第十七話 魔族の力
遅れてすいません。
何事もなかったように水の結界を消し飛ばした魔族の男――カースは、なおもゆっくりこちらに向かって歩いてくる。
まるでその歩みは死神が近付いてきているかのよう。一歩一歩が死の宣告のようだった。
俺は魔法の詠唱をしようと思いながらも、意思に反して口が開かなかった。
口を開いた瞬間に殺される幻覚に陥っていたからだ。
……ダメだ。完全に相手のプレッシャーに呑まれている。
それが分かったのか、クロが動き出す。
「チィッ!」
あっという間に間合いを詰めたクロは、目にも止まらぬスピードでフェイントを入れ、カースの真後ろから短剣を振りかぶった。が、それを見てとっさにラピスが声を張り上げる。
「いけません! 魔族に物理攻撃は通じません!」
しかしクロの攻撃はもう止まらないところまで来ており、そのままカースの後頭部に彼女の短剣は直撃する。
普通だったらそれで突き刺さっているはずだ。しかし――
「なっ!?」
クロが驚愕に目を見開く。彼女の短剣は一ミリも突き刺さってはいなかった。それどころか――短剣が刃の先端から消滅していっている!?
「チッ」
クロは消滅しかかっている短剣を投げ捨て、カースから距離を取る。
それを見て次に突っ込んだのはギアだ。
「なら、僕の聖剣はどうかな!?」
聖剣――それは魔を滅するために創られた聖なる剣。魔族に対抗する為にあるような武具と言っていい。
ギアは聖剣を振りかぶるが、カースは僅かに腕を上げただけだった。
そして――ガツッ!
「バカな……!?」
信じられないことに聖剣はカースによって受け止められていた。しかも片手で。
「いくら聖剣を持っていようと、使い手が未熟ではな」
ギアは急いで剣を引き、その場から飛び退く。
「まいったね。これでも歴代勇者の中で天才ともてはやされていたんだけど……」
ギアの笑顔は引き攣っていた。
カースはギアを指差す。
「確かに才はあるが、まだ熟れていない」
「……ご忠告どうも」
「加えて言うなら、熟れたところで我ら魔族の脅威となるとは思えん」
俺は笑うしかなかった。
「はは。嫌味もセットだったな」
「嫌味ではない。純然たる事実だ」
「言われてるぞギア」
「……もっと努力するよ」
軽口を叩いてはいるが、さすがのギアにも余裕が見られない。
「全ては無駄だというのがまだ分からぬのか」
カースから感じる圧が増えた。……ちょっと体に力を入れただけに見えたのに、このプレッシャー……。
俺は『次元倉庫』から抜き出し、密かに水魔法でエンチャントしておいた短剣をクロに向かって投げる。
「クロ!」
彼女は既に俺の近くまで移動しており、難なくキャッチすると再びカースに向かって突っ込んだ。あの短剣には俺の魔力が通った、いわば疑似魔法剣だ。あれなら少なくても武器を消滅させられることはないはず。
クロが動くと同時にギアも突っ込む。
そして二人同時に武器を振りかぶり攻撃を仕掛ける。
だが、二人の攻撃はそれぞれ片手一本で受け止められていた。
「どこまで愚かなのだ、人間は」
化け物かよ……!?
俺たちのことを虫けら程度にしか思っていないのかカースは完全に遊んでいる感じだ。
ならば今のうちに。
俺は魔法の詠唱を始める。
そしてギアとクロの攻撃が途絶えた瞬間を見計らって魔法を放つ。
「【アクアカッター】!!」
限界まで研ぎ澄まされた水の刃がカースに向かっていく。
しかしカースが片手を振り払っただけで消滅させられてしまった。
ウソだろ!? ベヘモスを一撃で倒した魔法だぞ!?
「げに愚か。愚かなり」
……くそ! 『斬』がダメなら、より威力の高い魔法を放つだけだ。
俺は続けて魔法の詠唱を始める。
そしてまたギアとクロの攻撃の隙を見計らって魔法を放った。
「【水の竜巻】!!」
水の激流がカースを襲う。が、奴が片手を前に出すと黒いオーラの盾が発生し、そこに全て吸収されてしまった。……いや、消滅させられたのか?
「うるさいだけの魔法だ」
まるで羽虫を扱うようなカースのセリフに、俺たちは顔を引き攣らせるしかない。
「気が済んだか? ならば次は我が魔法を見せてやろう」
カースが聞いたことのない詠唱を始める。
その途端ラピスの声が響いた。
「いけません! みなさん、わたくしの側に避難して下さい!」
ラピスはそのように叫んで白魔法の詠唱を始めた。
今まで聞いたことないほどの彼女の緊迫した声に、弾かれるようにして俺たちは彼女の側に避難する。
そして、カースとラピスの魔法の詠唱はほぼ同時に終わった。
まずはカースが片手をこちらに向けてくる。
「滅べ。【闇の衝撃】」
瞬間、カースの手から凄まじい闇の波動が放たれる。
僅かに遅れてラピスが杖を前に出した。
「防いで! 【聖なる結界】!!」
まるでカースの闇の波動と対になるような白い結界が俺たちの前に現われた。
そこにカースの魔法がぶつかる。
その途端、信じられないほどの衝撃が俺たちを襲う。
ラピスの白魔法が防いでいるにも関わらず、衝撃が突きぬけてきているのだ。
だが、ラピスの魔法のおかげでダメージはほぼない。もし彼女の魔法がなかったらと思うとゾッとする。間違いなく一瞬で全滅だったろう。
「く……ううう……ッ!」
ラピスの口から苦悶の声が上がる。無理もない。あれほどの衝撃を全て一人で防いでいるのだから。
やがて闇の波動は収まり衝撃も消えた。ラピスの白魔法が防ぎ切ったのだ。
見れば俺たちがいる場所だけ地面が盛り上がっていた。
……いや、違う。周りが全て削り取られたのだ。
「ほう、やるではないか。まさか我が一撃が防がれるとは思いもしなかったぞ」
カースは片手を突き出したまま言ってくるが、見た感じけろりとしていて疲れなど微塵も感じさせていない。
一方で、ラピスはがくりと膝を落とす。
「姫様!」
リリィがぎりぎりで支えたが、ラピスはもはや一人で立つことすら出来ていなかった。苦しそうな顔で大きく息をし、びっしょり濡れた額には髪が張り付いている。
……無理もない。あの衝撃を全て一人で防ぎ切ったのだから……。
「さて、そこの娘がその状態では、もう一度撃てばもはやお前たちに防ぐ術はないわけだな」
カースは勝ち誇るわけでもなく、ただ事実を述べるかのように淡々と告げた。
しかし残念なことに事実だった。ラピスはあの状態だと回復するのにしばらくかかるはず。その間にさっきの魔法をもう一度撃たれたらアウトだ。
それが分かったのだろう、ギアとクロが同時に動いた。
「うおおおおっ!!」
「はああああっ!!」
左右から同時に挟撃する。
「愚か」
やはり簡単に片手で防がれてしまう。
「なら、これはどうかな?」
ギアはカースに攻撃をしかけながら体に魔力を纏わせ始める。
ギアの右手に『雷属性』の青い輝き。左手には『光属性』の白い輝き。
しかもその二つの魔法の輝きはやがて混じり合うようにして聖剣に移ると一つの光となり、より激しく青白い輝きを放ち始めた。
さっきも言った通り二属性融合魔法は言う程簡単な技術ではない。それなのに戦いながらそれを行うギアはやはり才能ある勇者に見えた。
「クロさん、下がって!」
ギアの合図でクロは後ろへと飛び退く。
同時にギアが雷光魔法を纏った聖剣を一閃する。
「【ライトニングホーリーブレイク】!!」
激甚たる衝撃と眩いほどの光を放ちながら剣閃がカースへと迫る。
一方でカースは、
「ほう」
ひとつ感嘆の声を上げると、両手を上げて黒いオーラを纏い、闇の盾を形成する。
闇の盾に当たった雷光剣はしばらく拮抗していたが、やがて、パンッ、と軽い音を出して消えてしまった。
ギアは残身のまま目を見開いている。まさかギアの奥の手すら効かないとは……。
「先程の発言は取り消そう。お前は大した勇者だ。だが、まだ若い」
何事もなかったようにのたまうカース。
「まいったね」
ギアは笑っていた。しかしその笑みには諦観の念が見える。いや、他の皆の顔も同じだ。
……これはマズイ。まずすぎる。
そもそも力の差があるのに『敵わない』と思ってしまったら絶対に勝つことは不可能だ。
だが、上辺だけの言葉をかけたところでどうにもならない。戦況を覆すなんて無理だ。
「ようやく悟ったか? 全てが無駄であることに」
カースがゆっくり近づいてくる。
このままでは……!
俺は杖を強く握りしめると、覚悟を決めた。
……スライムの力を使う。
「クロ、援護しろ!」
「! 承知!」
俺が走り出すと、クロも同時に地を蹴りカースに仕掛ける。
俺はカースに向かって拳を構えた。
「ぬ?」
賢者の俺が接近戦に持ち込んだのが意外だったのか、カースは少し狼狽えたように見えた。
「愚かな。やけになったか」
カースの目に憐みの色が宿るが、俺は構わず間合いを詰める。
そしてクロが攻撃を仕掛けたことで若干の隙が出来たところを、杖を持っていない方の腕――左腕を振り上げ、拳を突き出すと同時に――腕を伸ばした。左腕をスライム化させて伸ばしたのである。
元々のパンチの速度に加え、スライムを伸ばしたことで、凄まじいほどの拳速が出る。
同時に魔力を操ることでさらに速度と威力を上げた。
すると余裕綽々で受けるつもりだったカースの顔が驚愕に変わる。
「っ!」
これだけで終わりではない。俺はさらに魔力を操り拳の成分を変質させる。
「【硬質化】!!」
そう、以前『奇跡の洞窟』でベヘモスを吹き飛ばしたアレである。
結果、硬質化したスライム拳は不意を突かれたカースの腹に直撃する。
「ガッ!?」
俺の全力を込めた一撃をまともに受けたカースは吹き飛び、向こうの壁に激突した。
俺は拳を振りかぶった状態から体勢を立て直すと、もう一度左手を振りかぶる。
「【アクアカッター】!!」
俺の左腕が水の刃に変形しカースに向かって伸びていく。
壁にめり込んだままのカースはそれを避けることが出来ず、辛うじて腕を前に出してガードするが、
「っ!?」
カースの左腕が宙を舞っていた。
今の【アクアカッター】はスライムの力を使うことで詠唱なしの上に高威力になったものだ。その威力はご覧の通り、不意を突いたカースの腕を斬り飛ばした。
だが、それでも……。
カースは無表情のまま、ぎろりと俺を睨み付けてくる。
その目を見て俺は確信した。
だめだ……勝てない。
間違いなくダメージを与えた手ごたえはあるが、それでも現状では勝てるとは思わない。
今の二撃はあくまで不意を付けたからダメージを与えられただけ。
パーティメンバーが消耗しきっている現状では、あのカースには絶対に勝てない。
カースは切り取られた左腕を拾うと、それを体にくっつけて、何事もなかったようにこちらに向かってくる。
「さすがは選ばれし者といったところか。驚いたぞ。だが、これまでだ」
カースから感じるプレッシャーが先程の倍に膨れ上がっている。どうやら本気で俺を殺す気になったらしい。
……やはり勝てない。
だから俺は切り札を使う覚悟を決めた。
俺は杖を構えると、体の隅々まで魔力を巡らせ始める。
そして――
「【水爆布】!!」
俺の体から水蒸気が辺りに撒き散らされ、その霧が視界を遮る。しかも辺りに浮かんだ水滴は一つ一つが意思を持ったように動いており、水の結界に入った者を容赦なく切り刻む。
しかもその一粒一粒が俺の分身だ。生半可にこの水蒸気に触れようものなら、その身をバラバラにされることだろう。
――俺はここで体の大半を捨てる覚悟をした。
おかげで俺の体の中身はすかすかである。
見せかけだけの体で俺は叫ぶ。
「今だ! 逃げるぞ!」
一連の流れを見て、皆はぽかんと口を開けていた。
しかしそんなことをしている場合ではない。
「早く!」
もう一度叫ぶとようやく皆がハッと我に返る。
そして後ろに向かって駆け出し始めた。
「ぐっ? なんだこの霧は?」
霧の向こうでカースの小さな呻き声が聞こえる。さすがのあいつも俺の奥の手には手こずっているみたいだ。
例え魔力で吹き飛ばそうとしても、あの霧は俺の分身なので避けることが出来る。
しばらくは時間稼ぎできるだろう。
今の内に逃げ切るしかない。
俺たちはダンジョンの出口に向かって走り出した。




