フラグ? 知らない子ですね
※ヒロインちゃんは油断すると言葉が荒くなる子です
学園が始まると、王太子は毎朝きっちりトーニャを迎えに来た。
最初はあーだこーだ部屋に立てこもり抵抗を試みていたトーニャも、公爵家と王太子が一丸となった結果ようやく観念したのか、あまり暴れなくなった。
そりゃ、立てこもったところで、容赦なく部屋に突入した使用人たちに身支度を整えられ、王太子に横抱きにされて馬車に乗り込むことになるのだ。
抵抗なんて意味がない。
暴れなくなったトーニャに王太子は少し残念そうではあったが、それはそれでまた楽しそうに構い倒していた。
僕は最近、王太子の趣味嗜好は、変わっているを通り越して変なんじゃないかと思い始めている。
とはいえ、王太子はまだ十七でトーニャは十五だ。何かあるのは早すぎると、侍従と侍女がしっかりついている。
僕も一緒に登校はしているが、別な馬車だ。
さすがにふたりと同乗できるほど、神経は太くない。
それにしても……入学式からひと月は経つというのに、未だヒロインは出てこない。
トーニャが覚えている「攻略対象」の貴族令息の誰かと接触した気配もない。
“ファユール・フィオリ”という名前は確認した。トーニャの話にあったヒロインの初期設定名の、特待生の女子生徒がこの学園にいることは間違いなかった。
なのに、まったく姿を見ないのだ。
平民を集めた教室をこっそり覗いてみたけれど、やっぱり本人を確認することはできなかった。
ヒロインには僕たちと接触するつもりは無いということか。
つまり、ヒロインに乙女ゲームのシナリオを進める気はないということなのか。
トーニャは、ヒロインの考えていることがさっぱりわからないと、やっぱり怯えている。怯えてはいるが、今のところ……少なくとも、王太子ルートに関わるゲームのイベントがまったく起こっていないことで、少しだけ安堵しているようでもある。
王太子は相変わらずトーニャべったりだし、誰か他の女生徒に目を移すこともないのだ。きっとこのまま順調に進むんだろう。
王太子は、トーニャのなだめ方もずいぶん上手になった。
もうそろそろ、僕がついていなくてもトーニャが“発作”を起こすことなんて、ないのではないだろうか。
* * *
「僕に、伝言?」
「はい。あの、お時間がありましたら、どうか裏庭園のガゼボに来てはいただけないかと……ファユール嬢から」
まさかのヒロインからの呼び出しだった。
いったいどんな意図があるのか……呼び出された時間は、いつもならトーニャと王太子がサロンでお茶を楽しむ時間だ。
もちろん僕も同席することになっているが、僕だけが離席しても問題はない。
問題はないけど――まさか、イレギュラーである僕がいない隙を狙って、本来のイベントの代わりに王太子に接触しようというのか?
僕はしばし考える。
考えて、結局、指定された場所へ向かうことにした。
ヒロインの姿が見えなかったら、すぐに戻ればいいのだ。
王太子とトーニャには誰も近づけないよう侍従と侍女に改めて念押しした後、僕は指定されたガゼボへと向かった。
学内の敷地は下手な上級貴族の邸宅以上に広く、わざわざこの辺りまで足を伸ばす者はあまりいない。
ヒロインは、こんな人気のないところへ僕を呼び出してどうするつもりなのだろう……なるべく気配を隠してガゼボを伺うと、既に人影があった。いわゆる“ピンクゴールド”と呼ばれる変わった色合いの頭が見えたのだ。
ヒロイン……ファユールは、既に来ているらしい。
では、邪魔な僕を誘き出して王太子に近づこうという魂胆ではなかったのかと、少しだけ安心する。
「ファユール・フィオリ嬢?」
「あっ!」
外から声を掛けるとファユールはパッと振り返り、慌ててガゼボから出てきた。
「あ、あ、あの、ヴェルナス・ハルセラール様……!」
「いかにも。僕を呼び出して、いったい何の用か」
胸の前で手を組み、感極まったようすで顔を真っ赤に染めていたファユールの眉が、「ん?」と急に顰められた。
「あの……ヴェルナス様、今、何と」
「僕を呼び出して何の用かと言ったんだ」
「――“僕”?」
「ああ、僕を呼び出したのは君だろう?」
「やっぱり、“僕”……」
急に、ファユールがぶるぶると震えだした。
この震え方、どこかで見たことがある……と考える間もなく、彼女はいきなり自分の頭を掻き毟る。
「わたしの――わたしのヴェルナス様が、“僕”!?
ありえない……ありえないわ……公式の解釈違い? それとも二次創作? どっちもありえないわよ……ありえな……いやああああああああ!」
「――は?」
彼女は頭を抱えて膝から頽れると、いきなり地面に頭を打ち付け始めた。
下が芝生でなかったら、たちまち流血沙汰になっていただろう。
「わたし、自分がヒロイン転生決めたって気づいた時、やべーって思ったのよ! 個人的に逆ハーもNTRも趣味じゃなかったし!」
「あ、うん」
がばりと身体を起こし、握り締めた拳を振り上げ、天に向かって吠えるように彼女は宣言する。たしかに、そういうものを好んでするという人間は、趣味に少々問題があると言えるかもしれない。
「だいたい何なのよ逆ハーって。攻略対象にはほぼほぼ婚約者がいるのに『好きになっちゃった』とか頭おかしいでしょ!
博愛主義言い訳に養殖臭い天然装って『みんなは素敵なお友達でー』なんて顔と身分のいい男限定の愛想振りまいて引っかかった男連中侍らせておいて『アタシ、女子にいじめられてつらいの……でも、がんばる』って、わたしにやれとか言うわけ!? 馬鹿じゃねーの!? そんな女いたらわたしだっていじめるわ! 人の彼氏に横から割って入ってベタベタした挙げ句奪っておいて単なるキープ扱いするとか、貴様ふざけんな殺すって思うじゃない、人として! そんなの全力でいじめるに決まってるわ! 今すぐ死ねばいいのにとすら考えるわよ!」
「あ、あの、落ち着いて」
「そもそもそんな女に引っかかって有頂天になってる男がメンタルイケメンなわけないでしょう!? ヒロインだからってそんな顔だけクズ引っかけて取り巻きにして悦に入るとか、わたしにそんなクズ女になれって言うの!?
そんなん許されるのフィクションだけに決まってんじゃない! 現実にいたら死ねよ一択だわそんなん!」
僕は理解した。
ファユールもトーニャと同類だ。
ここが「ゲームの世界」だと知っている同類だ。
しかも、めんどくさい同類だ。
「だいたいNTRれだの浮気だのをやらかした男をイケメン無罪で許せるのは二次元だからなのよ! 他人事の創作だからなのよ! なのにここどう見ても二次元じゃないでしょ!? わたしにその片棒担がせる気かよ!」
「あの、わかった、わかったから、もう少し落ち着いて……」
「念のため全員調べたらやっぱり全員婚約者いるし! チョーローかどうかもわからないのにうっかり接触してチョロく好感度上がったりしたら目も当てられないじゃない! めっちゃくちゃ気をつけたのよ! フラグのフの字も立たないよう入学してから必死に避けてたわよ!」
「でもじゃあ、なんで僕を……」
つまり、攻略対象である男子生徒とは極力接触を避けてきたから、これまで彼女を見かけなかったということだろう。
でも、それならどうして、今、僕を呼び出したのか。
「――決まってるじゃない。フリーだったからよ」
「え?」
「だって、隠しだからもしかしてって念のため調べたら婚約者いなくてフリーだったし、端的に言ってわたしはヴェル様推しだったの。だからなのよ! 影のある孤高の狼臭漂わせて他人なんか信じられるかって態度のくせにどこか寂しそうで、めちゃくちゃ好きだったの! タイプだったの! スチルだって最高だったの!」
「あ、あ、そうだったんだ」
「なのに……なのに……」
いったい誰の話をしているのか。
ファユールの話す“ヴェルナス”と僕が、僕の中で結び付かない。
おろおろと相槌を打ちながら視線を彷徨わせる僕を見て、彼女はまたわっと顔を覆って泣き出した。泣くというよりも、これは号泣だ。
やっぱりファユールはトーニャの同類か。
「蓋を開けてみたらこれよ……なんなのこの人畜無害風草食優男。わたしのヴェル様どこに行っちゃったわけ? なんでこんな良いとこボンボンがヴェル様なの。孤高の狼どこいったの……解釈違いにも程があるじゃない……公式どころか本人に裏切られるってどうなの……キャラ本人のセルフ解釈違いなんて聞いてないわ……」
「いや……なんか申し訳ない……」
僕のどこをどうしたらそんなことになるのか。
もしかして、引き取られてからずっとトーニャにいじめられ続けたら、そんなことになっていたのだろうか。
突っ伏して号泣するファユールに掛ける言葉が見つからなくて、何故だか罪悪感が募っていく。
うずくまるファユールを前に、僕はどうすべきかとおろおろしながら必死に考えて――急に、ピタリとファユールの号泣が止まった。
「ファユール嬢?」
「――責任、取ってよ」
「はい?」
「そうよ、顔は間違いなくヴェル様なのよ。ちょっと品行方正過ぎて制服もぴったりスキ無く着込み過ぎてるけど、シャツのボタンをふたつかみっつ外してタイを緩めれば胸元チラリズムだって健在だわ。むしろこれからという未開拓の地よ。
おまけにここは三次元だもの、その気になれば奥のさらに奥深くまで覗き放題――マジ天国か」
「待ってくれ。君は何を言ってるんだ」
「そうね、かくなる上はヴェル様にすべての責任を取ってもらえばいいんだわ。ヴェル様が立派な孤高の狼になって、わたしに愛を囁いてくれれば問題なしよ」
「問題ありまくりだ!」
「さあヴェル様! フラグを立てましょう! わたしがヴェル様ルートのハッピーエンドを迎えるために、フラグを立てるのです!
まずは一人称を“俺”に変えるところからよ!」
僕の背すじを、何か得体の知れないものが這い上がる。もしかしたら、ファユールはトーニャ以上なのかもしれない。
すくっと立ち上がったファユールの目は、まるで獲物を見つけた捕食動物のように爛々と輝いていた。