第十九話
『……そ、それじゃあ皆さん、今日は忙しい中集まって頂き有り難う御座いました。急な告知で変なタイトルで驚かさせてしまったけど、姉がこうして薔薇っ子の皆さんに暖かく迎え入れられて、私は今日はとてもとても嬉しくて、暑くて寝苦しい夜もグッスリ眠れそうです』
〔えーもう終わっちゃうの?〕
〔ベルさんと姉御の歌もう少し聞きたい〕
『我が儘言うな馬鹿たれども、生きてりゃまた必ず会えるからさ、その元気は明日からの一週間を乗り切る為に残しとけ。妹の配信にもちゃんと顔を出せよ?俺も見てるからな約束だぞ?あと頼むから「姉御」とかいう変な呼称も止めろよな?』
〔姉御はもう既に姉御だからなあ……〕
〔了解、明日からまた頑張ります姉御!〕
〔今日で二人のファンになったから約束は必ず守りますよ姉御〕
『コイツら……ってか、必ずって言葉はあんま多用しねえ方がいいぞ?なんだか嘘っぽく聞こえる』
『───お姉ちゃんっ!?』
〔wwwww〕
〔草〕
〔草〕
〔二人のやり取りが漫才すぎるwww〕
あれから凡そ5曲ほど歌い上げ、17時ジャストから始まった俺達似非姉妹ユニットの配信「姉、襲来……!?」は僅か1時間で終わりを迎える。タイトルを考えたのは宝生院で、視聴者にインパクトを与えて、かつ何が行われるか分かりやすく理解させて人を呼ぶにはこんなふざけたタイトルが一番良いとか何とか言っていた。
夕刻過ぎても外はまだ明るくて、カーテンを閉める必要性は未だ感じない。少しだけ部屋がオレンジ色に染まっているが、例え日が暮れてしまっていても画面の中にいる俺達は配信が終わるまでその事には気付かないだろう。もちろん視聴者も含めて、続く間はずっとずっとこの煌びやかな世界に囚われたままだ。
『……取りあえず別れの挨拶でもするか、いつも通り「さよならベルベル」で良いのか?』
『あ、えーと…どうしましょう。こういうコラボ配信をした時は大抵二人の名前を可愛く合わせたりするのですが…失念していました、今日はそれどころじゃなくて何も考えていませんでした……』
生憎と俺もこのようなコラボ配信は名ばかり知っていて覗きに行った事はない。だからそんな挨拶の決まりがあるだなんて知らなかったし、悩む宮子に助言するには知識不足過ぎて黙るしかなかった。
〔さよならベルクーリアは?〕
〔少し長くない?〕
〔姉妹だから逆に、さよならクーベルとか?〕
〔あー…有りかも〕
〔私もそれに一票〕
そんな俺の変わりにとでも言うように、気付けば視聴者達が様々な意見を出し合い始めた。初見も古参も入り交じって気付けば250人にまで昇っていた視聴者達が和気藹々と楽しそうに別れの挨拶を考えている。
ふと、隣のブースを覗き見れば眼鏡を掛けた宮子がレンズの奥で目を細めて僅かに口元を緩めていた。長い髪を縛りとてもお洒落とは言い難いラフな服装で、夕陽を浴びてマウスを握りながらそれはそれは嬉しそうに頬を染めていたのだ…
『…ふふふ、なんだかこうして皆さんが考えて下さるのがとても嬉しいです。こちらからお願いした訳でもないのに自ずと意見が飛び交う素敵な風景は、私は配信を続けていて良かったなあと、そんな嬉しい気持ちにさせてくれます……』
誰かが一緒になって自分の悩みを考えてくれるってのはとても嬉しいものだ。それは見えない画面の向こうの彼等でも、例えこちら側からは可愛いアイコンと文字だけしか分からない彼等でも一緒で、隣でボンヤリ見てる俺には想像も付かない程に宮子は嬉しく感じているのだろう。
逆に、だからこそ分かりやすく信じられるのかも知れないなと思う。現実世界の人々は誰もが拙い言葉を表情や仕草で誤魔化して綺麗に俺達を騙してくれる。10文字にも満たない言葉だけど、彼等も案外嘘を付いてるのかも知れないけれど、取り繕った胡散臭い笑顔や仕草が見えない分、本音が分かりやすかったりもする。
視線の動きや大袈裟なジェスチャーなんか要らない。僅かに震える語尾や嘘臭い真実なんか聞き飽きた。離れているからこそ近く感じる。身近にいないからこそ余計な詮索をしないで済む。
なんだか悲しい話だけどさ、俺も宮子も画面の向こうにいるお前らも、皆そういう人間関係に疲れ果ててきっとこの世界に辿り着いたんだろうなって思うんだ。それが正解かどうかはまた別の話としてさ……
『じゃ、じゃあ皆さんの意見を取り入れて、私達二人での配信の時は「さよならクーベル」を別れの挨拶にしましょうか!せーのっ……ほら、お姉ちゃんもっ!』
『……はいはい、せーの「さよならクーベル」お前ら達者でな!来週もまた元気な姿を見せに来いよ!』
『あっちょっ…もう!』
〔〔〔さよならクーベル~〕〕〕
〔姉御早い、ベルさんと合ってないよw〕
〔とても楽しかったです。ベルさん一人の配信も必ず見に行きます〕
『だから「必ず」は嘘くせえっての』
『お姉ちゃんっ!!!』
画面の中でベルベットローズガーデンの姿をした宮子に、今はクーリア・ライオネットを演じる俺が横から怒られている。ふと反射した液晶に映る俺はそんなベルベットローズガーデンと同じ姿をしていて、適当なティーシャツにショーパンを組み合わせた夏全開の格好なのに、冷やされた室内はとても涼しいハズなのに、汗なんか1ミリも掻かないハズなのに、なんだかとてつもない罪悪感に襲われて嫌な汗が吹き出て止まらなくなった。
……嘘つきは本当はどっち何だろうな?そんな思いがグルグル巡ってさ……ベルベットの姿で頂いたクーリアに命を吹き込む俺は果たして世間を罵れるほど正直な存在なのだろうかって、せめてこの見た目がさ、俺が動かすクーリアと同じ姿であったならば、この言いようもない罪悪感は少しは軽減されたのかも知れないのに……
「まあ、どうにもならない未来を考えても仕方ないか……」
「どうしました急に?」
「いんや、気にするな」
なんて事を思いながら、宮子と共に配信終了をクリックして、俺の人生初のVtuber活動は一旦次に訪れる日曜日まで終わりを迎えたのだ。
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「くああ……」
明くる日の朝の事である。無事に配信を終えてアルコールが得意でない宮子と一杯限りの祝杯を上げ、御褒美として貰った350mlのビールを部屋で残りの4缶全部飲み干した次の日の朝の事である。
二日酔いもせず珍しく気分爽快で、背伸びして漏れた声は相変わらず野太くなくて、内側に折れそうな程に曲がる肘関節を目一杯伸ばして、僅かに膨らんだ胸元は綺麗な柔肌がシャツの隙間から少しだけ見えて、寝る時だけは解放感を味わいたから下着を外しているけれど、そんな女性の身体にも慣れてきたこの変な世界での凡そ二ヶ月目の朝だった。
思い返してみれば推しの姿でこの二度目となる人生を歩んでいなければ、宮子にも会える事も無かったし、彼女の悩みも聞くことも、絵師である宝生院から恩情を受ける事も無かっただろう。
ましてや一緒に配信するなんて有り得ない話だったし、ベルベットの姿じゃなく誰だか分からない姿で公園でビールを飲んでた日には、仕事で疲れきった宮子はきっと不審者には近付かず寄らずの見て見ぬふりで素通りして行ったに違いない。
「……ん?なんだか首元がスースーするな?」
ベルベットローズガーデンの髪は腰に届く程の長い髪だった。真ん中から白と黒に別れ、綺麗にセパレートされたサラサラ艶々の長い長い髪だった。いつだって鬱陶しく感じてたし、仕事中は一つに縛っていて、その縛る動作がまた面倒臭く、俺の憧れの姿で無ければ直ぐにでも切ってしまいたかった。
何度も鋏を入れようとして躊躇したその長い髪が今日は無い。どんなに手で探っても錦糸のようだった髪は背中に見当たらなかった。
「もしかして……!?」
一縷の希望にすがってベッドを飛び降りた俺は、きっと馬鹿みたいに映るだろう。股下にはやっぱり違和感は無くて、腕毛も脛毛も生えてなくて、相変わらずスベスベした肌なのに、もしかしたら「男」に戻れたんじゃないかって、淡い期待を抱いて駆け足で狭い部屋を洗面所まで走り抜けた。
バンッ
「はあ、はあ……は、はあああああっ!????」
洗面台に手を付いて鏡を見た俺は驚愕する。二度あることは三度ある。死んで生まれ変わって目覚めたらベルベットローズガーデンの姿になっていて、本名は思い付いた適当な偽名に勝手に成り代わっていて、今度は昨夜寝る前までボンヤリ考えていた「もしもあの姿で配信出来てたらなあ」なんて有り得ない願いが、まさかのまさかの現実化しやがった。
「ク…クーリア・ライオネット……嘘だろ?」
厳しい目付きだけはそのままに、薄い黄緑色した短い髪を顎先より上で揃えて靡かせたショートボブで、端正な顔立ちのクーリア・ライオネットが驚く俺と同じく翡翠の瞳を僅かに広げていた。そのクールな印象はあまり崩さずに……
「ど、どどどどうなってんだよ、これはっっ!??」
そんな口を大きく開けて汚く叫んだ俺は暫くその場から動けなかった。だって走る途中リビングのテーブルに置かれてあった財布が僅かに光ってたのも残念ながら見逃さなかったし、ようやく仲が深まってきたと思った、今日は出勤する予定だった『幸福来』の大将や常連客のオッチャン達になんて言い訳すれば良いか分からなかったし、ましてや…宮子にも何て……
ピンポーン……
「───夢さん、宮子です。どうしました?何かあったんですか?」
時刻は午前7時をちょうど過ぎた辺りだ。まだ出勤前の宮子が壁に貼り付けた防音シートを貫通して聞こえた俺の声に、何事かと慌ててチャイムを鳴らして戸を叩いている。
「夢さん、夢さん、開けて下さい。夢さーんっ」
ドンドンドンドン
「いや…ちょっと待ってくれえ…どうすりゃ良いんだよクソッタレ……」
流れる汗は紛うことなき冷や汗だ。掌は台を掴んでいるのもやっとな程に汗ばんでいる。鏡の中の俺も動揺した顔をしており、これから待ち受ける未来を必死に足りない脳ミソで想像している。
───さて、扉を開けた先で彼女が何と言うか、頭の中にいる小さな俺達はきっと浅季夢という人間は、初めからこの容姿で世界に存在していたって事に改変されてしまったのではないかと一旦議決した。
名前だって思い付きがそのまま採用されたのだ。寧ろそうであって欲しいという願望すらある。これまでの関係をリセットすること無く生活を続ける為にはそれが最善である以外他なかった。足りない脳ミソはそんな楽観的な結末以外を排除して考察したのだ。
なあ猫型二足歩行ロボット君よ、お前を超える逸材がここにいるぞ……?頼むからその短い足をもっと早く動かして追い付いてくれよ。そして俺以外にもこんな非現実的な現状を分け与えてくれよ。じゃないと俺はまた心因性ストレス障害の通称「適応障害」に悩まされ再びギターをブッ壊す羽目になりそうだからさ……
「いま…開けるぞ…頼むから驚くなよ……」
「?……はい?」
ガチャリ
かくしてシュレディンガーの扉は静かに開かれたのだった。