8-1. 楊家訪問
うららかな春の空の下。
春の香りを纏った暖かい風が柔らかく吹き抜けて由羅の髪を揺らした。
屋敷の庭に咲いた桜の花びらが石畳の道に舞い落ち、薄紅色の絨毯が敷かれているように見える。
そんな穏やかな光景にも関わらず、隣を歩く凌空の顔色は優れない。
由羅たちは怪死事件の最初の被害者である楊 翠蓮の屋敷へ向かっている。
現場検証をするためなのだが、凌空と共に後宮を出発しようとしたところ、紫釉が「由羅が行くなら俺も行く! 凌空だけでは心配だ!」と言って聞かなかったのだ。
何とか説得して留守番をしてもらったわけだが、その時点で凌空の体力が尽きかけてしまったようだ。
「あの……なんか色々申し訳ありません」
「はぁ、別に由羅さんが謝ることではありませんよ。全ては主上のせいですから。それに彼の言動に振り回されるのはいつもの事です」
重いため息と共にそう言う凌空の姿から、その苦労が伝わってきた。
初めて会った時も町でふらふらしていたし、由羅をお飾り妃にしたり、後宮で執務してみたり……由羅が知っているだけでも突拍子もない言動の数々が思い出され、凌空の心労は察するに余りある。
先ほどの紫釉とのやり取りを思い出したのか、凌空の眉間の皺が深くなったので、話題を変えることにした。
「それと、今日は現場検証の許可をいただきましてありがとうございます」
「礼には及びません。叔父の屋敷ですから調整しやすかったですし、私が案内するのは当然ですよ。ただ、事件からもう半年は経っているので、刑部が調査した以上のことは出ないと思いますよ」
「それでも、少し聞いておきたいこともありますので」
翠蓮はこの怪死事件の第一被害者だ。
最初に妃候補として名前が挙がり、半年前に後宮入りが確定した。その後、間もなくして今回の被害に遭い、亡くなったのだ。
しばらく街を歩くと、喧騒は遠くなり、貴族や高官の住居が並ぶ地域へと景色が変わっていった。
「ここが翠蓮の屋敷です」
凌空は大きな屋敷の一つに足を止めてそう言うと、そのまま門を潜った。
由羅も凌空に続いて敷地に足を踏み入れたその瞬間、ぱたぱたと人が走って来る音がした。
驚いてそちらを見ると、一人の少女が手を振りながらこちらに駆けて来る姿があった。
「凌空お兄様!」
「樹璃、久しぶりですね」
薄い若葉色の裳に大ぶりの花の刺繍が入った白い領巾を肩に羽織った少女は、凌空の前で嬉しそうに微笑みを浮かべた。
抜けるように白い肌、大きな瞳、目じりに赤い差し色をしているためか、可愛らしくもあり、美しくもある。まさに美少女という言葉がぴったりだった。
「お兄様が来ると聞いて待っていましたの。ゆっくりできますの?」
「ありがとうございます。でも仕事で来たので、それが終わればすぐ帰ります」
「そうですの……。お姉様にお線香をそなえる時間はありますか?」
「もちろん、翠蓮にも挨拶してから帰ります」
翠蓮をお姉様と呼ぶということは、彼女は翠蓮の妹なのだろう。
ということは凌空のもう一人の従妹になる。
凌空も整った顔立ちをしているし、樹璃も美人なとことを考えると、翠蓮もまた美人だったに違いない。
そう考えると、妃の第一候補となったのも頷ける。
(楊家は美形一族なのかしら?)
由羅はそんなことを思いながら凌空と樹璃を見つめていると、不意に樹璃が由羅の方に目を向けた。
「あら? お兄様、今日は侍女が一緒なの? 珍しいわね」
「あぁ、彼女が手紙で伝えていた人物ですよ」
凌空の言葉に樹璃が目を見開いた。
(手紙でって私のことなんて書いたのかしら)
そう思った由羅だったが、その答えはすぐに樹璃の言葉で判明した。
「でもお兄様は事件の捜査関係者の方を連れて来るって言っていたけど…」
「ええ。それが彼女です」
「まあ、そうなのね! 刑部の方がいらっしゃるかと思っていたからてっきり男性かと……」
確かに手紙に捜査関係者とだけ書いてあれば、男だと思うのは当然だろう。
なんたって刑部の官吏は男しかいないのだから。
驚いた表情をした樹璃は、今度は由羅をまじまじと見つめると、一歩一歩と由羅に近づいて目を覗き込んだ。
「貴女の瞳の色、珍しい色ね。翡翠みたいに綺麗だわ」
「あ、ありがとうございます」
樹璃の美しい顔が間近に迫り、由羅は思わずのけぞるようにして礼を言った。
すると興味深そうに由羅の瞳を見ていた樹璃の表情が一転し、憂いを帯びたものになった。
そしてぽつりと呟いた。
「翠蓮お姉様の首飾りみたいに綺麗……」
(え?)
樹璃は哀切な表情を浮かべて漏らした呟きに対し、由羅が言葉を口にする前に、樹璃はまた微笑みを浮かべた。
「さぁ、そろそろ行きましょう。お姉様の部屋に案内するわね」
そう言って凌空の手を取り、歩き出した。
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