痛みを知る
階段を駆け下りる音が静かな校舎に響く。
何度か教師に声を掛けられたが今は止まれるほど冷静ではなかった。
四階から一階に降りるまでに約17秒というタイムは普通の小学生ではかなり難しいことだろう。だが今の紅炎は自身の身体能力の変化に未だ気づいていなかった。
よくよく考えてみれば今何故自分が走っているのだろうか。
まだ未熟な体の身である紅炎よりも人命救済の意思を持った人間を待つほうが的確なのではないのか。
頭の中でそうは考えていても体は止まらない。
そして、正面玄関の扉を開けついさっき窓から確認した姿が目の前にあった。
(サムライか?...人ではない...よな)
紅炎はこの得体の知れない物と自分が手をつなぐことなどは不可能であるとわかっていた。
「いやぁ、どういったご用件で?」
返事はない。
「えっと、俺今状況が分からなくて。」
鎧は鞘から刀を抜いた。
「待て待て!刃物はさすがに良くないだろ?」
焦りから額に汗が流れた。
一歩ずつ歩み寄ってくる鎧から紅炎は一歩も下がらなかった。
何者でもない恐怖に怯えながら。
時間がゆっくりと流れる。
俺は今から死ぬのだろうか……いや、今この体に存在する力が何とかしてくれるだろう。
それ以外に信じるものなどない。
刀の射程内に入った時、紅炎の意識よりも早く刀は振り落とされた。
地面に落ちたのは左腕とまだ鮮やかな血液。
そしていまだ知らないとてつもない痛み、寒さを感じた。
「……っはぁ...はぁ...」
後ろからは大きな悲鳴。
だがそんなものは耳にはいらないほど自身の心臓の鼓動と荒くなった呼吸が大きく響く。
鎧はすでに二振り目の構えをとっていた。
今ほど死を望んだことはない。
だがやはり人間というものは感情を持ちすぎたようで、怖さは残っている。
「待ってくれ...俺だってまだやりたいことがあるんだ...そもそも俺が何でこんな立場にいるのかが...」
息を切らしながら、震えた声で会話を試みても相手の動きに変化はなし。
自分は今どんな表情しているのだろうかという生死に無関係なことを考え始める。
絶望の現れ方の1つだろう。
刀がゆっくり振り下ろされる。
気づけば視界に自身の体が映っていた。
次に切られたのは首だった。
即死ではないものの思考を巡らせる時間が残っていることが余計に死への恐怖を感じる。
学校側では教師が生徒に目を背けるよう呼びかける声が響いている。
そして、紅炎の名を呼ぶ声もさっきよりはっきり聞こえる。
だが、それもだんだんと遠くなっていく。
感じる空気がとても冷たく、真冬のように寒い。
視界もゆっくりと暗くなって行きついに真っ暗になった。
死というものは意外と直面すると怖くないようで、何とも言い表せない不思議な感覚だった。
だが、しばらくするとまた明るさを感じ始めた。
クラスメイトの声も聞こえ始めた。
紅炎自身の意思ではない何かによって体はすでに立っていた。
視界はいつもどうりの高さで、特に違和感はなし。
さて、どうしようか。
今は何故かコイツに勝てる自信がある。
一度大きく深呼吸し、慣れていない構えをとった。
鎧は特に驚く様子もなく、またさっきと同じように構えをとる。
「次、死ぬのはお前の番だよな?」
動き始めは同時だった。
……クラスメイトや教師たち人間にとっては。
実際は紅炎のほうが少し遅く動き始めた。
が、攻撃が先に届いたのは紅炎の拳だった。
鎧は2,3メートルほど後ろ側へ飛ばされ、殴られた頭部にはヒビが確かに入っていた。
だが、まだ立ち上がる。
「いいねぇ。俺にもまだやりたいことがあったんだよ。」
鎧はまた数歩近づき、構えをとる。
紅炎のほうは先ほどと違い構えをとらない。
とてつもなく長い5秒の間の後動き出す。
校舎から見ている人間からはまたしても分からなかったが、またしても動き出しは紅炎のほうが少し遅れていた。
しかし、そのあとの景色は先ほどとマ全くの別物だった。
紅炎の拳は鎧の腹を貫通し、その先には激しい火が広がっていた。
騒がしかった後ろの声が一気に聞こえなくった。
腹部に穴が開いた鎧はそのまま倒れ、ゆっくりと灰となり最後には跡形もなくどこかへ消えていった。
「おーい!おまえらー!倒したんだからもっと喜べよ!」
「ごめーん。何が起こったのかよくわからなくてみんなパニックだ。」
クラスでもかなり陽気な男子生徒が校舎の3階から叫びかけてきた。
「実のことを言うと俺もよく分からん。どうしたらいい?」
「とりあえず戻って来いよー。」
腕で大きな丸を描いた後に紅炎は校舎へとゆっくり歩いて行った。