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第二十四話 ギアの苦悩

 ギアは俺の杖を聖剣で弾き、間合いを取るようにして後ろへと飛んだ。

 そこにははっきりと拒絶の意思があり、先程の俺の言葉の意味が正しかったことを表している。

 ラピスも、リリィも、そして珍しくクロまでもが驚きに目を見開いていた。

 それはそうだ。まさか『勇者』であるギアが魔族と通じているなどとは夢にも思うまい。何故なら勇者とは魔族を滅ぼすために存在しているのだから。

 ギアはいつものような微笑みを浮かべたままもう一度訊いてくる。


「どうして分かったんだい?」


 そう訊きつつもギアは続ける。


「カースはラピス王女と繋がっているような素振りを見せていただろう? 実際カースはあの時、意味ありげにラピス王女を見ていたはずだけど」

「だからこそだよ」

「え?」


 確かにあの時……俺がカースに向かって「どうして俺がエリクサーを必要としていることを知っているのか」ということを訊ねた時、奴は意味ありげにラピスのことを見た。

 しかしだからこそラピスはシロだと思った。


「ラピスと通じているならわざわざ彼女の方を見る必要はないはずだ。まあ思わず見てしまったという可能性もなきにしもあらずだけど、そもそもあのカースがそんなボロを出す玉か?」

「………」

「あそこでカースが敢えてラピスを見ることは俺にとって不自然に映った。だってそうだろ? まるでギアがラピスを責めていたことをカースが知っていて、さらに追い打ちをかけようとしているようじゃないか」


 ギアは何も言わず俺の言葉を聞いている。

 俺は続ける。


「仮にラピスが魔族と通じていたとして、彼女がギアに疑われていることをカースに伝えていたのだとしても、彼女がそれ以上自分自身を疑われるように仕向けることには何の意味もない。そのようにして得をする人物は、最初からラピスのことを排除したがっていた……」

「僕というわけか」

「そういうことだ」


 俺が頷くとギアは訊いてくる。


「だけど、それだけで僕を犯人にするような君じゃないだろ?」

「もちろんそれだけじゃない。思えばお前には怪しい点がいっぱいあったからな」

「……そんなにあったかい?」

「ああ。出会ってすぐに俺を殺そうとしたこともそうだし、初めてカースに襲われた時その直前に姿をくらませたのもそうだし、それにお前、一回目のカースとの戦闘では手を抜いていただろ?」


 ギアの目が見開く。


「……驚いたな。そこまで見切られていたのか」

「まあな。でも、もっと決定的な証拠は他にあるんだけどな」

「……なに?」

「カースから逃げて二日後……お前、町で身を隠している時にフレンドコンパスを落としただろ?」

「………」


 ギアは思い当たる節があるようで眉を顰めた。

 やはりあれはギアにとっても失敗だったんだな。まあ俺のせいで落ちたんだけど……。

 あの時は地面に落ちたせいでコンパスの針が壊れておかしなところを指しているんだと思った。だから俺はすぐに修理しようと思ったが、次に見せてもらった時には何故か既に直っていた。

 一時的にコンパスの針が狂ったといえばそれまでだが、後で俺はふと違和感を覚えた。そしてある可能性に至ったのである。


「あの時はただ単にギアのコンパスが壊れて変な方向を指しているだけだと思ったが、それが実は壊れていなかったとしたら?」

「………」

「そう。お前の持っていたあのフレンドコンパスが、カースの持つフレンドコンパスと引き合っていたと仮定したら全てが繋がるんだよ。今も持っているんだろ? カースと繋がっていたコンパスを」


 カースの持っていたコンパスは壊れてしまったが、しかし、フレンドコンパスは針と針が引き合う仕組みになっている。だから俺の予想が正しければ、ギアの持っているコンパスはそこに落ちている壊れたカースのコンパスの針を指しているはずだ。

 ギアは無言で懐からコンパスを取り出す。

 案の定その針は落ちているカースのコンパスの針に向かって指し示されていた。それこそ決定的な証拠だ。


「……さすがネルとしか言いようがないね」


 ギアは諦めたようにため息を吐く。

 ――だが、こうやって証明してもなお信じられない。ギアが魔族と繋がっていることが。

 実際、ギアが魔族と繋がっているとしても、それはそれでこれまでにおかしな行動がたくさんあった。

 例えばギアが俺に向かってオーピィの病気を治すために力を尽くしてくれると言ってくれたことだが、あの時あの言葉には一切の嘘を感じなかった。

 ――それにもし魔族と通じているなら、どうしてギアはカースを殺した? それが一番の謎だった。


「……なあ、ギア。お前の目的は何だ?」

「君を殺すことだよ、ネル」


 実際それを聞くと衝撃を受けてしまうが、しかしやはりおかしい。


「だったら何故カースを殺した?」

「君を油断させるためさ」

「それはおかしいな。そもそもお前がカースと一緒に攻撃を仕掛けて来たら、俺たちは勝てなかったはずだ。もしくはカースと戦っている最中にギアが不意打ちで俺を攻撃していたら、それだけでお前の目的は達成されていたはずだろ? それなのにお前はそうしなかった」

「………」


 ギアは何も答えなかった。

 未だ狼狽えている他の三人は口を開くことさえ出来ていない。

 代わりに俺が引き続きこのように訊く。


「ギア……お前がどういう理由で俺を殺そうとしているのかは知らない。だけど、もしかしてお前はまだ迷っているんじゃないのか?」


 ギアの目元が僅かに歪む。

 ギアは否定も肯定もしなかったが、何となく間違いではない気がした。

 しばらくギアは何も喋らなかったが、ややあってからギアは首を横に振った。


「……僕は迷ってなんかいないよ。そもそもカースにとって僕はただの案内人に過ぎない。彼は一人でやる気満々だったからね」


 確かに魔族なら自分よりはるか下の存在だと思っている人間を相手に策を弄することはないかもしれない。

 しかし、


「それはカースの都合だろ? お前はいくらでも俺の隙を突けたはずだ」

「……僕は君を殺す。しかしそれは正面から堂々とやる。それだけのことだよ」


 ギアはあらためて剣を構えた。

 こいつは自分が矛盾していることを言っていることに気付いていないのか?

 ……まあいい。先に聞かなければならないことがある。


「せめて理由を教えろ」


 俺の杖とギアの聖剣が向かい合う。

 俺たちの間には冷たい空気が横たわっていた。

 ややあってからギアが剣を下に向ける。


「分かった。どうして僕が君を殺そうとしているのか教えてあげるよ。それは僕が人類を……この世界を滅ぼしたいからさ」

「なに?」


 ……この世界を滅ぼしたいだって? 勇者が?


「君を殺せば神は復活せずこの世界は滅びる。この世界は滅びるべきなんだ」


 ギアの目は真剣だった。


「勇者のあなたがどうして……」


 ようやく声を出したのはラピスだ。だが、彼女の気持ちはよく分かる。

 以前にも言ったが、そもそも【勇者】とは誰でもなれるわけではない。

 人類を……世界を救う資格を持つ者が【勇者】になるのである。

 もしギアが人類や世界を滅ぼそうとしているなら、あいつは【勇者】になっていないはずだ。

 しかしギアは今、現在、聖剣を握りしめている。聖剣は【勇者】じゃないと扱えない。

 つまりまだギアは【勇者】のはずだ。

 だからこそ混乱する。どういうことだ? ギアの想いと勇者の存在意義が完全に乖離している。

 だが、ギアは言った。


「勇者だからさ。勇者だからこそ僕は世界を滅ぼす。僕は全てを救うために世界を滅ぼすんだ」

「……それはどういう意味だ?」

「以前、僕は君に質問したよね。『人類を救う価値はあるのか』と。その時君は救う価値があると即答した」

「ああ、そうだったな。……まさかお前は救う価値はないと思っているのか?」


 だとしたらおかしい。そうならばギアはとっくに勇者ではなくなっているはずだ。その時は聖剣を既に持っていないはず。


「いいや。僕も人類を救うべきだと思っている。……いや、違うな。この世界に住む全ての者が救われるべきだと思っている」

「だったらなんで……」

「だからこそだよネル。全てを救いたいからこそ世界を滅ぼすんだ」


 ギアは語る。


「この世には理不尽に苦しむ多くの人がいる。例え僕が魔族を滅ぼしたとしてもその理不尽は無くならない。無くならないんだよ、ネル。君だったら分かるはずだ。妹さんが病気で苦しんでいる君なら……」

「………」

「思ったことはないかい? どうして自分の妹だけがこんな目に遭わなければならないんだ。どうして妹だけが苦しまなければならないんだ。この子が何か悪いことをしたのか……と」

「……あるよ」


 ないわけがない。

 ギアの目が哀れみの色を浮かべる。


「僕はそういった理不尽に苦しむ人全てを救いたい。だからこそ世界を滅ぼすんだ!」


 ギアは叫ぶ。


「世界を滅びれば全てが解放される! 悪人も、理不尽に苦しむ人も、等しく解放されるんだ!」


 ギアは見たことが無いくらい苦悩に満ちた顔をしていた。きっと散々考え抜いたに違いない。その上でギアはこの答えを出したのだ。

 ――きっとギアは過去に大きな理不尽に遭っている。だからこそこんな……。

 俺はギアの考えを理解出来る。理解出来てしまう。

 だが、だからといって同意出来るわけではない。


「……ギア。お前の考えは分かった。しかし、お前は幸せに暮らしている人までも消すというのか?」


 ギアは眉をしかめる。


「……それは忍びないと思っているよ。でも、現在幸せに暮らしている人と、これから先の未来で理不尽に苦しむ人の数を比べたらどうだろう? 前者の絶対数は今この段階で変わらないが、後者はこれから先、無限大に増えていくんだ。僕はそれを止めたいんだよ!」


 ギアは正面から見据えてくる。


「ネル、君なら理解してくれるはずだよ。僕の考えを……」

「俺はお前を認めるわけにはいかない」

「ネル!」

「ギア、今ならまだ間に合う。世界を滅ぼすなんてバカな真似はよせ」

「今幸せに生きる人々を守るために、これから先理不尽に苦しむ人々を見捨てろというのか!!」


 ギアは激昂した。

 俺はあくまで冷静に答える。


「ギア……お前はこれから先幸せになるだろう人たちも一緒に消そうとしているんだぞ」

「全て消えてしまえばそんなものは存在しない!!」


 ギアの理論は滅茶苦茶だった。

 それでも言いたいことは分かる。分かるが……。

 俺はギアの視線を真っ直ぐ受け止める。


「……分かった。ギア、お前の主張は正しい」

「ネル様!?」


 ラピスが驚愕する。

 俺は安心させるように彼女に向かって微笑みかけた。

 そしてギアの方に視線を戻すと、


「ギア、お前の言うことは理解出来る。お前の言うことはある意味では正しいのかもしれない。……ただ、受け入れることは出来ない。だから俺と勝負しろ」

「……勝負?」

「ああ。お前はこれから先、理不尽に苦しむ人たちのために戦う。俺はこれから先、幸せになるだろう人たちのために戦う。……分かり易いだろ?」


 俺のそのセリフに皆、呆気に取られた顔をしていた。それはそうだろう。俺が今言ったことは、俺とギアの戦いでこの世界の存続を決めようと提案しているようなものだからだ。

 しばらく皆、揃ってぽかんと口を開けていたが――

 ややあってからギアは声を上げて笑い出した。それはもう心の底から笑っていた。たった今あんな追い詰められた顔をしていた奴とは思えないほどだ。

 ギアは一頻り笑った後、


「さすがネルだ! 君はいつも僕の想像を超えてくる。でも……負けないよ?」

「俺も負けるつもりはない。負けるつもりがないから勝負を持ちかけたんだ」


 ギアの目が剣呑に光る。


「へえ……勇者である僕に本気で勝てるとでも?」

「お前だって俺のことを散々『さすが青賢者』って褒めてたろ。その俺に勝てるとでも思ってんのか?」

「挑発かい? そうこなくっちゃね」

「……挑発されて喜ぶ奴を初めて見たんだが……」

「だって嬉しいだろ? 僕の認めた男が僕のことを認めていると分かったんだからさ」

「……褒めても手加減しないぞ」

「僕だってそのつもりさ」


 俺とギアは笑い合う。

 俺たち二人のやり取りに他の皆はまだ唖然としていた。

 しかしラピスはすぐに我に返ると、


「ネ、ネル様! わたくしも援護を――」

「いや。手出しは不要だ」

「しかしネル様!」


 俺はラピスに微笑みかける。


「任せてラピス。絶対勝つから」

「は、はい……」


 分かってくれたのかラピスは顔を赤くして黙り込んだ。

 するとギアが呆れた様子で言ってくる。


「やっぱり賢者殿は罪作りだね」

「またそれか? お前はたまにワケ分からんことを言うな」

「……僕が殺さなくても、ネルはいつかきっと女性に殺されるよ」


 なんだかさらに呆れられてしまった。

 しかし次の瞬間、ギアは凄まじい殺気を放ってくる。


「でも……この想いを成就する為にはやっぱり自分の手で君を殺さないとね」


 ギアは聖剣を構えた。

 俺も杖を振りかぶる。


「そう簡単にやれると思うなよ、ギア」

「じゃあ、いくよ」

「こい」


 こうして俺たちの二度目の戦いが始まった。




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