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第九話 聖剣

 普通、規模が小さな『村』には宿が一つでもあればよい方だが、温泉を売りにしているだけあってカオチャ村には宿がいくつか存在した。

 ダンジョンの攻略に向かう前、英気を養うべきだというリリィの提案により、俺たちは一番良い宿を選んだ。

 部屋は俺とギアで一部屋。ラピスとリリィで一部屋。

 クロは「影に部屋は不要」などとなんかカッコいいことをほざき始め、どことなくドヤ顔の彼女に突っ込みを入れるのも野暮な気がしたためとりあえずスルーした。

 現在クロとリリィは周辺の探索をしてくると告げて出て行ったので、俺とギアの部屋にラピスを入れて三人だけがいる状態だ。

 俺は、ふと、窓の外を眺める。

 のどかな村にも関わらず十数組も受け入れられるほど大きなこの宿。隣には川が流れ、滝が一望出来るほどに景観が良い。

 ――だというのに宿には俺たちの他に客の姿が見えなかった。

 部屋に挨拶にやって来たこの宿の主に聞くと、この間の地震でエムリア王国との間にある間道が土砂崩れで埋まり、客足が途絶えてしまったらしい。この宿はエムリア王国本国からの貴族や大商人といった上客で成り立っているため、商売が上がったりだと説明された。

 それを聞いて悲しげな顔をしたのはラピスだ。


「これも世界が崩壊に向かっている副産物によるものです。いずれ世界中でこうしたことが起きます。そして最後には世界が崩壊し、全てが消え去ってしまうでしょう。早く……早く、神を復活させて世界を安定させなければ」


 きっと彼女は長いことその大きな使命を抱え込んできたのだろう。それだけに、私事で彼女を拘束していることを俺は申し訳なく思った。


「ごめん、ラピス」

「え? ど、どうしてネル様が謝るのですか?」

「俺の我儘に付き合わせてしまって……」

「な、何をおっしゃるのですか! ネル様の妹様のご病気を治すこともとても大事なことです! それに『神の祠』に行くことはわたくしの目的とも合致しておりますし、気になさらないで下さいませ」

「そう言ってもらえると正直助かる」


 俺はラピスに向かって頭を下げた。

 すると隣にいたギアが口を挟んでくる。


「そうさ。気にすることないよ、ネル。こっちとしても君を世界のごたごたに付き合わせるのは心苦しいんだ。だからギブアンドテイクの方がお互い気が楽でいいだろう?」

「……悪いな」


 勇者であるギアにも気を遣わせてしまっていることを俺は自覚している。


「だから、いいんだって。その代り君の妹さんの病気が治ったら、思う存分君のことをこき使ってあげるから、覚悟しておいてほしいかな?」

「お、おいおい……さすがにそこまで言われると怖いな」


 冗談だと分かっていたので冗談で返すと、俺とギアは笑い合った。だが心の中ではそれでも構わないと思っている。オーピィの病気さえ治れば俺は二人のために尽くそう。

 そのように決心すると俺は次のように提案する。


「エムリア王国への間道はどうせ俺たちも通らなければならない。だから間道を埋めてしまっている土砂は明日、俺たちでなんとかしよう。俺たちの力ならそれが出来るはずだ。そうすればこの宿もまた繁盛することだろう。だからラピス、そんな悲しい顔はもうやめよう?」

「……そうですね。嘆いているより前に進むことを考えるべきです。ふふっ、ネル様。ありがとうございます」


 ようやくラピスに笑顔が戻った。


「さすが賢者だね、ネル」

「お前に言われるとなんか皮肉っぽく聞こえるんだよな。ギア」

「それはひどいなぁ」


 軽口を言い合い俺たち三人は笑い合った。

 ――この三人ならどんなことでも乗り越えられる気がする。

 俺はこの時そう思った。

 確かにそう思ったのだ。


 **************************************


 しばらくするとリリィが探索から戻って来て、ラピスは彼女と一緒に自分の部屋へと戻って行った。

 ちなみにクロはまだ帰ってこない。リリィが言うには「影からご主人様をお守りするのが私の役目」と良い顔でのたまっていたそうで、彼女がそうしたいならそうさせてあげようと思う優しい俺とクロとの相性は意外と悪くないのかもしれない。

 自然、部屋には俺とギアの二人だけになり、そのせいで俺は若干戸惑っていた。

 今までは気の許せるクロがいたり、ラピスと三人でそれなりに重要な話をしていたりしたおかげで間がもっていたが、こうして何もしないで二人だけでいるという状況だと俺はどうしたらいいのか分からない。

 そもそも人見知りの俺にとって仲間と二人きりという時間はこれが初めてで、中々難易度が高い時間帯だった。もしかしたらS級ダンジョンをクリアすることよりも難易度が高いかもしれない。

 俺が手持無沙汰に咳払いをしたり、ベッドに座ったり立ったり挙動不審な動きをしていると、ギアが微笑みながらとんでもないことを言ってくる。


「ふふっ、まるで新婚初夜みたいだね」

「……なんてことを言うんだお前は」


 勇者に対してつい素でツッコんでしまった。


「だって二人きりになった途端に君の落ち着きがなくなったからさ。僕と二人きりでいるのはそんなに緊張するかい?」

「……そうじゃない。そもそも俺は人づきあいが苦手なんだよ」

「へえ。そういうところは賢者っぽいんだね」


 ……他は賢者っぽくなくて悪かったな。


「だったらさ……少し僕に付き合ってくれないかな?」

「付き合う? どこに?」

「ちょっと外まで」

「? 外に何しに行くんだ?」

「付いて来れば分かるよ」


 随分と含みのある言い方だが、一体何だろう?

 ギアはその後何も言わずに部屋の外に出たので、俺も黙って付いて行くしかなかった。


 **************************************


 ギアに連れられるまま川辺を上流へと向かって歩き、人気のない岩場までやって来た。

 辺りには川のせせらぎと鳥たちの囀る声が響くだけ。

 前を歩くギアの背中を見つめながら、俺は思う。

 ――こんなところまで連れてきて一体何の用があるのだろうか?

 内心で首を傾げていると、ふと、ギアの足が止まる。


「うん。この辺でいいかな」


 そのように呟いた次の瞬間、不意にギアの背中から殺気が溢れる。

 ――え?

 ギアは振り向きざまに聖剣を抜刀し、躊躇いなく俺の首に向かって剣を切りつけてきた。

 長年の経験と勘から俺の体は既に動いている。膝を落とし、腰を沈ませ、下方へと回避運動に出た。

 ――本当にギリギリ。とっさにしゃがんだ俺の頭の上を聖剣が通り過ぎていく。

 ……こいつ正気か!?

 ギアに寸止めの意思はなかったようにみえた。直撃していたらいくらスライムの俺でも大ダメージは避けられなかっただろう。もし人間だったら確実に死んでいたはずだ。

 ――しかも驚いたことに、ギアの攻撃は今の一撃に留まらない。

 後方へとバックステップを踏んだ俺に対し、ギアは間合いを詰め、さらに剣を振るってきた。

 二撃目も辛うじて避けるが、そこからもギアは剣を振り続けてくる。

 ……くっ! 俺は紙一重で避け続ける。しかしさすが勇者というべきか、ギアの剣捌きはこれまで見てきた誰よりも凄まじい。反撃しようにも隙など一切なく、それどころか避けるだけで精一杯だった。

 斬られた髪やローブの端が宙に舞う。全てが際どい。もはやいつ当たってもおかしくない状態だ。

 ……このままでは……!

 と、そこで俺は不安定な岩場に足を取られ、ずるりと足が滑り、体勢を崩してしまう。

 し、しまった……!?

 ――そして、ここぞとばかりにギアが聖剣を振りかぶる。

 ……あれはマズイ! あの全力の一撃を食らえばいくらスライムの俺でも致命傷だ!

 しかし俺は体勢を崩したせいであれを避けることは出来そうにない。

 だがギアが剣を振りかぶった隙はこちらにとっても好都合ではある。

 俺は一瞬目を瞑ると右手に神経を集中させた。そして――


「杖、【錬成】!」


 俺の右手に忽然と杖が現れた。

 ギアは一瞬驚いたように目を見開いたが、それでも躊躇いなく剣を振り下ろしてくる。

 俺は杖を両手で持ち直すと、片膝を地面に付けたまま頭上に掲げた。


 ガキィッ!


 かつてないほど重いインパクトが手に響く。

 辛うじて防御が間に合い、俺の杖はギアの一撃を防ぎ切っていた。

 ギアは俺の杖に剣を振り下ろしたままの状態で動かない。

 間近で俺とギアの視線が交錯する。

 辺りには再び川のせせらぎと鳥たちの囀りだけが響いていた。


「うん」


 ギアは小さく頷くと、そっと剣を引いた。それに伴い俺も立ち上がる。

 俺は奴を睨み付けた。


「……どういうつもりだ?」

「どうしても君の力を試したくなったんだ」


 ギアは悪びれることなく笑いながらそのように答えた。


「……試したかった、だと?」

「うん、そうだよ。君の噂は知っていたし、現に目の前にして内に秘めた力も感じた。でも、実際戦ったらどうなのか……。『神の祠』に行く前にどうしても知っておきたかったんだよ」


 ………。確かに筋は通っている。おかげで俺の方もギアの力の一端を垣間見ることが出来た。それを超難関ダンジョンである『神の祠』に行く前に知れたことは確かに大きな収穫だろう。

 しかし……。


「結果としては予想以上だったよ。まさかあの刹那の間で杖を召喚するなんて、さすが賢者だね」


 ギアは俺がこの杖を召喚したと思っているようだが、この杖は召喚したのではない。自分の体で錬成したのだ。スライムであり、かつ賢者である俺だからこそ出来る芸当である。期せずしてスライムの力の一部を見せる形になってしまったが、どうやらバレなかったらしい。

 ――いや、今はそんなことはどうでもいい。


「……ギア。いくら何でも今のはやりすぎじゃないか?」


 文句を言う俺に対し、それでもギアは人の良い笑みを浮かべているだけだった。


「ごめん、悪かったよ。でも、ある程度本気を出さないとお互いの真価は分からないだろう?」

「それはそうだが……」

「それにちゃんと当たらないようにするつもりだったし。実際、君は無傷だよね」

「まあ、確かに……」


 コミュニケーションが下手な俺が口籠っていると、ギアは軽く息を吐く。


「本気で動いたら汗をかいちゃったよ。君も汗だらけだし、少し早いけどお風呂に入ろうか?」


 そう言って、ギアは俺の返事を待たずに宿の方へと歩き始めた。

 ちなみに俺はスライムだが一応人間に擬態している以上、熱を持ったら発汗するようにしてある。さらに言うとギアのせいで冷や汗と普通の汗が混じり合って凄いことになっていた。

 確かに風呂には入りたい。結局、俺はまたギアに付いて行く形となる。

 ――ただ、今はギアの背中が少し怖い。

 さっきの一撃。ギアはああ言っていたが……躊躇いが全くないように見えた。

 ――まるで本気で俺を殺そうとしているようにさえ感じたのは気のせいか?

 ……あいつは一体何を考えている?

 俺はこの時、ギアに対して淡い疑念を抱いた。




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