第一話 奇跡の雫とエリクサー
俺はスライムの姿で草原を飛び跳ねながら移動していた。
上空まで飛ぶと鳥たちが驚いて逃げていく。
彼らには申し訳ないが、滞空時間が長い方が体力効率が良いのだ。
――そうやって高速で移動すること数日。
ようやく自由都市グリーンイブが見えてきた。
門に近付く前に俺はスライムの姿から人間の姿へと【擬態】する。いきなりモンスターが現れたら町はパニックになってしまうからだ。
俺はぐにゅぐにゅと体を人間のそれへと変化させていく。
やがて形取ったのは十六歳ほどの少年の姿。
黒目で黒髪。大陸の東部では割と見かける容姿である。
体躯は中肉中背。顔は悪くない方だと思う。
この黒髪の少年の姿は、俺が人間になったらこんな容姿だろうというものだ。より『自分』を詳細に表現した方が違和感なく人間の姿を保っていられるという理由から、好んでこの姿を取っている。
ちなみに青いローブを羽織っているが、これも自分の体で創り出したもの。
俺は門番に通行証を見せて問題なく門を通過することが叶った。俺は人間社会の中では『青賢者ネル』で通っているので特に問題はない。
門から中に入ると自由都市グリーンイブの町並みが見えてくる。
建物は景観が統一されており、白い壁に赤い屋根のレンガ造りの建造物が白く舗装された道に沿って綺麗に並んでいた。
この自由都市グリーンイブは独立都市だけあってかなり発展した町だ。大陸では珍しい民主制の政治を勝ち取ったこの町の人々は誇り高く、活気に満ちている。
露店が並ぶ賑やかしいメインストリートから左に曲がると、今度は閑静な住宅街に沿って西をまっすぐ進んでいく。
やがて人の気配が少なくなり、段々と建物の数もまばらになってきたところで緑の多い自然地区に入り、さらに木々の間を潜っていくと、ようやく我が家が見えてきた。
グリーンイブの町並みと同じく、白い壁に赤い屋根の割と大きめの建物。
柵に囲まれたその敷地は意外と広い。病気の妹のことを考え、郊外の緑の多いところに屋敷を構えたのだ。
俺は家の門を潜り玄関に着くと、懐から鍵を出して鍵穴に差し込んだ。
――久しぶりに妹に会える。そう思うと自然と心が弾む。
鍵を開け、いざ中に入ろうとした――まさにその時だった。
――シュバッ!
突如、目の前から鋭い爪が俺の顔面に向かって一直線に放たれた。
「うわっ!?」
俺は寸前でそれを回避し、バックステップで距離を取る。
家の中から俺に攻撃を仕掛けてきた相手はメイドの恰好をした女性だった。
背中で綺麗に切りそろえられた艶のある黒髪。スカート丈の短いメイド服を着用しており、足には太ももの辺りまであるハイソックスを着用している。頭には黒いネコ耳付きのホワイトブリムが乗っているが、実はあのネコ耳は彼女自身の頭から生えているものだ。さらには首に首輪を嵌めており、どことなく黒猫を彷彿とさせる女性。
それもそのはず、彼女は猫人族である。
加えて説明すると彼女は俺が雇っているメイドなのだが……彼女――クロは俺の目の前で盛大に舌打ちした。
「チッ、ご主人様でしたか」
「……え? ご主人様に対して『チッ』って言った?」
「気のせいですご主人様」
「……あれだけ盛大に舌打ちしておいて気のせいも何もないだろ」
「気のせいですご主人様」
「………」
彼女の謎の押しの強さに閉口する俺だったが、しかし、さすがに攻撃を仕掛けられたことには文句を言わなければならない。
「……あの、クロ。ご主人様を殺そうとするのはいかがかと思うのだが」
「不審者は撃退せよ、と、ご主人様からご命令をいただいておりましたので」
「俺の命令で俺を殺そうとする奴があるか! ていうかご主人様に対し不審者って言った今!?」
「気のせいですご主人様」
「全部それで済むと思っているの!?」
「はい。ご主人様はお優しいので」
いけしゃあしゃあと、こいつは……!
「とにかく、お帰りなさいませご主人様」
「……ああ、ただいま」
「ご無事で何よりでした」
「たった今、無事じゃなくなりそうだったけどね」
「さあ、こちらへ。オーピィ様が首を長くしてお待ちです」
「見事なほどのガン無視。まあいいけど」
彼女のネコ耳は都合の悪いことは全部通り抜けるように出来ている。超高性能。もちろん皮肉。
結局素知らぬ顔のままのクロに連れられて階段を上がり、二階の廊下を進んで一番奥の部屋の手前で彼女がドアをノックする。
「オーピィ様。ご主人様がお帰りです。開けてもよろしいでしょうか?」
「え、アニキが? ちょ、ちょっと待って!」
部屋の中から慌てたような声と衣擦れの音が聞こえてくる。
しばらくすると、
「ど、どうぞ」
クロがドアを開け、俺は中へと通される。クロは気を利かせたのか、俺を部屋に入れるとそのままドアを閉めて去って行った。
部屋の奥――窓の近くにベッドが置かれており、その上に一人の少女がいる。
サイドテールの青髪とぱっちりと吊り上った瞳。病人が着るようなクリーム色のワンピースを着た小柄な少女。
彼女が俺の妹のオーピィだ。正直、身内から見ても可愛らしい少女だと思う。
「ただいまオーピィ」
「へへ、お帰り。アニキ」
久々に会ったのが照れくさいのだろう。はにかんだ笑顔も可愛い。
ただ、その顔には黒い斑点がいくつか浮いている。彼女の抱えている病気のせいだ。
ちなみに妹のオーピィは正真正銘の人間。もちろんスライムの俺とは血は繋がっていない。
昔、彼女が山に捨てられているところを俺が偶然助け、その縁から一緒にいる。それ以来、俺のことをアニキと呼んで慕ってくれている一つ年下の可愛い妹分。
ただ、俺は彼女のことを本当の妹だと思っている。
オーピィは何を思ったのか「よい……しょ」と掛け声を上げてベッドから這い出ようとしていた。
俺は慌ててベッドの側まで駆け寄ってそれを止めさせる。
「お、おい、無茶をするな」
「これくらい大丈夫だよ。アニキは心配性だなぁ」
そう言って無理矢理に立とうとするオーピィだったが、床に足を着けた途端――足に力が入らなかったのだろう――ぐらりと倒れ出した。俺はとっさに彼女を抱きとめる。
「ほら、言わんこっちゃない」
「あ、あれ? おかしいなぁ。今日は調子がいいと思ったんだけど……」
「ベッドに戻れ」
「う、うん」
俺が支えながらベッドへと戻してやると、オーピィは少し名残惜しそうに俺の胸から離れて行った。
彼女が一体何の病気にかかっているかというと、『ステータスが減少していく』という謎の病気だ。原因不明で、本当にただステータスが少しずつ減少していく症状なのである。
最初は足の付け根辺りに黒い斑点が出来たらしい。そして気付いた時には、その黒い斑点が全身に広がって、オーピィは走ることも歩くことも出来なくなり、やがて立つことさえ難しくなるほどにステータスが減少してしまった。
このまま彼女のステータスが減少し続けたらどうなるのか……考えただけで恐ろしい。
しかし医者に見せても原因は明らかにならず、どんな薬も効かなかった。白魔法が使える教会の司祭もさじを投げた。
だから俺は妹の病気を治すため色々なことを勉強した。それこそ寝る間も惜しみ努力をし、様々な分野を研究した。やがて錬金術や魔術を極めたりもした。
気付けば俺は【青賢者】とまで呼ばれるほどにまでなっていたが、それでも妹の病気を治すことはおろか、原因を突きとめることすら出来ていない。
だが、己の無力さを嘆いている暇はない。そうしている間にも妹の病気は進行しているのだから。
だからこそ今はとにかく秘薬を求めて大陸の各地を飛び回っているというわけだ。
しかしながら、結局はどんな高価な回復薬も効かなかったわけだが――今回、手に入れた『奇跡の雫』には期待している。『奇跡の雫』はそれほどの激レアアイテムだった。
俺は【次元倉庫】の魔法を使い、体内から奇跡の雫が入ったビンを取り出す。
この世界には異次元に物を収納する【次元倉庫】という魔法があり、かなりの高等魔法だが、魔術の研究をしている時についでに会得した。
特に俺の【次元倉庫】は改良型で、スライムの体内に保存出来るようにしてある。こっちの方が消費魔力のコストパフォーマンスが良い上に、物を取り出す際のラグがないのだ。
もちろん人前では体内から物を取り出すなんてことは出来ないので、その時はローブのポケットから取り出す仕草をしている。ちなみに今回もそうした。
俺は奇跡の雫が入ったビンをオーピィの前で振ってみせる。
「ほら、取って来たぞ」
「え、そ、それってもしかして……」
「ああ、奇跡の雫だ」
「さすがはアニキ! 難易度Aダンジョンの『奇跡の洞窟』を一人でクリアしてきちまうんだもんな! あ~、あたしも早くまた一緒にダンジョンに潜りたいなぁ」
「病気が治ったらいくらでも冒険に連れて行ってやるよ。だから今はこれを飲め」
「へーい」
俺はビンの蓋を取って渡してやるが、オーピィはビンに視線をやったまま動かなくなる。
「はあ、ドキドキするなぁ」
彼女はずっと病気に苦しめられてきた。それが今ようやく解放されるかもしれないのだ。
オーピィは俺の方へと顔を向けてくる。
「ありがとう、アニキ。こんな高価なものをあたしなんかのために……」
「何言ってんだよ。そのくらいまたいくらでも汲んで来てやるよ」
本当は結構苦労したのだが、オーピィにはあまり思い悩んでほしくないので俺はそのように答えた。
「へへっ、アニキらしいや。じゃあ、いただきます」
「ああ」
ビンを口に当てるとオーピィは少しずつ飲み始めた。嚥下するたびに彼女の白い喉がこくこくと動く。
全てを飲み干すと、オーピィは「ぷはっ」と息を吐いた。
途端、オーピィの体がうっすらと輝き出す。奇跡の雫の効果だ。
やがてその輝きはオーピィの体に染み入るようにして消えていく。
「……どうだ?」
俺は訊ねた。もちろん治って欲しいという願いを込めて……。
「おお、なんか治ってきたかも!」
そう言ってオーピィは元気を見せるようにして手をブンブン振り始める。
が、俺には分かっていた。
「嘘をつくな。俺に気を遣わなくていいよ」
ぶんぶん振っていたオーピィの手がぴたりと止まる。
「……ごめん、アニキ」
オーピィは申し訳なさそうに顔を伏せてしまった。
そう、奇跡の雫は効かなかったのである。
「お前が謝る必要なんてないだろ」
「でも……」
「大丈夫だ。次の当てはある」
「へ? も、もう?」
オーピィがきょとんとした顔を俺に向けてくる。
俺は奇跡の雫でオーピィの病が治らない可能性も考えていた。
だから既に次の手を見つけてある。
「……でもアニキ、奇跡の雫以上の回復アイテムなんてあるの?」
オーピィは心配そうに訊ねてくる。
彼女の不安はもっともだ。奇跡の雫はそれほどレアな回復アイテムだったのだから。それを超えるとなると、もはや神の領域に踏み込むしかない。
そして……俺は踏み込む覚悟を決めていた。――神の領域へと。
激レアアイテムである奇跡の雫を超える回復アイテムは、この世にたった一つしかない。
それは、
「あるよ。エリクサーだ」