93話 光に隠れて
本日もよろしくお願いします。
これは大官寺亮典と小田切翼が牢獄を出る少し前の時間。
まだ空が暗く、殆どの住民が寝静まっている頃。
帝城の南の一般区画の住宅街の屋上に佇む一人の男。
名前はセシル、サンデル王国の密偵である。
二十代で何処にでも良そうな若者。
そんな彼は暗くて見えずらい帝城の影や貴族区画、騎士団区画を見続けていた。
「コウタ様、まさか寝っぱなしという事はないよな?」
どうやら彼は武田康太と待ち合わせていたらしい。
サンデル王国で重要な異界の勇者を敵国へ送り込んでいることはともかく彼らは見張ってはいなかったらしい。
だから、武田康太がどんな状況なのかも知らない。
「もう直ぐ脱出するのに起こしに行かなきゃいけないのか?俺は夜通しで眠いのによぉ……。それに仕掛けに火を点けたのも俺一人だったし。勇者と言えど怠慢じゃないのか?」
欠伸をしながらも瞼を落とさずに堪えていた。
偶に涼しい風が吹いていたがピタリと止んだ、気がした。
セシルは後ろを振り返った。
「誰だあんた?」
家一軒分ほど離れた場所に男が立っていた。
ブラウンの髪を後ろへ流した二十代の風貌。
セシルに比べたら女性受けは良い方かもしれない。
「通りすがりの一般人、ちょっと訊ねたいことがあってね。」
「済まないが取り込み中だ。」
「こんなところで何をしているのですかね?」
「事情があるんだ。」
「そうですか、それなら俺にも教えてくれないかね?その事情とやらをね。」
「教える義理はない。分かったらあっちに言ってくれ。」
「つれないねぇ……。」
セシルの視界から男が消えた。
「!?」
次の瞬間には男は右手に持ったナイフでセシルの首を狙っていた。
しかし、セシルはギリギリで反応して同じようにナイフで受け止めていた。
「やるねぇ。」
「それはどうも。」
セシルは相手のナイフを弾いて距離を取った。
「それで教えてくれる気になったかね?」
「なるかよ。」
「残念。」
男は再び襲い掛かった。
よく見ればしゃがみながら状態を足元すれすれまで倒して走っていた。
普通の人間には難しい芸当だが男は当然の様だ。
二度目の攻撃を見たことでセシルは理解したのかそのまま別の建物へ飛び移った。
「逃がさないからね!」
「逃がしてくれ!」
そして二人の鬼ごっこが始まった。
二人は器用なもので暗い中、足元を見ずに次の建物へ飛び移った。
中には段差や空間が空いていても飛び越えられていた。
二人とも一般人が着るようなシャツとパンツで身軽だからなのか。
「いい加減にしろ!」
「素直に話してくれたら追いかけるのをやめようかね!」
「信じてくれないだろ!」
偶に言い合うが同じ場所をグルグルと回り続けて時間が経った。
何時までもこのままかに思えたが先に仕掛けたのは追いかける男だった。
男は手に持ったナイフをセシルに向かって投げ飛ばした。
ただ投げ飛ばしたならセシルも避けられただろう。
しかし、投げられたタイミングは脇道を挟んだ建物同士へ飛んだ瞬間。
「クソがっ!?」
飛んでくるナイフに気づいて手に持ったナイフで弾き返した。
そこまでは良かったが弾くことに意識を持ってしまったことで着地のタイミングをずらされてしまった。
受け身を取って転がった。
斜めになっている屋根で転がりながらもその間に追いかけてきた男が追い付いた。
直ぐにその場を去ろうとしたセシルだが足にナイフを飛ばされて刺されてしまった。
「っ!」
「これで逃げられないね。さぁ、色々話を聞きたいねぇ!」
「クソッたれが!」
追いかけてきた男を睨みつけるセシルだが男は気にせず次のナイフを取り出した。
「せっかくだから素直に教えてよね?」
「だったらお前の名前を教えてくれよ、そうしたら教えてやるよ。」
「名前、名前ねぇ。」
数舜悩んでいたがセシルは動くことがなかった。
「アメディと…!?」
自己紹介をしたアメディの目の前にはナイフが飛んで来た。
それを明後日の方向へ弾いたアメディだが屋根に伏していたセシルは次のナイフを握っていた。
但し、自分の喉を刺して。
「そこまで話したくない内容だったのかね?」
自ら命を絶ったセシルを一瞥してからアメディはその場を去った。
人様の屋根の上で命を絶った男が見つかるのは果たして……。
一方のアメディは考えていた。
(帝城や貴族区画に騎士団区画を見ていた、という事は帝国の動きを監視していたのかね?)
もっともあんな場所では細かい動きは分からないがあの場所が一種のセーフティラインだったのかもしれない。
(何かを企んでいたことになるが何をしようとした?いや、他にも仲間がいるはずだ。情報漏洩を防ぐため、そして持ち物からその情報は分からないため自害を選んだと見るべきか。そうなると後は同じ場所を走り回っていたこと。闇雲に逃げているように思えたが一つは帝国の動きを見える範囲で見たかったからか?それだけなら一度遠ざかってから俺を撒いて戻ってきても良さそうなもの。いや、見張っていたなら場合によっては陽動も兼ねていた可能性も否定できないな。という事は知られたくない場所がある?他は別の場所に注目されたくなかった?少なくとも捕まるよりは逃げ出せるのが一番だ。逃げ出す……それなら厩舎か?貴族や商人はそれぞれの区画にあるからそこから馬に乗って逃げる、なんてことはないよな?寧ろあの場所に留まっていたらバレるわけだ。逆にあそこで合流する算段の可能性もあるが……。その前の他の場所に目を向けて欲しくないと言うのであれば街外れの厩舎の方が納得できる……そっちへ行って見るかね!)
考えが纏まったのかアメディは方向転換して厩舎の方角へ向かった。
一般区画の端に近い場所は商人達の馬を預かる厩舎がある。
商業区画や貴族区画にも厩舎はあるが、ここは帝都に店を構えていない商人や旅人達を中心に預かっている。
冒険者への貸し出しも行っているが利用料があるため、稼ぎの良い冒険者か護衛の依頼を受けた冒険者しか来ないだろう。
そんな厩舎から少し離れた場所で幌付き荷馬車が佇んでいた。
幌付きの荷台には大小の木箱が幾つも乗せられており、その中を一人の男が整頓していた。
その男はサンデル王国の密偵の一人、ディン。
セシルの様に一般男性その人と言わんばかりで目立つ顔つきではない。
勿論二人は兄弟や従兄弟の関係もないから似たような印象と言うだけなら偶々だ。
「クソッ!俺一人でこの作業をやるのは無茶苦茶だ!他の奴らも手伝いに来いよ!コウタ様もセシルに会ったならさっさと来て欲しいもんだ。」
夜明け前に作業をしているから周囲に人はおらず愚痴を言いたい放題だ。
「そもそも成人男性を何人も詰められる空間を作るなんて……。」
独り言が虚しいと感じたのか何も言わずに作業を続けたディン。
その彼の元に一人の男、アメディが現れた。
「そこの人、何をしているのですかね?」
「見れば分かるだろ?荷台の整頓をしているんだ。」
「あなたは商人だったのですね?」
「いや、俺は商人に頼んで乗せてもらう人間だ。」
「それでは何故荷物の整理をされているのですかね?」
「乗せてもらう対価だよ。」
「ふむ。こんな時間から殊勝な事で。」
「分かったなら何処かへ行ってくれ。作業に集中出来やしねぇ。」
「そうですか……。」
アメディがその場から居なくなった。
いや、セシルの時と同じで一瞬で姿勢を低くして距離を詰めた。
その動きにディンは反応が遅れた。
とは言えディンは左手でアメディのナイフを受け止めていた。
受け止めた手の中から赤い血が流れ始めた。
「いきなり何をするんだ!?いてぇじゃないか!」
「普通は痛いじゃ済まないですけどね。それにしても見事な反応ですね、普通の人なら受け止められませんよね?」
「だったらどうしてこんなことをしたんだ?」
「聞きたいことがあったからですよね、因みに誰を乗せるのですか?」
「仲間だよ仲間。一応冒険者だからな、護衛としてこれに乗せてもらうことにしたんだ。だからこうしてナイフを受け止められるだけの腕もあるって事だ。」
「そうでしたか、それと一般家屋の上で帝城を見張っていたあなたの仲間は死んでしまいましたね。」
「……。」
ディンは沈黙した。
だけどアメディは話し続けた。
「今眉が動きましたね?動揺したのでしょうね。」
「そんな訳はない。」
鎌をかけたアメディだがディンは実際に眉を動かしてはいなかった。
それでもアメディの中では確信があったのかもしれない。
「それでは」
同時に二人は空いていた手でナイフを取り出して鍔迫り合いをした。
「ふふっ!その反応は言ったも同然ですね。これは最後の確認でしたがいやはや。直ぐにでも報告しなければ。」
「お前!」
アメディは距離を取りその場を走り去ったがディンは野放しにするのが危険だと感じたのか彼を追いかけた。
「待て!」
ディンは怒声を浴びせるがアメディは気にせず街の中を走った。
遂には誰も通らなそうな、建物の扉が全然見えない細い路地を走っていた。
アメディは路地の交差点を右へ曲がった。
その姿を追いかけようとディンもそのまま曲がろうとしたが不意に右足が現れた。
足を払われ転んでしまったディンにアメディは馬乗りになり、ナイフでディンの右腕、左腕を刺した。
「おおおおおおお!?」
痛みに声を出してしまうディンに構わず、彼が離したナイフを掴んで両足の脹脛も刺した。
声を出し続けるディンにアメディは彼の耳元で喋った。
「君達の本当の目的は何かね?」
「痛い!誰か助けてくれ!」
声を上げて助けを求めるディン。
その彼の頭を持ち上げて地面に叩きつけた。
「これから何をしようとしているのかね?」
「あぁ、助けてくれぇー!」
「素直に教えてくれたら解放するのに。」
アメディのナイフがディンの右手の親指をなぞった。
「誰かぁー!」
「残念だね。」
ディンの首が持ち上がりそこへナイフを当てられてから動いた瞬間。
地面に大量の血が流れて彼は喋らなくなった。
「離れようか。」
アメディは何事もなかったかのようにその場をゆっくりと歩き出した。
厩舎に戻ったアメディはディンが整頓していた幌付き荷馬車を見ていると若い丁稚が現れた。
「あの、失礼ですがこの馬車の持ち主ですか?」
「持ち主ではないですけど持ち主の依頼先の仲間ですかね。」
「そうですか。朝早くに出るとは聞いていましたがこんなに早く準備しているとは思いませんでした。」
「ご迷惑を掛けますね。仲間を呼んで速く片づけるのでもう暫く待ってくださいね。」
「分かりました、僕は向こうで馬の世話をしますので何かあれば呼んでください。」
「その時はお願いしますね。」
丁稚は厩舎の奥で仕事を始め、アメディはその場を離れて適当な家屋の屋上に登った。
東の空がうっすらと明るくなり始めた。
太陽の輪郭すら見えないし、まだ街は暗い。
「さてと、どうしましょうかね。」
思案していたところへ物音が響いた。
重い物が崩れ落ちたような音だ。
その音源を見れば土煙が上がっているようにも見えた。
「ふむ。」
アメディは思案した。
(あそこは騎士団区画。こんな時間に訓練はしていない。となれば騎士団の仕業ではない?二人の怪しい男達の行動から考えられるのは騎士団区画の牢獄とか?)
彼の頭の中で勝手に組み上がってきた、一つの推論。
「なるほど、サンデル王国が所有する異界の勇者を捕まえた話は本当だった。危険な賭けですが念のため行って見る価値はありそうですね。」
ニヤリと笑ったアメディは目的の為に行動に移したのだった……。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
不定期更新ですが時間のある時に読んでいただけると幸いです。