第二十話 疑惑と信頼
あれからすぐにクロとリリィも俺たちの部屋にやってきた。
そしてラピスの状況を見るなり、二人は俺に白い目を向けてくる。
ラピスのはだけた着衣に涙の残る顔。
……俺が疑われた。それはもう滅茶苦茶疑われた。
なんで!? どちらかというと泣かせたのはギアだよ!?
しかしイケメンがそういうことをするわけがないという謎の理論で俺に疑惑が集中。
リリィの「見損ないました」というセリフとクロの「いつかやると思っていました」というセリフが俺の胸にぐさりと突き刺さる。おいクロ……。それとリリィのセリフはちょっと泣きたくなった。
一方のラピスは俺の胸に顔をうずめたまま嗚咽を上げるばかりで、俺はそんな彼女の背中を優しく擦ってやるしかない。
そんな俺たちの姿を見てようやくリリィが誤解を解いてくれたが、「騙されてはいけません。あれはご主人様の手です」というクロのセリフに再び険しくなるリリィの目。クロ、いいからちょっと黙ってろ。
やがて落ち着いたのか、ラピスが俺から離れ、着衣を直すために一度部屋を出て行き、しばらくしてまた俺たちの部屋へと戻ってきた。
その顔は大分すっきりしている。ようやく落ち着いたようだ。
「お話したいことがあります」
ラピスの言葉。
その目は覚悟を宿していた。
俺は訊き返す。
「話したいこととは?」
「ネル様の秘密についてです」
「……俺の?」
それは意外なセリフだった。俺に秘密なんてないのだが……。
俺なんてただのスライムで……って早速秘密あったわ。俺、スライムだった。人間として生活していたら普通に忘れる時があるんだよな……。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
……スライムであることがバレていたのか?
訝しむ俺に反して、しかし、ラピスから放たれた言葉は予想の斜め上をいくものだった。
「ネル様は神様です」
「はい?」
思わず間抜けな声が出てしまう。それはそうだろう。いきなり神様ですなんて言われても意味不明だ。
困惑する俺に向かってラピスは言葉を変える。
「厳密に申しますと、ネル様の中に神の魂が封印されているのです」
……なにそれ? 厳密に言われたところで理解出来なかった。
この世界で神様といえば一つしかない。神様は神様だ。唯一神であり、この世界の創造主。
マイナーな宗教などで○○神など名前の付く神もいるが、普通の会話の中で名前も付けず『神様』と出てくるのはこの世界でいう唯一神しかいない。先程も言ったが神は神しかいないのである。
「突然このようなことを申しましても受け入れてはいただけないでしょう。ですので、わたくしも黙っておりました。しかし、わたくしを信じて下さると仰っていただいた今だからこそお伝えいたします。本当のことなのです。ネル様の中には神様の魂が封印されています。……前にも申しました通り世界の崩壊を止めるには神様を復活させるしかありません。それはすなわちネル様の中にある神の魂を復活させることに他ならないのです」
唖然とする俺に向かってラピスは語り続ける。
「そして……それを阻止しようとしているのが魔族です。魔族の存在意義は『滅び』……神様さえ復活しなければ世界は崩壊し、彼らの望み通り全てが滅びますから」
「じゃあ、ダンジョンの中で魔族に襲われたのは……」
「はい。神の魂を持つネル様を殺し、神様の復活を妨げようとしたのでしょう」
「そういうことか……」
全て繋がった。
「ただ、それはおかしくもあります。魔族はまだ神の魂を持つ者を特定していないはずなのです。ネル様のことを知っているのはセントレア王国の王族であるたった三人だけ……。それにわたくしはセントレア王国を出る時に対魔族用の結界を張り、常に気配を遮断しながら移動してきました。魔族に後を付けられていない絶対の自信があります。万が一、わたくしが神の魂を持つ者についての情報を持っていると知られたとしても、ネル様のことが敵に知られないよう十分なほどの警戒をしていたつもりです。それなのに……」
「それなのにあの魔族の男……カースが俺の命を狙ってやってきたというわけか」
「……はい」
だからラピスはあの時、あんなに驚いていたのか。いるはずのない魔族があそこに現われたから……。
しかしここで待ったをかけたのはギアだった。
「……ちょっと待って欲しい。ネル、君はなにを当たり前のように話を受け入れているんだい?」
「え?」
「だってそうだろう。今の話はあまりに荒唐無稽だ。ネル、君は自分の中に神の魂が封印されていると言われているんだよ? いわば神の生まれ変わりと言われているようなものだ。普通はそんな話、信じられないだろう?」
まあ、そうかもしれない。
だが、
「俺はもうラピスのことを信じると決めたんだ。だからラピスが俺の中に神の魂があると言うのなら、本当にあるんだろう」
俺がそのように答えるとギアは信じられないというように目を見開き、ラピスはまた瞳に涙を溜めていく。
「ネル様、ありがとうございます……」
「いいんだよ。もう当たり前のことだ」
ラピスはまた嗚咽を漏らし始めた。俺が信じたことがそれほど嬉しいのだろうか?
一方でギアは険のある声を隠そうとしない。
「あまりにも都合の良すぎる話だ。ネルが魔族に襲われたことを正当化するための作り話とも取れる。いや、そう考えた方がしっくりくる」
ラピスの肩を抱いていたリリィが、我慢ならないといわんばかりに口を開く。
「勇者ギア! もはや観念ならない! ラピス様に対する数々の暴言、とても許しておくには……」
「実際にネルが襲われたのは事実だろう? 僕からしてみれば君たちのせいで友達が襲われたんだ。それなのに友を心配する声を上げることすら許されないと言うのか?」
「ぐっ、そ、それは……!」
口籠るリリィに見向きもせず、ギアはこちらに視線を向けてくる。
「ネル、君のことだ。僕がどう言ったところでラピス王女を信じることをやめないんだろう?」
「……ああ」
「悪いけど僕はラピス王女を信じられない。だから僕は彼女が敵だと前提にして動くよ。申し訳ないけどね」
「いや……ありがとう、ギア」
ギアは肩を竦めるだけだった。そして厳しい表情のままため息を吐く。
ギアはギアで俺のことを心配して言ってくれているのだ。だから有難く受け止めておくことにする。
これからのことを考えると出来ればギアとラピスの間にも信頼関係は欲しいが……それは俺の勝手というものだろう。
俺を含めこの三人にはそれぞれ思惑がある。その思惑により、俺とギア、そして俺とラピスの間でのみ成り立っているとても危うい関係とも言えた。実際、ギアはラピスを敵対視しているし、ラピスのお付きであるリリィの目にもギアに対する敵意が籠っている。
だが、俺が二人を必要としている以上、ギアとラピスは互いに排除するような真似はしないはず。俺の信頼を損ねても得はないからだ。
一方で俺は二人のことを既に信用していた。
こんな複雑な関係のままダンジョン攻略を進めることに一抹の不安は覚えるものの、それならそれでやりようはある。
この二日間、俺は何もしなかったわけではない。あの魔族の男……カースに対するシミュレーションを繰り返していた。同時に新しい魔法の開発も済ませてある。俺を逃がすということは、そういうことだ。
――青賢者に二度目の敗北はない。
あとは今の信頼関係をどのようにパーティ戦に組み込むかだが……まあ、何とかなるだろ。ギアとラピスに対する一方的な信頼から、俺はそのように思っていた。
「じゃあ、これからのことを具体的に話そうか」
俺を中心にして皆が頷く。
彼らの目を一人一人確認しながら俺は思う。
うん。何とかなりそうだ。




