桜の花嫁修業?part3
一頻り情けない姿を桜に見られたと言うのに、リュートの心は秋晴れの様に晴れていた。
桜を失うかも知れない恐怖が全て無くなった訳ではないけれど、それでも[桜から離れていく]と言う恐怖が無くなったのは大きい。
(涙等とうに渇れ果てたと思っていたけど、どうもそれは違ったらしい)
そんな事を重いながら、桜に膝枕をしてもらい尚且つ頭まで撫でられていたリュートはご満悦だった。
消して信心深いとは言えないリュートだが、幸福とはこれの事か!?と内心神様に祈った程に鉛のように重かった心は急浮上し空高く飛んでいったのだ。
桜がずっと隣にいてくれる、その言葉だけで強大な敵にも勝てそうだ。
だが、何時の時代もこんな幸せは長くは続かない。
ドアを叩くノックの音が仕事と言う敵の訪れを予兆させる効果音となって、愛しい女性の膝枕と言う幸せをぶち壊しに来たのだ。
「リュート様……宜しいでしょうか?」
「……嫌だ……宜しくない……」
声の主は勿論カムイだ。
カムイにして見れば、難しい時間のやりくりをして、遅くきた主人の春の時間をやっと捻出させたのだから、誉められこそすれブスくれられる謂れはない。
「はいはい、入りますよ?」
カムイはリュートの様子など特に気にするでもなく勝手に入室してくる。
その手には大量の書類を抱えていた。
「許可してない」
リュートは桜の膝に顔を埋めて俯せ状態のまま、腕は桜の腰に回して目線さへカムイに向けようとはしない。いや、目を合わせたら負けるとでも思っているのかも知れない。
でも桜とすれば微妙な位置でもぞもぞ喋るのは変な振動が伝わってくるから止めて頂きたい。
「貴方の許可何て待っていたら、世継が生まれて歩き始めても入れませんよ」
カムイは気にもせず、持ってきた書類を机の上にドサッと置いた。
「……鬼……悪魔」
その音で、大量に仕事を持ってきたことを理解したリュートは片側だけカムイの方に顔を向けると抗議した。
その姿は母親に甘えている不貞腐れた子供の様で、威厳も何もあったものではない。
クールで何者も近付く事を許さない氷の彫刻の様な美形は、残念な美形になってしまっている。
顔だけで憧れている娘さん達に是非とも見ていただきたい姿だった。
桜として見れば、ただ可愛いだけだけど。
でも、子供姿のリュートの方が、もっとずっと大人びていた。
「リュート!!」
流石に桜がリュートを叱りつけた。
ただ見ているだけなら良いが、そこに仕事が絡むなら話しは別だ。
仕事を疎かにする男は男じゃないと言うのが桜の価値観だった。
桜に怒られるのは堪えるリュートは身体を持ち上げて桜を見詰める。
その目は多分子犬が『怒ってるの?…ねえ怒ってる?』と聞いてくるつぶらなもので、一瞬怒ることを躊躇して仕舞うそうになる。
「う~!!……ダメな物は駄目です!!…ちゃんと仕事をしない夫なら離婚だよ!?……それでも良いの?」
「絶対にやだ…………」
それでも仕事をしたがらないリュートに桜は奥の手を繰り出した。
「仕事をする男の人って格好いいよね……リュートの格好いいとこ、私に見せて欲しいなあ?」
「……」
リュートの目の色が少しずつ変わっていくのが解る。後一押で落ちる。
「手料理作って待ってるから早く終わらせて私とゆっくりしようね?」
(桜さん上手い!!)
カムイは二人のやり取りを見ていて、既に奥さんの尻に敷かれている姿に苦笑するも昔を知っている身からすれば、リュートの今の姿は微笑ましかった。
しっかり者の桜に任せておけば、寵妃との愛欲に溺れる堕落した王にリュートがなることはないだろう。
寧ろ、桜に格好いいところを見せて誉められたいと言う邪な意識だろうが、希代の賢王にだってなれそうだ。
「……やる………卵焼き、作っておいて……」
のそっと桜の膝から起きたリュートは、それだけ言うと机に向かって仕事を開始した。
元々能力は頗る高いリュートだ。
集中すれば、其ほど苦労する事なく終わらせられる物ばかりだった。
ただ、その量が半端ないだけで。
((落ちた!!))
カムイと桜は互い顔を見合わせて頷きあった。
「じゃあ、カムイさん、リュートをお願い致します。私は部屋に戻りますね…」
桜が部屋から出ていこうとすると、リュートとカムイが揃って止めてきた。
「「危ないから一人では駄目だ(です)」」
「え?……でも…」
二人とも忙しそうで、申し訳ない気持ちが先に立ってしまう。この宮殿の中で一番暇なのは絶対に桜だ。
それが解るから、誰かの手を止めて自分の為に何かをして貰おうとは思えなかった。
「カムイが部屋まで送るから」
「なっ!!、それじゃ悪いでしょ!」
リュートが視線を書類に落としたまま、当然の様に言ってくるから、桜の方が萎縮してしまう。
「桜さん、私がお送りしますよ。……今後は決して一人で行動をなさらないで下さい。……自身でどう思われていようと、貴方はこの国に取ってもう、無くてはならないお方なのですから。……我々は、桜さん、貴女を失う訳にはいかないのです」
強い意思を持ってカムイに言い切られてしまえば、そこまで押しきられてはもう、桜に反論する事は出来なかった。
自分が其ほど大事だとは、今も尚どうしても思えないけれど、唯一桜にも解る事は、桜が傷つけばきっとリュートが悲しむと言う事だけだった。




