二人きりの生活
少し古いけどちゃんとリホームされて小綺麗なこのアパートを私は気に入っていた。
ちょっと隠れ家のような昔の洋風の佇まいも好感を持てた。
唯一の難点は狭い事。それも、広い家だと独り身が余計にリアルに感じられる様で、狭さが今の私には有り難かった。
それでも子供一人増えた位で、窮屈に感じる程でもなく、人の温かさが感じられる距離にホッとした。
ああ、私はこんなにも温もりに飢えていたのか?
だから……私はこの子を見捨てる事が出来ない。けして優しさだけではなくて、偽善でも無くて、ただ必要なだけ。
アパートの一階には小さいけど庭が付いている。私が借りているのは一階の端、北側だけど遮る物はなく日当たりは良かった。日当たりを良くするために天窓が付いているせいでも在るだろう。一階でどうやって天窓が付いているかと言うと、通常のアパートの作りではなく、大きな一軒家を個別に貸せるようにリホームを掛けており、丁度私の部屋には上に階が無いのだ。大屋さんも一緒のアパートにおり、品の良い昔は綺麗だったんだろうなと思えるお婆ちゃんだった。
それが、私がこのアパートを借りた理由だった。
そんな気に入っているアパートに着くと取り敢えず、ホットミルクを少し甘めで作りあの子に飲ませた。
これで少しは落ち着いてくれると良いのだけれど。
私は直ぐにお風呂を沸かした。だって、私のシャツを着せたままだったし、もう結構遅い時間なのだから早く寝かせなければ。
そう言えば、この子はご飯を食べたのだろうか?
「………ねえ、リュート君?」
「リュートでいいよ、お姉さん。お姉さんのお名前も聞いていい?」
上目使いで聞いてこないで!!
可愛いじゃない!
でもそこで初めて自分が名乗ってなかった事に気が付いた。
ああ、家まで連れてきたにも関わらず、名前を言ってもいなかっただなんて何て不覚。 言動を見る限り、年齢以上にしっかりした子に見えるのに、よくそれでこの子も私について来たものだ。 それだけ、今のこの子には選択肢が無かったのかも知れない。
「ごめんね、まだ名乗って無かったね。……私の名前は桜です。……リュート君の生まれた国に有るかはわからないけど、春になるとピンクの花が満開に咲く樹の事何だけど、知ってるかな?」
リュート君は首を横に少しだけ振った。
どうやらリュート君の国には桜の樹が無いらしい。
見るからに洋風の外見だった為、意外にもすんなり納得できている自分がいた。
私はスマホの写真をリュート君に見せた。
教えてあげたい、彼は純粋にそう思わせてくれる子だった。
そう言えば、生前母が桜もいつか、この人を支えてあげたいと思える人と出会えると良いね、と言っていた。
もしかしたら、それはこんな思いなのかも知れない。
「これが桜ね……」
見せて始めて名前負けしている自分に気が付いたのだ。
……どうしよう、見せなきゃ良かった。
ちょっと恥ずかしい。
小さいテーブルを囲むように座っていた私とリュート君だったが、画面を見せるのに隣まで移動したものだから、すぐ近くに天使の様なリュート君の顔がある。
くっそう、こんな天使の前であえて名前負けの案件を出すなんて、私は何てアホなのだろう?……だが、そんな事は後の祭だった。
だけど目の前の天使は私を見上げるように、言ってのけた。
「綺麗な花を咲かせるんだね。……桜さんの名前に良く似合っている」
随分と大人びた事を言う。
一瞬、顔が赤くなりかけたのは、仕方が無い事だと思うわ!!
誰かに言い訳をしたくなってしまった、だって相手は幼子。
各位う私は、成人女性。
「桜さんは、どうして僕を助けてくれたの?」
真っ直ぐに聞かれたから、はぐらかす事が出来ずに素直に心情を溢してしまった。……本来はオブラートに包むべきかも知れないとは解っていても、本当は誰かに辛いと言いたかったのかも知れない。
リュート君は黙って、聞いてくれた。
茶化す事も、途中で言葉を遮ることもせずに聞いてくれたからずっと止まったままだった涙が溢れて来てしまった。
「………御免なさい。……私の身勝手な感情で貴方をここまで連れて来てしまったの」
泣きじゃくる私の顔から涙を指で掬いながら、
「………どうして謝るの?……桜さんは何も悪くないし悪いこともしていないでしょう?」
小さな体で抱き締めて、背中を撫でてくれる。
それがとても安心してしまっていつの間にか私は眠りに付いてしまっていた。
規則正しい生活をしていた筈なのに、今日ばかりは体内時計は正常に働かなかったらしく起きたのはかなり日が高くなってからだった。
久しぶりに熟睡できたお陰か、頭は今までに無いくらいクリアになっている。……あれ?……そう言えば、リュート君の姿がない?……そんな事を考えていると、便利な狭い室内は意図も簡単に彼の君を探し当てる事が出来た。
リュート君は、窓近くに座って外をぼんやり眺めている。
その姿がやけに大人びていて、一瞬、彼が子供であることを忘れそうになった。
「………外見てるの?」
声をかけた私にの方を見たリュート君は、子供らしい表情を見せて笑いかけた。
「おはよう、桜さん」
既におはようの時刻では無いが、彼は解っていて使っていると私には何故か解った。言葉の使い回しに違和感が無いのだ。
……遅すぎると我ながら思うけれどそこでやっと言葉の文化が通じあっていることに気が付いた。
ただ、話せるだけじゃない。
この国の文法迄も理解している。
「………リュート君は日本語が解るのね」
何気無く出た言葉だった。
なのに間髪いれずに挙げ足から言葉尻をとられてしまった。
「………成る程、此処は日本と言う国何ですね」
と彼は言ったのだ。
不可解な事だらけだけど理解出来る現実が、常に正しい訳でもないし、何より現実は私に冷たすぎた。
だから……余計に受け入れて見たかったのかも知れない。
「……桜さんの今日のご予定は?……僕がやるべき事は有りますか?」
うーん、子供らしくない。
兄弟が多かったから、余計に違いを感じてしまう。
そして……そんな事からも、もう2度と会えないんだって思えちゃうのだから、心ってどうする事も出来ない。
たくさん泣きすぎて、涙さえ出てくれない。
「…桜さん?…」
気遣しげに問い掛けてくるリュート君の存在が今の自分を支えてくれる。
だからなのか、嘘を付く気にも慣れなかった。
「ごめんね、ちょっと亡くなった弟たちを思い出しちゃって」
其れ丈でリュート君は察してしまう。
「僕が要るから……思い出してしまいますか?」
長い睫毛を下に下げリュート君はその綺麗な顔を歪ませた。
君がそんな顔をする事なんて無いのに……。
「……そんなにしないで、リュート君の存在が私のプラスになる事が有ってもマイナスには絶対にならないから。……でも、有り難う、正直自分を思いやってくれる人が居てくれる事が今は何より嬉しいの」
だから、有り難うと桜はリュートに伝えた。
ホッとした表情を見せたリュートに桜は申し訳無さを感じてしまう。
小さな子供にさせて良い表情じゃない。
お詫びを兼ねて桜はリュートに提案した。
「ねえ、リュート君。……どこか行ってみたい場所はある?今日は休みだから連れていってあげるよ?」
「……行きたい場所は、」
言葉を濁した。明らかに遠慮しての事だと解った。
「私と出掛けるのは嫌?……私はリュート君とデートしたいなあ?」
わざととぼけて見せる。
乗ってくれると、勘でしか無いがそう思ったから。
「僕も桜さんと出掛けたいです」
その言葉が何故か桜には嬉しかった。
そのあとリュート君は、意外にも桜さんの通っている学校が見たいと言ったのだ。
別に此れと言って珍しくも面白くもない学舎だが彼のリクエストなので、ここは素直に行って見る事にした。