第3話 受け入れられない現実
目を覚ますと、見知った天井じゃなかった。ミルリィーネの家だと知る。
今は、夜? それとも昼になってしまっているのだろうか。
ナヒロは暫くぼうっとした後――なにがあったかを思い出した。
ジェナーンとミティーアがもういないという受け入れられない事実に、ナヒロは絶望を感じた。
閉じた瞼に両腕を乗せる。今は目を開けていたくない。
「おや、起きたかい?」
布の擦れる音に、ミルリィーネが気がついて、声をかけてきた。
返事をする気力が出ず、身じろぎしないで、寝たふりを続けていると。
「ローラ、起きてるんだろう?」
呆れられてしまった。
両腕を顔から外して、起き上がる。
ナヒロの表情を見たミルリィーネは、泣きそうな顔でナヒロを抱きしめた。
背中に回された掌が暖かい。ミティーアとは違ったふくよかな柔らかい体格が、ナヒロを優しく包み込む。
「おばさん」
息苦しいと身じろぎすると、余計に腕の力が強まる。
「いまは抱きしめさせておくれ」
涙ぐむ声にナヒロは暫く抱きしめられていた。
背中の腕の力が弱まり、離れるとミルリィーネの瞳に涙が浮かんでいた。
見なかったことにして、顔をそらす。
「こんなことになるのなら、行かせなきゃよかったよ。ローラ、悪いのは私さ」
どういうことなのだろう。
疑問をそのままミルリィーネにぶつけた。
ジェナーンとミティーアは一年前から、ナヒロの故郷ヒスメドの情報を探り始めた。デニレローエ村には、村から出る時になぜ出なければならないのか、村長に言わなければならない。誰が作ったのか、面倒なルールに従わなければならず、ヒスメド地方の情報収集の為に村を出て行くと言えば、二人と全く無関係な地方の情報収集をする必要性が解らないと言われる。
夫婦の出身はヒスメド地方ではなく、アカリもそうだ。ヒスメド地方に足を一度も踏み入れていない人が、商人でもないのに、調べに行くのはおかしい。
変に思われるよりも、野菜だけでは生計が成り立たないから出稼ぎへ行くと言った方が表向きはいい。出稼ぎに行くと言っているのに、お金を持っていないと変だ。いくらかお金を稼いで帰ってくるので、夫婦が村を出て行っている本当の理由を村人は知らない。
そしてナヒロは二人がヒスメドの情報を何処から手に入れているか知らない。
村を出ずにどうやって知れると言うのだ。
日々変わる情報を教えてくれる村の外の人間と二人が繋がっているようには見えない。
「二人がヒスメド地方の情報を探っているのは知っているかい?」
「聞いてるから知ってる」
「そうかい。それなら、ローラ。よく聞くんだよ」
何を? と聞こうとして口を開く。が、その言葉が出ることはなかった。
ミルリィーネの様子が明らかに変だ。
「二人にヒスメドの情報を流しているのは私だよ」
ミルリィーネは黙っていたことを一息に吐き出してしまうようにナヒロへ言った。
「私なんだよ、ローラ」
呆然とするナヒロにもう一度告げる。
「顔は知らないが、昔、情報交換をしていた気がしれない人がいるんだよ。その人が今でも定期的に情報を送ってくれていて……」
その中に二人が知りたがっているヒスメド地方の情報が入っていたと言う。
ミルリィーネから夫婦へヒスメド地方の情報が流れていた。新しい情報を知ると、首都に限らずあらゆる場所へ行っていたのだそうだ。
今回出稼ぎへ行ったのも、ミルリィーネから新しくとても危険な匂いのする情報が送られてきたからだ。
「おばさんは昔、何をしていたのですか?」
こんなとてもヤバイ情報を教えてもらえる知り合いが、簡単に出会えるととても思えない。
ミルリィーネが裏情報を扱う筋の仕事を過去にしていたのなら話は別になるが。
「あまり言いたくないさね」
いつもは優しくも厳しいミルリィーネがこの時だけは、張り詰めた声で、拒否した。眇められた瞳に、ナヒロの頭が一瞬で凍りつく。
昔のことを興味本位に聞かない方が身のためだ。
「わ、わかった。ごめんなさい」
「ローラは集会場でのことを覚えているかい?」
忘れたくても忘れられるわけがない。
いまだに信じられないのだ。二人がもうあの家に帰ってこないなんて。
「覚えてる」
「二人が……なんて信じたくないのは、おばさんも同じだよ。赤の他人にそんなこと言われて、誰が信じるものですか」
ミルリィーネは言いたくないのか言葉を濁した。ナヒロも口にしたくない。
「……」
「おばさんだってね、あんなにやさしい二人が、あんたたち幼い子供たちをおいて……なんて、あるはずないと思いたい」
「……」
「でもね……」
「嘘じゃないんだね」
ナヒロに両親が亡くなったことを理解させたくて、必至でミルリィーネが言葉を選んで話すのをナヒロは遮った。
「もう、帰ってこないんだ」
独り言のように呟いた。
ナヒロは自分の両親だけでなく、快く我が子として迎え入れてくれた家族までも、ヒスメド地方の為になくしてしまった。
ミルリィーネはその姿にたまらなく悲しくなって、ナヒロを抱きしめる。
七歳が受け止めるにしては残酷すぎる。
ミルリィーネは悲しみに膨れ上がる気持ちを押さえつけるように一息ついた。
「わたしはね、ローラにあの青年が言っていたことを今伝えるべきか、後から伝えるべきか悩んだのさ。あんたに伝えることにするよ。大事なことだからさ」
青年。村へジェナーン、ミティーアがなくなったことを知らせにきた男のことだ。
憔悴しきった顔で、ナヒロの顔をみて、怯えた。
あの男は許せない。
ナヒロにとっても大切な人たちの命が消えていくときに、助けもしなかった。
その場にいたなら、助けてくれればいいのに。どうしてそれができなかったのか。
ナヒロよりも力のある大人なのに。人を助けることもできない男なのかと。
「その男がなに?」
怒りを押し殺し、冷徹に言い放つと、ミルリィーネが悲しそうに視線を落とした。
「ただ、事実をローラに伝えてほしいと頼まれてね」
事実? 助けられなかった事実。なにを聞いても言い訳にしか聞こえない。
「聞こうじゃない。話によっては殴りこんでやる」
きっと、まだ、集会場にいるはずだ。
怒りで体を戦慄かせ、ナヒロはミルリィーネに迫った。
「ローラは最近、巷で騒がれている盗賊を知っているかい?」
「知ってる」
盗賊団の名はホラルダ。主の名は、ジェキス。
かつて、ナヒロの家族や屋敷に住まう人々の命を奪った賊の名前だ。
彼らは、山賊業から盗賊業へと生業を映し、今も誰かを狙っている。
高価なものは服だろうとはぎ取り、指輪、絹、金銀細工、すべてを奪い去る。
最低な男たち。
ジェナーンとミティーアがナヒロへこっそりと教えてくれた情報だ。
「どうやら、犯人はその人たちらしいのだよ。デニレローエへ帰る途中に、とても危ない崖道があるらしい。彼がその崖道を一人で歩いている時に、そのホラルダと名乗る盗賊に襲われたんだそうだよ。そうたいした金品をなにも持っていなかった青年は恐怖に青ざめ、崖から身なげをして、下を流れる川へ落ちたほうがましだと思ったときに」
ジェナーンとミティーアがその道を歩いてきて、青年が襲われているのを目撃した。襲われている青年を無視できなかった二人は、青年をかばってその盗賊どもから守ろうとした。一人は年若い女性。一人は青年と変わらない年頃の男性。盗賊もこれはいい機会だとばかりに、ミティーアを我が物にしようと手を出した。それをかばおうとしてジェナーンは誤って崖の下へ落ちてしまい、泣き叫ぶミティーアは盗賊に引きずられるようにして連れて行かれた。
青年は盗賊に両手を縛られて動けなかった。縛られてたロープを自力で切り、ジェナーンを探しに川を降ると、ジェナーンは流されてしまったのか姿が見つけられなかった。ミティーアは探そうにも手がかりがない。自分のせいで巻き込んでしまったのだからと、彼なりに探した結果。
崖道からあまり離れていない、人が通らない場所で見つかりはした。しかし、とても言葉に表せられない状態で。どうしようもできなかった。
「ローラ、彼はとても後悔していたよ。彼の事は許せないかもしれないけどね、巻き込んででしまった二人のことを……」
そのあと、ミルリィーネが彼の事をかばっていたような気がする。気がするというのも、ナヒロの耳にはミルリィーネの言葉は全く届いていなかった。
助けられたから、助けたいのに、助けれなかった。その気持ちが痛いほどナヒロにはわかった。
二年前、叔父のたくらみによって襲われた屋敷。屋敷には何人も使用人がいて、家族がいて。また会おうと誓ったのに、生きた姿でナヒロに会えた人は誰もいなかった。
自分がまだ五歳という幼い子供でなければ……父の手助けをできるぐらいに大人であったのなら。
そしたら、状況は少し変わっていたかもしれない。
自分の弱さを悔い、それを背負っていかなくてはならないつらさはよくわかる。
今の自分がそうだから。
あのとき、母に言われるままにあそこで待たずに助けを求めに走って行っていたら、何かが変わっていたのかもしれない。
何かを変えるには自分が動かなきゃいけない。
後悔して苦しむなら、動いて後悔した方がいい。
このとき、ナヒロはあることを決めた。
長い長い時間がかかるかもしれないけれど、必ず見つける。
自分の両親のため、ナヒロを救ってくれた両親のために。
「ありがと。ミネおばさん。彼が頑張ってくれたの、痛いぐらい判った」
ナヒロはミルリィーネの手をつかんだ。
ミルリィーネは驚いて、顔をあげる。
その先にあるのはナヒロの笑顔。いつもの、愛らしい笑顔があった。
「それでね、おばさんにお願いがあるの」
「いいさ。なんでもいってごらん」
ミルリィーネは内容を聞く前にあっさりと承諾した。
「その盗賊の情報を集めたいの。両親に変わって私がやる。協力してもらってもいいかな?」
この頼みに、ミルリィーネは瞳がこぼれんばかりに目を開いて驚いたのだった。
もう、十八になるまで待っていられない。ヒスメド地方を取り戻す為に他の人が犠牲になってしまうのなら、自分が動いて危険な目にあえばいい。
そうすれば、もう苦しむことはないだろうから。