第十一話 祠
あれから数日を経てエムリア王国の王都に辿り着き、そこからさらに東へと行進し十日が経過した頃。
俺たちはエムリア東部のアリアス山を登っている最中だった。
その途中リリィが額の汗を拭いながら、ぽつりと漏らす。
「暑いですね……」
普通、山といったらどちらかというと気温が低いものである。しかも現在この辺りの気候はどちらかというと冬が近付いており気温は低いはずだった。
であるのに何故暑いのか?
ギアがリリィの呟きに答えるようにして口を開く。
「火口が近い証拠だね」
そう。このアリアス山は活火山であり、我々は今、その火口に向かっている。
情報によればこの山の火口付近に『神の祠』への入口があるはずなのだ。
既に馬車は麓の村に置いてきてあり、全員歩きである。かなり高い山だというのに、お姫様のラピスも文句ひとつ言わず付いて来ていた。生粋の姫であり白魔道士であるラピスは体力面が心配だったのだが、意外なことに息一つ切らしていない。……もしかして武道の心得でもあるのだろうか?
そんなことを考えている内に頂上に辿り着き、俺たちの目に火口の様子が飛び込んできた。
真っ赤なマグマが躍るように煮えたぎっており、ブクブクと低い音を出している。
俺たちとは逆方向――風下に向かって煙が流れているにも関わらず、凄まじい熱気がこちらにも伝わってきた。
「これは想像以上だね……」
これまで涼しい顔をしていたギアでさえ汗を浮かべている。それだけここの熱気が凄い証拠だ。
「それで……肝心のダンジョンの入口はどこにあるのですか?」
「事前にトラストから貰った情報によれば、火口付近にあるとのことだけど……」
リリィの質問に答えるようにして俺は辺りに視線を這わす。すると、煙が一瞬だけ揺らいだ瞬間、それが見えた。
「あった! 煙の向こうだ」
火口に向かって下っていく途中にぽっかりと空いた穴を俺が指差すと、リリィの顔が歪んだ。
「ほ、本当に火口のすぐ側なのですね……」
確かにすぐ側だった。あれだと、もし足を滑らせようものならすぐに火口に落ちてしまうことだろう。それほどの位置にダンジョンの入口がある。
それでも顔色が一切変わらないギアとクロ。それとワクワク顔のラピス。……なにこの人たち。心強過ぎ。
一人だけおっかなびっくりのリリィを気遣いつつ、俺たちはダンジョンの入口へと近付いていく。
近くまでいくと煙が邪魔になってきたので、俺は魔法で風を吹かせ、煙を逆方向へと流した。ある程度継続する風魔法なのでしばらくはこちらに煙は来ないだろう。
「へえ。さすが賢者殿」
ギアが感嘆の声を上げるが……何だろう。こいつが言うと褒められている気がしない。
「さすがネル様です」
ラピスが感嘆の声を上げる。ありがとう。素直に受け入れる俺。
「あまりご主人様を褒めないで下さい。この方、すぐに調子に乗りますので」
そして余計なことを言うクロ。……まあ、いいか。まだマシな方だと思おう。そう思っている時点で負けていることに気付いた。
………。
さて、それではダンジョンへと向かうとしよう。
俺たちは足元に気を付けながら、ダンジョンへと続く細い崖道を下っていく。
蹴飛ばした小石が火口へと落ちていき、ジュッと、不吉な音を出してマグマの中へ消えるのを見てゾッとした。あんなところに落ちたらさすがの俺もスライムが全て蒸発して終わりだ。
間もなくダンジョンの入口に辿り着きホッと息を吐く俺たち。
そこで俺は一旦皆を止める。
「そうだ。中に入る前にみんなに渡しておきたいものがあるんだ」
俺はそう言うと『次元倉庫』を開き、中から手の平に収まる程度のコンパスを四つ取り出した。それを一つずつ皆に配っていく。
「これは?」
「フレンドコンパスだ」
ギアの質問に俺はそう答えた。
フレンドコンパスとはその名の通り仲間の位置を示すコンパスのことだ。
フレンドコンパスは二つで一組になっており、互いのコンパスの位置を指し示すようになっている。
「それらのフレンドコンパスの片割れは全て俺が持っている。つまり今渡したコンパスは全部俺を指し示しているというわけだ。仮にはぐれた場合、それを辿って俺の元へ合流して欲しい」
「さすがですわネル様。このような物を用意して下さるなんて」
「い、いやあ、賢者として当然だよ」
俺は照れつつもラピスの笑顔を堪能する。
フレンドコンパスは別に賢者が用意しなければならないということはないが、それなりにレアで市場に数が出回っているわけではない。だから旅先のギアとラピスに用意するのは難しいと思い、俺が揃えただけのことだ。
出来れば全員分の魔力を通したコンパスをそれぞれ持っていたら便利なのだが、皆は『次元倉庫』を会得しているわけではないので荷物になると思い四つにとどめておいた。……いつの日か仲間が出来た時に渡そうと思って密かに用意しておいた代物だったりする。
皆がフレンドコンパスをしまったことを確認してから、俺たちはダンジョンの中へと入った。
中は暗かったので俺は光の魔法で辺りを照らす。
暗くごつごつした岩に囲まれた狭い通路を進み出し、そこからぐるっと火口を周るようにして下っていく。
ぐるぐると周るようにして、一本道の通路をどれだけ下っただろうか?
やがて同じ風景が続く通路に辟易してきた頃、ようやく広い空間に出る。そこは大きな洞窟の内部の様な構造だった。
しかし、そこに見えた光景に俺たちは息を飲む。
天井の一部からマグマがどろどろと流れ落ちており、それらがこの広い空間にまた新たなマグマの池を作っている。
そして、その上を申し訳ない程度に岩場の細道がある状態だった。
「こ、ここを進むのですか……」
リリィが顔を青ざめさせている。
「……これはさすがの僕もキツイかな」
「……そうですわね。ここまでの暑さは体力を余計に消耗させます。何の対策もせずにこのまま進むのは得策ではありません」
これまで顔色を変えなかったギアとラピスでさえ眉を顰めていた。
まあ、確かにこれは普通の人間にはキツイだろうな。それにラピスの言う通り、余計な体力の消耗は思わぬピンチを招くこともある。これはどうにかしなければならない。
そう思った俺は、ある方法を使うことを思い付く。
「俺が魔法で対処する。みんな、そのまま動かないでくれ」
言うが早いか俺は魔法の詠唱を始める。
詠唱が終わると俺は続けて偽の魔法名を唱えた。
「【アクアプロテクト】」
その途端、俺の持つ杖の先から拳の半分ほどの大きさの水の球が五つ浮かび上がり、パーティメンバーに向かって飛んで行った。
水の球はそれぞれの体に触れた途端、薄い水の膜となって皆の体を覆い始める。
全て覆い終わると、ギア、ラピス、リリィ、クロの順で感嘆の声が上がった。
「へえ、これは凄いね。一気に暑さが和らいだよ」
「さすが『青賢者』と名高きネル様ですわ!」
「……水魔法を扱わせたら右に出る者がいないという噂は真実だったのですね」
「悔しいですが、これは罵る気が起きません」
さしものギアのセリフにも一切皮肉を感じなかった。どうやら本当に心から感心してくれているようだ。
それにしてもクロ。無理矢理俺を罵る必要なんてどこにもないと思うんだけど……。この子、俺を罵ることに生き甲斐を感じ過ぎでしょ。
ただ、リリィのセリフだけは少し間違っていると言わざるを得ない。実は、今のは純粋な水魔法ではない。スライムである俺の体の一部で皆の体を覆った、いわばスライム賢者である俺のオリジナル魔法である。
まあ、それを正直に言うわけにはいかないので、ただの水魔法ということにしておくが……。
俺は説明を加える。
「その水の膜は熱さを和らげるだけではないよ。敵の攻撃もある程度までなら防ぐことが出来る。簡単な水の鎧だとでも思ってくれればいい」
そのように説明すると、皆の顔が呆気に取られたものに変わった。そこには畏れすら入っているように見える。
「……まさかそこまでとはね」
「青賢者様の御名声、あらためて痛み感じ入りました」
「それでこそラピス様の婿殿です」
「これからはこれまで以上の敬意をもってご主人様を罵ることにいたします」
ちょっと? メイドの二人のセリフだけおかしいんだけど?
特にリリィはどうやらあの温泉での一件を引きずっているらしい。
ま、まあいいや。今はとにかく前に進もう。
「じゃあ、行こうか」
俺が言うと、皆が頷く。ようやく本格的にダンジョン攻略開始だ。




