第五話 世界の危機
俺は貴賓室を出た。これからじっくり考えさせてもらう。そのように言い残して。
当然、俺はラピス王女の頼みを断るつもりだ。ずっと言っている通り、俺にとってオーピィの病気を治すことが最優先事項なのだ。
世界が崩壊すればせっかくオーピィの病気を治したところでどうしようもないということは理屈では分かっている。
だが逆に世界を救ったところでオーピィを救えないのでは俺にとって意味がない。
ただ――惜しい、とは思う。セントレア王国のラピス王女といえば白魔道の天才として有名だ。それに実際、彼女からは凄まじい魔力を感じた。きっと噂だけではなかろう。
だからこそ本当に惜しい。優秀な白魔道士はパーティに一人は欲しい人材だ。それもあれほどの力の持ち主など他にはいまい。出来れば彼女を仲間にしたいが……。
俺が思い悩んでいると外で待っていたトラストが近付いてきた。
「話は終わったか?」
「……ああ。一晩考えることになったよ」
「そうか。ところで実はもう一人会って欲しい人がいるんだが……」
……おい。
俺が白い目を向けるとトラストが狼狽え始める。
「い、いや、待て。俺もこんなことになるとは思っていなかったんだ。だけどな、今度の人ものっぴきならない事情があるんだ。な、このとおり! 頼みます!」
トラストが、ぱんっ! と柏手を合わせて頼み込んでくる。
「……俺はもう王女さまの話を聞いただけでいっぱいいっぱいなんだけど……」
「だよな! それは分かってるんだが……」
「まさかとは思うけど、さすがに今度はあそこまでの人物ではないよね?」
「………」
気まずそうに目を泳がせるトラスト。
……あそこまでの人物とタメを張るのかよ。
一体、次はどんな人物が待っているんだか。ラピス王女と同格となるとかなり限られてくる。それなのに全く想像出来ない分めちゃくちゃ怖かった。
俺は敢えてにっこり笑うと、
「トラスト。さすがにこれは貸し一つかな」
「うお、賢者の借りとか恐ろしいな!」
「冗談だよ」
「さすがネル! 愛してるぜ!」
「はいはい」
俺はもう、深い、深いため息を吐くしかなかった。
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トラストに連れられてやってきたのは貴賓室とは違うまた別の応接室だった。
とは言い条、さすがに貴賓室に比べるとランクは下がるが、それでも十分に客をもてなすだけの備えになっており、格調の高い家具が揃えられている。
その中央のソファーに今度は一人の少年が座っていた。
驚くほどのイケメンだ。
さらりとしたブラウンの髪。男にしては長いまつ毛とすらりと伸びる手足。そして爽やかな微笑みを讃える極めて整った顔。
一見して女と見間違えそうなほどの美少年がそこにはいた。
……高級そうな服を着ているが、あの素材は何だろうか? 麻でも絹でもない。恐らくもっと耐久力の高いレア素材で出来ている。
ソファーの脇には剣が立て掛けられていて――その剣から恐ろしいほどの力を感じた。多分、聖剣か魔剣……いや、禍々しい感じはしないので聖剣だと思われるが、あれほどの剣を俺は見たことがない。
少年は立ち上がると軽く会釈をしながら話しかけてくる。
「えっと、君が青賢者ネル、かな?」
「あ、ああ、そうだけど」
何故か俺たちは最初からタメ口で喋っていた。きっとそれは目の前にいる少年の友好的な雰囲気がそうさせるのだろう。
「初めまして。僕はギア。これでも一応勇者です」
そう言ってギアと名乗った少年は手を差し出してくるが。
――は? 勇者?
俺が唖然としながらも手を握ると、勇者を名乗った少年ギアはゆっくりと手を上下に振る。
「あの名高い青賢者とこうして直接会えるなんて光栄だよ」
それを言ったら勇者と出会えた俺の方も同じだが……。
――目の前にいる少年は本当に勇者なのか? 勇者といえば一時代に一人しか存在しないほどの激レア職業であり、戦闘系職業の頂点とさえ言っていい。
そして魔を打ち払う存在でもあり、『魔族』と呼ばれるこの世の脅威に対し唯一単身で渡り合えることが出来る職業と言われている。
――それほどの力を確かに目の前の少年から感じた。
それにあの剣……なるほど、あれが勇者にしか扱うことのできない伝説の聖剣ディルブレイクだとしたら色々と納得出来る。
ギアは微笑みながらも鋭い視線を俺に向けてくる。
「ふふ……さすがは名高い青賢者殿だ。早くもこの剣の力を見抜いたみたいだね」
「そういうあんたこそ。どうやら勇者というのは本当らしいな」
俺たちは握手した状態のまましばらく視線を交わしていた。
そしてどちらともなく手を放し、ソファーに腰掛けたところでこちらから本題を切り出す。
「当代の勇者といえば北のドレイア帝国の出身だったはずだよな。ドレイアの切り札とも言われる勇者ギアともあろう人が、わざわざ俺に何の用なんだ?」
「単刀直入に言うよ。君には僕の……勇者パーティに参加してもらいたいんだ」
……またえらいいきなりだな。
「……一体何のために?」
「もちろん魔王を倒すためさ」
魔王だと?
――魔王といえば、それは先程ラピス王女の話にも出てきた魔王ディルギディアス以外にはいない。
しかし先程の話にもあった通り、魔王ディルギディアスは神魔大戦時に打倒されている。まあ、さっきまではそれも単なる伝説だと思っていたのだが。
ただ、神魔大戦以来、魔王という単語は一切出てこない。それなのに今、目の前の勇者の口からそれが語られた。
「……魔王は神魔大戦の時に倒れたんじゃないのか?」
「倒れたというより、封印された、という表現の方が正しいかな」
「……封印された?」
「そう。魔王ディルギディアスは神魔大戦の折に、神によって七つに分けられ封印された。しかしその封印の一つが解かれてしまったんだ」
「……なに?」
「つまり現在、魔王ディルギディアスの七つの本体のうちの一つがこの世にいるってことだよ」
「………」
俄かには信じ難い話だった。ラピス王女の話が本当だったとしても神魔大戦は一万年前の出来事だ。それ以来、魔王は一人たりとも存在しなかった。
――それなのに今、復活しているだって?
「一つ訊くけど、どうしてあんたにそんなことが分かる?」
「勇者だからとしか言いようがないかな。何となく感覚で分かるんだよ」
ギアは苦笑しながら答えた。
「……ちなみにもう一つ訊くが、魔王の目的は何だ?」
「世界を無に帰すことさ」
……世界を無に帰すだと?
「……それも勇者だから分かることなのか?」
「そうだよ。でも、考えれば分かることでもある。何故なら魔王とは魔族の頂点に過ぎないのだから。……賢者の君ならば魔族の存在意義くらいは理解しているはずだよね?」
「……滅び」
勇者ギアはにこりと笑う。
「その通り。魔族の存在意義とは『滅び』。魔王もまた同じ。そして魔王程の人物ならこの世界ごと全てを滅ぼすことが出来る」
その言葉はやけに現実味があり俺は思わず喉を鳴らした。
魔族とは神族の次に高位な存在と言われているほどに強大な力を持っている。だとしたら、その頂点とも言える魔王は一体どれほどの力を持っているのか……。
「そういうわけで魔王を倒すにはどうしても君の力が必要なんだ。だから頼む。僕に……いや、世界のために力を貸してはくれないだろうか」
そう言ってギアは深く頭を下げてくる。
彼の言いたいこと……やらなければならないことは何となく分かった。
だが、それでも。
俺は首を縦に振ることは出来なかった。
「……申し訳ない。その頼みを聞くことは出来ない」
俺も彼と同じくらい頭を下げる。
「……どうしてか理由を聞いてもいいかい?」
「俺にはどうしてもやらなければならないことがあるんだ。それに……仮にそのことがなかったとしても先約がある」
先約とはラピス王女の一件だ。
「……その二つは世界を救うことよりも大事なことなのかい?」
「ああ。少なくても片方は俺にとって世界よりも自分の命よりも大事なものだ」
顔を上げるとギアの視線とぶつかった。
彼の目はけして俺のことを責めてはいない。ただ、俺の言葉の意味を知ろうとしている風に見える。
しばらく俺たちは視線を交わしていた。
ややあってギアが再び口を開く。
「……僕も……簡単には諦めるわけにはいかないんだよ」
「……そうか」
「ちょっと急かし過ぎたかもしれないね。どうか一日だけでいい。もう一度ゆっくり考えてくれないだろうか」
「……分かった」
あまりにも真剣な目をしているギアに対し、俺はそのように答えることしかできなかった。