第二十三話 裏切り
俺たちはカースを取り囲む。
カースはぐったりとしたまま動かない。奴から感じる力は微量なものだ。魔族の性質からしてそれは完全に負けを認めた証拠だろう。
一方、カースはいつもの無表情に戻って淡々と口を開く。
「まさか魔族であるこの私が人間に負ける日が来るとはな……とても信じられぬ……」
きっとカースは本当に現状が信じられないに違いない。魔族とはそういうものだ。
ただ、今のその言葉を聞いて俺は確信する。
よし、言質は取った。彼は完全に負けを認めている。魔族の性質からしてもう反撃をしてくることはないだろう。
それを理解したところで俺は質問する。
「なあ、一つ訊きたいんだけど」
「……なんだ?」
「これからは他の魔族も俺を狙ってくるのか?」
「……そうだな」
カースは事もなげに答えた。
まじかよ……。普通に勘弁してほしい。
俺は瀕死のカースに向かって懇願する。
「あのさ、他の魔族の人たちに諦めるように言ってくれないか? そうしたら見逃してあげるけど」
「出来ぬ相談だ」
「そこを何とか」
「出来ぬ」
「カース様!」
「媚びても無駄だ。……というかお前にはプライドがないのか?」
カースは呆れた目を向けてくる。それはついさっきまで殺し合いをしていたとは思えないほど毒気のない視線だった。
だが、それで魔族の襲撃を免れるならプライドなど安いものだ。
俺はもう魔族と戦いたくない。
今回カースを退けられたのは運が良かっただけだ。
もし一度目の戦いで逃げ切ることが出来ていなかったら……。もしカースがこんな場所で待たず追撃を優先していたら……。
やられていたのは俺たちの方だった。
どうにかカースに……いやカース様に気分よく帰っていただき他の魔族を説得してもらえる方法はないか考えていると、カースが楽しげに笑う。
「くくく……面白い男だ。人間というのも存外悪くないものなのだな」
その顔は魔族とは思えぬほど晴れやかな無表情だった。……そう、晴れやかだけど無表情なんだよね。怖い。
それと、どうやら勘違いしているらしいが俺はスライムだ。
この時、俺は既にカースを殺す気はなくなっていた。
それを悟ったのかカースは淡々と言ってくる。
「甘い男だ。いつか後悔するぞ」
「今後悔するよりはいい」
俺のその言葉にカースは目を見開き、やがて目元が少し緩んだ。
「安心しろ。俺はもうお前を殺そうとは思わん。どうせ無理だと思ってしまったからな」
「そうか。それが聞けただけでもありがたいよ」
俺は肩を竦める。出来れば他のお仲間たちにもそう言っておいてもらえると助かるんですけどね……。
と言っても他の魔族が聞くわけないか。自分よりも下であると認識している人間に対し奴らが遠慮する理由はどこにもない。
魔族にも個体によって性格はあるはずだ。ただし、それは人間に対しあまり意味を成さない。人間だって一つ一つの蟻の主張なんて気にも留めないだろう。それと同じだ。
ため息を吐くしかない俺。まあ、カースがもう襲ってこないと分かっただけでもよしとしよう。不必要に殺さなくて済んだしな。俺は思わず笑みを浮かべた。
そんな俺に対し、カースは真剣な瞳を向けてくる。
……なんだ?
「気を付けろ。本当の敵はお前のすぐ近くに……」
しかしカースのそのセリフは最後まで聞き取ることが出来なかった。
何故ならカースの胸に聖剣を突き立てられていたからだ。
カースの目が見開かれる。
「な……ぜ……」
「魔を滅するのが勇者の役目だ。当たり前だろ?」
苦しげに声を出したカースに対し、ギアは微笑を浮かべて答えた。
そしてギアが聖剣にぐっと力を込めるとカースは塵となって消える。まるでこの世からその存在自体が消滅したかのように……。
カースが消えた後、奴が体の中に入れていただろうコンパスが地面に転がり落ちる。そのコンパスはギアの聖剣により真っ二つに割れていた。
いや、今はそんなことどうでもいい。
気付けば俺はギアを睨み付けていた。
「ギア、お前……!」
「魔族相手に油断は禁物だよ、ネル」
物言いたげな俺に向かってギアは淡々と答えた。
……確かにギアの言い分も分かる。だが、カースはもう俺たちを襲ってくることはなかったはずだ。
俺はギリッと歯を噛みしめるが、ギアはどこ吹く風の表情で話を変えてくる。
「それよりもネル。今はもっと大事なことがあるだろ?」
「大事なこと……?」
「そうだよ」
そう言ってギアはラピスに剣を向けた。
俺はとっさにギアに杖を突きつける。
途切れかかっていた緊張の糸が辺りに満ちた。
俺は杖に魔力を込めながら警告する。
「ギア、剣をしまえ」
「そうはいかない。ラピス王女は魔族と繋がっている」
ギアの声には確信があった。
しかし当のラピスは反論する。
「わ、わたくしは魔族と繋がってなどおりません!」
「口では何とでも言える」
「違います……違います……!」
首を横に振り必死に否定の意を示すラピスと、彼女を庇うようにして苦々しい顔をギアへと向けているリリィ。
そんな彼女たちを無視してギアは続ける。
「カースは何故かネルがエリクサーを必要としていることを知っていた。そしてネルがそれを訊ねた時、カースは一瞬ラピス王女の方に視線を這わせた。ネル……君も気付いたはずだよ」
確かに気付いた。
その意味するところも。
「それに聞いただろ? カースは消える直前、『敵は近くにいる』とハッキリそう言った。もう決定的だ」
「ネル様、誤解です! わたくしはそんな……」
「そうやって情に訴えれば何とかなると思っているのかい? ああ、確かにネルは優しいから何とかなると考えてしまうかもね。でも、僕がいる限りそうはさせないよ。もう軽々しくネルの名前を呼ばないでくれるかな? ネルの心が鈍るようなことをすれば勇者である僕が……いや、友である僕が絶対に許さない」
「そんな……!? そんな……!」
ラピスは目に涙を浮かべて首を振る。
だが、もはや反論する余地が無いのかただ悔しげに顔を歪めるだけだった。
その姿はギアの言う通り哀れさを誘うものだ。
しかしギアは続ける。
「ここで君を殺すことは簡単だ。しかしそれではネルの心に深い傷を残すことになる。そんなわけですぐに僕らの前から姿を消してくれないかな? そうすれば今回だけは見逃してあげるよ」
「わ、わたくしは……」
「早くしなよ。これ以上ネルの負担を増やすようなら、僕は容赦しない」
「ち、違うのです……わたくしは……」
ラピスが助けを求めるようにして俺を見てくる。
その様子を見てギアがため息を吐き、聖剣を僅かに動かした。
そこで俺は確信を込めてこう言う。
「魔族と繋がっているのはお前だろ? ギア」
俺がそのセリフを発した時、辺りはその意味を咀嚼するかのように静まり返った。
誰もその言葉が意味するところが理解出来ないのか、しばらく無言の時が続いた。
静寂の中、中級魔法なら詠唱が終わるくらいの時間が経過した頃、ギアがこちらにぐりんと首を回した。
「どうして分かったんだい?」




