第十八話 疑心暗鬼
あれから俺たちは一心不乱に走った。
魔力を使い果たしふらふらのラピスは俺が背中に負ぶった。俺も中身はからっぽだったが、ただ走るだけなら問題ない。
とにかくダンジョンの出口へ向けて。
来た道を逆戻りし、上層へと上がって行く。
やってくる時、道中のモンスターは全て倒してきたおかげか、帰り道はほとんどモンスターに出会わなかった。
出会っても一匹だったので、全員で総攻撃して足を止めずに撃破することが出来た。
そうやってどれくらい全力で走り続けただろうか?
皆の体力が尽きかけた頃にようやくダンジョンの出口が見えてくる。
しかし、出口から出ても油断は出来ない。
とにかく魔族の男――カースから逃れるために山を下り始めた。
途中で体力が尽きたリリィはクロが負ぶっている。ここからは何かあってもギアに対応してもらうしかないが、ダンジョンから出た今、モンスターの心配はほとんどない。ギア一人で余裕で対処できるだろう。
問題はカースに追い付かれることのみ。
山を中盤まで降ると木々が生い茂るようになってきたので、その中をジグザグに駆け抜けていき――
そうして俺たちはどうにかカースの魔の手から逃れることが叶ったのだった。
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あれからさらに強行軍で三つ離れた町まで俺たちは逃れてきていた。
ここは割と大きな町で、守備兵もいるし、冒険者も多く滞在している町だ。彼らがどこまでカースに通用するかは分からないが、それでも「数」は魔族にとって一番厄介な存在であることも俺は知っている。
魔族は神族を除けば最強の存在だが、絶対数が少ないのが唯一の弱点だった。
逆に人間の強みは数である。
まあ、さすがに町一つ分の数ではあのカースにとって気休め程度にしかならないが……。
それでも俺たちプラスこの町の戦力と考えると、もしかしたらカースも気後れしてくれるかもしれない。なんていう希望的観測でこの町に飛び込んでみた。
一番恐ろしいのはカースが無差別に攻撃を仕掛けてくることだが、もしそうなったら、町に被害が出る前に俺は奴の前に姿を現す予定だ。……さすがに俺のせいで見ず知らずの人に犠牲は出せない。
しかしその可能性は低いとも言える。何故か魔族は目立つことを嫌う習性があるからだ。よほど目的が無い限り奴らは人前に姿を現さない。
――最も、俺がよほどの目的になっていたら話は別なのだが……。
加えて魔族は日の当たる場所は好まない。もしカースによる襲撃があるとしたら夜だが、さすがのあいつでもどこに逃げたかまでは恐らく分からないはずだ。
そういう様々な理由から、俺たちはようやくひと心地つくことが出来た。……といっても、やはり不安は不安だけど……。
とにかく今は失った体力の回復を最優先する。
そうしてこの町で二日が経過していた。
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力は回復した。
だが俺たちは未だ動けないでいた。
それはこれからの指針が決まっていないからだ。
ここからどのように動くにしろ、一度皆と話し合わなければならない。
しかし俺たちは体力の回復を優先するということを言い訳にして中々話し合いを切り出せないでいた。
何故ならパーティ内に再び疑心暗鬼が満ちているから。
……一体どうしたらいいのだろうか?
「ネル。ちょっといいかい?」
男部屋――俺とギアに宛がわれた二人部屋。
ぼんやりと考え事にふけっていた俺はその声で我に返る。
ベッドに腰掛けつつ声を掛けられた方を向くと、それまで窓の外を警戒していたギアがこちらを見下ろす形で見ていた。
「なんだ?」
「聞きたいことがあるんだけど……」
……ついに切り出してきたか。
ちなみに女性三人は女部屋で固まっているのでここにはいない。
俺が真面目な顔を向けると、ギアは訊いてくる。
「君はあの三人の中で誰が好みなんだい?」
「は?」
「いや、だから。ラピス王女、お付きのリリィ、君のメイドのクロさん。この三人の中でどの女の子が好みなのかなと思って」
……こいつ正気か? こんな時にそんなことを聞いてくるとは……。
「純真可憐なラピス王女。誠実で守ってあげたくなるリリィ。口では何だかんだ言いながら君のことを第一に考えているクロさん。さあ、誰だい?」
「いや、あのなギア……」
「え? ぼ、僕? 困ったな……そんな趣味はないのだけれど、君がどうしてもと言うのなら……」
「俺にもねえよ!? ていうか何で服を脱ぎ始めるの!? お前がやるとそこそこシャレにならないからやめてくれる!?」
「というのは半分冗談で、ちゃんとした話があるんだよ」
「はあ……」
俺はため息を吐くしかなかった。というか半分冗談ということは半分本気だったのか? どこからどこまで? こえーよ。
「まず、ネル。君が最後に見せたあの力、凄かったね」
ギクリ。俺は上手く誤魔化せていたと思っていたのだが、ギアは騙せていなかったらしい。
それはもちろんスライムの力を使ったことである。
手をスライムに変形させたのだ。それは疑問を持たない方が不思議か……。
「あんな水魔法の使い方があるなんて思いもしなかったよ。オリジナル魔法かい?」
「へ?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。どうやらギアはあれを水魔法の一種だと思ったらしい。
だったらここはそれに便乗させてもらうだけだ。
「い、いやあ、そうなんだよ。地味だけど開発まで時間がかかった魔法でさあ」
「……ふうん。あの霧状の魔法も? あっちのほうが凄かったけど」
「あ、ああ。あっちの方が一見して凄く見えたかもしれなかったけど、あれはどちらかというと色々な魔法の応用で、そこまで開発時間はかかっていなかったり……」
「……へえ」
一応真実を混ぜながら喋ってはいるが。
一瞬、ギアの目が鋭く光る。俺は目を逸らしてだらだら汗を流すしかなかった。
ギアはじっと俺の方を見つめていたが、しばらくしてフッ息を吐くと、ニコリと笑う。
「いやあ、さすが青賢者だね! 水魔法の扱いにかけては右に出る者はいないや」
「そ、そうかな? あ、あははははは」
ふーっ! 誤魔化せたか……。
あの鋭い目の奥で何を考えているのか分からないのが怖いところだけど、俺が何を隠しているかまでは確信を得ていない感じだ。
まあ、まさか目の前にいる男がスライムだなんて普通は思わないわな。
「それで次の話題だけど……これからどうする?」
急に真面目なトーンになる。
ギアが遂に切り出してきた。
どういう方針を取るにしろ時間的にぎりぎりだ。ここら辺で結論を出さなければならないだろう。
「だったらあの三人も呼ぶか。皆で話した方がいいだろ」
「いや、待ってくれないかな」
ギアが俺の提案に待ったをかけてくる。
「? なんでだ。皆で話し合った方が効率的だろ?」
「その前に君に忠告しておきたいことがあるんだ」
「忠告?」
「ああ。僕としては、ここでラピス王女と縁を切るべきだと考えている」
「なっ!?」
俺は耳を疑った。
「……ラピスと縁を切るだって? どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。彼女をパーティから外すべきだ」
「……なんでだ?」
「信用出来ないからさ」
ギアは言い切った。信用出来ない……そう、はっきりと。
「広大なダンジョンの中でたまたま魔族に出会う。そんな偶然が本当にあると思うかい?」
「……!」
「君も気付いているんだろ? ラピス王女の違和感に」
……確かにギアの言うことにも一理ある。
ラピスはあれから変わった。いつもの笑みはなくなり、何を話しかけても上の空だった。
実際のところこれからの展望について話せなかったのは、彼女の様子がおかしいからということも大きい。
「だからと言って、いきなり信用出来ないというのは言い過ぎじゃ……」
俺がそのように言いかけると、ギアはこれみよがしにため息を吐いた。
「君はどこまでお人よしなんだい? 実際僕たちは魔族に襲われたんだ。それもあの魔族の男は君を見てハッキリとこう言った。『選ばれし者』と。そして君のことを殺しに来たのだと」
ギアは続ける。
「いくら魔族とはいえ、何の手引きもなく君の場所を特定できるはずがない。そんな技術は魔族ですら持ち得ていないはずさ。それなのにあの魔族の男……カースは君の元にやって来た。それもあの広大なダンジョンの中、ピンポイントで。……偶然ではないことくらい君ならとっくに気付いているはずだ」
「………」
確かにそこまでは俺も考えた。だが、
「ギア……お前はラピスが手引きしたとでも言うのか?」
「ああ、その通りだ」
俺は思わずギアの胸倉を掴む。その拍子にフレンドコンパスがギアの懐から落ちた。
「有り得ない! 彼女は……ラピスは純粋で優しい子だ。そんなことするわけがない!」
ムキになって反論する俺に、ギアはため息を吐きながら落ちたフレンドコンパスを拾った。
壊れてしまったのかギアのフレンドコンパスは明後日の方を指し示していた。
くそ……後で直さないと。
そのように思っている俺にギアは言ってくる。
「だったら、彼女がたまに見せるあの辛そうな顔は何だい?」
「え?」
「君も気付いているだろう? ラピス王女がたまに辛そうな顔をしていることを」
確かにそうだ。彼女は「使命」という言葉では説明できないほど重い何かを抱えていると思う時がある。
「それはこう捉えることは出来ないかな。彼女自身は純粋無垢だ。しかしラピス王女には君を殺さなければならない理由がある。だからあんな辛そうな顔をしながらも魔族を呼び、君を殺そうとした」
「そ……」
そんなバカな。そのように叫ぼうとしたが、ギアは俺を手で制しながら話を続ける。
「そういえば魔族が現れた時だってラピス王女の様子は変だった。まるで魔族が来ることが分かっていたような反応だったじゃないか?」
た、確かにラピスのあの時の反応は変だったが……。
「……だが、あの時、俺には彼女自身も驚いていたように見えたぞ」
「そのようにも見えたね。でも、演技だったら? もしくは手違いで早く魔族が登場したなんてことも考えられる。そうすればあの驚きようにも納得出来るしね。ただ、彼女の反応からして魔族と何かしらの関係があるのは間違いない」
「し、しかし、ラピスだって一緒になって魔族と戦ってくれたじゃないか」
「それもいざという時のブラフだったら? 実際、彼女は今も僕たちの側に潜り込んでいる」
ギアの言うことは全て推測ではあるものの、いちいちもっともだった。
だから俺は頭を振り絞って反論出来る論拠を探していた。
「ギ、ギア。お前だってさっきラピスのことを純真可憐だと評していたじゃないか……」
「ああ、言ったね。でもそれが君の気を引くための演技だったら?」
「そんな……」
「実際君は彼女に惹かれているだろ? そのためにラピス王女が派遣されてきたのだとしたら? さっきも言ったけれど、現実に彼女はこうして君の信頼を勝ち取り、君の側に潜り込んでいるのだから。……大して命を懸けたわけでも体を張ったわけでもなく、ただ人柄だけで君の側にいる現状をよく考えてみて欲しい。君がラピス王女を信用する材料はそこまで厚くないんだよ」
「………」
俺は黙り込んでしまった。反論できる材料が見つからなかったからだ。
でも、それでも……と、俺の頭は考えてしまう。
そして絞り出したセリフがこれだ。
「……だったら、あれから二日経った今もカースが攻めてこないのは何故だ? ラピスが手引きしているのなら、この二日は絶好の襲撃チャンスだったはずだ。なにせこちらは消耗し切っていたんだからな」
「そこまでは僕にも分からないよ……。でも、あれだけの激闘だったんだ。何かしら連絡する手段を失った可能性だってある」
……そうとも考えられる。だが……。
それに、彼女は俺の初めての……。
と、そこでドアがノックされる音が響き渡る。
「ネル様、いらっしゃいますでしょうか? 少しお話があります」
その声に俺はギアと顔を見合わせる。
やってきたのはラピスだった。




