縦桿を握るキラの指先には、風圧とカイトの振動が伝わってくる。
隣のティアの瞳は、夜空に散らばる星の光を映し、宝石のように輝いている。その小さな顔には、不安と期待の入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。
かつて、一人で抱え込み、時に途方に暮れていた夢。だが今は違う。ガジェットが差し伸べた手、そして隣にいるティアという仲間。その存在が、彼の孤独を大きく払拭していた。父の夢、そして新しい世界への旅。それはもはや、彼一人のものではない。
「僕たちは、きっと、どこまでも行ける。」
キラは確信した。カイトは空島の夜空を切り裂き、誰も知らない、新たな世界へと向かって加速していく。




