これぞハッピーエンド?
「ファユ、手をこちらへ」
「はい」
「では、行こうか。私からは離れないように」
「もちろんですわ」
馬車を降りた僕の差し出す手を取って、ファユールがにっこりと微笑んだ。
今日はトーニャと王太子の結婚式だ。
僕とファユールはその親族として出席するため、礼装を纏って王城内の神殿へと赴いている。
結婚式は、前世で言うところの教会式という形式だ。
“神殿”とは言ってもステンドグラスに祭壇に礼拝席にとつくりは教会とほぼ同じだし、式を取り仕切るのも“神官”といいつつ神父か牧師かという格好をしている。
席に着いて、ヴァージンロードを飾る白い装花をチラリと見て、それからファユールに目を移すと、ファユールはうっとりと僕を見つめていた。
「ヴェル様……」
口さえ開かなければ、ファユールはさすがヒロインという容貌だ。外面だっていい。なのに中身はとうとう変わらなかった。
まったく変わらなかった。
* * *
「ファユール、もう無理だ」
「大丈夫よ! ヴェル様には孤高の狼になる素質があるんだから、諦めないで!」
「あと十年早かったならともかく、今さら今日まで受けた教育を崩せるほど、僕は物覚えが悪くない」
「また、“僕”って……!」
「だから無理だって! だいたい僕は今後エスト兄さんの補佐になる予定なんだよ。今さら言葉遣いを荒らして制服をだらしなく着崩してって、そんなことしたら伯父上や兄さんの評判にもキズがつくじゃないか!」
「そんな!」
ファユールの「本当のヴェル様講座」に、僕は精いっぱい反抗する。今さらグレた一匹狼的ヤンキーめいた言動を強要されるなんて、無理すぎる。
僕だって一応ハルセラール公爵家の看板を背負っているのだ。家名を落とすような振る舞いをするわけにはいかない。
ファユールはしゃがみ込んで頭を抱えている。
僕が思い通りの“ヴェル様”にならないことが、どうにも受け入れ難いらしい。“解釈違い”というやつなのだとか。
さっさと諦めて、ほかの普通の貴族令息を引っ掛けにいけばいいのになと、僕は嘆息を禁じ得ない。
「いえ、待って……アレだわ!」
しゃがんだままひとしきり頭を掻き毟った後、ぶつぶつと何かを呟きながらじっと眉を寄せていたファユールが、また突然立ち上がった。
「エストリオ様の補佐というなら……そうよ、何の特徴もないただの草食イケメン坊やより、敬語慇懃クールなら許せるわ。
――元は復讐鬼として生きてきたけどエルトゥーニア様の改悛を受け入れ復讐の念から解放され落ち着いた今は共に公爵家の闇を暴くべく協力したエストリオ様の補佐としてそれまでに培った隠密と諜報のスキルを生かすように……これならいける! 敬語慇懃の裏が実は暗殺者やスパイもかくやというような……いける。こんなヴェル様ならいける。むしろ新たな扉よ!」
いったい誰のことなのか。
婚約だの結婚だのは、きっと政略的に公爵家に役立つ相手と……などと漠然と考えていたから、特にこだわりはない。
こだわりはないけれど、婚約者として、彼女は本当に大丈夫なのかと、少しどころではなく不安だ。
――そう。ファユールと僕の婚約は、すぐに整ってしまった。
王太子の後押しがあり、ファユールの成績はもちろんのこと、外面や所作もちょっとした貴族並のレベルなのだから、伯父や伯母が否など言いようがなかった。
ましてや、それがトーニャの“はじめての友人”であるならなおさらだ。
トーニャは、“ヴェルナスルートの素晴らしさ”を立板に水のごとく語るファユールに安心して……おまけに「前世のゲーム語りができる唯一の相手」と理解して、彼女に心を開いてしまった。
おかげで、瞬く間にトーニャが懐くことに嫉妬した王太子が、しばらく僕とファユールを諸共に排除して……などと画策して面倒だったくらいだ。
もっとも、トーニャが「ゲームと違って現実の王太子はとても素敵な人で」などとこっそり語っているのを聞いて落ち着きを取り戻していたけれど。
ファユールは、「エルトゥーニア様ってどこからどう見ても悪役令嬢そのままのきっつい顔なのに、眉毛ハの字にされてうるうるされたら、そりゃ落ちるに決まってるじゃない。ギャップ萌えの体現過ぎるわ」と評していた。
たしかに、そうかもしれない。
エストの話では、トーニャとの初対面の場では甘やかされて尊大かつ傲慢な態度だった王太子が、怯えきったトーニャのギャン泣きで百八十度態度を変えたというんだから、よほどショックだったんだろう。
「だからヴェル様。一人称“俺”が無理なら“私”で。口調は丁寧に。なんなら暗黒微笑してくれても構わないわ。むしろして。
あと、長剣はやめて体術と暗器を訓練するのよ。ナイフとか短剣とか、服に隠せるものを……短剣二刀流ならなおいっそう良い……良いわ……」
目を輝かせながら、ファユールは僕の“キャラ立て”について流れるように語り出す。これ、放っておいたらだめな奴だ。
「ファユール、ちょっと待ってくれるかな。その口調なら構わないけど、僕――あ、いや、私は剣とかあまり得意ではないし、どちらかというと文官向きで……」
言い訳めいた僕の言葉に、ファユールの目がぎらぎらと底光りし始めた。
何かのスイッチが入ってしまったらしい。
「あたり前じゃない」
「え?」
「ヴェル様はもともと暗躍するタイプのキャラなの。長剣構えて正面から突っ込むような脳筋とは一線を画したテクニカルなキャラで情報収集や隠密活動に長けていてだからこそ単独で公爵家の暗部を暴くことが可能だったし暗器の扱いも一流で一対一の不意打ちなら右に出るものはないとそういう設定だったのよ。だから今からでも遅くないので訓練すべきね。公爵家なら隠密部隊のひとつやふたつ抱えてるはずだし今から公爵閣下に訓練をお願いしてヴェル様を一流の暗殺者に鍛え上げて公爵家の隠密部隊を牛耳るポジションに――ああああ黒ずくめ執事スタイルのヴェル様とかヤバいヤバすぎて死んじゃう!
ヴェル様がわたしを仕留めにくるぅッ!」
瞳孔が開き切った目で僕をひたすら見つめながら語るファユールは、何かというと号泣するトーニャよりよほど厄介だった。
ひと言で言えば妄想が過ぎるのだ。
放って置くと彼女の願望はたやすく決定事項に変わるので、周囲に多大な迷惑を振り撒き兼ねないだろう。
これでどうして特待生としてトップの成績が維持できているのかわからない――そうこぼす僕に、彼女は「ヴェル様ルートのためにステ上げには余念がなかったので!」と朗らかに笑っていた。
ここはゲーム世界に似ているだけでゲームじゃない。ただ選択肢を適切に選んだりミニゲームを周回したりでステータスアップできるわけもない。当然だが、きちんと勉強して身体を鍛えなければ、成績は維持できないのだ。
“ヒロイン”であるが故に、こう見えて潜在能力は高いということか。
考えてみたら、トーニャだってあれで成績は上位で“発作”を別にすれば所作は完璧だし、王太子だって能力は高い。
僕は小さく溜息を吐く。
「たしかに、エスト兄さんの補佐となるなら情報収集は大切だ。その能力を伸ばすことはやぶさかでもない。でも、隠密や戦闘訓練はどうかと思うんだ」
「大丈夫。ヴェル様は一流でやればできる子だから――あ、あと眼鏡! 眼鏡を装備すれば完璧! 超完璧! 敬語慇懃眼鏡とかご褒美すぎる!」
「この世界に、君の想像するようなフレームの眼鏡はないよ。せいぜいが、ぶっといフレームに瓶底みたいなレンズか、片眼鏡がいいところだ」
「片眼鏡……って端的に言って最高じゃない。ならそれを、今日にでも作りに行こう。完璧なヴェル様のために。
あと、言葉遣いは今からで」
ファユールはがっしりと僕の腕を捕まえた。
僕はもう一度溜息を吐く。
「わかった。でも、僕……ええと、私は特に目が悪いわけではありません。伊達眼鏡ということになりますが?」
「もちろん……いえ、伊達だと思うとさらなる萌えが心臓を直撃するので問題なんて――普段は片眼鏡でビシッと決めたどう見ても文官スタイルなのにいざとなるとそこらの騎士も暗殺者も敵わないとか……どうしよう。わたしのヴェル様が最高すぎてやばい。
最高のヴェル様がわたしの婚約者とか無理すぎるやばいって吐き出さないと爆発する。今すぐトーニャたんと語りたい」
「それは絶対にやめてください」
トーニャは「趣味の合う友人」ができたことでただでさえはしゃいでいるのだ。これ以上トーニャの時間を奪ったら、王太子が思い余って実力行使に出てしまう。
僕を含めた周囲の平穏は、僕の肩に掛かっている。
――結局、僕はファユールの期待どおり、隠密とか情報収集とか、伯父に「ヴェルも大変だな」と半笑いで言われつつ訓練を受けた。
情報収集の伝手をいくつか引き継いだり、公爵家の隠密部隊の頭領と引き合わせてもらったり、ついでに剣術ではなく体術を中心に鍛えたり――ファユールが言うほど熟練したとは言えないので、期待に完全に沿っているわけでもないのだけれど。
* * *
焦れて今すぐにでも既成事実という名の実力行使に出たがる王太子を牽制しつつ、主に僕のあれこれで暴走しがちなファユールを抑えつつ、ようやく王立学院を卒業してこの日を迎えた。
もちろん、卒業式典ではトーニャが恐れる“断罪イベント”なんて起きなかった。
ファユールが僕単独の“ルート”に定めたおかげなのか、そもそもトーニャがたびたび起こす“発作”のおかげで、クリティカルに断罪に結びつくような諸々の背景が無いことになったおかげなのか……それはよくわからない。
両方あってのこの結果なのかもしれない。
公爵夫妻は、しみじみと「本当に王太子妃になれるなんて」と涙ぐんでいた。
いつ婚約が白紙撤回となってもいいように、こっそり準備は怠らなかったらしい。ファユールが現れる前は、そうなったら僕にトーニャを任せるのもアリかもしれない……なんてことまで考えていたとか。
昨年、無事に婚約者と結婚を済ませていたエストも、「これで肩の荷が下りるな」と呟いていた。
実際は、トーニャと“発作”のことなんて僕に丸投げの任せきりだったのに。
とはいえ、僕もこれでトーニャのお守りは終了かと思うと感慨深い。王太子も、ようやくここまで来たと考えているのか、いつにも増して笑顔が爽やかだ。
「そういえば、ファユ」
「はい?」
僕はふと気になって、ひそひそとファユに尋ねる。
「たしか、ゲームのタイトルって『聖なる薔薇の乙女と守護者たち』だったはずですけど、聖なる薔薇とか守護者とかってなんのことですか?」
「ああ、それ。わたしが王太子ルートでトゥルーエンドを迎えると王宮の聖薔薇が咲くんだけど、その薔薇の力で王太子に聖なる加護が宿り、王国は忍び寄る災厄を退けて繁栄する……っていうエンディングを迎えるからよ」
「――え?」
「大丈夫」
災厄って、と焦る僕に、ファユールが即答する。
猛烈な不安しか湧き上がらない。
「あの、ファユールさん。大丈夫、って、どのあたりのことでしょうか?」
「続編はわたしたちの子供世代の話なの。前作では聖なる薔薇が咲かずに王国に暗雲が垂れ込め……っていうところからスタートで前作ヒロインであるわたしの息子がメイン攻略対象なのよ。そうかわたしとヴェル様の息子がヒーローかと思ったらもう聖なる薔薇なんてむしろ咲かせない方が正義だと思ったしヴェル様の息子を赤子からリアル育成とかもう興奮しかないなと思っておまけに新ヒロインは王家の姫だしここならトーニャたんと王太子殿下の娘ってことで考えれば考えるほどやっべーなマジかよって――」
「うん、わかった……わかりましたから、そのことは後でじっくり話しましょうか」
たしかヒロインが十六になる日がスタートだから今から最短十七年後。いやその前に息子産まないと。
そんなことをひとしきりぶつぶつ呟いて、ファユールは「ヴェル様、明日にでも結婚よ。なんなら今夜からでも子作りを」などと言い出して――いろいろ台無し過ぎて、僕は溜息が止まらない。
ファユールの言う「八方丸く収まったハッピーエンド」の中に、果たして僕も含まれているのだろうか。
僕は祭壇の遥か上、美しく光を放つ薔薇窓をじっと見上げたのだった。
本編はここでおしまいなんだ、すまない。
社内隣席のやらかしにイラついてムラっと来て書いただけなんだ。
あと1話、番外みたいなもので完結なんだ、すまない。