第十六話 最凶の種族
でも――本当にこのままでいいのだろうか?
俺の心の中はそのような想いでいっぱいだった。
確かにギアとラピスの間に険悪な雰囲気は無くなった。でもそれはあくまで表面上だけだ。
いかにお互い笑顔を見せるようになったところで、彼らが心の中で何を考えているかなんて分からない。
何故なら問題を根本から解決したわけではないのだから。
彼らの抱えているものが何なのか……。
しかし聞いたところで彼らはきっと何も言わないだろう。もしくはその場をはぐらかすだけに違いない。
それでまた険悪な雰囲気になってもらっても困る。
――妹の病気を治す。
それだけは何としてもまず成し遂げなければならないのだから。
だから俺は何も言わず見せかけだけの仲良しごっこを見てみぬふりして先へと進む。
本当にこのままでいいのかという思いを抑え込んだまま……。
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それからは特に何の問題もなくダンジョン攻略は進んでいた。
稀に先程と同じように複数のモンスターが固まっていることもあったが、事前に立てた作戦通り戦い、ダメージを負うことなく潜り抜けていく。
さすがのギアもあのような真似をすることは二度となかった。さすがに次やったらパーティ内の信頼関係は完全に崩壊するのでやってもらっても困るのだが。そのくらいはギア本人も自覚しているのだろう。
……これでいい。これでいいのだ。
このダンジョンをクリアできるなら、取りあえず見せかけの信頼関係でもいい。
本来俺が求めていたものとは違うが、それでも……。
そうやって十五層までやってきて。
多少モンスターの種類も変わり難易度が少し上がってきた頃合い、
「ふぅ……そろそろ休憩にしようか」
モンスターを倒した直後にそう言ったのはギアだった。
……確かに少し疲れたな。ラピスやクロなどは何も言わないがやはり僅かな疲労が見える。
特にリリィなどは肩で息をしていた。
ここはギアの提案通り、一旦本格的な休憩にすべきだろう。
俺がギアに頷くと、結局満場一致で休憩の案は採用された。やはり皆、疲れていたらしい。
間もなくしてマグマの熱が届かない岩陰を見つけると、俺はさらに快適にするために水魔法で結界を張った。これはモンスターを近付けないだけでなく清涼の意味もある。実際俺が結界を張ってから辺りはさらに涼しくなった。
「助かります、ネル殿……」
特に疲労の深いリリィが深く頭を下げてくる。どうやら本当に参っていたらしい。
俺はカップに魔法で水を入れると真っ先にリリィに渡してやったのだが、リリィはそれをラピスに渡してしまう。
俺は苦笑しながらもう一つリリィに渡してやるしかなかった。
「あ、ありがとうございます。しかし、私ごときが勇者様より先に受け取るわけには……」
「僕はそんなこと気にしないよ」
「し、しかし、足手まといになっているのにこれ以上ご迷惑をおかけするわけには……」
「なら早くもらってあげなよ。ネルが困っているよ」
「も、申し訳ありません」
リリィは慌ててカップを受け取った。
そんなリリィに俺は声を掛ける。
「ねえ、リリィ」
「は、はい!」
「君はけして迷惑なんてかけていないよ」
「え、で、でも……」
「リリィの矢の援護には助けられてる。だから早く回復してくれないと困るな」
「ネ、ネル殿……」
リリィは青い瞳でじっと俺のことを見つめてくる。
あの、早く飲んで欲しいんだけど……。
そう思っているとギアが、くくっ、と笑う。
「ネルは気付いてやっているの? それとも天然かい?」
「? お前はさっきからたまに意味が分からないことを言うな」
「なるほど、やっぱり天然か」
「……そこはかとなくバカにされている気分だが」
くすくすと笑うギア。顔を真っ赤にして俯かせるリリィ。苦笑するラピス。真っ白い目を通り越して本当に白目を向けてくるクロ。
どうやら分かっていないのは俺だけらしい。というかクロ怖いわ。
俺は憮然としながらギアとクロにも水を渡してから、自分の分の水をぐいっと呷った。……ふう。うまい。
多少は落ち着いた頭で俺は考える。取りあえずやはり表面上の雰囲気は悪くない。これなら問題なく攻略は続けられるな。
――あくまでこのまま問題が起きなければ、だが。
しかしこのダンジョンをクリアするくらいなら何とかなりそうな気がする。
多分下層にいくほどさらにモンスターの強さは上がっていくことだろうが、ここにいるメンバーは思った以上に強い。特にギアとラピスはあの若さにして既にこの世界でトップクラスの力を持っていると思われる。そういった者たちがここには俺とクロも含め、四人も集まっているのだ。周りがおかしいだけで、リリィだってけして弱くはない。むしろ弓使いとしてはトップクラスの腕の持ち主だろう。
彼女は特に援護に徹してくれているため、かなり助かっている。先程の言葉はけして嘘ではないのである。
これならエリクサーを取れる。俺は大分確信に近い思いを抱いていた。
「ちょっと席を外すよ」
ギアはそう言って立ち上がる。
「? どこに行くんだ?」
「ちょっとお花を摘みに」
「……つまりトイレだろ。男なのに気持ち悪い言い方するなよ」
「周りに女性がいるんだ。君の方こそ察してくれよ」
ギアは苦笑したまま岩陰の向こうへと姿を消す。
俺は憮然としたその背中を見送るしかなかった。
クロがこれみよがしにため息を吐く。
「ご主人様の負けですね。顔も気遣いも」
「顔は関係なくない!? というかご主人様に対してよくそんな酷いこと言えるよね!?」
「ご主人様、ご安心下さい。どれだけお顔が悪くても私はいつまでもご主人様のメイドです。と言っとけば好感度爆上がりで給料アップ間違い無しですね、ふふ」
「せめて最後のは心の中にとどめてくれる!?」
給料下げちゃうぞ! と言っても、彼女はああ言いつつもあまりお金には執着がないんだよな。多分俺をおちょくるためだけに言ったのだろう。
「ふふっ、主従で仲がよろしいのですね」
「はい、本当に」
見ればラピスとリリィがこちらを見てクスクスとおかしそうに笑っていた。
……くそ。クロのせいで笑われてしまったぞ。なんか恥ずかしい……。
俺はこちらから意識を逸らすために話を変える。
「そういうラピスとリリィだって仲がいいじゃないか」
「はい、リリィは最高の従者ですわ」
「はい、ラピス様は最高の主です」
二人のセリフが重なり、ラピスとリリィは顔を見合わせて笑った。本当に仲がいいんだな。
「そういえばリリィは冒険者をやっていた経験があると言っていたけど、元々冒険者だったところをラピスの従者になったのか?」
リリィは首を横に振る。
「いいえ、逆です。私は元々捨て子だったのですが、幼い時にラピス様に拾っていただき、そこから身の回りのお世話を賜るようになったのです。そのご恩に報いるべく、いずれ旅に出られるラピス様をお守りできるよう、武者修行のためしばらく冒険者として活動していておりました」
俺は素直に感心した。
「一介のお付きがそこまでの実力を付けるのは容易ではなかっただろう? 君は本当にラピスが大事なんだな」
「いえ……。結局は力及ばず、ラピス様の足元にも及ばぬ自分を恥じるばかりです……」
悔しそうに顔を俯けるリリィだが。
俺はそうは思わなかった。リリィはここまで至るのに血反吐を吐いたのは一度や二度ではないはずだ。
しかも俺が見るに、
「リリィはまだ成長段階だと思う。やり方次第でこれからもっと強くなるはずだ。俺が見たところ魔法の適性もありそうだし、魔法の勉強を頑張れば魔法弓士にクラスアップも出来るんじゃないかな?」
「え、ほ、本当ですか!?」
「ああ」
リリィの顔がパッと花開いたような笑みに彩られる。
不覚にも俺はその笑顔に見惚れてしまった。
「あ、あの! ネル殿お願いが……」
「な、なにかな?」
「どうか私を……」
「リリィ」
ラピスがリリィの言葉を止めた。その顔はいやに真剣だった。
「なりませんよ」
「……は、はい」
「使命を忘れてはいけません」
「……申し訳ありませんでした」
リリィは目を伏せて引き下がる。が……。
……なんだ? 何か妙な感じのするやり取りだった。
彼女たちが重い使命を持っているのはもはや分かりきったことだが、しかしそれでも……。
その時、ギアが戻ってくる。
「どうかしたかい?」
「……いや、別に」
「そう」
ギアの目が一瞬、細まる。しかし彼は何も言わなかった。
その後、特に口を開く者もおらず、そのまま腰を下ろして休憩となる。
………。
きっと俺が道化を演じればまた明るい雰囲気は戻って来るだろう。少なくてもこのダンジョンをクリアするまではそうすべきだ。藪をつついて蛇を出すわけにはいかない。そう、妹の病気を治すことが最優先なのだから。理性ではそのように理解している。
――でも、本当にそれでいいのだろうか? 俺の心の中にある芯がそのように言っていた。
ラピスのあの顔……思い詰めたような瞳。重い使命を背負っていることは分かる。
――だがそれは、ただ単純に世界の崩壊を食い止めるというだけでは説明がつかない。きっと何か別のものを背負っている。
だから俺はそれについて聞こうと思った。
立ち上がり、ラピスに向かって口を開きかける。
が、その時だ。
冷たくて薄暗い感じの何かが背中を駆け巡った。
とてつもなく寒く、息苦しい何か。
殺気……? いや、それよりももっと暗くて深い……。
――俺はハッとして振り返る。
気付けば俺が張った水の結界のすぐ向こうに何者かが立っていた。
人間? ……違う!
肌は黒く濁っており、服は何も着ていない。というよりも体の実体がおぼろげにしか見えず、ゴーストのようにあやふやな存在感しかない。
そう、存在感はとても希薄であるにも関わらず、本能は目の前にいる何かに異常なほど警鐘を鳴らしている。
顔には一切の表情が浮かんでいない。まるで死人のそれだ。
体付きや顔付きからかろうじて男であることが分かるが、本当に男性なのかどうかは自信が持てない。
「何者だ?」
俺がそう言ったことで、ようやく他の皆もその存在に気付き、飛び跳ねたように戦闘態勢を取る。まさかあのクロでさえ気付かなかったとは……。
「我が存在に気付くとはやるではないか、選ばれし者よ」
目の前にいる何かはやはり一切の感情を込めず淡々と喋った。
選ばれし者? 目の前の何かは俺を真っ直ぐ見ながら言ったが、どういうことだ?
「ご主人様、お下がりください。目の前にいるアレは危険です」
クロが俺を庇うようにして前に入って来た。そのまま短剣を構える。
彼女のうなじに汗が垂れるのを見た。クロがここまで警戒心をあらわにしたところは初めて見る。
それだけ目の前の存在が異質であることの証だ。
ギアも聖剣を抜刀し、リリィもラピスを庇うようにして弓を構えていた。二人も目の前のアレのヤバさは肌で感じているのか、顔に緊張を走らせている。
が、この中で最も顕著な変化があったのは意外なことにラピスだった。
彼女は目を見開いて目の前の存在を見つめている。
「な、な……んで……」
ラピスは有り得ないほどに驚愕していた。それこそ心ここにあらずというくらいに。
……なんだ? 彼女は目の前のアレが何か知っているのか?
「ラピス? しっかりしろラピス!」
俺が声を掛けたことでようやく彼女はハッと我を取り戻す。
「ラピス。アレが一体何か知っているのか?」
すると彼女はこう言った。
「アレは……魔族です」
「……なんだって?」
俺は耳を疑った。
『魔族』――それは神族に次ぐこの世で上から二番目の上位種族。しかし同時に最強最悪の種族でもある。
その存在意義は『滅び』。ただそれだけ。
この世界に住むありとあらゆる生物とは究極的に対となる存在である。
ただ、魔族の数は絶対的に少ない。恐らくこの世界に多くても数十体しかいないだろう。
それなのにその一体が目の前にいるのだ。
俺はもはや目の前のアレが魔族であることを疑っていなかった。というか魔族以外でアレを納得出来る個体がいない。
――だが、それだけにおかしいと思った。
先程も言った通り魔族とはこの世界に多くても数十体。まず出会うことのない種族だ。
……なんでこんなところにいる?
俺たちが出会ったのは偶然か?
「何しに来た?」
俺は訊いてみた。すると魔族の男はゆっくりと俺を指差す。
「お前を殺しに来た」
「俺を?」
俺は訝しく思う。……俺を殺しに来ただって?
ここに来て最近の胡散臭さが一気に爆発する。わざわざ遠方から俺を仲間にしに来たラピスとギア。そして今度は伝説に近い種族である魔族がわざわざ俺を殺しに来たという。
――これは偶然なんかじゃない。
全て俺の知らない何かが裏で動いている結果だ。そうとしか考えられなかった。
だが、今はとにかく目の前のアレを何とかしなければならない。
何せ、くそヤバい何かがわざわざ俺を殺すと宣言しているのだから。
俺を庇うようにしてギアが前に出る。
こいつ……。
「ほう。勇者ごときが我が前に立ち塞がるか」
「勇者だからこそだよ。元々魔王を倒そうとしている僕だ。その手下なんかにしり込みするわけにはいかないだろ?」
「笑わせてくれる。お前自身気付いているのだろう? 我とお前の力量の差に」
「………」
ギアは何も答えなかった。が、彼の顎を伝う汗を見れば魔族の男の言うことが正しいのだと答えているようなものだ。
「それでもネルを殺させるわけにはいかないな。彼はもう僕の仲間だ」
「!」
俺はその言葉に衝撃を受けていた。
一方でラピスも杖を構える。
「娘。我の恐ろしさを知っていてなお武器を構えるか」
「分かっていても、ここは引けません。ネル様だけは何としてもお守りいたします」
彼女の杖はカタカタと震えていた。それだけ目の前にいる魔族を恐れているのだ。
それなのに俺のことを守ってくれるという。
その言葉にどのような理由が込められているのか分からない。
でも……。
女の子に守ってもらうと言われて、俺がただ見ているわけというわけにはいかないだろう。
俺は自らの杖に魔力を込める。
「人間というのは、げに理解出来ぬ存在よ。何故敵わぬと知って武器を構える? いや、何も答えなくてよい。何も興味はない。滅んでしまえば全て同じなのだから」
魔族の男はこちらに向かって進み出す。一歩、一歩と。
すぐに俺の張った水の結界に足を踏み入れるが、魔族の男が触った瞬間に結界は消え去った。
本当に消えてしまったのだ。本来ならそれなりの衝撃があるはずなのだが、それすらなかった。
存在を消された……。
「我が名はカース」
魔族の男は相も変わらない無表情のまま両手を広げる。
「さあ。滅びよ」




