ポンコツども
男が二人いる。
一人は壁にもたれてスマホをいじっている。
一人は大きめの工具箱を漁っている。
二人は同じ服を着ている。大きめの黒いツナギを着ている。
部屋。
壁天井すべてコンクリートで固められている部屋。錆びたスレート色の金属扉が一つある。簡素なステンレス製の棚と机が一つずつある。
部屋には男がもう一人いる。
もう一人の男は拘束されている。白いワイシャツに紺色のスラックスを穿き、両手に手錠をかけられ、壁に打ち込まれた金具に繋がれ、両足は床につけ、目には黒いアイマスクをして、両耳に発泡ウレタンの耳栓を詰められ、口に緑色の養生テープが数枚重ねで貼られている。
工具箱を漁っている男が言う。
「そろそろはじめるか?」
スマホをいじっている男は短く「あ」とだけ言い、スマホをポケットに入れようとするが、ツナギのポケットの位置がすぐにわからず、五秒ほどかかる。
「自己紹介が必要か?」
「いや、別に」
「だったらさっさとはじめて、さっさと終わらせよう」
スマホ男は言葉を返さず、工具男に一歩近づく。
「一応確認してもいいか」立て続けに工具男が言う。
「え?」
「指示の内容」
工具男は机の上から紙切れをつまみ取る。
「これだろ? 読み上げるぞ」
「どうぞ」
「手は肘から下を切断。足は膝から下を切断。性器を切断。タマは残す。眼球は二つとも取る。体調に問題なければ、鼻を切り落とす。以上」
「体調って、誰の?」
「おれたちじゃないだろう」
「あー……」
スマホ男は拘束された男を一瞥する。
工具男は工具箱から一つ一つ工具を取り出して、床に並べる。
「どこからいく?」工具男が聞く。
「え?」
「手か、足か」
「任せるっす」
「任せるって、おれにか?」
「もちろん」
「じゃあ、はじめは目玉でいいか?」
「どこでもいいっすよ」
「それなら目玉からいく。簡単そうだ」
工具男は工具箱から残りの工具を一つ一つ取り出して、床に並べる。
スマホ男は工具男が工具箱から出す工具を一つ一つ手に取って、眺める。
「目玉取り出すやつはどれだ?」工具男が聞く。
「えーと……スプーン?」
「どれだ」
「いや、この中にはないっすけど」
工具男は床に並んでいる工具を右から左に眺め、それから左から右に眺めると「スプーン」とつぶやき、部屋の中を探す。
「ないな」
スプーンはない。
「じゃあ、手袋して、指でいきます?」
「たのむ」
「おれがっすか?」
工具男はうなずく。
スマホ男は拘束された男を五秒間見つめてから、開封済みのゴム手袋の箱からゴム手袋を二枚取り出して、両手につける。
「アイマスクしてますけど」
「取るしかないだろう」
「起きてますかね?」
「おれに聞かないでくれ」
「起きてませんように……」
スマホ男はアイマスク男の頬をゴム手袋をした指でつつく。アイマスク男の身体がビクンと動く。つづけて、グネグネと身体をよじらせ、養生テープごしに呻く。
「起きてるっす」
「いま起きたんじゃないか」
「どうしましょ」
「起きてたらだめなのか?」
「まあ……いいっすけど」
アイマスク男はまたグネグネと身体をよじらせ、養生テープごしに呻く。
「うーん、やりにくいな」
スマホ男は手を伸ばす。
アイマスク男はビクンと身体を動かす。
スマホ男は手を引っ込める。
同じことを三回繰り返す。
四回目の前に、スマホ男が提案する。
「別のとこからやりません?」
「手足を先にするのか?」
「手と足と……あとどこでしたっけ」
「チンコだ」
「チンコにしましょうよ」
「チンコはあとにしないか」
「え、なんで?」
「切ったら何か出てきそうだ」
「あー…」
「なるべく後回しにしたい」
「けど、あとにしても結局出てくるんじゃないっすか?」
「最後の方ならいろいろ飛び散ってるだろうから、多少紛れる」
「そんなもんすかね」
性器は後回しになる。
アイマスク男はまだグネグネしている。ときどき呻く。
「晩飯食いました?」
「食ってない」
アイマスク男はまだグネグネしている。
「なんか食うもん持ってないっすか?」
「持ってない」
ときどき呻く。
「来る途中に牛丼食おうか迷ったんすけど、仕事終わってビールと一緒に食った方がうまいだろうと思って、食わなかったんすよね」
「……その話、いま必要か?」
工具男はスマホ男をジロリとにらみ、床に並んでいる工具を一つ一つ工具箱に片付ける。
スマホ男は手袋をはめている両手をツナギに擦り付けながら言う。
「ま、じゃあ、手か足ってことで」
「どちらにする?」
「足ですかね。手は繋がれてるし」
「決めてくれて構わないぞ」
「じゃ、足で。ノコギリありました?」
「糸鋸ならある。膝から下ならこのサイズでいけるだろう」
工具男は工具箱から糸鋸を取り出して、スマホ男に渡す。
「またおれっすか?」
「またじゃない。さっきはやってないだろう。手本を見せてくれ」
スマホ男は短いため息を漏らす。
「まあ……いいっすけど。膝から下ってどこですかね?」
「膝から下は、膝から下だろう」
「膝は含める?」
「膝の下だから、膝は含めない」
「スネってことっすか?」
「膝とスネの間の部分だろう。大丈夫か?」
スマホ男はアイマスク男の下半身に手を伸ばすが、アイマスク男がグネグネ動くのですぐに手を引っ込める。
「押さえといてくれません?」
「どこを」
「どこって、足ですよ」
工具男は向き直り、また工具箱を漁る。
「何やってるんすか」
工具男は無言で工具を一つ一つ床に並べる。すべて並べ終わると、また一つ一つ片付ける。
「ないな」
「何がです」
「眠らせる薬」
眠らせる薬はない。
「ないなら押さえてくれません?」
工具男はのっそりと立ち上がり、太い指でアイマスク男の左足首をつかむ。アイマスク男は反対の膝をピンと張り、つかまれた足を何度も屈伸する。手錠がガチャガチャと鳴る。
スマホ男は右手に糸鋸を持ち、左手でアイマスク男の脛をつかむ。アイマスク男はさらに激しく屈伸する。
スマホ男は何度か糸鋸を近づけるが、足が激しく動くたび、また引っ込める。
「これ無理じゃないすか?」
「いったん休もう」
工具男もスマホ男も床にしゃがみ込む。
スマホ男がフウッと短いため息をつく。
「煙草ないっすか?」
「煙草は吸わない」
スマホ男はポケットから取り出したスマホの画面を眺めながら言う。
「来る途中に買ってくりゃよかったんすけど、牛丼食ってたらコンビニ寄る時間なくなっちゃって」
「牛丼は食ってないんじゃなかったのか?」
「あ、すんません、さっきのは嘘っす。牛丼食いました」
「ビールも飲んだのか?」
「さすがに仕事前には飲まないっすよ」
工具男はスマホ男をジロリとにらむ。
「嘘っす。飲んだっす。一杯だけ」
スマホ男は両手の人差し指を立てて一杯のアピールをしながらヘラヘラ笑う。
「食って飲んで、まだ食い物せびってたのか?」
「なんか口さみしいっていうか。煙草吸えないから」
スマホ男は唇をチュウチュウ鳴らす。
工具男は話題をつづけることを辞め、工具箱の工具を一つ一つ点検する。
百二十秒間、無言の時間が流れる。
スマホ男の唇がチュウチュウ鳴る音、工具男が工具を漁る金属音、アイマスク男が漏らす呻き声がときどき静かな部屋に響く。
「これって」
スマホ男が沈黙を破る。
「殺しちゃダメなんすよね」
「絶対殺すなと言われた」
「手とか足とか切ったら、血が出過ぎて死ぬ可能性ないっすか?」
「ある」
死ぬ可能性はある。
「だったら無理じゃないっすか?」
「無理だと言うのか?」
「え……だって、無理でしょ」
「諦めるってことか?」
「なんか方法あります?」
工具男は工具箱に手をかけたまま、スマホ男に視線を移す。
「時間かけてみるのはどうだ。血液は体内で作られるから、出ていったぶんの血液が体内で作られるのを待ちながらじっくりやる」
「どのくらいで作られるんすかね?」
「一日、二日じゃ無理だろう」
「これいつまでって指示でしたっけ」
「明日の朝八時までだ」
「じゃあ無理じゃないっすか」
「無理だな。他の方法を考えよう」
工具男はまた工具箱から一つ一つ工具を取り出して床に並べる。
「これは……チャッカマンか」
工具男は工具箱から取り出した着火ライターに一度短く火をつける。
「これで切った部分を焼いたらどうだ? 傷口を焼いたら血が止まるとどこかで聞いたことがある」
「どこで聞いたんすか」
「どこかだ」
スマホ男は立ち上がり、工具男の手から着火ライターを取る。カチカチと何度も火をつける。
「無駄遣いしないでくれ。焼く場所はたくさんある」
「縛ったらいいんじゃないすか?」
「なに?」
「縛って血を止めて、切ったらいいんじゃないすかね」
「縛る……なるほど」
「でしょ。縛るものないすか?」
工具男はスマホ男から着火ライターを受け取り床に並んだ工具のいちばん端に置くと、残りの工具をまた一つ一つ出して、床に並べる。
「チューブがある」
「チューブ?」
「何のチューブかはわからない。細くて長い」
細くて長いチューブはある。
工具男はチューブを伸ばして長さを確かめる。
「とりあえず太もものあたりを縛ってみるか」
「ズボンはどうします?」
「脱がした方が効果的だろう」
スマホ男はアイマスク男のズボンを脱がしにかかる。
まずベルトに手をかける。アイマスク男は腰をグルグル回して逃れようとするが、工具男が横から羽交締めにして押さえつける。
「うっ」
「どうした」
「ションベン漏らしてますね」
「ションベン」
「結構いってるっす。一回ぶんまるまる出てるっぽい」
「なんか臭いと思ったら、それか」
「どうします?」
「いったん休もう」
スマホ男は外しかけのベルトをそのままにして、アイマスク男から離れる。
工具男は細くて長いチューブをいったん工具箱に片付ける。
「他の部分から処理した方がよさそうだな」
「チンコですか」
「後回しだ」
「タマはどうするんでしたっけ」
「タマは残す」
「チンコは切るのに?」
「タマはそのままだ」
「じゃあ手にします?」
「手を切ったら拘束が解けてしまう」
「それなら目玉しか残ってないっすよ」
「やるか」
「次はあなたがやってくださいよ」
「きみもまだ一回もやってないだろう」
「じゃあジャンケンしましょ」
「待ってくれ」
「なんすか」
「そもそも聞きたいが、きみは専門家じゃないのか?」
「なんの?」
「こういうことだ。切ったり、取ったり」
「違うっすよ。専門家はあなたじゃないんすか?」
「おれはただの果物屋だ」
「果物屋?」
「きみはなんなんだ?」
「ちょっと待ってくださいよ。なんで果物屋がこんなことしてるんです?」
「金に困っていろいろやってるだけだ」
「金に困って人の目玉取り出したりチンコ切ったりするんすか?」
「だからはじめてだと言っただろう」
「言ってないでしょ、そんなこと」
「言った」
「言ってないっすよ」
「言ったぞ」
「言ったとか言ってないとかどうでもいいんすよ!」
「だが言った」
「言ったと言えばね、あんた、金に困っていろいろやってるって言ってたじゃないっすか」
「いろいろやってるが、人を切ったりするのははじめてだ」
「じゃあ何やってるんすか」
「いろいろだ。頼まれたことをやってるだけだ」
「誰に頼まれてるんです」
「それは言えん」
「誰ですか?」
「言えん。というか、きみこそ一体誰なんだ」
「おれはただ闇バイトに応募しただけっすよ」
「闇バイト?」
「簡単な作業があって、専門家の言う通りにやってりゃいいって聞いて」
「おれは専門家じゃないぞ」
「じゃあなんなんすか」
「果物屋だ」
「果物屋なら切ったり取ったりは専門でしょ」
「バナナ切るのとチンコ切るのが同じだと思ってるのか?」
スマホ男は七秒間かけて長いため息をつく。
「じゃああんたはどうするつもりだったんです?」
「どうするって、何を」
「はじめてなのに、どうするつもりだったんすか」
「専門家がいるから、その指示に従えと」
「おれは専門家じゃないっすよ」
「そのようだな」
「バナナもろくに切ったことないっすね」
「何かの行き違いがあったようだな」
「行き違いで済む話じゃないっすよ」
スマホ男は手袋を外して、壁に投げつける。
壁には簡素な掛け時計がある。
「あと十時間だ」
「とりあえず、目玉いきましょう」
「そうだな」
工具男は工具箱からまた工具を一つ一つ取り出して、床に並べる。
「指でいくんでしょ?」
「そうだった」
工具男は工具箱にまた一つ一つ工具を片付ける。
スマホ男は新しいゴム手袋を両手にはめる。それを見て工具男もゴム手袋をはめる。
「顔押さえといてもらえます? おれが取り出すんで」
「わかった」
工具男はアイマスク男の顔を上下から挟むようにしっかりつかむ。アイマスク男の全身が激しく動く。
スマホ男はアイマスクを外そうとするが、外れない。
「ちょっと、手を上にずらしてもらえません? アイマスクが取れないっす。少しでいいんで……あっ」
工具男の力が緩んだ隙に、アイマスク男が身をよじらせ工具男の手をすり抜ける。
「汗のせいでうまく押さえられないな」
「もっかいお願いしますよ」
工具男は再び両手で頭を挟み込もうとするが、ツルツルと滑る。
「手袋外した方がいいんじゃないすか」
「素手でいくのか?」
「顔ぐらいいいでしょ」
アイマスク男は身体中の関節をグルグルと動かして暴れている。十秒暴れて、十秒休んで、十秒暴れて、十秒休むのを繰り返している。工具男は棒立ちで見ている。
「やっぱり眠らせよう」
「眠らせようったって、薬はないんでしょ?」
「……首を絞めるしかない」
「やったことあるんすか?」
「ない」
「死んだらどうするんです」
「死なないくらいにやるしかない」
スマホ男は一歩下がって手袋を外し、壁に投げる。
工具男は手袋を外さない。アイマスク男ににじり寄り、そのまま首を絞める。アイマスク男は頭を小刻みに動かし、左右の足を交互に激しく屈伸し、手錠をガチャガチャと鳴らす。養生テープごしの呻き声は聞こえない。
スマホ男は黙って見ている。
工具男は足を肩幅に開き、両手に力を込める。
アイマスク男の両足がピンと伸びる。爪先が右、左にひょこひょこ動く。拳がグーとパーを繰り返す。チョキは出ない。顔面のアイマスクと養生テープ以外の部分が赤くなる。それから何種類かの変化と運動が起こり、しかるべきのち、アイマスク男は動かなくなる。
工具男は最後にもう一度力を込めてから、両手を離す。
「いけました?」
「おそらく」
「死んでないっすよね?」
「わからない。確認してくれ」
スマホ男は工具男と交代し、アイマスク男に顔を近づける。
「息してるかは、わかんないっすね」
「脈は?」
「どこにあります?」
「首のあたりだろう」
スマホ男はアイマスク男の首を探る。
「脈もないっすね」
「嘘だろ」
工具男が素早く駆け寄り、同じようにアイマスク男の首元をまさぐる。
「脈はどこにあるんだ」
「首にあるんでしょ?」
「ないな」
「死にましたかね」
「まずいな」
工具男はまた工具箱から工具を一つ一つ取り出して、床に並べる。
「何してるんです」
「ない」
「何がですか?」
「薬だ」
薬はない。
「さっきそれっぽいのなかったでしょ」
「まずい」
「そんなにまずいんですか?」
「まずい。非常にまずい」
「どうなるんです?」
「わからない。ただ、まずいことになった」
工具男は床に並んだ工具を一つ一つ工具箱に片付ける。
工具男は工具箱を右手に持ち部屋を時計回りにぐるぐる回る。
工具男は工具箱から工具を一つ一つ取り出して、床に並べる。
工具男は床に並んだ工具を一つ一つ工具箱に片付ける。
工具男は工具箱を左手に持ち部屋を反時計回りにぐるぐる回る。
アイマスク男は動かない。
スマホ男が部屋の片隅を指さす。
「あのホースで水ぶっかけてみます?」
ホースがある。
「ちゃんと水も出ますよ」
ホースから水は出る。
「かしてくれ」
工具男はスマホ男からホースをひったくると、その先を自分の顔に向け、勢いよく水を噴射する。ホースの先をつまみ、水の勢いを最大化する。最大化された水は工具男の浅黒い顔面に跳ね返る。跳ね返った飛沫は五秒間で部屋の三分の一を濡らす。
五秒後、びしょ濡れになった工具男が部屋の片隅に直立する。
十秒後、びしょ濡れになった工具男がまだ直立する。
十五秒後、スマホ男が言う。
「えっと……何が起こったんすか?」
工具男がびしょ濡れの顔で振り返る。
「取り乱した」
「え……?」
「取り乱したから、顔を洗った」
「あー……顔ね」
「大丈夫だ。落ち着いた」
「今度洗うときは一声かけてくださいよ」
びしょ濡れの天井から水滴が落ちる。
水滴は床を流れて小さな排水溝に入る。
水滴はスマホ男の頬に落ちる。
水滴はアイマスク男のスラックスの太腿に落ちる。
「そうだ」
工具男がびしょ濡れの顔面を光らせながら言う。
「ションベンも洗ったらいい」
「え?」
「あの男のションベンだ。漏らしてただろう」
「あー、そうっすね。ついでにやっちゃいましょうか」
工具男は再びホースの先をつかみ、ホースの口をつまみ、最大化した勢いの水をアイマスク男の股間に噴射する。紺色のスラックスがより紺色らしい色に変わる。
「ちょっと待って」スマホ男が言う。
工具男は最大化した水をアイマスク男の股間に噴射しつづける。
「ズボンの上からだとあんまり洗えないっすよ」
工具男は最大化した水をアイマスク男の股間に噴射しつづけながら振り向く。
「え? なんだ? 水の音がうるさくて聞こえない」
「ズボンの上からだとあんまり洗えないっす!」
「あ? もっと大きな声で言ってくれ!」
最大化した水の噴射音はスマホ男の声よりも大きい。
「ズボンの! 上から! ションベンは! 洗えません!」
「あー、あー、わかった! 水を止めてくれ!」
スマホ男は水を止める。
びしょ濡れになったアイマスク男から大量の水がビタビタと落ちる。
「で、なんだって?」
「だから、ションベンはズボンの中にあるんです」
「ションベンはズボンの中に……?」
ホースの先からチョロチョロと水がたれる。
スマホ男は黙ってアイマスク男のスラックスを指さす。
「ああ、そうか。ズボンを脱がしてから洗った方がいいってことだな」
「まず脱がしましょう」
「ちょうど寝てるしな……いや、死んでるのか。死んでるのはまずいな。まずいことになった」
「まずいのはとりあえず置いといて、今は脱がしましょう」
「そうだな」
スマホ男と工具男はアイマスク男のスラックスを脱がしにかかる。
まずベルトに手をかける。本革のベルトは窮屈に締められており、なおかつびしょ濡れで滑りが悪く、外れない。
「さっき外しとけばよかったっすね……」
スマホ男と工具男は諦めてスラックスを無理やり下ろそうと試みる。スラックスはびしょ濡れでアイマスク男の太腿にピッタリと張りついている。ピッタリと張りついたスラックスは動かない。
「なんでこんなに動かないんすかね……」
「ピッタリ張りついててつかむことすらできん」
工具男の指がスラックスの表面で滑る。工具男の太い指ではびしょ濡れで張りついたスラックスはつかめない。
スマホ男は何度もつまむ場所を変えて試すが、スラックスはピッタリと張りついている。
結果、スラックスは動かない。
「どうしたものか……」
「ハサミはないんすか?」
「あったはずだ」
「ハサミでチンコの部分を丸く切ったらいいんじゃないすか?」
「間違ってチンコを切ったらどうする?」
「あり得ますね」
「チンコは最後にすると決めたはずだ」
「うーん、お手上げっすね……」
スマホ男は壁にもたれかかる。
工具男はアイマスク男の股間を目の前にして考え込む。じっと股間を見つめる。腕組みをする。股間を見つめる。
「そうか」
組んだ腕をほどき、パンと手を叩く。
「チャックを開ければいい」
壁にもたれているスマホ男が身を乗り出して、パンと手を叩く。
「チンコ直通トンネル!」
「時間がない。すぐに実行だ」
工具男はアイマスク男のびしょ濡れのスラックスの股間の部分のファスナーの金属の持ち手をつまむと、その指を力任せに振り下ろす。
ファスナーが開く。
狭い隙間から、横縞のボクサーパンツがのぞく。
「うっ……やはりまだ臭うな」
「早いとこ洗いましょう」
工具男はホースの先をつまみ最大化した水をアイマスク男のファスナーの隙間めがけて噴射する。噴射された水はスラックスの中で流動し、びしょ濡れのスラックスをバタバタと波立たせる。
「やった!」
「いけそうだな」
二分間、念入りに洗浄すると、工具男は水を止め、アイマスク男の股間に鼻を寄せる。
「成功だな。水の匂いしかしない」
「水の匂いってなんすか?」
「何の匂いもしないってことだ」
二分間の洗浄で、部屋の半分は水浸しになる。小さな排水口からブクブクと泡が上がる。
「さて、無事ションベンは洗い流せたが……」
「やっと一つクリアっすね」
「まだ一つもクリアしてないぞ。とりあえず、さっき失敗したことのつづきをやるか」
「なんでしたっけ?」
「チューブだ。太ももを縛る」
「あー、そうっすね」
工具男は工具箱からハサミを取り出す。何度かチョキチョキと動かす。ハサミはチョキしか出ない。
「まずはズボンを切り落とす。チンコに影響しないように、慎重に、膝の上くらいで切り落とそう」
「任せるっす。果物切る感じで」
工具男はアイマスク男のスラックスの裾からハサミを入れる。
「濡れてて切りづらいな」
スマホ男は壁際に座り込み、立てた両膝に両腕を置いて工具男の動作を眺めるが、少しずつ視線が下がり、やがて完全にうつむく。
「よし、膝まで切れたぞ。ここから先はチンコの守備範囲だ。この男のチンコの大きさがわからない以上、慎重にいかなくては……」
工具男は独り言をつぶやきながらハサミを動かす。
部屋の中に、天井とアイマスク男からしたたる水滴の音と、工具男の動かすハサミの音だけが鳴る。
スマホ男は頭をコックリコックリと上下させる。
ちょうど五十回目のコックリに合わせて、ハサミの音が止む。
「おい」
スマホ男がハッとして顔を上げる。
「よくこんな状況で寝れるな」
「ああ、すんません……昨日ほぼ寝てなかったんで」
「できたぞ」
スマホ男の視線の先には、太腿の付け根よりやや下の丈に切られた半ズボン型のスラックスを穿いたアイマスク男がいる。
「驚いたっすね……」
「なかなかの出来だろう」
「元から半ズボンって言われても、たぶん信じますよ」
スマホ男は何度もうなずく。
工具男も腕組みをしてうなずく。
「裾はなるべく直線になるようにした」
「チンコは大丈夫でした?」
「ああ。そんなに大きなモノは持ってないらしい」
「かなりギリギリ攻めましたね」
「いやはや、やりだしたら夢中になってしまった」
スマホ男はアイマスク男の新しい半ズボンをしげしげと眺めてから、もう一度大きくうなずく。
「それじゃ、ちゃっちゃとやりましょうか」
「よし」
工具男は工具箱から細くて長いチューブを取り出し、スマホ男に手渡す。
「おれはズボンを切ったから、縛るのは頼む」
「オッケーっす。じゃあ足を切るのは任せるっす」
工具男は慌ててスマホ男から細くて長いチューブをひったくる。
「おれが縛る」
工具男は素早い動作でアイマスク男の足元に陣取る。アイマスク男の半ズボンから伸びた白い太腿はまだ濡れている。工具男は細くて長いチューブをギュッと伸ばして構える。
「血管がどこかわかるか?」
「血管っすか?」
「血を止めるためには、血管の部分を縛らないといけないだろう」
「血管なんて、どこにでもあるんじゃないっすか?」
「なるべく太い血管がある場所がよさそうだが」
「それなら心臓の近くでしょ」
「心臓?」
「心臓のあたりが一番太そうじゃないすか?」
「心臓……」
工具男は半ズボンから伸びたアイマスク男の白い太腿と、未だワイシャツに隠されたアイマスク男の心臓を交互に見る。
「せっかくズボンを切ったんだが……」
「シャツも切りましょうよ」
「シャツくらい、ボタンを開けたらいいだろう」
「またさっきみたいに外せないかもしれないじゃないっすか。切った方が早いですって」
「またやるのか」
「ズボンみたいにいい感じにアレンジしましょ」
工具男はアイマスク男のアレンジ済みの衣服を眺める。
「そうだな……案外悪くないかもしれん」
工具男は工具箱から再びハサミを取り出す。
スマホ男は壁際に座り込み、立てた両膝に両腕を置いて工具男の動作を眺めるが、少しずつ視線が下がり、やがて完全にうつむき、ちょうど五十回目のコックリに合わせて、ハサミの音が止む。
「どうだ」
「おお……」
アイマスク男の左右の乳輪の上半分が隠れ、下半分が露出している長さで真一文字に切り落とされたワイシャツを見て、スマホ男がうなる。
「これはこれでアリっすね」
「長さはどうだろう」
「わざとっすか? 乳首をチラ見せしてるのは」
「少しオシャレすぎたかな」
工具男がゴム手袋をはめた指でポリポリと顎を掻く。
「いや、いいと思うっすよ。死ぬときくらい洒落た格好してないと」
「……死んでるのか、やはり」
「さすがに死んでるでしょ。これだけやっても起きないんだもん」
工具男が恐る恐るアイマスク男の首の脈を探す。脈は見つからない。
「死んでるのか……」
「あんまり考えないようにしましょうよ」
「というか、死んでるなら血を止めなくていいんじゃないか」
「念のためっすよ。いきなり生き返るかもしれないし」
工具男はもう一度アイマスク男の首の脈を探す。脈は見つからない。
工具男は深い深呼吸をする。
「できることをやるしかないな」
「そうっす。シャツも切れたし、ちゃんと進んでますって」
「きみは前向きだな」
「目は前向きについてますからね」
スマホ男は両手を両目の横に置き、人差し指と中指をピロピロと動かして見せる。さらに舌も出して同じようにピロピロと動かす。
工具男は鼻を鳴らし、ハサミを置き、細くて長いチューブを取る。
「乳首のあたりだろうか」
「乳首の下くらいじゃないすか?」
「そうしよう」
工具男は細くて長いチューブをギュウギュウと伸ばし、アイマスク男の乳首の下あたりをぐるりと一周させ蝶々結びに縛る。
「長さはピッタリだ」
「プレゼントのリボンみたいでかわいいっすね」
「我々にとってもうれしいプレゼントになればいいが」
「手足切ったら、もっとプレゼントっぽくなりますよ」
「そうだな」
工具男は蝶々結びになっている細くて長いチューブの先端を、ハサミで斜めにカットする。
「おっ、なんすか? それ」
「せっかくだから左右の長さを合わせるついでに、切り口を斜めにしてみた」
「たしかに、この方がリボンっぽいすね」
スマホ男は斜めにカットされている細くて長いチューブを人差し指でピンと弾く。
「あ、そうだ」
スマホ男は手をポンと叩くと、
「ちょっとハサミ借りますよ」
工具男の手からハサミを取り、床で水浸しになっているスラックスの端切れを拾うと、チョキチョキと切りはじめる。
スマホ男は「アー」「ウン」「ムズカシイナ」などと独りごちながらハサミを動かしつづけ、二分後「できた!」と叫んで布の一片をアイマスク男の左乳首に思い切り叩きつける。
「ほら、濡れてるから落ちないでしょ」
アイマスク男の左乳首には不恰好な星型の布が貼り付けられている。
「なんだ、これは?」
「もっとプレゼントっぽくなったでしょ?」
「それはそうだが……」
「やっぱ、乳首が見えてるのが生々しいっていうか、チラ見せがエロすぎるっていうか、こうすればエロさもマイルドになるし、プレゼントらしい飾り気もでるかと思って」
工具男は太い指で星型の布をそっとめくり、その下にアイマスク男の桃色の乳首を見つけると、慌ててまた貼り付ける。
「だが、これはあまりにもおれたちの仕事に関係ないだろう」
「シャツもズボンもオシャレになったんだし、もう無関係とは言えないでしょ」
「それは……そうだが……」
工具男は短く切り揃えられたスラックスと、短く切り揃えられたワイシャツと、その下にチラチラと見えては隠れるもう一方の乳首を横目で見る。
「……もう一枚必要だな」
「ハイ」
スマホ男はにっこり笑い、ハサミを工具男に手渡す。
「そう言うと思いましたよ」
工具男は〇・一秒間の逡巡ののち、差し出されるままハサミを受け取る。
「少し時間がかかるだろう。また仮眠をとってくれていいぞ」
「楽しみにしてるっすよ」
「あまりおだてるなよ」
工具男は笑みを噛み殺し、ハサミを強くにぎる。
スマホ男はゴム手袋を壁に投げると、壁際に座り込み、立てた両膝に両腕を置いて工具男の動作を眺めるが、少しずつ視線が下がり、やがて完全にうつむき、ちょうど百五十回目のコックリに合わせて、ハサミの音が止む。
ハサミの音が止むのに合わせて、スマホ男のコックリが止まる。
スマホ男のコックリが止まると、スマホ男の頭がゆっくりと持ち上がる。
スマホ男の頭がゆっくりと持ち上がると、スマホ男の目が開く。
スマホ男の目が大きく開く。
スマホ男の瞳いっぱいに、星々が映り込む。
「お母さん……」
スマホ男がボソリとつぶやく。
「起きたか」
工具男はハサミを脇に置き、アイマスク男の傍らに座っている。
「いま、お母さんと言ったか?」
「ああ……いや、なんつうか」
スマホ男の目から涙が一粒こぼれる。
こぼれた涙に、また星々が映り込む。
星々は、アイマスク男の身体に広がっている。
白と紺色にまたたく無数の星々が、アイマスク男の全身に散りばめられている。
「せっかくだから余ったワイシャツの切れ端も使ってたくさん作ってみたが、少々やりすぎたかな」
「やりすぎっす……」
「やはりそうか……はは」
工具男がはじめて声を出して笑う。
スマホ男がツナギの袖で、そっと目元をぬぐう。
「夢見てたんすよ、今」
「夢?」
「はい。うとうとしてる間に。ここ数年会ってなかったし、連絡もとってなかったんすけど、なんでか実家の母親が出てきて……」
工具男は黙って聞いている。
「別になんてことはなかったんすけどね。ただの偶然だと思うんすよ。でも、母親が台所で晩飯作ってて、おれはリビングで宿題してて、たぶん小学生くらいのときのおれで……」
工具男は黙って聞いている。
「おれはふと母親の方を見るんすよ。母親は料理作ったままで、後ろ姿なんすけど、そのとき着てたTシャツが、全体が星の柄のやつで」
工具男は黙って聞いている。
「母親が包丁使う音がずっとしてるんすけど、その音が止んで、母親が振り向いて、なんか言おうとしたとこで目が覚めたんす」
工具男は黙って聞いている。
「そしたら目の前に母親のTシャツと同じ星柄があって、なんつうか、その……」
工具男は立ち上がる。
「プレゼントだ」
「え?」
「だったらこれは、きみへのプレゼントだ」
スマホ男も立ち上がる。
「つづき、やりましょ」
スマホ男は笑う。
「ああ」
工具男も笑う。
スマホ男は新しいゴム手袋を両手にはめる。
工具男は工具箱から一つ一つ工具を取り出して、
「おい、なんだこれは」新しい声がする。
唐突に、錆びたスレート色の金属扉が開く。
部屋に四人目の男が現れる。
四人目の男は部屋をぐるりと見渡し、壁に拘束されている星柄の男を凝視し、
「なんだこれは」
また同じ言葉を吐く。
スマホ男と工具男は、顔を見合わせる。
顔を見合わせて、四人目の男を同時に見て、同時に言った。
「もしかして、専門家の人ですか?」
完




