第2話 酒屋「K」
再び酒屋「K」の前へ戻ってきたナヒロは、足を止めた。周囲を慎重に確認する。ナヒロが中へ入るのを止める、先程の少女のような人がほかにいないか見回した。人影がないとドアを開き、素早く体を滑り込ませる。ドアに付けられた鈴が高らかに鳴った。
中に入るとドアに阻まれて聞こえなかった店内の音がはっきりと聞こえてくる。
明かりを極端に少なくさせた店内は薄暗い。それぞれのテーブルに小さなランプがひとつ置かれている。ランプの周りに杯や、酒に合う料理が盛られた皿があり、店内は客で賑わっていた。杯があわせられる音や騒めき。店員が受けた注文を厨房へ頼む声がする。ドアの開く音より室内の音のほうが大きく、新たな客人には誰も目をくれない。
止められずに無事入れたことにほっと一息ついた刹那、強い力で横から腕を掴まれた。
びくりと肩を震わせ、振り仰ぐ。ナヒロの腕を掴んだのは恰幅のよい四十代前半の女性だった。
「あんた、どこの子だ? ここは子供が来るような場所じゃない」
女性はナヒロが誰かの子供だと思われているらしかった。ここが子供の来るような場所じゃないというのは、入る前から知っている。
それでも、入らなければならない理由が、ナヒロにあった。
「ここに用がなければ入ってダメなの?」
「子供が来るには十年早い」
ナヒロをジロリと見定める。厄介なのが来たと言わんばかりの視線に、外へ出たい衝動に駆られる。その感情をぐっと堪えて、見上げた。
「ミルリィーネさんの紹介で……」
きました。というよりも早く女性はナヒロの口をふさぎ、険をはらんだ表情でナヒロを睨んだ。
女性に負けじと瞳を細くし、視線をきつくする。
突然なにを。
女性はナヒロを下から上へ視線を動かし、最後にナヒロの幼い顔にとまり目を細める。
「へぇ。子供がこんなところに用事ねぇ」
女性は少し考え込む仕草をすると、「馬鹿言ってんじゃないよ。さっさと出てお行き!」
ドアを開け放ち、来客の鈴が高らかに、何度も鳴り響く。あまりの音に客達が何事かと、ドアに興味を示した。ナヒロが女性に追い出されようとしているのを必死に踏ん張っている。
ドアの近くに座っている客とナヒロの目が合う。子供のナヒロが場違いな場所に留まろうとしている姿に嘲笑した。
女将に追い出されるようななにかをしでかしたんだろう、と同じテーブルに座り酒を交わす相手に言っているのが聞こえた。
ナヒロは、追い出されるようなこと、なにもしていない。
抵抗虚しく、大人の力に負けた子供は、ドアの向こうへと姿を消したのだった。
「おばさんっ!」
外へ連れ出されたナヒロをゴミを捨てるかのように道へ放り投げられる。外套が地面を擦った。
ナヒロが店に入らないよう、女性は入り口を塞いでしまう。門番のように仁王立ちになり、犬を追い払うかのような、手ぶりをした。
ミルリィーネに店内の女将にミルリィーネの名を言えばわかると言われた。しかしこの扱い。子供の相手はしてもらえないと言ったミルリィーネの言葉は本当だった。
奥歯を強く噛み締めて、ナヒロは女性を睨みあげた。ここで諦めてはいけない。ジェナーンと、ミティーアが亡くなり半年。やっと村から出ることができたというのに。
村人に不審がられないように、 村を出る理由は出稼ぎにしている。子供が金を稼げるわけがないと嘲笑する者ばかりだが、少々のお金があれば村人はそれと信じるであろう。子供が金を稼げる場所を聞いても来るだろう。
しかし、出稼ぎの本当の理由を知っているミルリィーネは、お金なんて稼いでこなくてもすぐに帰って来るように口すっぱく何度も諭された。
残されたアカリを想ってのことだ。ナヒロがいない間、アカリはミルリィーネの家で預かってもらうことになっている。泣くアカリを置いて村を出てきているのだから、ミルリィーネが言うのもわかる。
けれど、まだ、諦めてはいけない。まだなにも始まっていない。子供だからと追い払うような場所だとしても。
「ミネおばさんに教えてもらってきたんですっ。あたしっ……むがっ」
また口を塞がれた。
「大きな声出すんじゃないよ!」
女性は周囲に気を配ると、店の前を歩く旅人らしき人が訝しげに見ている。相手の顔はフードが邪魔をしてみれない。
女性はナヒロの胸倉をつかんだ。足を浮かせたナヒロを店の外壁へ乱暴に押しつける。
「子供がここに来るような場所じゃない。さっさと消えな」
「いやだ!」
ジタバタと暴れるナヒロの口を塞いだ。
「これ以上店の前でしゃべるんじゃないよ! ミネの紹介なら聞かなかったのか?」
瞳を見開き女性を凝視した。知らない。首を振るナヒロに女は呆れる。
「裏から入れ。お前に知りたい情報を教えてやる」
女はそれだけを伝えるとナヒロを離し、周囲を気遣って盛大な罵倒をナヒロに浴びせると、ドアを乱暴に、開け店の中へ戻った。
自由になったナヒロは壁をずるずるとずり下がり、地面に尻をつける。
ただ、驚いた。
子供でも相手にしてくれるかもしれないと聞いていた。子供だからと相手にしてもらえないと半分諦めていた。
村を出る理由にしてたのだからと昼は出稼ぎを頑張るが、子供を理由に断られ、収穫ゼロ。働かせてももらえず、日が暮れてしまった。
夜になれば、ナヒロは情報収集の時間と決めていた。そうなると仕事を探す時間にあてられるのはほんのわずか。昼の間だけ。
お金を村人に頼ることも考えたが、今年は農作物が不作でどこの家も我が家の生計を立てるので手いっぱいだろう。
ナヒロも家の畑で野菜は作っているが、どれも育ってくれず、全滅だ。夫婦が大切に育ててきた野菜だからと、ナヒロなりに実がなるように手間をかけたが、連日の日照りで水が少ない現状では育つことなく枯れてしまった。
ナヒロは壁から背を離し、店の裏口を探し始めた。
店の切れ目に道はなく、大きく迂回するしかない。
「ミネおばさん。大事なこと教えてくれてないじゃん」
裏から入れ。
一番大事なことだ。おかげでとんだ災難だ。
裏口への道も入り組んでおり、そうたやすく「K」にたどり着けない。ナヒロはミルリィーネを浮かべ教えておいてよと一人ごちた。
時間はかかったが、店の裏側のドアをそっと引いた。
店から喧騒が聞こえる。入り口側より五月蝿くない。中を覗くと、ナヒロに裏へ回れと教えてくれた女がいない。
ドアを開けたまま入っていいものかと迷っていると、道を歩いている初老の男性に不審な目で見られた。
人の家の裏口で子供が何をしているのか。
その人は不審な顔をしてナヒロを執拗に怪しんでくる。
何か聞かれたらどうしようと内心焦りが出はじめ、ドアを閉めた。
この家の人に裏から入れといわれたからといえば、酒屋の裏の顔を知る人ならナヒロの目的が知れてしまう。
気にせず通り過ぎて行ってくれることを願い、男性をこわごわと目で追った。
初老の男も歩きながら、ナヒロの行動に目を光らせている。
視線と視線が、絡み合う。
先にそらしたのは初老の男性のほうだった。
咎められることなくやり過ごせたことにほっと安堵する。裏口で騒がれれば、また酒屋に迷惑をかけかねない。
男性の姿が視界から消えたのと同時にナヒロは裏のドアを慎重に引き、体を店内へ滑り込ませた。
長い溜息が自然と零れ落ち、浅い呼吸を繰り返した。初老の男性の恐ろしさから息をするのも忘れていたようだ。
じっとりとした視線がナヒロには犯罪者を見ているように感じた。今後、裏口からはいるときは人影がいないことを確認し、すばやく入ったほうが無難だ。
「遅いじゃないか。待ちくたびれたよ」
後ろからの声にびくりと震えあがり恐る恐る振り返る。
店の表でナヒロを怒鳴った女性がナヒロの後ろで腕を組んで立っていた。
「あんた、情報屋に何が聞きたいんだ?」
先ほどの罵声とは違い穏やかな物言い。だが態度は憮然としていた。
「盗賊ホラルダとヒスメド地方のことが知りたい。教えてくれるんでしょう?」
ナヒロは女性の態度に物おじしなかった。尻込みしていては知りたいことはわからないままだ。
まっすぐ女性の目を見つめ、自分は本気だと訴える。
「うちは、他の情報屋と違ってホイホイと教えるような所じゃない。ましてや子供だからといって容赦もしない」
首をゆっくりと縦に振った。
「情報を持ってきな。こっちの知りたいそれなりにいい情報を持ってきたならそれに見合ったものを提供する。たとえばこちらでは一切知りえなかったものには謝礼金も出す場合もあるが、今までそんな情報は一度も入ってきたことはない。ま、やるかどうかは自分で決めるんだね」
女はナヒロに判断を任せた。教える代わりに他の情報を持って来いと言っているのだが、やるかやらないかは自分で決めろと。
「やるよ。迷いなんか最初からない。おばさんがほしい情報はなに?」
女主人は驚きに目を見開くが、それもほんの一瞬のことだった。ふんと鼻をならすと奥へ引き返し、一か所をとめた分厚い紙束を持ってきた。
「そうさねぇ」
ナヒロの前でぱらりぱらりとすばやくめくっていく。
ある所へくるとその手をぴたりと止めた。
「情報が少ないこれがいいね」
紙きれを束からちぎり取るとずいっとナヒロの前に突き出した。
受け取り目を通す。幼少期に学んだ語学力が初めて役に立った。
書かれた内容は、酒屋バーレイの裏金の内容。弱冠八歳のナヒロでは大変難しいものだった。
「この情報は今朝頼まれたばかりのものでね。とあるお偉い機関へもっていかれる大事な情報だ。これを調べたなら、教えてやるよ。期限は――十日。どうだい? やるかい?」
「わかりました。やります。十日後、楽しみにしててくださいね」
ナヒロは紙を折りたたむとドアノブに手をかけた。
「まちなっ。あんた名前は? わたしはフェルドナさ」
「アランです。フェルドナさん」
「アランお嬢ちゃんね、あんたの情報、こっちでも集めておくさ」
「お願いしますね」
にこりと最後に笑顔を向け、ナヒロは今度こそ酒屋を出て行った。