ステイホーム
埼京線の大宮駅は、どういう訳か地上から沈んだ場所にある。埼京線自体さいたま市から戸田、赤羽辺りまでは天空の高い所を走っているというのに大宮駅で突然地下に収納される。もちろんそれについては後発で出来た路線だから色々と兼ね合いというか、そうしなきゃいけないみたいなものがあったんだろうけど、埼玉に住んだばかりの頃は随分と不思議に感じた。慣れなかった。大宮に行く度階段を上がって、もう一回階段を上がるっていうのが苦痛だった。京浜東北線がうらやましかった。
しかし最近はさすがにそういう感じもない。なくなった。埼玉に移り住んでもう何年になるか定かではないけど、やっと慣れたんだろうと思う。あと階段を一個上ったところに大宮ルミネの入り口があるから、10時を越えた場合はそこから出入りするようにしたのも大きいと思う。最初の頃はルミネも入れなかったから。
「こ、こんな、お、おしゃんてぃな場所に、じ、自分なんかが出入りしたら、て、鉄道警察とかに捕まって、い、一生牢獄にいれられるんだべなあ」
って思ってたから。今はもうルミネのカードさえ持ってる。ゾフで眼鏡買いたかったから。
人間というのは変わるものだ。本質は変わらない。でも染まったり、薄らいだりはする。それを変わったという。
そんなある日、大宮に行く用事が出来た。
「お、じゃあ、それ終わりであれかな、またネットカフェに行こうかな」
そんな事を考えつつ、風呂に入ってシャワーを浴び支度をして家を出た。空は曇天、しかし雨の心配はないとヤフーで見た。それから今日も東京では200人を超えるコロナーが出たらしい。
「緊急事態宣言がよほど応えたんだろうな」
反動のような第二波の勢力が着々と増している。恐ろしいなあ。いやそれにしては自分だって外に出るじゃないか。
「確かに」
でもあの頃に比べると誰もがコロナに対してのトーンを落としつつある。マスクも消毒液もウエットティッシュも紙も何も、米すら無くなったあの頃に比べると。
今もまた状況は悪い方に向かってるような感じがあるが、でもそんな事もう構っていられないと街は平常に戻りつつある。そういう風に見えた。自分だってそうだ。いつものようにマスクはしたけど、でもそれだけだ。今やマスクさえしてない人だっている。
「今から行きます」
大宮で待ち合わせ。ラインを送って駅に向かった。待ち合わせ時間にはまただいぶ余裕がある。落ち合う前に
どっかでコーヒーでも飲みたいなあ。緊急事態宣言の頃は考えもしなかったような事を考えている自分がいた。
「あ」
ぱっと目を覚ますと電車の中に居た。
どうやら電車の中で眠ってしまっていたらしい。いや今日は雨も降らずにムシムシしたからなあ。車内の空調が心地よかったもんなあ。
「やべやべ」
電車はとっくに大宮駅についていた。
向かいの席にも一人自分と同じような感じで寝ている女性がいたが、構わずに電車から降りて大宮駅の長い階段を上がった。時計を見ると待ち合わせの時間にはまだなっていなかったけど、もうコーヒーショップに寄ることは出来そうもない。
あちゃー。そう思って一つ目の階段を上り終えた。
しかしその先が無かった。
本来ならその先にもう一つ長い階段か、あるいは大宮ルミネへの入り口か、もしくは生絞りのジュース屋さんか、そういうのがあるはずだったのだけど。
でも、何もなかった。
大宮駅も何も、ソニックシティ側も高島屋側も何も。
何もなくなってしまっていた。
瓦礫の山だ。
知らないうちに何もかも。見える光景は全て、何もかも。
そこからは本来見えるはずのない空が見えた。どす黒い曇り空。遠くで煙が上がってるのが見えた。火が上がってる所もあった。他の人は誰もおらず、ただとにかく大宮駅から見えるすべては瓦礫の山、廃墟になってしまっていた。自分が寝ていた少しの間に何があったのか。わからない一切わからない。携帯電話は通じない。緊急事態ダイヤルも何も、一切通じない。
「なんだ、これ」
何がどうなっているのかわからない。ただ、とにかく自分はその廃墟の中に居た。
「何これ」
背後から声がして、振り向くと地下の電車の中で自分同様に寝ていた女性が立っていた。
「なに、どうなってるの!」
彼女のヒステリックな声が不安を煽った。
「と、とにかく落ち着いて」
自分がまるで真人間のような事を言ったのに驚いたが、まず興奮する彼女を落ち着かせた。そんなことをするとは思っても見なかった。ドラゴンヘッドの事を思い出した。
彼女の名前は古野友美といった。彼女の携帯電話も自分同様に全く通じない。
「まず、自分が様子を見てきます」
街の状況を見てきますから。大丈夫ですから。だからあなたはここに居てください。待っていてください。ステイホーム。ステイホームです。
そうして自分は瓦礫の山となった街に出て走った。何を探しているのか、あるいはどうしたいのか一つとして考えはない。もしかしたらただとにかくそうしたかったのかもしれない。
埼京線のホームだけどうして無事だったのか。やはり地下にあったからなのか。
街はどこまで行っても瓦礫の山だった。
どこまで行っても瓦礫の山だった。
ただずっとそれしかなかった。
倒れていた自販機の周りに転がっていた飲料を持てるだけ持って駅に、埼京線のホームに戻った。
「おーい!戻りましたー」
古野友美はいなくなっていた。
ああ、そうか。
そうか。
そうだよなあ。
一度押さえつけられるようにステイホームを受け入れた、受け入れなくてはいけなかった人が、二度目も受け入れるなんてそんな事。まあ、そう簡単には無理だよなあ。