第二十八話 神の結界
目が覚めたらギアはもういなかった。
クロが言うには「取り逃がした」とのことらしい。
まだあんな力が残っていたとは……。最後の最後で手加減したのは間違いだったかもしれない。
だが、ホッとしていたことも間違いなかった。ギアもラピスもリリィもクロも全員が無事だったからである。それだけで十分だ。
ただ――思ってしまう。
ギア……お前はバカな奴だ。どうして一緒にいてくれない? どうして一人でやろうとする?
きっと不器用なギアは自分が許されないことをしたと思っているのだろう。
それは分かっている。しかしそれを分かった上でやはり「バカ」と思ってしまう……。
あいつと俺は同じだ。俺とあいつは分かり合えた。
それなのに道を違えなければならないなんて……。
………。
まあ、いい。今はいい。
いずれまた出会えることもあるだろう。というかこっちから見つけにいってやる。
その時は首に縄を付けてでもまたパーティに加入させてやるから覚悟しておけ……ギア。
………。
ただ、あのセリフは一体どういう意味だったのだろうか?
「気を付けて……ラピス王女が隠し事をしているのは本当だから」
それは友として最後の忠告のつもりだったのか。それとも何か別の意味があったのか……今となっては分からない。
一方でラピスとリリィが意味ありげな視線を向けてきていた。
その意味するところは知っている。昔散々いやというほど向けられた視線だ。
――俺がスライムだから。人間とは違うから。それ故に向けられる好奇の視線。
そして最後にはいつも裏切られてきた。傷つけられた。
だから俺はオーピィの前で正体を明かすことを躊躇った。
だから俺はラピスたちに正体を打ち明けることも悩んだ。
しかし今となっては詮無き事だ。
俺は彼女たちの視線を素知らぬふりをして台座の方へ目を向ける。
そこにある重厚な宝箱。
俺はそちらへと向かって進み出す。
しかし、台座の手前の階段のところで進めなくなった。
そこでようやく気付いた。
「結界か……」
そう、台座には結界が張られていた。
恐らくそれはカースが張ったものではない。禍々しい感じはしないので多分それは最初からここに張られていた結界なのだろう。
しかしちょっと困った。……なんだこの結界は? 今まで見たことのない特殊な波長をした結界で、解き方がまるで分からない。
しかも力押しをしたところで破れるかどうか分からないほど厄介な結界だ。
加えて力押しをしたくても今の俺は魔力が空っぽだ。
まいったな。どうしたものか……。
気付けばラピスが隣に立っていた。
「わたくしが結界を解き放ちます」
「……ラピスが?」
「ええ。お気づきの通りこの結界は特殊なものです。ただの結界ではありません。これは神の魂の一部を封印した、言わば神の結界です」
「神の結界……」
「はい。そしてこの結界を解き放つにはネル様……あなた様がここにいることが条件だったのです」
「………」
だからラピスは俺をパーティに入れることに必死だったのか。ようやく分かった。
しかし俺は直感的に思う。恐らくギアの忠告していたことはこれとは違う。
「ネル様……心の準備はよろしいですか?」
「あ、ああ、やってくれ」
俺はそのように答えた。
ラピスには感謝こそすれ不満などない。彼女がいなかったらエリクサーが手に入らなかったかもしれないのだから。
俺はオーピィの顔を思い浮かべる。
俺にとっての最優先は何より彼女の病気を治してあげることだ。
ラピスが詠唱を開始した。
それはいつもの白魔法の詠唱とは少し違った。系統は同じように見えるがあからさまに神への賛辞の言葉が多い。
やがて詠唱が終わり、ラピスは杖を高々と掲げた。
「今 神の御霊を解き放ちたまえ 【レリース】!!」
ラピスの杖が光り輝く。
それに呼応するような形で目の前の結界が揺らぎ始める。
ゆらゆらと形を崩し始めた結界の光は間もなく渦のように回り始め、ある時、一斉に俺に向かって流れ込んできた。
「う……!?」
「ご主人様!?」
クロの慌てたような声が聞こえた。
……肉体的な苦痛は一切ない。
ただ……これは……何だ?
一瞬、意識が遠のいた。
――いや、違う……。まるで魂の一部が消えたような感覚がした……?
しばらくすると結界の光は全て俺の中へと納まっていた。
ただ、俺の外見上特に何の変化もない。
だけど俺の中身は何か変わった。それだけは理解出来る。
狼狽える俺に対しラピスが言ってくる。
「神の魂の一部が解き放たれたのです。もしかしたら何か恩恵があるかもしれません」
……恩恵だって?
今のところ何も感じないが……。
「あくまで可能性の話です。ネル様と神様は、その……違いますから」
「? どういう意味だ?」
「……ネル様はネル様ということですわ」
ラピスはそう説明したが……俺には今一つ言っていることが理解出来なかった。
それに――今のラピスの目。あれは……。
ギアの最後の言葉が頭に浮かぶ。
……いや、今それを言っても仕方がないか。
とにかく結界は解けた。
俺は台座の方へと進み出す。
階段を上り、宝箱の前まで来た。
ドキドキしながら……期待と不安が入り乱れながら俺は触手を伸ばし、宝箱の蓋を開けた。
宝箱の枠に飛び乗って中身を確認する。
そこには液体の満ちたビンが入っていた。
俺は残りの魔力で探知魔法を発動させ、ビンの中身を調べる。
この成分は……いや、俺とて完璧にその成分を知っているわけではない。だがこれは俺が求めていた理想の成分そのものである。
――恐らく間違いない……これはエリクサーだ!
俺は慎重にビンを持ち上げると、そっと『次元倉庫』の中へと仕舞った。
俺は深く息を吐く。
長かった。とてつもなく長く感じた。
ようやくエリクサーを手に入れたのだ!
俺は振り返るとスライムの頭をぺこりと下げた。
「みんな……ありがとう。みんながいたからこそエリクサーを手に入れることが出来たんだ」
頭を下げ続ける俺の耳に三人の声が入ってくる。
「み、水臭いですわネル様」
「そうですネル殿!」
「……私はオーピィ様のために協力しただけですので」
三者三様の言葉が降って来た。
俺は皆の顔が見られず頭を下げ続けた。
ずっと下げ続けた……。




