9-1.共通点①
楊家を出てからしばらく歩き、貴族や高官の屋敷が立て並ぶ区域から喧騒と雑踏が入り乱れる城下町へと戻って来た。
由羅たちは王城の近くにある市場に足を踏み入れると、一軒の宿屋の前で立ち止まった。
「泰然は……まだ来ていないようですね」
「そうみたいですね」
泰然とはこの宿屋の前で待ち合わせをしていた。
というのも楊家を後にした由羅は、第三の被害者である姜 瑤琴の屋敷に行くことになっており、泰然がその付き添いをしてくれる予定だったからだ。
姜家にも行くとなると、一日中宰相である凌空を拘束することになってしまう。さすがに丸一日公務を休ませるわけにはいかないだろう。
ということで、泰然と待ち合わせているのだが、まだ姿が見えない。
しばらく待ってみたものの、時間が過ぎても泰然が現れる様子はなく、凌空の眉間の皺が徐々に深くなっている気がする。
そこで由羅は一つ提案してみることにした。
「あの、よければ私一人で待ってます。凌空様はお忙しいでしょうし」
街歩きなど由羅にとっては当たり前の事だ。
これが高貴な女性ならば身の危険もあるだろうが、由羅は平民だし、街は慣れ親しんだ場所だ。
一人で泰然を待つことなど、何の問題もない。
だがそんな由羅の申し出に、凌空は言い淀んだ。
「しかし……」
「それに時間的に泰然様もすぐにいらっしゃるかと思いますし、私なら大丈夫ですよ?」
「申し訳ありません。そうしていただけると助かります。では、お言葉に甘えて先に皇城に帰らせていただきますね」
「はい、お気をつけて」
由羅は凌空の後ろ姿を見送り、その姿が見えなくなると、はぁと息をついた。
侍女として貴族の屋敷に行くのは、潜入捜査で度々やっていた事とはいえ、やはり気を張ってしまう。
それに細かな点まで漏らすことなく情報を得なくてはと思っていただけに、知らず疲労してしまったのだろう。
だが、まだ気は抜けない。
次の姜家での情報も重要だ。
先ほどの翠蓮の情報と比較すれば共通点が見えてきて、犯人への手がかりになるからだ。
(頑張ろう!)
由羅は一度緩んだ体に再び力を入れ、シャキンと背筋を伸ばした。
そんな由羅の元に、香ばしい香りが漂ってきた。
(こ、これは……葱油餅!)
香りの元を辿ると、ちょうど向かい側の屋台で売られているのが往来する人々の隙間から見えた。
熱々の鉄板に流し込まれるタネ。
ジュウジュウという音。
そして小麦粉の焼けるいい香り。
全てが由羅の食欲を刺激する。
それを意識すると、途端に空腹を覚え、由羅は思わず自分の腹に手を当てた。
(食べたい……でも、これから姜家に行くし……)
だが腹が減っては何とやら。このまま空腹を抱えたまま聞き込みをしても集中できるかどうか。
そう葛藤していると、突然肩をポンと叩かれ、由羅は反射的に体を震わせた。
「ひゃ!」
驚いて振り返ると、長身の男が笑いながら立っていた。
キメの細かい美しい肌に、金糸のように輝くサラサラの髪を緩く括って肩に流し、透き通った水色の宝石のような瞳で由羅を見つめていた。
「し、紫釉様!? な、なんでこんなところにいらっしゃるんですか!?」
官服に身を包んでいるが、まぎれもなく紫釉であった。
「由羅と一緒にいたかったから来ちゃった」
「来ちゃった、じゃないですよ! 凌空様はご存じなんですか?」
凌空は紫釉が来るとは言っていなかった。もしかして凌空には内緒で皇城を抜け出してきたのではないか。
そう考えた瞬間、由羅の中に猛吹雪のような凍てついた空気を纏い、冷笑を浮かべた凌空の姿が頭をよぎった。
(恐ろしすぎる!!)
だが紫釉は由羅の問いに答えず、ただ悪戯っぽい笑みを浮かべるだけだった。
「ほら、早く行かないと姜殿が待っているよ」
そう言って紫釉は由羅が止める間もなく先に歩き始めてしまったので、由羅は慌ててその後を追った。
「あ、待ってください!」
紫釉は顔を隠すこともなく、堂々と市場の通りを歩いていく一方で、由羅は内心で大慌てだった。
何と言っても一国の主が供も付けずにこんな人混みを歩いて平気なのだろうか?
「あの、皇帝がふらふら歩いて大丈夫なのですか?」
由羅は声を潜めながら隣を歩く紫釉に声を掛けた。
もし刺客や暴漢に襲われたら一大事だ。
そんな風に思っている由羅に対し、紫釉は由羅に笑顔を向けながら答える。
「平気だよ」
「でも皇帝だってバレたらどうするんですか」
「大丈夫大丈夫。街歩きなんてよくしていることだし、これまでバレたこともないよ」
(街をよく歩く?)
紫釉の言葉に由羅は彼と出会った時の事を思い出した。
そう言えばあの時、紫釉は良家の若旦那という感じの軽装で街を歩いていた。
だが確かにスリから助けた男性がまさか皇帝だとは由羅は夢にも思わなかった。
紫釉の言う通り堂々と歩いていれば身バレすることもないのかもしれない。
(まさか皇帝が歩いているとは思わないだろうし、いざとなれば私が紫釉様をお守りすればいいのよね)
由羅は自分を納得させるように頷きながら姜家への道を歩いた。




