第二十六話 決着
「魔族と人間のハーフ……?」
「そう。滑稽だろ?」
俺の呟きに対し、ギアが自嘲気味に答えた。
紫色に輝く禍々しい瞳に俺は背筋を震わせる。
綺麗だったギアのブラウンの髪は灰色になり、肌は薄黒くなってまるで別人だ。
「僕の母は前勇者パーティの一員だったんだ。その時にある魔族と戦って勇者パーティは全滅したんだけど……唯一生き残ったのが母だった。そして母はその魔族の子供を身ごもった」
「まさか……」
「それが僕さ」
見て分かるだろと言わんばかりにギアは肩を竦める。
しかし魔族と人間の間に子供が出来るなんて話は聞いたことがなかった。少なくてもそういった事例は長い歴史の中で記録上一度もないはずだ。
「僕はね、この姿のせいでずっと迫害を受けてきたんだ。人間の姿になれるようになったのなんてつい最近さ」
「……迫害だって?」
「異形の者に対する人間の仕打ちを知っているかい? それはもう酷いものだよ」
ため息を吐くギアの瞳は暗いものを映し出していた。
「元々僕の母は帝国に呼び出され勇者パーティの一員となったんだ。しかし魔族の子を身ごもったことを知った帝国は母を国から追い出し、あまつさえ暗殺しようとすら企んだ。もちろん僕ごとね」
ギアは語る。
「母は僕を守るために辺境の土地へと逃げた。小さな村で帝国の目を逃れながら細々と暮らすことになったんだけど……もちろん僕はこんな姿だから村では受け入れられなかったよ。でも母は村で唯一の回復魔法の使い手としてありがたがられ、そのおかげで村人たちからの信頼を勝ち取り、僕への差別もなくなった。……最初だけはね」
「最初だけ?」
「そうさ。それからしばらくして母は病を患って魔法を使えなくなった。するとその途端、村人たちは手の平を返したように僕への差別を始めた。いや、差別なんて生易しいもんじゃない。あれは紛れもなく迫害だった。そんな僕を守ろうとした母にまで次第に迫害の手が伸び……そして、心労を抱えた母はその後すぐに死んだ」
ギアの手は震えていた。
「僕の母は人間の手によって殺されたんだ!!」
ギアから苛烈な怒りと憎悪が放たれる。
俺は……俺たちは誰も何も言えなかった。
ギアはまだ続ける。
「何故僕たちだけがこんな目に遭わなければならない!? 何故優しい母があんなひどい目に遭わなければならない!? 僕はこの世界を呪ったよ……」
ギア……。彼の目は怒りと悲しみに暮れていた。
「僕はこの世を呪いながらあちこちを転々とした。いつか絶対に復讐してやる……そう誓ってね。でも、そんな時だった。天から舞い降りるようにして光が降り注ぎ、僕の手に聖痕が浮かび上がったのは……」
ギアが手袋を外して右手の甲を見せてくる。
そこには勇者のしるしである聖痕が浮かび上がっていた。
「皮肉だろ? 半分魔族である僕が勇者に選ばれたんだ」
確かに皮肉だ。勇者とは魔族を滅ぼす存在である。その勇者に魔族の血が流れているとは……。
「勇者になった僕は人間の姿になれるようになり、その後すぐに帝国に召喚された。まったく都合がいいよね。あれだけ忌み嫌っていた僕を必要になったら呼び出すなんてさ」
ギアは忌々しげに鼻を鳴らす。
「だけどそんな時だ。聖剣を持った僕に魔族が接触してきた。僕は彼らが何かを言う前に自分から魔族の仲間になることを申し出たよ。何故なら僕はもう何も考えられなかった。何も受け入れられなかった。僕にあったのはただ激しい怒りだけだったから……!」
ギアは口の端を吊り上げる。
「しかし結局、人間の血が混じった僕を魔族が受け入れることはなかった。僕はどこまでも行っても一人……。魔族も僕の敵さ。でも皮肉なことに目的だけは一致している」
だから協力関係にあるのだとギアは言った。
「僕は母さんを殺した人間を許さない。絶対に許さない。でも……僕の母さんも人間だった。だから決めたのさ。全て滅ぼして、全てを救うと」
ギアはあらためて俺を真っ直ぐ睨んでくる。
「悪いけどネル。そんなわけで君を殺す。君を殺さなければならないんだ。でも安心してくれ。僕もそう遠くない内にこの世から消えるから」
ギアは両手に闇のオーラを纏わせると、俺に向かって突っ込んできて――あっという間に間合いを詰められた。
先程よりも圧倒的に速い!
振るわれた拳を頬に受け、俺は殴り飛ばされた。
錐揉みしながら地面を転がり、しばらくいったところで俺は倒れる。
……くっ、いってえ………。
起き上がろうとする俺の頭の上からギアの声が降ってくる。
「どうしたんだネル? 同情はいらない。本気できなよ」
あっさり殴り飛ばされた俺にその声は苛立っていた。
ギア……お前は悲しい奴だ。
だったら俺も本気を見せてやる。
「ネル様、わたくしたちも加勢を!」
気が付けばラピスたち三人が周りに立っていた。
しかし俺は首を横に振り、一歩前に出る。
「いや、手を出さないでくれ」
「ネル様! しかし……!」
「俺一人にやらせてくれ。じゃないとこいつは納得しない」
その俺のセリフに目を見開いたのはギアだった。
「……驚いたな。君はもしかしてまだ僕を説得するつもりなのかい?」
「当たり前だろ。お前は俺の仲間だからな」
俺がそう答えるとギアはさらに目を大きく開く。
「……ネル。こんな僕をまだ仲間だと言ってくれるのか?」
「当たり前だと言っている。それに……俺もお前と似たようなものだからな」
「……似たようなもの? それはどういう……」
「すぐに分かるさ。さあ、来いよギア」
俺はラピスたちから離れると杖を構えた。
ギアは目を細める。
「……いいだろう。でも僕は君の言葉を受け入れることは出来ない。変わらず君を殺しにいくよ?」
「望むところだ」
俺たちは向かい合う。
ギアの足からジリッと音が聞こえた。対して俺は一歩後ろへ下がる。
その瞬間、ギアが突っ込んできた。俺は反応するようにして魔法で水弾を放つ。
「遅いよ」
ギアはあっさり躱し俺の懐へと入ってくる。速過ぎる……!
ギアは高速で拳を振るってきた。
聖剣じゃないだけマシ……と思いたいところだが、相手は素手だというのに躱すだけで精一杯だ。むしろ先程よりも余裕がない……!
さっき頬に食らって分かったが、一発がとてつもなく重い。こんなのを何発も食らったらただでは済まないだろう。
魔族になってからあからさまに動きのキレも威力も上がっている……。
とか考えている内にローブの襟を掴まれてしまった!?
「捕まえた……もう離さないよ」
イケメンに言われたいセリフランキングに入りそうな言葉だが、あいにく俺は嬉しくない!
「ネル……覚悟して」
ギアは俺の襟を掴んだまま、もう片方の拳を振り上げた。
こいつ、タコ殴りにする気か!?
ゾッとした。あんな威力のパンチを乱打されたら本当に死んでしまう!
しかし襟を掴まれているせいで逃げられない!
そして……ギアは拳を振り下ろしてきた。
……――不意を突くならここだ。
俺は変身を解いてスライムの姿となる。
「へ?」
急に目の前に現れた最弱モンスターにギアの口から呆けた声が出る。
掴まれていた襟は自然とギアの手から外れ、俺はぬるりと地面に降り立った。もちろんギアの放ったパンチは既に空を切っている。
つまり、ギアは隙だらけの状態。
俺は体をぐにゃりと潰すと、反動を利用して一気に地面を蹴る。そして体ごとギアにぶつかった。
「ごっふぅ!?」
不意を突かれたギアの腹にクリーンヒット。
ギアはイケメンを台無しにした顔で吹っ飛んで行った。
ギアが柱に激突して地面に崩れ落ちるのを確認しつつ、俺はぽよよんと地面に降り立つ。
冒険者なら絶対に一度は退治したことのある最弱モンスター、スライム。それはあまりにも場違いに思えた。
ラピスとリリィがぽかんと口を開けているが、悪いが彼女たちへの説明は後だ。
ギアは腹を押さえながら立ち上がる。
「君は……ネル……なのか?」
「ああ、そうだ」
「……それはどういった水魔法なんだい?」
「お前にももう分かってんだろ。これが俺の正体……このスライムの姿こそが俺の本当の姿だ」
それでもギアは呆けた顔のままだった。
「これが本当の俺だよ、ギア」
俺はもう一度念を押すようにして言う。
するとギアは徐々に顔を崩していき、遂には笑った。
「あははっ! 道理でこれまで随分と違和感が多かったわけだ! ようやく納得がいったよ」
一頻り笑った後ギアは言った。
「なるほどねえ、それがネルの本性か。中々可愛いじゃないか」
「幻滅しないのか? 俺は最弱のモンスターのスライムだぞ」
「それを言ったら僕だって半分魔族だ」
俺たちは笑い合う。
皮肉なものだが、ここに来てようやく俺たちは本当に分かり合えた気がする。
俺にはギアの気持ちが分かる。痛いほど分かる。
何故なら俺たちは同じだからだ。
きっとギアの方が俺よりも辛い人生を送って来たのだろうと思う。恐らく今敵対しているのはその僅かな差のせいだ。
――俺にはオーピィがいた。
でも、もしオーピィがギアの母親と同じ目に遭っていたら、俺はギアの側に立っていただろう。それだけの違いだ。
しかし――俺とギアは同じなんだ。
だからこそ俺がギアを止める。
それを見透かしたかのようにギアが呟いた。
「……それでも僕は止まれないんだ」
「分かってる。だから俺が無理矢理にでも止めてやる」
「まったく……君には敵わないよ」
俺たちはまた笑い合った。
今から行われるのは間違いなく死闘だ。それでも俺たちは笑い合っていた。
ふと、ギアの目が覚悟を現したものへと変わる。
「君に敬意を表して、僕も本気を出そう」
そう言ってギアは聖剣を抜き放った。
しかしそれを見た俺は愕然とする。
「ちょっと待て! お前、魔族になったのに聖剣を使えるのかよ!?」
「そうだよ。それこそが僕の強みさ」
魔族に変貌したギアは聖剣を扱えないと思い込んでいた俺は予想外の展開に狼狽えるしかない。
――聖剣を扱える魔族なんて反則だろ!?
「ふふ、驚いたかい? でも本気でいかせてもらうよ。次の一撃で全てを決める。……ネル、君を確実に殺す」
ギアは聖剣を正面に構えると、体に魔力を纏わせ始めた。
あの魔力の流れは……二属性融合魔法か! 以前放った光と雷の融合魔法を聖剣に乗せて放った【ライトニングホーリーブレイク】かと思ったが……いや、違う!?
【ライトニングホーリーブレイク】の時はギアの右手に『雷属性』の青い輝き、左手には『光属性』の白い輝きがあった。
しかし今はギアの左手には『光属性』の白い輝きがあるものの、右手は黒い魔力に包まれていた。
……まさか、あれは【闇属性】!?
こいつまさか光と闇を合わせようとしているのか!?
「どうやら僕が何をしようとしているのか理解したみたいだね。そうだよ。これは光と闇の融合魔法さ」
そんなバカな……!?
光と闇の二属性融合魔法……そんなもの聞いたこともない!
基本的に二属性融合魔法は反発する属性同士では成り立たない。
それなのにギアは目の前でそれをやっていた。
賢者の俺でも理解出来ないような現象が今目の前で起きている。
しかし――これだけは分かる。
反発する属性同士の融合は尋常ではない力を生む。
実際目の前の強大過ぎる力に俺は押しつぶされそうになっていた。
ギアはどんどん力を高めながら宣言してくる。
「悪いけどネル。僕が勝つ。でも安心してくれ。君の妹さんには『エリクサー』をきっと届ける。約束する」
それを聞いて俺はハッと我に返る。
……エリクサーを妹に届けるだって?
俺は想像した。俺以外の者からエリクサーを与えられる妹を。それはつまり俺の死を意味していることに他ならない。
その意味を知ったオーピィは泣き崩れることだろう。そして自分を悔やむに違いない。自分のせいで兄を殺してしまった、と……。
……そんなこと断じてさせるわけにはいかない。妹を悲しませる兄なんて兄として失格だ!
俺は……死ねない!
俺は詠唱を開始する。
俺の――スライムの体が魔力の光に包まれていく。その光の種類は三つ。青と白と銀の三種類の色。
それに同期するようにして三つの魔方陣が俺の目の前に展開された。
ギアの目が見開かれる。
「ネル……そんなまさか……」
ギアが信じられないといった風に首を振る。
ギアに対抗するにはこれしかない。まだ成功したことのないこれしか。
俺の目の前に展開する魔方陣はそれぞれ『水』と『光』と『聖』の属性。
――三属性融合魔法。
未だかつて誰も到達したことのない未知の領域。
失敗すればどうなるか分からない一回限りの賭け。
水と光と聖……俺の得意な水魔法に魔族の苦手とする二つの属性をブレンドした完全オリジナル魔法。
三つの魔方陣は俺の目の前で一つに重なると、青、白、銀の入り乱れる鮮やかな輝きを放ち始めた。
……いけるか? いや、やるしかない!
「あはははっ! もう何度言ったかも分からないけど、さすがネルとしか言い様がないよ!」
「このくらいしないとお前を止められないからな」
「僕は嬉しいよ……僕のためにそこまでしてくれた君には感謝しかない」
「だったら早く撃ち合おうぜ。この状態を保っているだけで辛いんだ」
「ああ……存分にやりあおう」
俺とギアはお互いに魔力を高めていく。
ギアの聖剣に光と闇の融合属性が完璧に乗り、それを真横へと構えた。
一方、俺の目の前に展開する鮮やかな魔方陣は辺りの空気を引き裂き始める。魔力が極限にまで高まった証拠だが、これ以上は抑えられそうにない。
先にギアが聖剣を振り抜いた。
光と闇の入り混じった凄まじいエネルギーが迸る。
「【ダークネスホーリーブレイク】!!」
光と闇のエネルギーの奔流が聖剣の一閃に乗って解き放たれた。
その圧倒的な力が迫る前に俺は叫ぶ。
「【セイクリッドホーリープレッシャー】!!」
俺が魔法名を唱えると――光と聖の属性が融合した凄まじい水の奔流が魔方陣から飛び出した。
ギアの必殺技と俺の魔法は丁度俺たちの中間地点でぶつかり合う。
凄まじい光と音、衝撃が辺りに散らばった。
「きゃああああああっ!!」
ラピスたちの悲鳴が響き渡る。
ラピスは白魔法で防護壁を覆っているが、それでもなおその余波が押し寄せているのだ。
光闇の剣撃と聖光の奔流はどちらも引かず押し合っていた。
「ぐううう……!」
いや、若干俺の魔法の方が上か。
反発する二属性融合魔法……それも光と闇の融合魔法を聖剣に乗せた一撃は筆舌に尽くしがたいほど凄まじいが、それでも三属性融合魔法の方が優位にあるらしい。
しかしギアは柄に力を籠め、聖剣から放たれている光闇の剣撃にさらなるエネルギーを注入した。
「僕はッ……負けられないんだ! 母さんと同じような目に遭う人を出さないために!!」
徐々にギアの方に迫っていた力のぶつかり合いは止まり、それどころか押し返し始める。
……なんて奴だ! 既に全力を出し切っているだろうに……!
生命を懸けてまでやり遂げたいのか……。
それでも……それでも俺は止める。
「悪いなギア。俺の後ろには妹や仲間たち……そして世界の人々たちがいる。そして何よりお前のために負けられないんだよ!!」
「!!」
俺は魔力に全力を注いだまま魔方陣に飛び込むと、その全てを体に纏って前へ突っ込んだ。
聖光の奔流の中をスライムが流れていく。
俺は三属性融合魔法を纏った弾丸と化した。
光闇の剣撃と聖光の奔流が拮抗していたところに俺は突っ込み、一気に形勢が逆転する。
聖光の弾丸スライムはダークネスホーリーブレイクを破った。
その勢いのまま一直線にギアへと迫る。
ギアと目が合った。
ギアはふっと目を細める。
鮮やかな輝きを放つスライムの弾丸はギアに直撃した。




