第1話 謎の少女
両親の一件から半年後。
ナヒロは城下にある裏通りと呼ばれる場所を地図片手に歩いていた。
陽はすでに落ち、仕事を終えた男たちが稼いだお金で、お酒を楽しんでいる。
賑わいを見せる表通りと違う、どんよりと空気の悪さを感じる。悪巧みをする連中の不穏な雰囲気が通りに面するどの家からも漂ってきているような空気が流れている。
地図と道とを交互に見比べながら目印となるものを確認していく。
目印は看板に書かれた「K」の文字。
その店にミルリィーネが名前だけ知る情報屋がいるらしいのだ。男か女か、若いのか年老いているのかもわからない情報屋。
ジェナーンとミティーアは会ったことがあるらしいが、どんな人かミルリィーネは知らないという。
(あ、あった!)
夜風に吹かれ、きしむ音を鳴らせながら古ぼったい木の看板に書かれた「K」という字を見つけた。「K」の上には酒屋と書かれている。
地図を見て、間違いないことを確認した。
風に揺れる看板と同様に、きちんと閉まるか怪しい古い扉の前に立った。
心臓が激しく脈打つ。
扉を開ければ、情報やがいるのだ。
聞きたいことはひとつだけだったが、いまはヒスメド地方と賊ホラルダのこと、両方を教えてもらわなければならない。
情報屋は情報を商品に金銭のやりとりがあるという。金額は、情報屋が決めており、言い値の金が出せないと、店からつまみ出されると言う。
ヒスメド地方は数年前からとても情勢が悪くなっているらしい。それがヒーオメに主が変わってからだと言うから、ヒーオメが領地を兄からほしがった理由がそこに隠れていそうだ。彼の目的を知るにはナヒロはまだ幼かった。
早く大人になりたい。
そう心は願っても、すぐに大人になれるわけでもない。悔しいけれど、今は情報を集めるしかないのだ。数年後の決着をつけるときのために。
意を決し、扉に手をかけた。
ちりん。来客を知らせる鈴が一度小さく高らかになるが扉は開けられなかった。
ナヒロの手は扉を押し開けることなく、手首を掴む誰かの手によって扉から引き離された。
「ちょ、何す……むぐぐ」
今からこの扉を開けて中へ入ろうとしていたのに、止めるとは何事か。
ナヒロは怒りを相手にぶつけようとしたものの、口を塞がれてしまい、それもできなくなった。後ろからはかいじめにされ、ナヒロの邪魔をするのが誰なのか姿の確認もできない。
ナヒロの力一杯の抵抗をものともしないところを考えると大人の人のように思えるが、大人にしては手が小さい。ナヒロと同じ子供なのかもしれない。
「ちょっとこっち来い」
耳元で言われた声音が少し高い。子供だ。
ずるずると引きずられて酒屋「K」から引き離されていく。あそこに行きたいのに……必死で手を伸ばすが扉に手は届かず、空をつかんだだけだった。
ぎぃぃ。
二人が立ち去った後、酒屋Kの扉が静かに開けられた。
鈴が何度か鳴り響き、古い扉は音を出す。
どんなに慎重に開けたとしても、立てつけのわるい扉が音を立てずに開閉したことはない。
扉を開けて、妙齢の女性が出てきた。
周囲を見回し誰もいないことに首をかしげる。
「どうした~?」
中から男の声がかかる。何もないのに扉をあけたことが不思議だったのだろう。
「いや、なんでもない。ただの風さね」
女性は小さく「声がしたと思ったんだけどねぇ」とつぶやき、再度確認をしてから扉を慎重に締めた。
酒屋から離れ、裏路地まで連れて行かれると、ナヒロは解放された。どんなに抵抗しても力が敵わず、ひきづられて来てしまった。
どんな姿の子か見てやろうとすぐに後ろを振り返る、と。
「お、女の子ぉ!?」
男の子だと思っていた相手は、実は女の子だった。
長い茶色の髪に、ひらひらのスカートをはいている。ナヒロより少し背の高い、どこからどう見ても女の子だ。
声音が男に聞こえただけだった。
「女の子?」
驚いてでてしまった叫びに女の子は不審そうに片眉をあげた。
「あ、なんでもない」
「とにかく、こっち。来てください」
少女らしくないへりくだった言い方に、違和感を感じながらも、ナヒロはつかまれた手を振りほどこうとするが解けない。諦めて、少女について歩いて行った。
「君、あの店がどういうところか知ってるの?」
賑わう表通りにでると、少女はほっと安堵した。裏通りはやはり緊張するらしい。ナヒロもビクビクしながら、「K」まで歩いた。なにがおきてもおかしくない雰囲気があの通りにはある。
少女は、歩きながらナヒロに問うてきた。
「知ってる」
どうみても同じ年齢に見える少女に問い詰められるのは不愉快に感じた。知っていて訪ねて行ったことを相手にわからせるために、自分の知っていることを場所を考えずに話しだした。
「表向きは酒屋。だけど店内は裏情報が飛び交う裏……」
裏組織、という前に少女の手によって、また遮られた。
貴女が聞いてきたから正直に知っていると証明するために話したのに、止めることはないのではないだろうか。
「なにすんのよ!」
口を覆う少女の手を振り払う。
「それ以上、ここでしゃべらないで」
ここ? と思いながら周囲を見回すと、いつのまにかナヒロへ冷たい視線が向けられていた。この場所では触れていい話ではないようだ。
「ちょっと、譲ちゃん。今裏情報っていったか?」
ナヒロの近くにいた四十代の丸刈りの背が高い男が、威圧するように近寄ってきた。
「いっ……ううん、言ってない。言ってないよ! 一言も言ってない!」
男の異様な雰囲気がナヒロをそうさせなかった。頷いていたら、どうなっていただろう。
男の瞳には怒りの焔がともっているようにも見えた。
「本当か? レイカ」
「ええ、言ってないですよ」
ナヒロの隣にいた少女は名前を呼ばれ、さわやかな笑顔で嘘をいう。
「そうか。オレの聞き違いか」
「そうです」
「悪かったな、止めて」
「とんでもないです。こちらもそうとられるようなことを話していたのが悪いんですから」
レイカと呼ばれた少女は微笑んだ。
男はバツが悪そう後頭部をかきながら、椅子に座りなおし、別の男性と談笑を始めた。
しんとしていた周囲が、男性が、席に戻ることで賑やかさを取り戻す。
「はぁ」
レイカは大きく息を吐き出すと、呆れた顔でナヒロを少し見下ろした。
「君ね、場所を考えてよ」
ぐいと手首をつかまれるも、ナヒロは抵抗しなかった。
今のは確かに自分に非があったのは認める。場所も考えず、ポロリと口にしたのはよくなかった。
レイカは抵抗をなくしたナヒロを人通りの少ない場所まで連れてくると、手を離した。
「もうあんな危ない場所、近寄らない方がいいよ」
「あそこはあんたにとっては危ないかもしれないけど、あたしにとって、危ないところじゃない。あたしのほしい情報を売ってくれるなくてはならない場所だ!!」
言うだけ言って離れていく少女の背中へ、ナヒロは声を荒げた。
すがりつきたい思いで、酒屋「K」へ入ろうとしたのを止められ、引き離されたあげく、事情も話さず近寄るなと言われ、はいそうですかと納得する素直なナヒロではない。
まだ、領主の娘といわれていた時代であったのなら、何の疑いもなく言われたようにしていただろう。
今のナヒロにそんな考えはない。納得できないことには従えない。
「なら、納得できる事実が起きるまでさ。あそこはいずれ、なくなる」
レイカは立ち止まるとその場で後ろを振り返った。
その表情は恐ろしいとさえ感じさせる冷え切った笑顔があった。
冷たい汗が背中をつたう。
本当に同じ年頃の少女なのだろうかと疑う。
ナヒロは村の中でも頭のいい方であるが、レイカはナヒロよりも頭が切れる気がした。
「そ、それがなによ」
動揺していることを悟られないよう努めて冷静にしようとするが、声が上ずってしまう。
「なんでも。ただ、何かあった時に君があの店にいない方がいいと思っただけ。かかわらない方がいいよ。必要以上にね」
何が言いたいのかナヒロにはさっぱりわからないが、「K」がとても怪しい店であることはわかった。
怪しいとわかっても、引き下がるわけにはいかない。
「ご忠告どうもありがとう」
とてもお礼とは思えない言い方をした後、踵を返し走った。