5-1.納得させるための根拠
外は雲一つない晴天で、朝日が窓から差し込んでいる。
そんな爽やかな朝のひと時にも関わらず、この部屋の空気は重い。
由羅の隣には紫釉が座り、その向かいには凌空と泰然が座っている。
泰然がふわぁと大きなあくびをした一方で、凌空はにっこりと微笑んでいるが、纏っている空気は決して穏やかなものではない。
というより、この部屋の空気を重くしているのは、この凌空が醸し出している黒く棘々しい空気が原因に他ならない。
由羅はこの状況が分からず、一人困惑していた。
朝早くに紫釉が来たかと思うと、それに続いて凌空と泰然がやってきて、こうして卓を囲んでいるのだから。
(な、何が起ころうとしているの?)
予想もつかない展開に由羅が内心ドキドキとしていると、凌空が微笑みを浮かべたまま口を開いた。
「主上、貴方はよくよく非常識な時間に私を呼び付けますね」
「そんなのいつもの事だろ? 俺はもう慣れたけど……ふわぁ~やっぱ眠いな」
泰然が再び大あくびをするのを横目で見ながら、凌空ははぁと大きなため息をついた。
「あまり慣れたくはありませんが、泰然の言う通りですね。主上に振り回されるのはいつもの事でしたね。……それで由羅さんの部屋に集められた理由は何でしょうか?」
紫釉は凌空の問いには答えず、突然由羅に話を振った。
「ねぇ、由羅。『戰勝與否,兵力並必然比例不定』この続きは?」
「えっ!? 突然何ですか?」
紫釉に突然話を振られて、由羅は思わず驚きの声を上げたが、紫釉はにこにこと笑いながら視線で先を言うように促してきた。
その意図は分からないものの、答えないわけにはいかない雰囲気だ。
(えっと科挙の試験の時に覚えたわね。確か鸞人の「三兵法」に出てくる一文だったはず)
由羅は受験勉強をしていた当時の記憶を掘り起こしながら答えた。
「『自知己、知彼敵、深知情報、乃為戰勝之要訣』だったはずですけど」
「うん、正解」
だからどうしたのかと由羅は首を傾げたが、前に座っている凌空と泰然が目を見開き、驚いた様子でこちらを見ていた。
何か、変なことを言っただろうか?
戸惑う由羅に気づかないかのように、紫釉は更に尋ねてきた。
「じゃあ、李龍傑の『双武録』にある第3節の冒頭を言ってみて」
「ええ? 紫釉様、本当に何ですか?」
「いいから、言ってみて」
困惑しながらも由羅は再び記憶を掘り起こして答えた。
「確か『死有必至、終將來臨於眾生。然而、當下之所以如何活著、欲為何事、若能真切對待生之意,則死亦無所畏耳』ですね」
「大正解!」
何故紫釉は突然このような問いかけをしてきたのだろう?
意味が分からず由羅は紫釉に説明を求めた。
「紫釉様、さっきからなんですか?」
「ねぇ、由羅。君は捜査をしたいと主張するけど、ちゃんと捜査に関わるに足る人間であることを相手に納得させるための根拠を提示する必要があると思わない? ただ自分のやりたいことを主張するだけじゃ、誰も動かないよ」
(根拠を提示……?)
そう言われて気づいた。
昨日凌空が言っていた言葉の意味を。
『由羅さんは時間があるようですから、読めるのであれば是非じっくりと読んでください』
あれは”読む時間があればじっくり読んでくれ”という意味ではなく、”どうせ文字なんて読めるわけがないんだから、読めるもんなら読んでみろ!”という意味だったのだ。
凌空は親切心から刑部の捜査資料を貸したわけではなく、どうせ読めないだろうと思って渡したのだ。
「もしかして、凌空様は私が字を読めないと思ったのですか?」
「むしろ聞きますけど、由羅さんは読めるのですか?」
平民の由羅が文字を読めないという先入観があるのは分かるが、だからといってあのような嫌味な行動はいかがなものかと思わず眉をひそめた。
そして思わずぽつりと呟いてしまった。
「うわぁ……性格悪……」
小さく呟いたつもりだったが、由羅の言葉は思いのほか部屋に響いてしまった。
それを聞いた泰然は盛大に笑い、紫釉は笑い声を堪えていたが眦に涙を浮かべて笑っている。
由羅はそれを視界の隅に収めつつ凌空に向き直り、紫釉に説明した内容と同じことをもう一度説明した。
「えっと、紫釉様にも説明したのですが、黒の狼では官吏として潜入捜査をすることもあるので、科挙の勉強をして合格しなくちゃならないんですよ」
「は?」
「つまり由羅は科挙を受験して合格しているんだよ」
鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くしている凌空に、紫釉が由羅の言葉を補足した。
紫釉の言葉に凌空は困惑しながら尋ねた。
「でも、女性は受験できませんよね」
「はい。そこは男装して受けました」
「俺も由羅の話を聞いて驚いたよ。だから一応確認してみたんだけど、確かに、由羅が偽名で使った羅 玄由という人物が受験して合格していたよ」
紫釉の言葉を聞いた凌空は言葉を失い、次に深いため息をついて謝罪した。
「貴女を偏見で一方的に否定してしまい申し訳ありませんでした」
「いえ、まぁ、仕方ないことだとは思いますので」
そう謝った凌空はふと何かに気づいた様子を見せたかと思うと、由羅に尋ねてきた。
「……文字が読めるということは、私が渡した捜査資料も読めた、ということですか?」
「はい、勿論です」
由羅が読んだ資料に書かれていた事件概要を端的に述べた。
被害者は正妃としては紫釉派や中立派の家柄の女性4人。
才色兼備な彼女達の健康状態には問題なかった。
その話を聞いた凌空は、苦虫を噛みつぶしたような渋い表情となった。
「……主上、申し訳ありません。私が迂闊でした」
凌空は後悔の念を滲ませた顔で謝ると、紫釉は苦笑しながら答えた。
「いや、由羅が文字を読めるとは俺も思わなかったから仕方ないさ。まぁ、ここまで知られてしまったんだ。捜査に参加してもらった方がいいね」
「分かりました」
凌空は半分諦めを含んだ言葉で頷くと、由羅に向き直った。




