第八話 スライムの憂鬱
翌日の早朝。
エリクサーのある『神の祠』へと向けて俺たちは早くも旅立った。いつもながら旅立ちの時にオーピィと離れるのは寂しいが、彼女の病気を治すため。我慢である。
『神の祠』は東のエムリア王国の領土内にあるため、現在は馬車で東へと向かっている最中だ。
この馬車はラピスがセントレア王国から乗って来た彼女の私物で、今回の旅に是非使用して欲しいとのことから、ありがたく使わせてもらうことにした。
――緑に囲まれた街道を東へとまっすぐ進んでいく馬車。
御者はラピスのお付きであるリリィがやってくれており、馬車の中には俺、ラピス、ギアの三人だけがいる。
俺はちらりと隣を見る。そこにはラピスがとても綺麗な所作で座っていた。
見れば見るほど美しく、可憐な少女だ。
しかも大国の王女様。いくら仲間になったからとはいえ、そんなに早く慣れるわけもなく、緊張するなという方がおかしい。
そのラピスだが、グリーンイブ領内を超えるハルト大橋を超えた辺りで俺とギアの顔を見ながら嬉しそうな声を出す。
「わたくし、こうしてお友達と一緒に旅をするのは初めてなので、ワクワクしますわ!」
こっちはまだ王女様が友達になったなんて信じられなくて緊張しまくりなんだけど……。
だが、俺の沈黙をどう受け取ったのかラピスはハッとした表情になる。
「ご、ごめんなさい。ネル様の妹様がご病気なのに一人ではしゃいでしまって……」
ラピスが沈んだ顔になってしまったので俺は慌てた。
「い、いや、いいんだよ。旅は楽しくするものだから」
「しかしネル様……」
「それにどうせ妹の病気は俺が絶対に治すから。そんなに沈む必要なんてないよ」
俺が力強く言うとようやくラピスに笑顔が戻る。
「ネル様にそれだけ想われている妹様は、さぞかし幸せでしょうね」
「どうかな。俺を困らせるのが趣味と言って憚らない意地悪な子だから」
「まあ」
俺の冗談にラピスは笑ってくれた。
と、そこで正面に座っているギアが口を開く。
「ところでさ、君が連れてきたあの猫人族の女性は一体何者なんだい? メイドの恰好をしているけれど、絶対に只者じゃないよね」
さすがギア。あっさりとクロの力を見抜いたか。
ちなみにクロは馬車の屋根の上で見張りをしている。俺は馬車の中に座らせてもらえと告げたのだが、「もしもの時に備え、いち早くご主人様を危険から遠ざけるのが私の役目ですので」と言って頑なに首を縦に振らなかった。
本当に変な所で忠義心に篤い女性である。有難いけどね。
しかし彼女に関してはあまり詳しく説明するわけにもいかない。色々とまずいことがあるのだ。
どのように説明しようか悩んでいると、屋根の上からクロの声が響く。
「ご主人様。私が自分で自己紹介をいたします」
え……大丈夫かな。そう思っていると、
「私の名前はクロ。職業はアサシン。特技はご主人様を殺すことです」
案の定だった。
「嘘付け! 殺されたことなんてないわ!」
「訂正します。特技は脳内でご主人様を殺すことです」
「お前の脳内だと俺、お前に殺されてるの!?」
「はい」
「一切のためらいのない返事!」
この女は……!
俺は天井に向かって、ぐぬぬ、と、拳を握りしめる。が、そこでハッとする。見ればラピスとギアがぽかんとした顔こちらを眺めていた。
……あ、しまった。ついいつもみたいなノリで突っ込みを入れていた。恥ずかしい身内のノリを晒してしまったことに赤面していると、ラピスとギアは二人揃ってくすりと笑う。
「なんだかネルって一般的な賢者のイメージとは違うよね」
「本当ですわね」
そう言って微笑ましいものを見るような目でこちらを眺めてくる二人に、俺は屋根の上にいるクロに抗議の声を上げるしかなかった。
「……ほらみろ。クロのせいで俺の威厳が台無しじゃないか」
「ご主人様。遅かれ早かれ正体はばれるものです」
「ここでさらに追い打ちをかけるのやめてくれる!? そんなこと言ったら本当に俺、ダメなやつみたいじゃないか!」
「遅かれ早かれです。何度も言わせないで下さい」
こ、こいつは~!
しかし悲しいが口下手な俺ではクロには勝てない。それは彼女が俺の家に来てからずっとそうだった。
もはや俺が無言で抗議していると、ギアが爽やかな笑顔で言ってくる。
「賢者って偏屈者のイメージがあったんだけれどね。なんだか君とは仲良くなれそうな気がするよ」
「……なんだよ、それ」
俺は憮然と言い返すしかなかった。
「わたくしも、ネル様とは仲良くなれそうな気がしますわ」
ラピスまで……。
ま、まあ、ラピスと仲良くなれるなら悪くはないかな?
俺は現金にもそう思った。
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さて、ラピスとギアを思わぬ形で仲間に出来たことで一つ問題が生まれた。
それは俺がスライムであることをいつ打ち明けるか、ということだ。
実は俺はスライムの姿でなければ全力を出すことが出来ない。もちろんこの姿でも名前が通っているだけあって、人間に擬態したままでもある程度は戦えるが、七大難関ダンジョンと名高い『神の祠』を攻略するにはどこかで正体を明かさなければならないだろう。
――ちなみに正体を明かしたい理由はそれだけではない。
俺は妹のオーピィに対して後悔していることが一つだけある。それは人間の姿で接してしまったことだ。あいつは俺の正体がスライムである事を知らない。
つまり俺は大事な妹にとんでもない隠し事を抱えていることになる。ずっと正体を明かす機会を窺っていたが、ずるずるとここまで来てしまった。
妹の兄は、あくまで人間の姿に擬態した俺であって、スライムの俺ではない。それはとても悲しいことのように思えた。
そんな事情もあったので、俺はスライムの姿のままラピスとギアと心から信頼し合える仲間になりたかった。
――でも、スライムの俺なんかが受け入れられるだろうか? そう思うと胸の内に不安が広がる。
そうして妹の時と同じように、タイミングを逸していく……。
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一日目の旅は順調に続き、日が暮れる前に目標としていたカオチャ村に着くことが出来た。今日はここで宿を取るつもりだ。
カオチャ村はかなり大きめの村で、町と言っても差し支えないほど発展している。
特産品は村の名前にもなっている『カオチャ』と呼ばれる野菜で、固い緑の皮に囲まれた黄色い身は甘く、煮込んでよし、焼いてよしでとても美味い。
そんなカオチャ畑の中を馬車がパカパカと通り過ぎる。
「のどかで、とても良い村ですね」
ラピスが馬車の窓から外の風景を眺めて呟いた。
王宮育ちの彼女はそのように感じるらしい。俺からしたら単なる田舎だが。まあ、落ち着くのは間違いないけどね。
そう言えばラピス王女はよく城の外に出て民と触れ合い、病人がいれば自ら赴いて白魔法で治療にあたっていたと聞く。しかも無料で。
普通、一国の姫には考えられない行為だ。
そのせいか国民たちから深く慕われ、一部では『聖女様』と崇められているのだとか。
だから、もしかしたら彼女もこういった場所に馴染みがあり落ち着くのかも知れない。風に靡くラピスの金の髪を見つめながら俺はそんなことを考えていた。
ふと、ラピスの碧の瞳がこちらを向く。
「どうかされましたか、ネル様?」
「い、いや」
やべ。見惚れていたなんて言えない。
するとラピスが心配そうに顔を覗きこんでくる。
「もしかしてお疲れですか? そういえば道中もずっと考え事をされていたようですし……」
それは俺の正体について考えていた時のことだろうが、まさか心配をかけてしまうとは……。
ラピスはそこで、ぽんっ、と手を打つ。
「あ、そうだ。ネル様。このカオチャ村は温泉が有名なのだそうです。よろしければ後で一緒に入りましょう」
恐らく元気づけようとして言ってくれたのだろうが――
え、い、一緒に?
しかしラピスの笑顔には下心など一切見えない。それはつまり同じタイミングで入ろうと、そういうことだろう。
くだらない期待をした自分が恥ずかしい……。
「ご主人様。お分かりだとは思いますが、別々に入るのですよ?」
天井からクロの声が降って来た。
「そ、それくらい分かってるよ!」
思わず声が上ずってしまう俺。
きょとんとするラピス。
そんな俺たちを見てギアが、くくっ、と声をかみ殺して笑った。
……くそう。俺は憮然とした顔でギアを睨み返すしかなかった。
明日は22:00までに投稿いたします。