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未来からのメッセージ

 人生はトランプタワーみたいだと思う。


 長い時間と労力をかけて積み上げてきたものが、たったひと吹きの風で崩れる。そこに積み上げたものが大きければ大きいほど、簡単に、そして無情に壊れる。


 崩壊する。


――――――――――


 例え話をしよう。


 あるところに人生で一度も悪いことをしたことがない紳士が居ました。


 その紳士は、ルールは必ず守り、嘘は一度もついたことがありません。誰かのために行動が出来て、自分に厳しく、他人にやさしいような人でした。


 自身を愛し、他者を愛し、世界を愛する。そんな聖人で、ともすれば完璧すぎて胡散臭いと思われても仕方の無いような紳士でした。


 紳士はある時、唐突に人を殺したい衝動に駆られました。恨んでいた人がいたわけでも、嫌いな人がいたわけでもありません。ただ、殺人がしたくなったのです。


 そして、紳士は人を殺しました。なんの関係もない、ただの通りすがりの名前も知らない人でした。


 それを知った周囲の人たちは、


「そんなことをするとは思わなかった。」


「そういう人ではないと思っていた。」


「がっかりした。」


「失望した。」


 などと口々に騒ぎ立てました。


 こうして紳士の築き上げてきた信頼や、積み重ねてきた信用はたった一つの衝動的な行為によって崩れ去りました。


 めでたしめでたし。


――――――――――


 僕には特別な力がある。


 これは、先天的なものではない。


 幼い頃の記憶を人はどのくらい覚えているだろう。怒られた記憶や、怖かった体験なんかは意外と覚えているものかもしれない。でも、そんなものは断片的なものなのではないだろうか。


 だけど、この記憶だけは鮮明に覚えている。もし、僕にアニメーションを作る技術があれば、その時の記憶を間違いなく再現出来る自信がある程だ。


 小学校に上がって最初の夏休み。カンカンと照り付ける太陽の下、僕は近所の公園で植物観察の宿題のために、四つ葉のクローバーを探していた。


 そこは、近所の小学生が普段よく遊んでいる公園でいつも賑わっていた。


 だけどその日に限っては誰一人として居なかった。広場で遊んでいた小学生も、アイスを食べながらベンチで駄弁っていた中学生も、ハイキングコースで散歩していたおじいさん達も。


 誰も居なかった。


 僕は一人の魔法使いに出会った。


 うだるような暑さの中、真っ黒なローブを纏って、先端から光線でも出そうな杖を持った、不気味な魔法使いだった。


 四つ葉のクローバーを探すことに夢中で、しゃがみこんでいた僕の顔を覗き込むようにして、魔法使いは不敵な笑みを浮かべて言った。


「やあやあ、元気かい。はじめまして。いきなりだけど、君は特別な力が欲しくないかい?

みんなを救える素晴らしい力だ。」


 普通は、そんな不気味な魔法使いにいきなり話しかけられたら怖くて逃げ出すか、恐怖で声も出ないだろう。


 僕がとった行動はそのどちらでもなかった。ただ純粋にその質問を頭の中で反芻していた。


 子供の頃、誰しもが正義のヒーローに憧れていたと思う。僕も例外ではなかった。優しくて、正しくて、かっこいい。そんな正義のヒーローになりたかった。


 だから僕は欲しいと答えた。


 その答えに納得した魔法使いは、


「よしよし、ならば力を与えよう。今日から君がこの世界の観測者だ。」


 そう言って煙のように消えていった。


 白昼夢、そう思われても仕方がないだろう。仮に他の人が僕に対してそんな話をしてきたら、夢を見ていたんだろうと一蹴するか、カウンセリングに行くように勧めるだろう。


 だけどそれは本当にあった。そして、そのおかげで僕は特別な力を使うことが出来る。


 正確には僕自身に使っているという自覚はない。


 僕は未来からのメッセージを受け取ることが出来る。


――――――――――


 小学四年生の夏休み。魔法使いは再び僕の前に現れた。


 この時はじめて、僕は貰った力について知ることが出来た。


 その日も魔法使いは唐突に僕の目の前に現れた。


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。私が与えた力について、そろそろ気になってる頃だと思って来たんだ。前と違って今の君なら、色々なことを理解できるはずだしね。」


 僕は驚いて、しばらく放心状態だった。別に目の前に魔法使いが現れたからでは無い。


 いやまあ、勉強していてふと顔を上げたら目の前に魔法使いの顔があったのだから充分びっくりはするのだけど。


 当時の僕は、力を貰ったことを忘れていたのだ。いや、忘れていたというのは正しくない。完璧に覚えていた。鮮明に、明確に、明快に覚えていた。ただ、夢や妄想の類だと思い込んでいた。


 それもそのはず、手から炎も出せなければ、時間を停止させることも出来ない。透明になることも、光線を出すことも、テレパシーもテレポートも出来ない。


 特別な力なんて貰ってなかったんだと思ってしまうのは仕方の無いことだろう。


 だから僕は魔法使いにこう返答した。


「本当だったんだ!」


 自分に特別な力があることを確信できたことが嬉しくて、つい声が弾んでしまった。


「おいおい、忘れていたのかい?やはり小学一年生というのは記憶が曖昧なんだね。力についての説明も今になってからにして良かったよ。適当に使われて面倒なことになったら嫌だからね。

さて、気になっていると思うけれど私が君にあげた力は、過去に戻れる力だ。_」


「ちょっと待って!」


 魔法使いの話を遮って僕は尋ねた。


「いきなり現れてぼくはびっくりしているんだけど。ていうか、過去にもどる力なら試した事があるよ!でもがんばっても何も起こらなかったよ?」


 タイムリープも能力としてはあるあるだ。アニメが大好きだったから、超能力とか魔法が出る度に自分で出来ないか試していた。


「まあまあ、話は最後まで聞きなよ。いいかい、君にあげた力は、過去に戻れる力だ。戻りたい時をイメージするんだ。

それがいつであろうと、君という存在さえあれば戻ることが出来る。だけどただ戻るだけじゃない。戻る時にメッセージを添えなければならないんだ。」


「メッセージ?手紙みたいなこと?」


「うんうん、いわゆる過去の自分に向けた手紙だね。未来からのメッセージを添えないと過去に戻ることは出来ない。

ただし、送ることが出来るのは最大で15文字までだ。」


「過去にもどれるのに手紙を書かないといけないの?そんなの必要なくない?」


「そうそう、いいところに気づいたね。君はもしかして頭がいいのかな?

いいかい、よく聞くんだよ。この力は過去に戻ることが出来る。だけどね、記憶は引き継ぐことが出来ないんだよ。」


「きおくが無くなるの?」


「うんうん、この力は、15文字のメッセージで過去の自分に未来を託すものなんだよ。未来が分かればみんなを救えるだろう?だからみんなを救える力なのさ。さて、これが力についてだけど質問はあるかい?」


「あなたはどうしてこんなにすごい力を持ってるの?」


「はてはて、なんでだろうね。それは君が大きくなったら分かるようになるかもね。とりあえず今は魔法使いだから。と答えておこうかな。」


「そっか!じゃあ、まほう使いさん。ぼくにみんなをすくえる力をくれてありがとう!」


「いえいえ、それじゃあ私はこれにて失礼するよ。君も頑張ってね。」


 そう言って魔法使い(自称)は煙のように消えた。


――――――――――


 力の使い方を知ってから、僕はクラスの人気者だった。とは言っても僕自身は力を使わなかった。


 何かを恐れていたとか、記憶が無くなるという魔法使いの発言が怖かったとかそういうことは一切なかった。


 使うタイミングがあればすぐにでも使っていたと思う。ただ、使うタイミングがなかった。


「筆箱わすれるよ気をつけて」


「1番目の答えは3だよ」


「グーを出せばかてるよ」


 そんなくだらないメッセージばかりがいつも届いていた。


 つまりは僕ではない未来の僕が、今の僕に対して力を使ったのだろう。


 おかげで忘れ物は1度もなくテストはいつも満点。給食のジャンケンも負け無しだった。


 小学校というコミュニティは凄い人が人気になる。そして、僕はみんなにとっての凄い人だった。それが嬉しかった。楽しい毎日だった。


――――――――――


 さて、正義のヒーローに憧れていた僕は、力を他人のためにも使っていた。小学五年生の時だ。


 こんなメッセージが届いた。


「夜8:10となりの家火事」


 どうすればいいのか必死で考えた。


 小学5年生の出来ることには限度がある。いきなり家に行って火事のことを伝えても子供の言葉なんて聞くか分からないし、変な目立ち方はしたくなかった。


 この力の事は両親には言っていなかった。特に理由は無いのだが秘密の方がかっこいいと思っていた。悩んで、メッセージはどうだろうと思い付く。


「今日の夜、火事に気をつけて。」


 とだけ紙に書いてポストに今のうちに入れておけばいいのではと考えたのだが、果たしてそれは実行されなかった。


 それを思いついたすぐ後に、未来からのメッセージが届いたからだ。


「手紙はダメだった」


 理由までは分からないが、どうやら未来の僕はこの案を既に試していて失敗しているらしかった。


 結局火事を止める良い方法は思いつかなかった。


 だから僕は8:10に消防車が着くように火事が発生する前に通報することにした。


 その案が思いついた時は未来からのメッセージは無かった。未来からのメッセージが無いということは失敗した訳では無いだろうと思った。もしくは、今この時の自分が初めてだったのかもしれない。


 結果からいえば成功した。家は焼けてしまったが、住人はみんな無事だったらしい。この力のおかげでみんなを救えたことを素直に嬉しく思った。正義のヒーローになれた気がした。


――――――――――


 中学生になってからは、どうでもいいようなメッセージは届かなくなった。忘れ物はもちろんするようになったし、遅刻も何度かした。それでも、過去に戻るほどでは無いとそのまま過ごした。


 中学二年生の授業中、暇で仕方なかった時があった。先生はひたすら教科書の内容を朗読していた。生徒は半分以上が寝ているか、テストが近かったこともあり、まったく別の科目の勉強をしていた。


 僕はというと、力について実験をしようと思っていた。具体的には、15文字の基準はどこまでなのか調べようとしていた。


 そんなことを考えていたら、未来からのメッセージが連続で届いた。


「ABCDEFGHIJKLMNO」


「abcdefghijklmno」


「あいうえおかきくけこさしすせそ」


「アイウエオカキクケコサシスセソ」


「安以宇衣於加機久計己左之寸世曽」


「123456789012345」


「+-*/=^%#@:!?&¥。」


 今の僕が考えていることは、未来の僕も考えているということだった。どうやら、15文字というのは文字の種類は関係ないらしいことが分かった。


 結局、思いつく限りのメッセージは未来の僕たちがすべて試してしまったので、授業中やることがなくなってしまった。


――――――――――


 中学に上がってからはずっと、人のために役に立つメッセージばかりが届いた。小学生の時に正義のヒーローになって以来誰かを助けたいという気持ちが増し、中学生という多少自由な環境がそうさせたのだろう。


 熱中症で倒れたらしい友達に、塩飴をあげて水を飲ませた。


 交通事故にあったらしいクラスメイトと、一緒に遊ぶことでそれを回避した。


 痴漢にあったらしい幼なじみとは一緒に帰った。


 熱中症、交通事故、痴漢。どれも今の僕は体験していないことだ。だけど、未来からのメッセージが来たということは、これらは実際に有り得たことで、僕の行動が結果を変えたのだろう。


 起こり得た事象を回避できたことを、僕は嬉しく思った。


 僕にしかできないことがある。僕にしか救えないものがある。そう思った。


――――――――――


 中学三年生の夏、再び魔法使いが僕の目の前に現れた。


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。今度は五年ぶりかな。力を有意義に使ってくれているみたいで嬉しい限りだよ。まあ、君自身には使っているという感覚はないだろうけどね。」


 今度の登場は、僕が家に居た時。自分の部屋に入ろうとドアを開けたら目の前にいた。その日は家に誰も居なかったからさすがに驚いた。


「魔法使いか、どうしてお前は毎回僕を驚かせるような登場の仕方をするんだ?」


「いやいや、別に驚かせるつもりなんてないよ。それは偶然かな。」


「そういえば、初めてお前と会ったあの日、僕の周りには誰もいなかった。それに五年前、僕に力を説明しに来た時も家には誰もいなかった。そして今日もそうだ。僕が一人の時にしかお前は現れないんだな。」


「うんうん、まあそれに関しては肯定しておこうかな。

アニメとかではよくある、主人公にしか見えない存在とかではないんだよね私は。君にしか見えないわけじゃないんだ。誰にでも見えるんだよ。そして私は、あまり人に見られたくないんだ。

ちなみに私が君の前に現れるのが毎回夏休みなのはたまたまだよ。君の前に現れるタイミングなんて私の気まぐれだしね。」


「そうか、お前はほかの人にも見えるんだな。てっきり僕にしか見えない存在なのかと思っていたけど、でもお前話が終わったら煙のように消えているよな?」


「うんうん、まあ正確には普段は人からは見えない存在なんだけど、君と話す時だけは人から見えるようにしているって感じかな。魔法使いだからね。」


「魔法使いってこの前も言っていたけど具体的にはお前はどういう存在なんだ?」


「まあまあ、私の存在に関してはまたいつか話すことがあるかもしれないね。少なくとも話すべきは今ではないかな。」


「その話が聞ける日を楽しみにしているよ。」


 正直今聞きたいという気持ちはもちろんあったが、ここは素直に引き下がることにした。


「さてさて、じゃあ本題に入るけど。とは言っても本題なんてものは無いんだけどね。今回私が君の前に現れた理由って別に何も無いんだよね。なんとなくの気まぐれかな。

今の君はまだ力を使ったことがないけど、なにか質問でもあるかい?」


 なんて適当な魔法使いなんだと僕は思った。まあでもこれを機に気になっていたことを質問させてもらおう。


「最近ずっと気になっていたことがある。僕以外にも同じ力を持っているやつはいるのか?

僕の力は過去に戻る力なんだろ?それがこの世に二つ以上存在すれば時間の流れがおかしくなったりするんじゃないか?」


「いやいや、君以外に力を持っている人はいないよ。今君が言った通りこの力を二人以上が持ってしまったら面倒なことになるからね。

更に言うなら過去に戻る力に限らず、特別な力を持っている人も君以外にはいないだろうね。」


「へえ、お前みたいな魔法使いが実は何人もいて、過去に戻る力とは限らずともテレポートとかテレパシーとか何らかの力を持っている人はいると思っていた。」


「うんうん、そういうふうに君が思うのはとても分かるよ。だけどね、魔法使い、というか人ならざる存在なんて私以外には存在しないよ。少ないとも私は見た事がないね。」


「そうなのか?ますますお前の存在が不思議になってきたけど。じゃあつまりはこの過去に戻る力を使えるのは僕とお前だけってことになるのか。」


「いやいや、それも違うね。私はその力は使えないよ。今は君しか使えないよ。」


「え?お前が僕にくれた力なのにお前は使えないのか?」


「そうそう、というか君にあげたから使えないんだよ。君には力のコピーをしたんじゃない。力の譲渡をしたんだよ。この力は誰か一人の人間が持っている必要があるんだ」


「どうして力を誰かが持っている必要があるんだ?」


「まあまあ、それは私の存在を話すときに一緒に話すことにしようかな。だけどね、私は君に力を与えた時に言っているんだよね。覚えてないかもしれないけどね。」


 言っていたか?思い出せ、この魔法使いが何を言っていたか。


 そうだ、確か


「世界の観測者。」


「そうそう、よく覚えていたね。その通りだよ。世界の観測者が必要なんだよ。君が世界の観測者になる前は別の人間が力を持っていてね、その人が死んでしまったから次の観測者が君になったって感じだね。まあこれ以上は、自分で考えるんだね。」


 世界の観測者、考えても全くわからなかった。どういう意味なのだろう。


「さてさて、他に質問はあるかい?なければこれで失礼するけど。」


「関係ないけど、どうしてお前はそんな変な喋り方をしているんだ?なにか理由でもあるのか?」


「はてはて、喋り方?一体なんのことかな?私にはよくわからないな。」


 こいつ、とぼけやがった。これは絶対、理由なんてないな。僕をおちょくって遊んでいるに違いない。


「じゃあ、これが最後の質問だ。

どうして僕を選んだんだ?」


 それはずっと気になっていたことだった。僕を世界の観測者とやらに選んだ理由はなんだったのだろうか。どういう条件をクリアして僕が選ばれたのか。


 だけど、答えは辛辣なものだった。


「おいおい、自惚れるなよ。君は選ばれるべくして選ばれたと思っていたのかい?勘違いも甚だしいね。それは自意識過剰ってもんだよ。

確かに君が考えている通り、この力を与えるのには条件がある。だけどそれは、小学一年生であること。そして、その時周りに誰もいないこと。それだけだ。

たまたま、君が一人でいた時に私が力を与える人物を探していた。それだけの事だよ。誰でもよかったのさ。君である必要なんてない。

君は自分のことを特別な人間だと思っているのかもしれない。確かにそれは正しいよ。さっきも言った通り特別な力を持っているのは世界中で君一人だけだ。だけどね、

特別な人間だから力を持っているんじゃない。

力を持っているから特別な人間なんだよ。

まあ、そういう勘違いをしてしまうのも仕方ないかもしれないね。この際だから言っておこう。私はね、

人間程度のことなんてどうでもいいんだよ。」


 魔法使いはそう言った。冷酷な口調で告げられたその言葉に、僕は返事することが出来なかった。普段は飄々としているから分からなかったけど、やはりこの魔法使いは人ではない。


 人ならざるもの。


 人間なんかとは、比べ物にならないくらい圧倒的上位の存在だ。


「さてさて、それじゃあこれで失礼するよ。」


 魔法使いは張り詰めた空気を変えるように、いつも通りのフランクな口調で言った。


 だから僕も、ようやくかろうじて声を発することが出来た。


「待ってくれ。」


 消えようとする魔法使いを呼び止めて僕は言った。


 一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。そうでもしないと、この存在に対して言葉を発するということが出来なくなっていた。それほどまでに、先程の魔法使いの発言は威圧感があった。


「なあ、魔法使い。お前の言う通り、僕が力を貰ったのはただの偶然なんだろうけど、それでも僕は力を貰えたことを感謝しているんだ。

僕は正義のヒーローに憧れていた。それは今でも変わっていない。この力は僕を正義のヒーローにしてくれる。だから、ありがとう。」


 これは前にも言ったことだったが、それでも僕は言わなきゃいけないと思っていた。この力は僕にとってなくてはならないものになっていた。


「いえいえ、お礼を言われるようなことじゃないさ。それじゃあね。」


 魔法使いは煙のように消えた。まあ、認知できなくなっただけで、まだそこにいるのかもしれないが。


――――――――――


 高校に入ってすぐ、僕のクラスでいじめがあった。その事に誰も気づいていなかった。クラスメイトも先生も気づいていなかった。


 僕も気づいていなかった。


 それを知ったのは未来からのメッセージがあったからだ。


「いじめ有1:4人g番:hlrs」


 メッセージの意味がすぐには理解できなかった。すぐに分かるのはいじめが有るということだけ。


 だけどこの暗号のようなメッセージを作ったのは他でもない僕自身なのだ、分からないはずがない。


 僕自身なら、いじめがあってそれを過去の自分に託すとき、どんな内容を入れるかを考えるだけだ。


「いじめが有ることは分かった。1:4人 は単純に人数のことか?一人を四人でいじめている。ならばあと必要なのは誰が被害者で誰が加害者なのかということだ。

それが多分g番:hlrs の部分なんだろうけど。間に:があるって事は、g番がいじめられてて、hとlとrとsがいじめているということなのか?

だけど、hって誰のことだ? イニシャルがhのやつなんていくらでもいるぞ。それにgの方にだけ番がついてる。番がつく名前の奴も僕の周りには居ないけど...。」


 関係ないけど、g番ってずっと見てると9番に見えてくるよな。なんてどうでもいい事を考えていたら、この暗号の意味が理解できた。


「あ、出席番号か。」


 アルファベットは数字に置き換えれば、1文字だけで、27までの数字を表すことが出来る。


 つまりは、出席番号7番の生徒が、8番、12番、18番、19番の生徒にいじめられているということだった。


 注意して観察してみると確かに7番の様子がおかしいような気がした。そして丁度、4人に呼ばれてどこかに行くところだった。


 隠れて着いていこうとしたタイミングで未来からメッセージが届いた。


「暴力有先生連れてけ1階西端WC」


 今度のメッセージは分かりやすかった。急いで先生にいじめがあることを伝え、走って1階西側の1番端にあるトイレに行った。


 ここのトイレは陽当たりが悪く照明も薄暗い。さらに近くにクラスは無いため、使う人はほとんど居なかった。つまり、暴力を振るうには好都合だ。


 中に入ると確かに暴力が行われていた。7番は上半身裸にされていて、服で隠れる部分には紫色になった痣が何ヶ所もあった。


 いきなり人が入ってきたから、いじめていた4人は驚いた顔でこちらを見ていた。この光景を見た先生は顔を真っ赤にして激昴し、4人を連行していった。


 僕は達成感で心がいっぱいだった。いじめを止めさせた。やり遂げたことが嬉しかった。


 自分の力は素晴らしい。みんなを救うためにこれからも頑張ろうと思った。


 数週間後、いじめられていた子が僕を呼び出した。感謝の言葉でも言われるのかと期待していた僕だったが、それは全くの見当違いだった。


「君が余計なことをしたせいでいじめはさらに悪化した。なんてことをしてくれたんだ。辛かったけど、嫌だったけど、それでも何とか耐えられていたんだ。やっていけていたんだ。だけどそれも壊れてしまった。

君のせいだ。君が余計なことをしたからだ。もう嫌だ。」


 そう僕に言った。


 彼は自殺した。


――――――――――


 さて、ようやく話は現在へたどり着く。思ったよりも長い回想になってしまった。お疲れ様でした。


 僕は今から力を使おうとしている。人間は死ぬ時に人生の思い出を見るらしい。いわゆる走馬灯というやつだ。もちろん死んだ経験がないからそんなものは本当かどうか分からないけど。


 今の僕の気持ちはそれに近いのかもしれない。だから、自然と自分の人生を振り返っていた。


 この力を使えば、過去に戻れる。僕が彼を殺してしまった。だから、戻らないといけない。過去を変えて、未来を変えなければいけない。


 問題は、15文字のメッセージを何にするかだ。そもそも、どうすれば解決できるのか。


「先生はもちろん、僕が介入したことがバレたらその時点でアウトだろう。いじめてたやつらは、いじめられてたやつが、周りに助けを求めたと思ってさらに悪化し、自殺する。

つまり、いじめているやつらにはバレずにいじめを止めなきゃいけない。そんなこと出来るのか?」


 僕は弱い人間だった。未来からのメッセージがなければ何も出来ないやつだ。今までそれに頼って生きてきたのだから当然だ。


 僕は過去へと戻る。15文字の未来からのメッセージを添えて。


――――――――――


 高校に入ってすぐ、僕のクラスでいじめがあった。その事に誰も気づいていなかった。クラスメイトも先生も気づいていなかった。


 僕も気づいていなかった。


 それを知ったのは未来からのメッセージがあったからだ。


「いじめ有1:4人g番:hlrs」


 メッセージの意味がすぐには理解できなかった。すぐに分かるのはいじめが有るということだけ。


 だけどこの暗号のようなメッセージを作ったのは他でもない僕自身なのだ、分からないはずがない。


 僕自身なら、いじめがあってそれを過去の自分に託すとき、どんな内容を入れるかを考えるだけだ。


 そんなことを考えていた時、再び未来からのメッセージが届いた。


「失敗した首突っ込むな自惚れるな」


 今度のメッセージはとても分かりやすかった。


 考える必要もなかった。そのまま読むだけで意味が伝わってきた。


「いじめがあるっていうメッセージはいじめを止めて欲しいと思ったから送られたはずだ。なのに首を突っ込むなって?みんなを救える力があるのに関わるなって言うのかよ!」


 最後の一言、「自惚れるな」という言葉がやけに僕の心に突き刺さった。


 この5文字に未来の僕の想いが詰まっている気がした。


 この力で救えないものもある。どうしようもないこともある。正義のヒーローにはなれないんだ。


 そう言っている気がした。


 結局、僕は何もしなかった。


 数日後、いじめの現場を目撃した。


 僕は、見て見ぬふりをしてその場を離れた。


 しばらく経ったある日。


 出席番号7番、いじめられていたという彼は転校した。


――――――――――


「はあ、もうすぐ受験か。あっという間の3年間だったな。」


 1ヶ月後には受験を控えていた。僕は大学に進む。そこまでレベルの高いところでもないので、あまり緊張感はない。


「まあ、もしものときは力を使って過去に戻れば確実に合格できるんだから何の心配もないんだけどな。」


 家で勉強しながらそんな独り言を口にする。


「しかし、そう考えるとどうにもやる気が出ないな。そういえば、今家に誰もいないよな。魔法使いのやつ出てきてくんないかな。」


「はいはい、呼んだかい?」


 本当に出てきやがった。


「本当に出てくるとは思わなかった。もしかして、お前暇なのか?」


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。実は私はやることなんて特にないんだよね。強いて言うなら君の監視かな。」


「ずっと見られてたのか。」


「うんうん、まあ正確には君自身というよりは、君が力を使ったことによって生じる世界の変化を見ていたんだけどね。それで、何か用なのかい?」


「力のことについて聞きたいことがあるんだ。」


「はいはい、なんだって聞いてくれて構わないよ。もっとも、答えるかどうかは私の気分次第だけどね。」


「この前、図書館で勉強してた時に、パラレルワールドとか立体交差並行世界論とかそういう本を見つけたんだ。この力もそういう類のものなんだろ?」


「うんうん、その通りだね。君が力を使う度に世界は別の世界へと移動するんだ。」


「そこで質問なんだが、タイムパラドックスは生じないのか?

例えば、この後僕が事故にあったとする。それを回避するために「家を出るな」っていうメッセージをこの時点の僕に送るとするだろ。そうしたら事故は回避できるけど、同時に家を出るなって言うメッセージは送られないことになる。

これは立派なタイムパラドックスってやつなんじゃないのか?」


「いやいや、それは違うね。まず大前提として、時間移動が存在しなければパラレルワールドは存在しない。まあ当然といえば当然だよね。

もし、違う選択をしたらなんてのは机上の空論さ。誰かが過去に戻りその選択をすることで初めて別の世界は出現するんだよ。」


「じゃあ選択を変えなければ別の世界には行かないのか?」


「いやいや、それも違う。バタフライエフェクトと言ってね、本当に些細なことでも世界は大きく傾くんだ。

肉体ごとの時間移動なら過去の世界で呼吸したとか。精神のみの時間移動なら、未来の記憶を知っているが故のちょっとした仕草や表情の変化とか。あるいは記憶がなくてもメッセージを受け取ったとかね。

こんな些細なことでもそれは別の世界なんだよ。そして結果に大きな変化をもたらす可能性がある。

表情筋の変化だけで世界が滅びるかもしれないんだよ。」


「それはさすがに過言なんじゃないのか?」


「まあまあ、さすがにそれは過言だけどね。つまりは過去に戻った時点でそれは既に違う世界だってことだよ。

さて、話を戻すけどタイムパラドックスは絶対に生じないよ。例えば有名なので親殺しのパラドックスというのが存在するよね。」


「自分自身が産まれる前に戻って、親を殺したら、自分はこの世に産まれなくなるが、同時に親を殺したやつが産まれなくなるから...ってやつだよな?」


「そうそう、その例がわかりやすいからね。順を追って説明すると、Aは過去に戻って親を殺すよね。世界は親が殺された世界になるわけだ。これによりこの世界にはAは産まれなくなる。

だけど、今存在しているのは親が生きている世界のAなわけだから、それ自体に影響は出ない。A自身は何も変わらないのさ。世界が変わっても個人が変わるわけじゃないからね。

世界を1本の線だと考えるんじゃなくて、木の枝みたいに考えるとわかりやすいかもね。過去に戻ることで新しい枝を進む感じかな。」


「木の枝か、なんだか難しい話だな。だけど、タイムパラドックスは絶対にありえないってことでいいんだな?」


「うんうん、それはこの魔法使いが保証するよ。」


「じゃあもう一つ質問なんだけど、この力を使って送られたメッセージってのは、同じ時間の他の枝世界にも届くのか?」


「はてはて、いまいち質問の意味がわからないな。もう少し分かりやすく説明してくれるかい?」


「だから例えばだけど、僕が今から力を使って、昨日の午前10時にメッセージを送るとするだろ。それで、メッセージを受け取った僕がさらに昨日、つまり今から見れば一昨日にメッセージを送るとする。

そうしたとき一昨日の僕は、翌日の午前10時にメッセージを受け取るのか? 」


「はいはい、質問の意味が理解できたよ。この力はその枝世界のみにしか作用しないよ。

だから、その例え話を実行したとしたら、一昨日の君は昨日の午前10時の時点でメッセージを受け取ることは無いよ。」


「やっぱりそうなのか...。」


「うんうん、そうだよ。やっぱりってことはなにか確信があったのかな?

ああ、なるほどね。君は未だに1年生の時のいじめのことを気にしているんだね。力を持っていながらあっさり諦めた他の世界の自分が信じられないのかな?」


「なんでそれを?」


「いやいや、その出来事は私も見ていたからね。よく覚えているよ。なかなか忘れられないさ。

そうだ、基本的に私は聞かれたことしか答えないんだけど、面白そうだから君に教えてあげよう。」


「なんだ、なかなか忘れられないって。あのいじめの件何かあったのか?僕が知らない他の世界で。」


「まあまあ、落ち着きなよ。

いいかい、他の世界の君が最初にいじめを発見し、いじめがあるというメッセージを送られてから、最後に、失敗したってメッセージが送られるまでの間。

君は47回力を使っているんだよ。

その全てがいじめを止めるために使われたものだったよ。

私の体感としては1年以上もの間あのいじめの件を繰り返したからね。さすがに忘れられないさ。」


「47回も...。だけど、僕はその全てを無駄に...。それどころか、そんなことがあったとさえ知らずに...。」


「おやおや、だいぶ落ち込んでいるみたいだね。」


「だってそうだろ?47回の努力が全てなかったことになってるんだ。そんなの酷いじゃないか。」


「いやいや、その47回の努力があったからこそ「諦めろ」というメッセージにたどり着けたんだよ。

あの15文字のメッセージには47人分の気持ちが込められているんだ。

そして、それを君は託されているんじゃないのかい?」


「...。」


「さてさて、それじゃあもう行くよ。またなにか聞きたいことがあれば今日みたいに呼び出してくれて構わないからね。」


 そう言って魔法使いは、煙のように消えた。


 もう、力を使うのはやめよう。そう決心した。


――――――――――


 受験に合格し、見事大学進学を果たした。映画サークルに入ろうと、説明会の教室に行こうとしている時に未来からのメッセージが届く。


「映画サークルに入るな」


 力は使わない、そう決心したはずなのに。


 何かがあったんだ。今までとは比べ物にならない何かが。あの決心を覆すほどの何かが。


 未来の僕がどうしようもない理由があってこんなメッセージを送ってきたのはわかる。


 結局、映画サークルには入らなかった。二度と力を使うつもりはなかった僕が力を使わざるを得ない状況だったのだから、従う方がいいだろう。


 でも、面白くない。


 やりたいと思ったことがやれない。


 自分の人生のはずなのに、自分の人生じゃない気がしてきた。


 僕の人生はどこにあるのだろう。


 これは誰の人生なのだろう。


――――――――――


 恋をした。


 大学2年の時、友達の誘いで行った飲み会で隣の席になった、ひとつ上の映画サークル所属の先輩だ。同じ趣味の話題で盛り上がり、ずっと2人で話した。


 今までも何人か付き合ったことはあったが、この人は特別な気がした。


「私たち、気が合うね。」


 先輩がニコッと微笑んで言う。僕は恥ずかしくて、でもそれ以上に嬉しかった。


「来週の日曜日に映画でも見に行きませんか?2人で。」


 勇気をだしてデートに誘う。


「いいね、行こう。」


 こんなに嬉しいことが今までにあっただろうか。


――――――――――


 当日、20分前に待ち合わせ場所に行くと、既に先輩が待っていた。


「早いですね。まだ20分前ですよ?」


 僕が言うと


「楽しみにしてたら早く着いちゃった。でも君も大分早いよ?」


 先輩が恥ずかしそうに言った。


 僕も恥ずかしくなった。


 そういえば、デートで相手より遅く着いたのは初めてかもしれない。そんなことを思った。


 映画はSFものだ。内容は難しかったけどとても面白い。先輩も満足だったようで、終わったあと、カフェで2人で語り合った。


「最後が衝撃的でしたね。まさか最初のシーンが伏線になってるなんて!」


「ほんとにね!私、観終わったあとすぐにまた最初から見たくなっちゃった。」


「分かります!内容は難しいのに色々なことがわかってきて、もう一回見たら絶対もっと楽しめますね!」


 帰り道、また色んな話をした。好きな音楽や好きなスポーツ。高校時代の思い出なんかを話した。


 来週は遊園地に行くことになった。


 とても楽しい一日だった。素直にそう思った。


――――――――――


 一週間はすぐに過ぎた。


 今日は30分前に着くことにした。だけど、今日も先輩は僕より先に着いていた。


「早いですね。」


 笑いながら僕が言うと


「今来たところだよ。」


 そう、先輩が答えた。


 そのセリフは僕が言いたかったのに、取られてしまった。


 ジェットコースターに乗った。


 絶叫系は全然大丈夫らしく2人で何度も乗る。楽しかったけど、怯えてしがみついてくる先輩を想像していたからちょっと残念だ。


 そう思っていたら怖いものはダメらしい。2人で入ったお化け屋敷で僕に抱きついてきた。僕は先輩の震える肩を抱く。


 僕が先輩をリードしなきゃ、そう思った。自然と手を繋いでいた。


 お化け屋敷を出たあとに


「頼もしかったよ。」


 そう言ってくれた。


 随分時間が経ち陽も落ちている。


 夜景が綺麗だろうね。そう言って2人で観覧車に乗った。


 告白しよう。


 3回目のデートで告白した方がいい。そんなことを昔聞いたことがある気がする。だけど関係ない。僕が今、この瞬間告白したいと思ったからする。


 何かをした方がいいとか、何かをしない方がいいとかそういうのはもううんざりだ。僕がしたいと思ったからする。


 だって僕の人生だから。


「好きです!付き合ってください!」


 それだけ伝えた。他に言葉が思いつかなかった。情けない話だ。


「はい。よろしくお願いします。」


 そう先輩は答えてくれた。すごく嬉しい。


 こうして僕達は恋人同士になった。


――――――――――


 彼女が卒業した。


 一足先に社会に出た。お互いの時間が合わなくて会えることも少なくなるかもしれない。


 早く卒業して、仕事をして、一緒に暮らしたい。毎日そんなことを考えていた。


――――――――――


 ある土曜日、彼女が家に来た。


 仕事で嫌なことがあったらしい。ずっと愚痴を零していた。辛そうだったけど僕には何も出来なかった。


――――――――――


 大学を卒業した。


 第1志望の会社には行けなかったけど、それでも良いところに就職できた。大変なこともあるけど毎日が充実していた。


 彼女も仕事が順調らしい。


――――――――――


 両親が亡くなった。


 交通事故だ。相手の酔っぱらい運転らしい。相手の方も死んだから、怒りをぶつけることも出来なかった。


 ずっと使っていなかった力を使うか悩んだ。交通事故なら簡単に止められる。


 だけど、結局力は使わなかった。嫌なことも辛いこともあるから楽しいこと、嬉しいことを感じられる。


 それが人生なのだとようやく気づいていた。悲しくも辛くもない学生時代を送ってきた僕だからわかる。


 力に頼っていたあの頃の僕の人生には色がなかった。


 祖父母は既に全員亡くなっていた。


 僕には家族が居なくなった。


 泣いている僕の隣で、彼女が慰めてくれた。


――――――――――


 結婚したい。そう思ったのはそれから少し経った頃だ。


 気持ちも落ち着いて、家族がもう居ないということを実感し、孤独感からそう思わせたのかもしれない。


 だけど、彼女と一緒になりたいという気持ちは確かに僕の中にあった。


 そしてもうひとつ、力のことを彼女に伝えるかどうか悩んでいた。


 力はもう何があっても使うつもりはなかった。


 僕が僕でなくなるのが嫌だったからだ。


 だけど使わなくても、彼女に伝えた方が良い。


 両親にも伝えていなかった力を、初めて他人に話す。


――――――――――


 彼女は当然驚いた。そして僕に聞いてきた。


「私に会ってからもその力使ってたの?」


 使っていない。と答えると、


「どうして?」


 と尋ねてきた。


 彼女との大切な時間を無かったものにしたくないから。そう告げた。これは本心だ。


 僕が今持っている大切な時間を、たとえ相手が僕であってもあげたくなかった。僕だけのものにしたかった。


 彼女は信じてくれた。


「ありがとう。」


 そう言ってくれた。


――――――――――


 プロポーズした。


 場所はあの観覧車。彼女しかいないと思った。


 とても緊張していて、なんて言ったのかいまいち覚えていない。


「僕の人生にはずっと色がなかった。だけど君に出会ってからの人生は本当に楽しかった。僕が僕でいられる時間だった。僕はこれからも君と一緒にいたい。君と幸せになりたい。 結婚して下さい。」


 そんなことを言っていたような気がする。


「はい。よろしくお願いします。」


 そう彼女は答えてくれた。


 それは、あの時と同じセリフだった。


 僕達は夫婦になった。


――――――――――


 妻は働いていた職場をやめ、パートタイマーとして近くのスーパーで働き始めた。


 僕は毎日仕事だ。朝早くに出かけ夜遅くに帰ってくる。2人で暮らしていくために頑張った。


 もちろん大変だった。だけど、


「ただいま。」


 そう言って家に帰ると妻が


「おかえり。お疲れ様!」


 と笑顔で出迎えてくれる。


 朝早くに


「いってきます。」


 と出かけると


「いってらっしゃい。頑張ってね!」


 と笑顔で見送ってくれる。


 人生で最高に幸せな時間だった。


――――――――――


「赤ちゃんが欲しい。」


 妻がぼそっと呟いたのを僕は聞き逃さなかった。妻は恥ずかしがってこちらを見てくれなかった。顔を真っ赤にしている妻を抱きしめて耳元で囁いた。


「僕も欲しいよ。」


――――――――――


 妻が妊娠した。僕は父親になるのだ。全然実感は湧かなかった。


 仕事をさらに頑張ることにした。疲れよりも嬉しさが勝っていた。未来への希望に溢れていた。


「名前どうしようか?」


 妻に尋ねると


「気が早いわね。性別も分かっていないわよ?」


 男の子だったら、女の子だったら。そんなことを2人で笑い合いながら話した。


――――――――――


 妻が入院した。


 肺癌だった。


――――――――――


「大丈夫!絶対元気になるから!今は安静にね。」


 そんな根拠の無い励まししか出来ない自分の無力さを実感する。


「ごめんね、迷惑かけちゃって。」


「迷惑なわけないだろ。馬鹿なこと言うなよ。」


「あのね、もしもの事があっても、力は使わないでね。約束だよ。」


「もしもの事なんてないよ。そんなの考えなくていい。ちょっと疲れてるだけなんだ。ゆっくり休めばすぐ治るさ。」


「...。」


 ここで約束しない僕はおそらく卑怯者なのだろう。


――――――――――


「力を尽くしたのですが。」


 病院の先生が僕に何か言ってきたが、何も分からなかった。


 何時間その場に座り込んでいたのか分からない。そして、何故かふとあのメッセージを思い出した。


「映画サークルに入るな」


 妻は映画サークル所属だった。


「なあ、魔法使い。そこに居るんだろ。」


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。何か用なのかい?」


「聞かせてくれよ。僕は初めて妻に会ってから、何回力を使っているんだ。」


「ふむふむ、気づいたのかい?」


「映画サークルに入るな。ってのはたぶん、僕が妻に会わないようにしたんだろう。こんなに辛い思いをするなら最初から出会わないほうがよかった。

だけど、それ以上に僕は妻を救いたい。肺癌なんてどうすればいいのか分からないけど、いつかお前が話してくれたバタフライエフェクトを信じるなら何回もやり直せばいずれ上手くいく。

それを僕がしないわけがない。だけど、僕は諦めたんだ。妻と出会うことを諦めた。いったい僕はどれくらいやり直したんだ。」


「うんうん、素晴らしい考察だね。全て正しいよ。

君は妻を救うために1838回力を使っている。そして、その1838回目で諦めたんだよ。妻を救う事は出来ない。だから出会わない道を選択した。

だけど出会ってしまった。そして、今君は1839回目の妻の死に直面しているわけだ。」


「どうして、諦めたんだ。」


「はてはて、なんでだろうね。だけど1838回目の君は妻に出会ってからの数年間、膨大な数のメッセージを見てきたからね。それで、なにか思うところがあったんじゃないのかな。」


 あの日、力を使わないことを決心したにもかかわらず。大量のメッセージが届いたのだ。それは、僕にとって...。


「さてさて、それじゃあもう行くよ。この世界の君とはもう会えないだろうけど、なかなか楽しかったよ。」


――――――――――


 人生はトランプタワーみたいだと思う。


 長い時間と労力をかけて積み上げてきたものが、たったひと吹きの風で崩れる。そこに積み上げたものが大きければ大きいほど、簡単に、そして無情に壊れる。


 崩壊する。


 僕が力を使って過去に戻れば、妻との楽しかった日々が全てなかったことになる。今まで積み上げてきた、愛情や、信頼や、努力。幸せなものが全て壊れてしまう。


 それでも、これからの妻の居ない生活に比べたら...。


 そうして僕は過去に戻る。


――――――――――


「飲み会に参加するな」


 大学2年の時、未来からのメッセージが届いた。


 友達に飲み会に誘われた直後だった。どうやら僕の決心というのはこの程度のものらしい。力を使わないと決めたはずなのに既に2回使っている。


 飲み会には参加しなかった。つまらない人生だと思った。


――――――――――


 恋をした。


 大学2年の時、学祭の実行委員で一緒になったひとつ上の映画サークル所属の先輩だ。


――――――――――


 先輩とデートをした。


――――――――――


 先輩に告白して、恋人になった。


――――――――――


 彼女にプロポーズして、夫婦になった。


――――――――――


 妻と幸せな日々をすごした。


――――――――――


 妻が妊娠した。


――――――――――


 妻が入院した。


 肺癌だった。


――――――――――


「大丈夫!絶対元気になるから!今は安静にね。」


 そんな根拠の無い励まししか出来ない自分の無力さを実感する。


「ごめんね、迷惑かけちゃって。」


「迷惑なわけないだろ。馬鹿なこと言うなよ。」


「あのね、もしもの事があっても、力は使わないでね。約束だよ。」


「もしもの事なんてないよ。そんなの考えなくていい。ちょっと疲れてるだけなんだ。ゆっくり休めばすぐ治るさ。」


「...。」


 ここで約束しない僕はおそらく卑怯者なのだろう。


――――――――――


 妻が亡くなった。


――――――――――


「なあ、魔法使い。そこに居るんだろ。」


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。何か用なのかい?」


「聞かせてくれよ。僕は初めて妻に会ってから、何回力を使っているんだ。」


「ふむふむ、その質問を受けるのも何度目かな。

君は妻を救うために3591回力を使っている。そして、今君は3592回目の妻の死に直面しているわけだ。」


「映画サークルに入るなってメッセージは何回目に送られたんだ。」


「はいはい、あのメッセージは1838回目だったよ。」


「そうか...。」


 いつだったか妻が話してくれた。あの日僕が参加しなかった飲み会に妻は参加したらしい。ならば、あの2つのメッセージの意図は、僕が妻に会わないようにしたのだろう。

1838回目に1度は妻を救うことを諦めたのに、1839回目の僕は諦めなかったんだ。


「どうして諦めたんだ。」


「はてはて、なんでだろうね。だけど1838回目の君と、3591回目の君は妻に出会ってからの数年間、膨大な数のメッセージを見てきたからね。それで、なにか思うところがあったんじゃないのかな。」


「...。」


「さてさて、それじゃあもう行くよ。この世界の君とはもう会えないだろうけど、なかなか楽しかったよ。」


 そして僕は過去に戻る。


――――――――――


「学祭実行委員になるな」


 大学2年の時、未来からのメッセージが届いた。


 どうやら僕の決心というのはこの程度のものらしい。力を使わないと決めたはずなのに既に3回使っている。


 実行委員にはならなかった。つまらない人生だと思った。


――――――――――


 恋をした。


 大学2年の時、喫茶店で出会ったひとつ上の映画サークル所属の先輩だ。


――――――――――


 先輩とデートをした。


――――――――――


 先輩に告白して、恋人になった。


――――――――――


 彼女にプロポーズして、夫婦になった。


――――――――――


 妻と日々を幸せにすごした。


――――――――――


 妻が妊娠した。


――――――――――


 妻が入院した。


 肺癌だった。


――――――――――


「大丈夫!絶対元気になるから!今は安静にね。」


 そんな根拠の無い励まししか出来ない自分の無力さを実感する。


「ごめんね、迷惑かけちゃって。」


「迷惑なわけないだろ。馬鹿なこと言うなよ。」


「あのね、もしもの事があっても、力は使わないでね。約束だよ。」


「もしもの事なんてないよ。そんなの考えなくていい。ちょっと疲れてるだけなんだ。ゆっくり休めばすぐ治るさ。」


「...。」


 ここで約束しない僕はおそらく卑怯者なのだろう。


――――――――――


 妻が亡くなった。


――――――――――


「なあ、魔法使い。そこに居るんだろ。」


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。何か用なのかい?」


「聞かせてくれよ。僕は初めて妻に会ってから、何回力を使っているんだ。」


「ふむふむ、その質問を受けるのも何度目かな。

君は妻を救うために6457回力を使っている。そして、今君は6458回目の妻の死に直面しているわけだ。」


「映画サークルに入るなってメッセージは何回目に送られたんだ。」


「はいはい、あのメッセージは1838回目だったよ。ちなみに、飲み会に参加するな、は3591回目だね。」


「そうか...。」


 いつだったか妻が話してくれた。あの日僕が参加しなかった飲み会に妻は参加したらしい。そして、学祭の実行委員だったとも。ならば、あの3つのメッセージの意図は、僕が妻に会わないようにしたのだろう。


「どうして諦めたんだ。」


「はてはて、なんでだろうね。だけど1838回目の君と、3591回目の君と、6457回目の君は妻に出会ってからの数年間、膨大な数のメッセージを見てきたからね。それで、なにか思うところがあったんじゃないのかな。」


「...。」


「さてさて、それじゃあもう行くよ。この世界の君とはもう会えないだろうけど、なかなか楽しかったよ。」


 そして僕は過去に戻る。


――――――――――


 大学3年の時、未来からのメッセージが届いた。


「図書館に行くな」


 それが届いた瞬間、僕の中で必死に抑えていたものが崩壊した。


「いい加減にしてくれよ!なんなんだよこれ!僕の人生をこれ以上めちゃくちゃにしないでくれよ!僕の人生は僕のものなんだ!」


 ぶつける対象が居ないこの怒りをどうすることも出来なかった。結局、力を使っているのは僕自身であることに変わりはないのだから。


 僕の決心というのはこの程度のものらしい。力を使わないと決めたはずなのに既にメッセージは9回届いている。


「映画サークルに入るな」


「飲み会に参加するな」


「学祭実行委員になるな」


「喫茶店に行くな」


「コンビニでバイトするな」


「学食で昼食を済ませろ」


「友達の誘いを断れ」


「祭りに行くな」


「図書館に行くな」


 もううんざりだ。


「なあ、魔法使い。聞きたいことがある。」


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。何か用なのかい?」


「お前、魔法使いなんだろ。未来を変えることってできるのか。具体的には人間を救うことできるか?」


「ふむふむ、君からその質問を受けるのも何度目かな。もちろん人間を救うことなんてたやすいよ。病気だろうがケガだろうがね。だけど、前にも言った通り私は人間程度のことなんてどうでもいいからね、そんなことをするつもりはないよ。」


「このメッセージ、どれも僕が誰かを救おうとしてるんだろ?それも今までとは比べ物にならないくらい僕にとって大事な人を。」


「さてさて、それはどうかな。そうかもしれないし違うかもしれないよ。」


「僕は、今後一切力を使わないことを決心したんだ。なのにすでに9回使っている。いや、もしかしたら僕が知らないだけでもっとたくさん力を使っているのかもしれない。そして、それはたぶんこれからも...。このままだと世界は永遠に前に進まないことになる。だけどお前が未来を変えてくれば_」


「おいおい、私と取引しようってのかい?残念だけれどそれは無駄だよ。だって私は世界が永遠にこの時間を繰り返したところでなにも困らないからね。」


「どうしてだよ!お前の目的は何なんだ。どうして人間にこんな力を与えてるんだよ。」


「うんうん、さすがに気になるよね。まあ、そろそろ教えてあげようかな。というか、他の世界の君に何回も教えてあげてるんだけどね。私の目的はね、

ただの暇つぶしだよ。」


「暇つぶし...?」


「そうそう、暇つぶし。私という存在はね、

本来、世界を良い方向に導くためにいるんだよ。」


「世界を良い方向に...。それがあの力だっていうのか。」


「うんうん、生きている人間達にメッセージを与えて世界をより良い方向に導いていく。いわゆる神のお告げってやつかな。

人類史には、数々の大きな発見があるだろう?物理現象とか数式とかね。そのほとんどが私のお告げによるものなんだよ。その頃は働き者だったからね。

だけどそれに飽きてしまった。言った通り私は人間達のことなんてどうでもいいからね、世界が滅びようがどうだっていいのさ。

それから長い間特に何もせず暇な時間を過ごしてたんだけど、ある日最高の暇つぶしを思いついてね。

この力を人間の誰かに与えれば面白くなるんじゃないかなってね。だけどそのまま渡したところで意味がないからね、制約を付けたのさ。」


「それが、送れるメッセージは15文字。そして、記憶を失うことか。」


「そうそう、ちなみに小学一年生を選んだのは早く新しい保持者を見つけたいからだね。前にも言った通りこの力は世界に保持者が二人以上いると時間の流れとかいろいろと困ってね。

だけど力はその存在があればいつだって戻れる。要は、1歳とかにも戻れるんだよ。だから、新しい保持者は、前の保持者が死んでから産まれた人でないといけない。

だけど早く選びたいからね。ある程度正常な判断ができるのが小学一年生ぐらいだというわけだよ。」


「そもそも保持者はどうやって死ぬんだ。力を使って過去に戻り永遠にそのままってこともあり得るんじゃないのか?」


「いやいや、そんなことはないよ。まず即死であれば力を使うタイミングはないからね。例えば君の前の保持者は交通事故で即死だったよ。

それから老衰だけどね、そこまで行くとみんな力を使おうとしないよ。今の君にも思うところがあるかもしれないけどね。

大抵の人間は結局ほとんど力を使わずに人生を終える。今までで一番長かったのでも、ざっと300年くらいだったかな。」


「じゃあ、世界の観測者ってのは結局何だったんだ。」


「おやおや、君ならもう答えに辿り着いているんじゃないのかな?」


 僕が辿り着いている答え...。


「...。時間移動が存在しなければパラレルワールドは存在しない。僕が、力を使えば新しい世界が出現する。僕が力を使う度、数々の可能性の世界が生まれる。

そして、15文字のメッセージとしてその世界の可能性を観測できる。

映画サークルに入った世界も、飲み会に参加した世界も、学祭実行委員になった世界も、確かにあったんだ。その世界の記憶はなくても、その世界の可能性を、このメッセージで僕は観測しているんだ。」


「うんうん、その通りだよ。

世界は今ここに存在している。それは、君たち人間が観測しているからわかることだ。もし、人間が滅びたとき、果たしてそれでも世界は存在しているといえるのかな?

君たち人間は世界を観測する役目を持って生まれてきたんだよ。動植物が、星が、宇宙がそこにあって、生きていることを観測する。そのために君たち人間は生きている。

だけどね、君たちには力がない。一つの可能性の世界しか観測できないんだ。だけどこの力を持っている人間はいくつもの可能性の世界があったことを観測できる。世界の観測者ということさ。」


「だけど、僕が観測できているのはほんの一部だ。高校一年生のときにあったいじめの件。あの時の47個の可能性の世界は観測できてないんだ。お前に教えてもらうまでその世界の可能性を知らなかった。」


「いやいや、だから前にも言っただろう。失敗したというメッセージはその47回の世界があったから送られたメッセージで、そのメッセージにはその可能性の世界の全てが含まれているんだよ。」


「僕はもう疲れたんだ。こうやって未来の自分に人生を決定されることが嫌だ。だけど、お前の目的が暇つぶしだというなら、きっと僕の大事な人を救うこともないんだろうな。」


「まあまあ、私は気まぐれだからね。」


 こいつは何度も言ってるんだ。人間程度のことどうでもいいと。その気になることは、多分この先永遠にないだろう。


「さてさて、それじゃあもう行くよ。」


――――――――――


 恋をした。


 大学3年の時、レンタルビデオショップで出会ったひとつ上の映画サークル所属の先輩だ。


 多分、この人だ。


――――――――――


 先輩とデートをした。


――――――――――


 先輩に告白して、恋人になった。


――――――――――


 彼女にプロポーズして、夫婦になった。


――――――――――


 妻と日々を幸せにすごした。


――――――――――


 妻が妊娠した。


――――――――――


 妻が入院した。


 肺癌だった。


――――――――――


「大丈夫!絶対元気になるから!今は安静にね。」


 そんな根拠の無い励まししか出来ない自分の無力さを実感する。


 僕は、心のどこかで妻は助からないと思っているのかもしれない。そういう運命なんじゃないのか。


「ごめんね、迷惑かけちゃって。」


「迷惑なわけないだろ。馬鹿なこと言うなよ。」


「あのね、もしもの事があっても、力は使わないでね。約束だよ。」


「もしもの事なんてないよ。そんなの考えなくていい。ちょっと疲れてるだけなんだ。ゆっくり休めばすぐ治るさ。」


「...。」


 ここで約束しない僕はおそらく卑怯者なのだろう。


――――――――――


 妻が亡くなった。


――――――――――


「なあ、魔法使い。そこに居るんだろ。」


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。何か用なのかい?」


「聞かせてくれよ。僕は初めて妻に会ってから、何回力を使っているんだ。」


「ふむふむ、その質問を受けるのも何度目かな。

君は妻を救うために9999回力を使っている。そして、今君は10000回目の妻の死に直面しているわけだ。」


「10000回目...。そうか...。」


「さてさて、それじゃあもう行くよ。」


 もう、いいんじゃないか。妻を救うことも、妻に出会わないこともできないんだ。10000回試しているんだ。諦めるにはキリがいいじゃないか。


 だけど、僕にこの先の人生を歩む力はない。妻のいない人生なんてあり得ない。そんな世界を観測するつもりはない。


 だから、これで終わりにしよう。これが、10000人分の思いが込められた。


 未来からのメッセージだ。


――――――――――


 幼い頃の記憶を人はどのくらい覚えているだろう。怒られた記憶や、怖かった体験なんかは意外と覚えているものかもしれない。でも、そんなものは断片的なものなのではないだろうか。


 だけど、この記憶だけは鮮明に覚えている。もし、僕にアニメーションを作る技術があれば、その時の記憶を間違いなく再現出来る自信がある程だ。


 小学校に上がって最初の夏休み。カンカンと照り付ける太陽の下、僕は近所の公園で植物観察の宿題のために、四つ葉のクローバーを探していた。


 そこは、近所の小学生が普段よく遊んでいる公園でいつも賑わっていた。


 だけどその日に限っては誰一人として居なかった。広場で遊んでいた小学生も、アイスを食べながらベンチで駄弁っていた中学生も、ハイキングコースで散歩していたおじいさん達も。


 誰も居なかった。


 僕は一人の魔法使いに出会った。


 うだるような暑さの中、真っ黒なローブを纏って、先端から光線でも出そうな杖を持った、不気味な魔法使いだった。


 四つ葉のクローバーを探すことに夢中で、しゃがみこんでいた僕の顔を覗き込むようにして、魔法使いは不敵な笑みを浮かべて言った。


「やあやあ、元気かい。はじめまして。いきなりだけど、君は特別な力が欲しくないかい?

みんなを救える素晴らしい力だ。」


 普通は、そんな不気味な魔法使いにいきなり話しかけられたら怖くて逃げ出すか、恐怖で声も出ないだろう。


 僕がとった行動はそのどちらでもなかった。ただ純粋にその質問を頭の中で反芻していた。


 子供の頃、誰しもが正義のヒーローに憧れていたと思う。僕も例外ではなかった。優しくて、正しくて、かっこいい。そんな正義のヒーローになりたかった。


 だけど僕はいらないと答えた。


 その答えに驚いた魔法使いは、


「おやおや、どうしてだい?」


 と聞いてきた。


「だっていま、あたまのなかにね、てがみがとどいたんだもん。きっと、かみさまのことばだったんだよ!」


 それを聞いた魔法使いは


「うんうん、そうかもしれないね。」


 と答えた。その時の魔法使いは笑っていた気がする。


「ねえ、あなたもしかしてかみさまなの?」


「いやいや、私は魔法使いだよ。それじゃあね。」


 そう言って魔法使いは煙のように消えた。


――――――――――


 小学5年生の時、隣の家が火事になった。


 消防車が到着したのは火事が起きてから数十分後。だけど、家の人はみんな無事だったらしい。


――――――――――


 中学の時、いろいろなことがあった。友達が熱中症で救急車に運ばれたり、クラスメイトが交通事故にあったり、幼馴染が痴漢にあったり。だけど、どれも大したことはなかった。


――――――――――


 高校に入ってすぐ、僕はいじめの現場に遭遇した。怖くて何もできなかった。いじめられていた彼は転校した。


 何もできない自分が悔しかった。


――――――――――


 受験に合格し、見事大学進学を果たした。僕は、映画サークルに入った。


――――――――――


 恋をした。ひとつ上の同じサークルの先輩だ。同じ趣味の話題で盛り上がり、ずっと2人で話した


 今までも何人か付き合ったことはあったが、この人は特別な気がした。


「私たち、気が合うね。」


 先輩がニコッと微笑んで言う。僕は恥ずかしくて、でもそれ以上に嬉しかった。


「来週の日曜日に映画でも見に行きませんか?2人で。」


 勇気をだしてデートに誘う。


「いいね、行こう。」


 こんなに嬉しいことが今までにあっただろうか。


――――――――――


 当日、20分前に待ち合わせ場所に行くと、既に先輩が待っていた。


「早いですね。まだ20分前ですよ?」


 僕が言うと


「楽しみにしてたら早く着いちゃった。でも君も大分早いよ?」


 先輩が恥ずかしそうに言った。


 僕も恥ずかしくなった。


 映画はSFものだ。内容は難しかったけどとても面白い。先輩も満足だったようで、終わったあと、カフェで2人で語り合った。


「最後が衝撃的でしたね。まさか最初のシーンが伏線になってるなんて!」


「ほんとにね!私、観終わったあとすぐにまた最初から見たくなっちゃった。」


「分かります!内容は難しいのに色々なことがわかってきて、もう一回見たら絶対もっと楽しめますね!」


 帰り道、また色んな話をした。好きな音楽や好きなスポーツ。高校時代の思い出なんかを話した。


 来週は遊園地に行くことになった。


 とても楽しい一日だった。素直にそう思った。


――――――――――


 一週間はすぐに過ぎた。


 今日は30分前に着くことにした。だけど、今日も先輩は僕より先に着いていた。


「早いですね。」


 笑いながら僕が言うと


「今来たところだよ。」


 そう、先輩が答えた。


 そのセリフは僕が言いたかったのに、取られてしまった。


 ジェットコースターに乗った。


 絶叫系は全然大丈夫らしく2人で何度も乗る。楽しかったけど、怯えてしがみついてくる先輩を想像していたからちょっと残念だ。


 そう思っていたら怖いものはダメらしい。2人で入ったお化け屋敷で僕に抱きついてきた。僕は先輩の震える肩を抱く。


 僕が先輩をリードしなきゃ、そう思った。自然と手を繋いでいた。


 お化け屋敷を出たあとに


「頼もしかったよ。」


 そう言ってくれた。


 随分時間が経ち陽も落ちている。


 夜景が綺麗だろうね。そう言って2人で観覧車に乗った。


 告白しよう。


 3回目のデートで告白した方がいい。そんなことを昔聞いたことがある気がする。だけど関係ない。僕が今、この瞬間告白したいと思ったからする。


「好きです!付き合ってください!」


 それだけ伝えた。他に言葉が思いつかなかった。情けない話だ。


「はい。よろしくお願いします。」


 そう先輩は答えてくれた。すごく嬉しい。


 こうして僕達は恋人同士になった。


――――――――――


 彼女が卒業した。


 一足先に社会に出た。お互いの時間が合わなくて会えることも少なくなるかもしれない。


 早く卒業して、仕事をして、一緒に暮らしたい。毎日そんなことを考えていた。


――――――――――


 ある土曜日、彼女が家に来た。


 仕事で嫌なことがあったらしい。ずっと愚痴を零していた。辛そうだったけど僕には何も出来なかった。


 彼女を救うことさえ僕には出来なかった。


 僕にそんな力はなかった。


――――――――――


 大学を卒業した。


 第1志望の会社には行けなかったけど、それでも良いところに就職できた。大変なこともあるけど毎日が充実していた。


 彼女も仕事が順調らしい。


――――――――――


 両親が亡くなった。


 交通事故だ。相手の酔っぱらい運転らしい。相手の方も死んだから、怒りをぶつけることも出来なかった。


 祖父母は既に全員亡くなっていた。


 僕には家族が居なくなった。


 泣いている僕の隣で、彼女が慰めてくれた。


――――――――――


 結婚したい。そう思ったのはそれから少し経った頃だ。


 気持ちも落ち着いて、家族がもう居ないということを実感し、孤独感からそう思わせたのかもしれない。


 だけど、彼女と一緒になりたいという気持ちは確かに僕の中にあった。


――――――――――


 プロポーズした。


 場所はあの観覧車。彼女しかいないと思った。


 とても緊張していて、なんて言ったのかいまいち覚えていない。


「僕の時間を全部君にあげます。だから君の時間を僕に下さい。 結婚して下さい。」


 そんなことを言っていたような気がする。


「はい。よろしくお願いします。」


 そう彼女は答えてくれた。


 それは、あの時と同じセリフだった。


 僕達は夫婦になった。


――――――――――


 妻は働いていた職場をやめ、パートタイマーとして近くのスーパーで働き始めた。


 僕は毎日仕事だ。朝早くに出かけ夜遅くに帰ってくる。2人で暮らしていくために頑張った。


 もちろん大変だった。だけど、


「ただいま。」


 そう言って家に帰ると妻が


「おかえり。お疲れ様!」


 と笑顔で出迎えてくれる。


 朝早くに


「いってきます。」


 と出かけると


「いってらっしゃい。頑張ってね!」


 と笑顔で見送ってくれる。


 人生で最高に幸せな時間だった。


――――――――――


「赤ちゃんが欲しい。」


 妻がぼそっと呟いたのを僕は聞き逃さなかった。妻は恥ずかしがってこちらを見てくれなかった。顔を真っ赤にしている妻を抱きしめて耳元で囁いた。


「僕も欲しいよ。」


――――――――――


 妻が妊娠した。僕は父親になるのだ。全然実感は湧かなかった。


 仕事をさらに頑張ることにした。疲れよりも嬉しさが勝っていた。未来への希望に溢れていた。


「名前どうしようか?」


 妻に尋ねると


「気が早いわね。性別も分かっていないわよ?」


 男の子だったら、女の子だったら。そんなことを2人で笑い合いながら話した。


――――――――――


 妻が入院した。


 肺癌だった。


――――――――――


「大丈夫!絶対元気になるから!今は安静にね。」


 そんな根拠の無い励まししか出来ない自分の無力さを実感する。


「ごめんね、迷惑かけちゃって。」


「迷惑なわけないだろ。馬鹿なこと言うなよ。」


「あのね、もしもの事があったら、私のことは忘れてね。約束だよ。」


「もしもの事なんてないよ。そんなの考えなくていい。ちょっと疲れてるだけなんだ。ゆっくり休めばすぐ治るさ。」


「...。」


「わかった...。約束だ...。」


「ありがとう。」


――――――――――


「正直、奇跡のような回復力です。」


 ただただ嬉しくて、何時間妻に抱き着いていたかわからない。そして、何故かふと幼い頃の魔法使いのことを思い出した。


「なあ、魔法使い。そこに居るんだろ。」


「やあやあ、元気かい。久しぶりだね。何か用なのかい?」


「聞かせてくれよ。なんで救ってくれたんだ。」


「はてはて、何のことかな。」


「あんたが、妻を救ってくれたんだろ。」


「いやいや、バタフライエフェクトって前にも話しただろう。って君には話していなかったね。」


「だけど、奇跡のようだって...。救ってくれてありがとう。」


「おいおい、頭を上げてくれよ。はあ、話すつもりはなかったんだけどね。数千年以上も前にある男と約束したんだよ。

もしも、自分が10000回以上諦めなかったら救ってくれってね。ぎりぎりだったけどね。」


「どうしてそんな約束をしたんだ。それに守る必要なんて...。」


「はてはて、なんでだろうね。私は気まぐれだからね。

ただ、彼らが必死に守ろうとした君たちの未来を、

観測したくなったのさ。」


「よくわからないけれど、その数千年前の男に感謝しないとな。」


「さてさて、それじゃあ私はもう行くよ。次の保持者は君が死んでから探すから安心していいよ。なんて言っても君にはわからないだろうけどね。

もう君と会うことはないだろうけど、なかなか楽しかったよ。」


「ああ、ありがとう。」


「ばいばい。」


そう言って、魔法使いは煙のように消えた。


「誰と話していたの?」


 妻が目を開けてこちらを見てきた。


「起きてたのか。」


「ううん、今目を覚ましたところ。」


「そっか、おはよう。」


「うん、おはよう。」


「今話してたのは、昔の親友だよ。

すごい昔のね。」


-----


 人生はトランプタワーみたいだと思う。


 長い時間と労力をかけて積み上げてきたものが、たったひと吹きの風で崩れる。そこに積み上げたものが大きければ大きいほど、簡単に、そして無情に壊れる。


 崩壊する。


 だけど、壊れたならまた作り直せばいい。それに積み上げるのもどんどん上手になっていくだろう。壊れてもその過程がなくなるわけじゃない。それまで経験は、次積み上げるときに活かすことができるんじゃないかな。


-----


「はあ、今日も疲れた...。」


 帰り道、そんな独り言をつぶやく。


「ただいま。」


 そう言って家に帰ると、


「あ、帰ってきたー! おかえりパパー!」


 娘が抱き着いてくる。


「ママー!パパが帰って来たよー!」


 娘がそう叫ぶと、奥から妻がやってきて


「おかえり。お疲れ様!」


 と笑顔で出迎えてくれる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 物語がどんどん加速していって、引き込まれてしまいました。 登場人物の名前も分からないのに、とても身近に感じることができています。 [気になる点] "数千年前の男"というのがよく分かりませ…
[一言] こんなにも素晴らしい作品をありがとうございます。 作者様の頭の中を覗いてみたくなりました。
[良い点] 最初は未来からのホットライン系かなと思いましたが 中盤からどんどん引き込まれました 読んでよかった とても良い作品でした、ありがとうございました
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