第十二話 勇者の力
俺たちはマグマの上の細道を慎重に進んでいく。
皆の顔には一様に緊張が浮かんでいた。俺の魔法で暑さが和らいだとはいえ、下に広がるマグマは俺たちの心の焦燥感を煽ってくる。
「七大ダンジョンはいずれも環境の厳しいところにあります」
そう言ったのはラピスだ。
ただ、こうも付け加えた。
「この『神の祠』は七大ダンジョンの中では最も難易度が低いといわれています」
……マジかよ。
実際まだ入ったばかりなので、どこがどう難易度に関わってくるのか分からない。しかし七大ダンジョンの中で最も難易度が低いという情報は僥倖ではある。
俺の目的はオーピィの病気を治すことだ。だからエリクサーを手に入れることだけは何としても、絶対に達成しなければならない。
ちなみにどうしてここにエリクサーがあることが分かるかというと、それは『ダンジョン手記』に書いてあったからである。
『ダンジョン手記』とはこの世界に存在する、古代ダンジョンの最奥に秘められている宝について記された書物だ。
今までクリアされた古代ダンジョンに眠っていた宝やアイテムは、全て『ダンジョン手記』に書いてあった通りであることが判明している。
ダンジョン手記によれば、この『神の祠』にエリクサーがあるとされているらしい。だからこそ俺はエリクサーを求めてここまでやってきたというわけだ。
ただ、ダンジョン手記は誰が残したものか判明していない。気付いたらこの世に存在していたというのが現在での一般的な認識だ。手記というからには誰かが書いたものに間違いはないのだが……。
誰もクリアしたことのないはずのダンジョンまで全て書いてあるのは不思議だったが、学者がこぞって研究しても、ダンジョン手記に関しては謎が深まるばかりらしい。
一部には神が書き残した神書である、などと主張する者もいるが、真相は未だ不明である。
俺はあらためて目の前に広がるマグマのダンジョンを眺めた。
マグマの海はどこまでも広がっており、その真っ赤な死海はまるで俺たちが落ちるのを誘っているかのよう。
それに加え、辺りに漂うこの感じ……。
「さすがS級ダンジョンだけありますね……」
「……ああ。まだ入ってもいないのに、中から流れ出てくる威圧感が凄まじいよ」
さすがのラピスとギアも喉を鳴らしていた。
が、無理もない。マナを好物とするモンスターの俺ですらもダンジョンから受ける圧迫感に押しつぶされそうになっていた。それだけこのダンジョンのマナが桁違いに濃いことの証拠だ。
思わず俺たちが立ち尽くしていると、突如、リリィが頭を下げてくる。
「申し訳ありません。もしかしたら私の実力では皆様の足手まといになってしまうかもしれません……」
リリィの声からは無念さがにじみ出ていた。
彼女もけして弱いわけではない。普通の姫君の護衛なら問題なくこなせるほどの実力者だ。しかしこの面子の中では実力は一段落ちる。
それでもこのS級ダンジョンまで付いてきたのは、ひとえにラピスの身を案じているからだ。
リリィはクロに向き直ると、さらに深く頭を下げる。
「クロ殿。いざとなったら私は身を挺するつもりではおりますが、それでも力が及ばない時は……どうか姫様のことをお願いできないでしょうか?」
「お任せくださいリリィ殿。ラピス様のことはきっとお守りいたします……ご主人様が」
……こいつ、責任を俺に丸投げしやがったぞ。
同じメイド同士通じるものがあったのか、リリィとクロはいつの間にかとても仲良くなっていた。それなのにこれではリリィの信頼を裏切る形となったのではなかろうか?
そう思い心配になったのだが、リリィは微笑みを浮かべた。
「クロ殿は心底、ネル殿のことを信頼されているのですね」
「それはどうでしょうか」
そこは頷けよ。
「ふふっ、主に仕える者同士、言わずとも分かります。私はクロ殿が信頼するネル殿を信じることにいたしましょう」
何故か俺に責任が全てのしかかる結果となった。……まあ、信頼してもらえるのは嬉しいんですけどね。
「ネル殿。どうかラピス様をよろしくお願いいたします」
「あ、ああ。分かったよ」
「末永く」
……え、どういう意味?
後から一文付け加えるのは卑怯じゃない? やはりリリィはまだ温泉でのあの一件を引きずっているようだった。
当のラピスは首を傾げているが、説明するだけ野暮というものだろう。
ただ、少し腹を割って話したおかげか、皆の肩から無駄な力が抜けたような気がする。
そこから俺たちは再びダンジョン内を進み始めたのだが――
すぐにまた緊張感が漂うことになる。
「……ご主人様、敵です」
「ああ、分かった」
最後尾から声をかけてきたクロ。
彼女が注意を向けている方に気配を探ると……確かに敵がいる。前方に細道から広い岩場へと変わる部分があるのだが、その中にある一際大きな巨岩。その向こうか。
「まさかあの距離……しかも岩の陰になって目視出来ない敵の気配を感じ取るなんてね。僕は言われてから気付いたよ……」
「わ、わたくし、未だに分かりませんわ」
ギアは俺と同じように気付いたようだが、どうやらラピスは気配を感じ取れないらしい。
だが、無理もない。普通は気配を感じ取れる距離ではないだろう。
加えて人には得手不得手がある。
アサシンであるクロは気配察知が得意な方であり、逆に白魔道士であるラピスはそういったことは苦手なはずだ。
しかし、リリィとギアはそれだけとは思えなかったようである。
「本来なら気配察知は弓士である私の方が優れているはずです。それなのに、この私よりも早く……それも最後尾から敵の気配を察知するなんて……」
「……そうだよ。いくらアサシンとはいえ、この距離の敵をあっさり見つけるなんて普通は出来ない。……ねえ、本当に一体彼女は何者なんだい?」
「単に口の悪いクロ猫だよ」
本当のことを言うわけにはいかないので、俺はそのように誤魔化した。が、
「ご主人様に調教された結果、このように口が悪くなってしまいました」
「だから誤解を招くようなことを言うのはやめてくれる!? そんなことだから口が悪いって言ってるんでしょ!?」
するとラピスが首を傾げながら訊いてくる。
「ネル様。『調教』とは一体何です?」
「うん。ラピスは知らなくていいことだよ」
俺は目でクロをキッと睨む。純粋なラピスに汚れた知識を植え付けるんじゃないよ、まったく……。
「と、とにかく、あの岩場まで移動して、一度敵を確認しよう」
「ああ、そうだね」
俺の提案にギアが頷く。どうやらクロのことを誤魔化すことには成功したらしいが、戦闘前にも関わらず、どっと疲れた……。
俺たちは足音を殺しながら岩場まで移動すると、大きな巨岩の側面から、向こう側をそっと覗く。すると見たことのあるモンスターが一匹、通路のど真ん中でくつろいでいた。
リリィの顔が一気に青ざめる。
「あ、あれは、ベヘモス……!?」
そう。前回、奇跡の雫を得た洞窟で最後の部屋にいたラスボスが、いきなり普通に最初の敵として現れたのである。ここはまだ一階の、それも入ってすぐのところだというのに……。
「ま、まさか最強のA級モンスターがこんなところにいるなんて……!」
リリィの体はガクガクと震えていた。どうやら余程あのベヘモスを恐れているらしいが、よく一目見てあのモンスターがベヘモスだと気付いたものだな。それどころかこの恐れ方は……。
「リリィ。もしかして君はベヘモスに会ったことがあるのか?」
「は、はい。実は私は以前、冒険者をやっていたことがありまして、その時に出くわしたことがあります。その時の私はA級冒険者でしたが、それでも全く歯が立たず、逃げ出すので精一杯でした……」
リリィは相変わらず震えているが……まさか姫のお付きをしている人が冒険者をやっていた過去があるなんて思いもしなかった。そこには何か理由でもあるのだろうか?
しかもA級といったら冒険者の中では最高峰だ。特別な存在であるS級を除けば、ではあるが。
ちなみにリリィは現在メイド服ではない。ライトアーマーに身を包み、腰にショートソード、背中には大弓を背負っている。どうやら近接戦も出来る弓士というのが彼女の戦闘スタイルらしい。
ただ、その最高ランクであるA級冒険者をやっていた彼女がここまで怖がるほどの存在。それがベヘモスというわけだ。
「に、逃げましょう。あのようなモンスターがいるなんて思いもしませんでした。ここはまだ一階。奥にはもっと強いモンスターもいるはずです。一旦引き換えし、これからどうするか作戦を練り直した方が……」
リリィがそこまで言いかけた時、ギアがスッと前に出る。
「ここは僕に任せてもらおうか」
俺は訊く。
「一人で大丈夫か?」
「これでも僕は勇者だよ」
「分かった。なら任せる」
「ふふ、ありがとう」
俺と短いやり取りを終えると、ギアはベヘモスに向かって歩き出す。
慌てたのはリリィだ。
「お、お待ちください! いくら勇者さまとはいえ……」
しかし彼女のセリフが終わるのを待たずにギアは岩場の陰から飛び出す。そしてとてつもなく速い動きで一気にベヘモスとの間合いを詰めた。
――グオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
ようやく気付いたベヘモスが雄叫びを上げるが、その頃には既にギアはベヘモスの懐に入っている。
「遅いよ」
ギアは聖剣を鞘から抜くと、自分よりも大分大きなベヘモスに向かって斬り上げた。
――ザンッ!!
ギアの一撃は決まり、ベヘモスの首深く切り裂かれる。
あれは致命傷だ。
しかしベヘモスは倒れなかった。それどころか怒りにまかせてギアを踏みつぶそうとしてくる。
……何て耐久力だよ。しかも見る間に首の傷が塞がっていく。とてつもない回復力……とてつもない生命力だった。俺は前回、首をすっぱり跳ね飛ばしたから分からなかったが、本来はかなり厄介な相手らしい。
一方でギアはベヘモスの攻撃を危なげなく躱していた。
「……思ったより厄介だね。だったら、これならどうかな」
ギアはベヘモスの攻撃を避けながら、体に魔力を纏わせ始める。
ただ、ギアの魔力操作は異常に見えた。
……なんだあの魔力の流れは? いや、もしかして、二つの魔法を同時に操っているのか!?
よく見ると、ギアの右手に『雷属性』の青い輝き。左手には『光属性』の白い輝きがある。
しかもその二つの魔法の輝きは、やがて混じり合うようにして聖剣に移ると一つの光となり、より激しく青白い輝きを放ち始めた。
……あれはまさか二属性融合魔法!? しかもそれを魔法剣として聖剣に移したのか!?
二属性融合魔法は簡単な技術ではない。それは賢者である俺が一番よく知っている。
下手をしたら魔法が暴走する可能性すらある。仮に戦闘中にでも暴走しようものなら、それはもはや致命的だ。
それにも関わらず戦闘中という極度に緊張し、かつ動き回る中、あれほど見事に魔法を完成させるとは……。あまつさえそれを魔法剣にするとなれば、さらにもう一段階上の技術が必要となる。ギアはそれを難なくやってのけた。
「【ライトニングホーリーブレイク】!!」
ギアが雷光魔法を纏った聖剣を一閃すると、激甚たる衝撃と眩いほどの光を放ちながらベヘモスは切り裂かれ、一瞬にして塵と化した。
……な、なんて攻撃力だよ……。
ギアは俺たちの元に戻って来ると軽く息を吐いた。
「ふう。ちょっと苦戦しちゃったね」
「……ぬかせ。ほとんど圧勝だったじゃないか」
「勇者としてはもう少し余裕を持って勝ちたかったんだよ。奥の手を使っちゃったからね」
奥の手、ね。こいつのことだ。まだ他にも隠し玉があるに違いない。
二属性融合魔法に、魔法剣……他に一体どんな力を持っているのだろう?
「ま、まさか、あのベヘモスをたった一人で……それもたった一撃で倒してしまうなんて……」
リリィが茫然とした様子で呟いていた。ベヘモスの恐ろしさを知っている彼女からしたら、今の光景はとても信じられないようだ。
これが当代勇者ギアの力か……。
いずれにせよ、心強い。
………。
……味方で居てくれる限りはね。




