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こんな命で良かったら好きに使えよ  作者: 世和いおり
第一章 ベルベットローズガーデン
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第十四話

 例えば君が生きる今日がとても幸せで、そんな日々がずっとずっと続けば良いと願うなら「辛い今日」だなんて言葉には目を伏せてしまっても良いかもしれない。


「本物だわ…肌に体温があって触れた場所に反応がある…凄いわ…きっと昨夜(ゆうべ)気絶するまで頑張った私に、神様がくれたご褒美なのね……」

「あの…ちょっと触りすぎッス……」


 普通の人間、俺達みたいな社会の底辺で汗水流して働いた奴等にとっては心底羨ましい絵師という仕事を生業とする宝生院花月でさえ、きっとそんな日々を辛いと思う事だってあるハズだ。ペタペタペタペタと俺の顔を無我夢中で触り続ける彼女は、出会えた奇跡がよほど嬉しいのか、俺が注意してもその行為を一向に止める事はなかった。


「呼吸もしてる。私の理想とするプロポーションもそのままに、目付きと服装は私の趣味から外れているけれど、それでも私の描いたベルベットローズガーデンだわ……」


 顔中(さわ)られてない場所は無いのではないかと思うほど、小さな手で余すことなく撫でられた。そんな宝生院花月は驚きを隠せない表情で瞬きすらせずにジッと俺を見ている。両腕で激しく何かを巻く音が宮子の入った個室から聞こえてくるが、今はそれにかまけている余裕はない。


「あー…すみません。そのベルベットとは…いったい誰の事でしょうか……?」

「惚けないで、私が自分の子を見間違うハズが無いじゃない。貴女は絶対に私が産み出したベルベットローズガーデンそのものよ!」


 宮子のように適当な御託を並べて逃れられるような人物ではない事は直ぐに分かった。圧倒的自信と確信を持って宝生院花月は俺に迫る。シャツの胸元を掴んで、持ってきた傘を手放して、指先を痛めて書いた我が子を見間違うハズが無いと鬼気迫る表情で俺に詰め寄るのだ。


「くっ……」


 どうする?どうする?どうする?皺の少ない俺の脳味噌がフル回転する。頭の中の小さい俺達が円卓に椅子を並べて大急ぎで会議の準備を進めている。


「…と、取り敢えず外に出て下さいっ」

「あ、ちょっ何よ!?意外と力強いわね!?」


 バタン


 決議『どうにかして誤魔化せ!何としても正体を明かすな!お前が男だと知れた日には宮子の側に居られなくなるぞ!あの日希望を貰った彼女に恩を返せなくなるぞ!』満場一致で可決した意見に従い、俺は宝生院花月をクルリと反転させて部屋の外へと押し出した。


「あれ?…二人とも?あのー……あれえ?」


 同時に個室から出た宮子が消えた俺達二人の行方を部屋の中でキョロキョロキョロキョロと探している。


 ドンドンドンドンッ


「夢さーん、どうしたんですか夢さーん?ちょっ、開けて下さい夢さーんっ!?」


 ガチャガチャガチャガチャッ


 俺の靴が無いことに気付いたのか、背中越しに宮子の声と、叩いて回して必死にドアを開けようと奮闘する振動が伝わってくる。


「……妹さんが呼んでるわよ」

「あー…気にしないで下さい……」

「凄い勢いでドアを叩いてるけど……」


 呆れたような目線で俺を見上げる宝生院花月とアパートの外廊下で対峙した俺は表情こそ変わらないものの内心冷や汗ダラダラである。勢いで外に出したは良いもののその先どうするかなんて全く決めていない。


「ははは……」


 乾いた笑いだけが誰もいない吹き抜けの廊下に響き渡っていた。


 ▼


「貴女が(えが)いた子に憧れて整形したんですよ」

「嘘ね。その顔の造形に不自然な所は何一つ見当たらないわ。これでも画家の端くれ、産まれてからこれまで嫌というほど他人の顔は研究し描き尽くしてきたもの。その目も口も鼻も、全てが天然物で人工的に弄くられた箇所は1つも見当たらないわ」

「……っぐう」


 理路整然と話す宝生院花月に俺はぐうの音しか返せない。あれから暫く経つが、まだ変わらずに宮子は扉を叩き続けていて、いい加減この話し合いを終わらせなくては彼女の綺麗な手が腫れてしまうというのに、一向に決着の糸口は掴めない。


 頭の中の馬鹿な俺の分身達は早々に考える事を放棄して白旗を上げている。しかし、本体である俺はそんな彼等の判決に容易く頷く訳にはいかなかった。


 何か、何か糸口を探さなくては、宮子の夢を応援する道が閉ざされてしまう…


「……ねえ、それじゃあ1つだけ質問に答えてくれないかしら?それにさえ嘘偽り無く答えてくれれば、私はそれ以上、貴女について詮索しないわ。私の愛しき娘…ベルベットローズガーデンの側を被ったであろう心優しき訳有りさん……?」


 ───ドックン


「……なんすか」


 核心を突いたような台詞を放つ真剣な顔の宝生院花月の問い掛けに心臓が大きく跳ね上がる。脳に直接反響する程の鼓動を聞いたのは、二十歳の時に誰もいない家で警察に声を掛けられた時以来だった。


「貴女は大塚宮子に何の目的があって近付いたの?凡そ同じDNAから作られたとは思えない外見をした姉でない貴女は…いったい何を目的として近付いたの?」


 人間観察に長けた者には流石に嘘は貫き通せないといった所か、全てを見透かしたように真っ直ぐ目を見る宝生院花月からは、これ以上言い逃れは出来ないと感じた。


「確かに俺は彼女の姉ではない…俺が彼女の近くにいる理由は、宮子を、俺を救ってくれたベルベットローズガーデンを、苦しみの無い幸せな未来へと導く為だ…」


 ただそれだけ……俺はただそれだけの為に彼女の側にいる。例え扉を開けて進んだ先の未来に俺という存在が隣にいなくてもいい。背中を押して幸せそうに笑って歩く彼女を見送るだけでもいい。


 どうして俺がこの世界に死んだ後も存在し続けているかなんて考えるだけ時間の無駄だ。…そう、これは「償いの唄」だ。彼女を悲しませてしまった俺が歌う「償いの唄」だ。肩を落とす宮子はもう見たくない。人間誰にだって幸せになる権利があると言うならば、俺の分の幸せも、あるか分からない幸せの権利も、全て宮子に託そうと思うんだ……


「そう…分かったわ。…ええ、貴女が悪者でないという事だけは分かったわ。本当に大塚宮子の幸せを願っているという事も含めて全部…今はそれ以上は何も詮索しないでいて上げる。貴女達の嘘にも百歩譲って付き合って上げる」

「……いいのか」

「人を見る目は確かよ。発する言葉に嘘が混じって無いかも直ぐに分かるから安心して…今は少し表情に動揺が見られるけどもね?」


 ドンドンドンドン


「夢さん、夢さん、開けて下さい。いったい二人でいつまでも何を話してるんですかっ!?」

「ほら、可愛い可愛い妹さんが呼んでるわよ?いつまでもドアを叩かせておかないで開けてあげたら?…妹想いの優しい優しいお姉ちゃん?」


 まったく、この世界はどうにも一筋縄でいかない奴等で溢れているようだ。人を見透かしたように笑う宝生院花月に、俺みたいな正体不明の人間を深く理由も問わずに雇い続ける店主、そんなあからさまに怪しい俺を笑って受け入れてくれるオッサン達…あんな寂れた定食屋で働くなんて普通の二十代女性なら有り得ない事態だってのにさ…だからそんな彼等にずっと嘘を突き続けてる俺が心底情けなくて泣きたくなるね。


「初めからこんな人生だったらきっと俺も……」

「俺も?」

「……いんや、何でもないさ」


 ガチャリ


「うわっ、とっ、とと……!?」

「悪い宮子、手…大丈夫か?少し宝生院さんと今後に付いて話し合ってた」

「話し合い…ですか……?」


 開けたドアから前のめりになって出てきた彼女を正面から受け止める。手はやっぱり赤く腫れ上がっていて、だけども何時(いつ)もみたいに瞼の下は赤く腫れ上がっていなかったのがせめてもの救いだ。


「姉妹ユニットとして、どう売り出してくかの方向性ね。クールな姉と少しポンコツな妹がどうやってこのVtuber界の荒波を乗り越えて行くか、ほぼ全ての選択肢を埋められているようなこの業界じゃ、今までみたいな物珍しさだけじゃ直ぐに飽きられてしまうわよ…彼等は貴女達が思ってるよりとてもシビアな人達なのだから……」


 呆れるくらい世界は正直だ。嫌になるくらい世界は正直だ。少しの物珍しさだけで永遠と生きていける程この世界は甘くない。


「私としても折角産み出した子達には大きく羽ばたいて欲しいし…もちろん自分の私利私欲抜きでね」


 応援する者が本物かどうか、自分の人生を掛けるに値するかどうか彼等は常に目を見張っている。どうか本物であってくれ…切にそう思いながら……


「一先ず中に入って話をしたいわ。私が描いてきた『クーリア・ライオネット』も見て欲しいからね…ああ、因みに今回の料金はいつか貴女達が有名になってから払って貰う事にするわ。何やら訳有りみたいだし…ね、お姉さん?」

「ええっ!?…い、良いんですか!?そうならない可能性だって十分に有り得ますよっ!?」

「その時は、私の目が節穴だったという事で引き下がるから安心して」

「え、ええっっ!??」

「はあ…参ったね、どーも……」


 頭をポリポリ掻いて見上げる空はやっぱり綺麗だ。ポカーンとした表情の宮子は玄関の入り口で固まっていて、そんな俺達を置いて宝生院花月は靴を脱いで、勝手知ったる我が家のように部屋の奥へと進んでいく。


「あっ、ま、待って下さい宝生院さん!?いま珈琲を淹れ直しますのでっ!?」


 パタパタパタ……


 この先どうなるかなんて未来は全く分からない。だけども金髪縦ロールでゴスロリ服を纏った宝生院を長いスカートを揺らして追いかける宮子は、なんだか俺を置いて光ある方へ進んで行ってしまってるように見えて、それが喜ばしい事であるハズなのに、馬鹿な俺は無性に寂しく思えてしまったんだ。


「分かってる。辛いなんて言葉は本当は知らなくて良いことなんだって事ぐらい…あれが本来の宮子の歩むべき道なんだって事ぐらい…ああ、分かってるさ……」


 一度全てを投げ出した俺は、一人ぼっちで生きる未来を嘆く理由も資格もないハズなのに……

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