挿話2-3.紫釉視点:約束③
その時だった。
突然外が俄かに騒がしくなった。
「くそ! どっからバレた!? 兵が来るなんて聞いてないぞ!」
「とりあえず、ずらかるぞ! 商品を運べ」
奴隷商とその仲間達の慌てた声が牢に響いて来た。
何か起こったのだろうか?
もしかして、とうとう自分たちも売られてしまうのだろうか。
紫釉がそう思った時、バンという音と共に、扉が荒々しく開いたかと思うと、奴隷商が入ってきた。
外から聞こえる怒号と奴隷商の慌てた様子から、奴隷商は自分達を売ろうとしているわけではないことを紫釉は察した。
外で何らかの異常事態が発生しているのだろう。
その証拠に奴隷商の男は慌てた様子で鉄格子の鍵を開けた。
「ほら! さっさと出るんだ!」
(今だ!)
紫釉は奴隷商の隙をついて体当たりをした。
突然のことに奴隷商はバランスを崩し、その場に倒れた。
「由羅! 行こう!」
紫釉は由羅の手を取るとそのまま外扉に向かって走り出した。
外へ続く廊下は一本道で、紫釉は由羅の手を引き、迷わず外を目指して全速力で走った。
そして暗がりが一転して、眩しい日の光が紫釉の視界を白に染めた。
「紫釉様!」
久しぶりに見た青空に喜びを覚える前に、聞き馴染んだ声が紫釉の名を呼ぶ。
見るとそこには馬に乗った燕蒼の姿があった。
「燕蒼! ここだ!」
紫釉は燕蒼の姿を認めると、すぐさまそちらへと駆け出した。
だが、幼い由羅はその速度についてこれず、足をもつれさせてそのまま転んでしまった。
「由羅!」
気づいた時には由羅と紫釉の間には距離が出来ており、由羅の後ろからは奴隷商の男が迫っていた。
「待てぇ! くそ、こいつだけでも」
奴隷商は由羅の小さな体を横抱きにして馬に乗ると、紫釉達に背を向けて走り出した。
「由羅!」
「お兄さん!」
男に抱きかかえられた由羅が、紫釉を見て手を伸ばし、紫釉もまた走りながら由羅に手を伸ばした。
だがそれは触れ合うことはなかった。
由羅と紫釉の距離はどんどんと離れていく。
その時、燕蒼が紫釉の元へと駆け寄って来た。
「紫釉様、救出が遅くなって申し訳ありません! ご無事ですか?」
「燕蒼、あの者を追ってくれ!」
燕蒼への挨拶もそこそこに紫釉は慌てて奴隷商を追うよう命じた。
こうしている間にも由羅との距離が広がっていく。
「早く! 彼女を助けるんだ!」
「はっ!」
紫釉の言葉に戸惑いつつ、その命令に従って燕蒼は由羅の後を追った。
その後ろ姿を見ながら、紫釉はぎりりと歯を食いしばった。
絶対に由羅と離れるわけにはいかない。
約束したのだ。
一緒に牢から出ようと。そして由羅とずっと一緒にいると。
紫釉は由羅の無事を祈りながら、燕蒼の帰りを待った。
だが、戻ってきた燕蒼からもたらされたのは無情な事実だった。
「見失った、だと?」
「申し訳ありません。どこからか仲間が来たようで……取り逃がしました」
「そんな……」
紫釉は自分の無力さに打ちひしがれ、その場に崩れ落ちるように座った。
自分がもっと早く転んだ由羅の元に戻れば、離れ行く由羅にもっと手を伸ばせば。
そうすれば由羅を失わずに済んだかもしれない。
(約束を……守れなかった)
項垂れる紫釉に、燕蒼が気遣わしげに声を掛けた。
「紫釉様……色々おありでしょうが、まずは城に戻りましょう」
「あぁ……」
こうして紫釉は、燕蒼に促されて失意のまま皇城へと戻った。
城に戻った紫釉は、今回の事件は紅蘆の企みであることを突き止めた。
だが、紫釉を奴隷商に引き渡した武官から紅蘆の関与を証言させ、その責を問おうとした矢先、武官は何者かによって殺害された。
そのため紅蘆が企んだという決定的な証拠を得ることはできず、紅蘆を断罪するまでは至らなかった。
そしてその後、紫釉は2つの事を決めた。
一つは人身売買など行われない国を作ること。
今回の事件を通して、紫釉は自分がこの国の事を全く理解していなかったのだと痛感した。
自分が豪奢で美しい皇城に住み、温かい布団で寝て美味しい物を腹いっぱいに食べる暮らしをしている一方で、国民の間では貧困に苦しみ、人身売買を行うということが横行している。
その事実を身をもって体験した紫釉は、皇帝になった時には乾泰国を貧困の無い国にし、人身売買を禁止しようと決めた。
そしてもう一つは由羅を取り戻すことだ。
(きっとどこかで由羅は生きている。必ず見つけ出す)
そう決めて……月日は流れて行った。
※
※
そして気づけば13年の月日が流れていた。
部下に由羅の行方を探すよう命じたものの、芳しい情報は得られない。
だがそれでも紫釉は探し続け、時折城下町に赴いて由羅を探した。
帝都砺波には多くの物や人、情報が集まる。
だからもしかして由羅もこの都を訪れているのではという淡い期待があったからだ。
もちろん、由羅に会えるなど、砂漠に落ちた一粒の宝石を見つけるほど難しいことは重々分かっていた。
それでも紫釉は諦められなかった。
そして、あの日。紫釉はようやく翡翠の至宝を見つけることができた。
由羅という宝石を。
偶然ともいえる由羅との再会。
魂が震え、喜びで涙が溢れそうだった。
だが残念ながら由羅は紫釉のことなど覚えていなかった。
(まだ6歳だったのだから、仕方ないか)
スリから財布を奪い返してくれた礼にと由羅を食事に誘うと、最初は固辞していたものの、その後は美味しそうに小籠包を食べてくれた。
どこにでもいるような普通の女性の格好から察するに、悲惨な目に遭ったようには見えない。
少なくとも今は奴隷として扱われているわけではないようだ。
それなのに、あの牢での辛い日の事を思い出させるのも躊躇われ、紫釉は自分の事を伝えることができなかった。
むしろあの薄暗くジメジメとした牢での日々の事など忘れたままの方がいい。
そんな風に思っていたはずなのに、紫釉はつい由羅に問いかけてしまっていた。
「ねぇ、由羅。俺のお嫁さんにならない?」
13年間も探し続けていた女性が目の前にいるのに、このまま何も伝えずに離れるのもまた難しかった。
しかし、やはりと言うべきか、由羅は紫釉の申し出を断った。
理由は「仕事があるから」ということだった。
それは、由羅は仕事をして立派に自立しているということを意味する。
だから紫釉は「そうか……残念だな」と答えて、そのまま由羅と別れることにした。
最後に煌めく翡翠のような瞳と、美しく成長した姿を目に焼き付けると、紫釉はその場を後にした。
まさかその夜に、由羅に命を狙われることになるとは思わずに――
寝所に襲い掛かって来た刺客が由羅だと分かった時の衝撃は、紫釉は一生忘れないと思う。
そして、由羅から十三年前に別れてからの話を聞いた。
崔袁という黒の狼の長に引き取られたこと、そこで大切に育てられ幸せに暮らしていたこと、そしてヴァルディアに襲われ呪いを受けたこと……
つまり、由羅は再び帰る場所を失ったということだ。
(なら、由羅を俺の手元に置いて、ずっと一緒に暮らしてもいいはずだ)
由羅とずっと一緒にいる。
そう約束したのだ。
それに城下町で由羅に伝えたように、二度ならず三度も出会えたのは運命だと思えた。
だから紫釉は由羅に、お飾り妃をしてほしいと提案した。
そうすれば由羅をずっと手元に置いて、紫釉は由羅の居場所になることが出来る。
過酷な日々を過ごしてきた由羅にはもう傷ついてほしくないし、この後宮で何不自由のない暮らしをしてほしい。
それに今まで黒の狼として戦ってきたのであれば、もう身の危険の及ばないところで平穏に過ごしてほしい。
だから、由羅が危険な目に遭わないように碧華宮には厳重な警備を敷くことにした。
由羅が後宮で暮らすのは妃候補の変死事件が解決する間までと提案したが、もちろんそんなのは方便で、由羅には一生この皇城にいてもらいたいと思っている。
いや、紫釉としてはもう由羅とは二度と離れたくない。
だが由羅は黒の狼の元に戻りたいと言い、捜査を手伝うとまで言い出した。
詳細を聞いた時、由羅も黒の狼が現在どこにいるのかは分かっていないようだった。
そんな状態で由羅を後宮から出せば、またヴァルディアのような男に目をつけられかねない。
だから捜査に関してはのらりくらりと躱すことにした。
全ては由羅を守るために。
そんな由羅の夜着姿を見て心臓が変な音を立てたのは予想外の事ではあったが。
(今度こそ約束を果たすよ)
そう心の中で呟き、紫釉は再び自室への廊下を歩き出した。
紫釉視点は終わりです!




