第2話 集会所
出稼ぎに行った両親はいつも突然帰ってくる。
家をあけている期間は、短くて十日の時もあれば、一ヶ月近く帰らない時もある。
帰ってくると、一家が三ヶ月は暮らせる金銭と、ナヒロにはヒスメド地方の情報を少ないながらも仕入れてくる。どんなに馬鹿らしい話でも、ナヒロにとっては大切な情報だった。
危険でも話を聞いてくる、と出て行ってから二週間がたったある日。
心配でならないナヒロは、日が昇っている間は一日に何度でも村の出入り口へ続く道の先を見ては、人影のない景色に複雑な溜息をついた。誰もこないということは、ナヒロが考える最悪な状況になっていないということ。稼ぎの名目で家を出てから日が昇っている間は、一時間に何度でも確認してしまう。
――早く帰ってきてほしい。
祈る思いで、道を眺めた。
村の奥に位置する我が家は、用事がない限り、誰一人通らない。
初夏の陽気に、肌をじわじわと焼かれながら、暑さに頭がぼうっとする。暇だなぁと思いながら、玄関前で座り込み景色を眺めていた。
何気なく周囲を見渡してみれば、家の壁によりかけて竹箒が置いてある。
朝方、アカリが玄関先を掃除していた。その時に使って、片付けずに置いたままになっている。
ふと思いつき、箒を手に取る。
柄の淵を持ち、空を切るように上から振り下した。
今度は、横へ振る。
「……」
いい運動になりそうだ。
誰も通らない道端で、ナヒロは無心になって箒を振り回していた。
「ローちゃん、なにしてるの?」
夢中で箒を振り回していると、玄関のドアを開けてアカリは不思議そうにこちらを覗き見ていた。
全然気づかなかった。いつからそこにいたのか、きょとんとしてアカリは息の上がったナヒロを見ている。
「ちょっとね。アカリはそこで何してるの?」
アカリは、にこっと愛らしく笑い、玄関から出てくる。
「ほうき、かたづけるの」
出しっ放しになっているこの箒を思い出して玄関へ来たらしい。
持っていた箒をアカリに渡そうとして、自分よりも小さなアカリより、ナヒロが片付け方が早い。
「わたしが片付けておくよ」
アカリが放置しておいた箒を剣の代わりにして振り回していた。夕方までの水やりまで箒を振り回すつもりでいた。
「いいの?」
「いいよ。まだ、使いたいから。アカリは他にすることあるんじゃない?」
ナヒロが家事全般何もできない代わりに、アカリは
ミルリィーネから、子供のできる範囲で家事を教えてもらっていた。
「うん。ミネおばさんの家に行くの」
「終わったら後から行く」
「まってるね」
息を少し乱しながら、ミルリィーネの家に向かうアカリの後ろ姿を見送った。数メートル離れていると言っても歩けばすぐの距離。心配しなくても、すぐに目的地に着く。
ナヒロは呼吸を整えた後、箒を両手に持ち一心不乱に振り回し始めた。
陽が沈み始めた夕方。家の裏にある広い畑で育てている作物に水を上げ終わったナヒロは、片付けを済ませる。
両親が出ている間、夜はミルリィーネの家で寝泊まりし、昼は自分の家で過ごすことが多い。
アカリはナヒロがたまに、外へ連れ出し村の子供達と遊ぶように促すが、どうもうまく波長が合わないらしく、すぐに帰ってきてしまう。
子供同士遊ばないと、両親が心配して、ナヒロに聞いてくるのだ。
どうしてアカリは遊ばないのか知らないか、と。
アカリが遊びに行きたくない原因が誰か知っている。
ミルリィーネの末っ子リーライと、村長の娘ブリエッサだ。リーライはアカリが好きで、どうやって振り向いてもらう方法が判らず、アカリをからかって遊んだ。そうすると、自然とリーライと仲良しの男たちも面白がってアカリをからかい、よくない流れが子供達の間にできてしまった。
アカリは抵抗するでもなく、ただ泣くのを必死に我慢して、ナヒロを見つけると全力疾走でナヒロの背中に隠れてしまう。
男の子は全て自分のものだと、とんでもない勘違いをしているブリエッサは、男の子に構ってもらっているアカリが気に入らない。
村の女子に、アカリと遊んだら村から追放と言って、そんな権力もなく出来もしないことを言い聞かせ、アカリと遊ばないように手を回している。
この事情を知らない両親は、アカリが外へ行きたがらない理由が判らない。両親を心配させまいと、家からアカリを連れ出してナヒロとリーライの姉、ミユーアがアカリと遊ぶようになった。
「ローラ!」
玄関を出たところで呼ばれた。道を走ってくる人影が見える。
両親が帰ってきたのだろうかと、目を凝らす。人影は一つ。少しふくよかな体格は両親のものでない。
落胆の息を吐き出し、箒を下ろした。ミルリィーネだ。
今から行くというのに、慌てた声でどうしたのだろう。
「おばさん。そんなに慌ててどうかした?」
ミルリィーネが慌てる理由が思い浮かばない。ミルリィーネは顔を蒼白にさせて、息を整えると髪がボサボサになっているのも構わずに、ローラの肩を力強くつかんだ。爪が肩に食い込んで痛い。
「い、いいかい。ローラ、心を落ち着けて、よく聞くんだよ」
話を聞いていないのに、心を落ち着かせろとはどういうことだ。ナヒロにかかわる重大なことといえば、アカリか両親のことだ。ナヒロがヒスメド領主の娘だとミルリィーネに言っていない。
まさか――
「父と、母になにかあったのですか?」
アカリではなく頭に浮かんできたのは、この二人だった。
「そうさ。二人を知っているって人がいま来てるのだよ」
「どうゆうこと?」
「こっちだよ。このことは、まだアカリに言っていないんだよ」
アカリに言えないことで、ナヒロに言えること。
ナヒロは、ミルリィーネの後から走ってついて行った。
二人を知る人とは誰のことなのだろうか。
一体、二人の身に何が起きたのか。
不安が募る中、誰もいない暗い夕暮れ道を二人は目的地へ向けて走った。
ジェナーン、ミティーアを知るという人は村の集会場にいた。
集会場は村の中心、村長の家のすぐ前にある。
そこで、大勢の子供を除いた大人たちが集まり、ナヒロが来るのを待っていた。しんとした緊迫した空気を引き裂くようにばたん、と扉が開かれた。一斉に、村人たちがそちらへ向く。ナヒロが肩で息をして入口に立っていた。
「ローラ!」
入口に一番近い場所に座っていた白髪の六十歳を超えた容貌をした老婆がナヒロの名を呼び、駆け寄った。ナヒロの右手を取った。
皺の多い手は震えている。両親に何かがあったのだ。
「ローラ、よく聞くんだよ」
「ヘルさん!」
ナヒロに何を言おうとしているのかを悟り、ミルリィーネが老婆の名を呼ぶ。声音で強く制する。それ以上言ってはならないと。
「ああ、すまない。つい……」
老婆は涙を堪えた瞳を伏せ、手を離す。
ミルリィーネが老婆の口を止めたことで、ナヒロは周囲を見回した。
皆が皆、ナヒロと視線があうとさりげなく顔をそむける。その瞳は揺れ動き、ナヒロと目があうとそらされてしまう。その行動で、この人たちは何かを隠していると悟った。
ナヒロが聞かされる話を"両親を知る人"から大人たちはすでに聞いているのだろう。
前に立つ老婆へ視線を動かす。老婆はほかの大人たちと違い、そらすことはなかった。その瞳は大きく揺らいで、今にも涙があふれ出しそうだ。
「ローラ、こっちだよ」
「はい」
ナヒロは村人たちがあけた道をミルリィーネと歩きだす。その先で立つ村長と、あきらかに村の人ではない男の人。
歳は二十歳後半から、三十歳ぐらいで、ほっそりとした体躯に、ぼさぼさの髪。
顔面を蒼白にして、村長の隣に座している。
その人の前へ歩いて行く。ナヒロを集まった村人は息をひそめて見ている。周囲の緊張が空気に伝わり、ナヒロに異様な重苦しい空気を感じ取った。
これは、普通の集会ではない。
集会場で集会を開くのは大抵、村祭りか、農作物の刈入れ時など、村人に伝えることがある時に開放される。
皆が笑顔で、子供も大人も関係なく楽しく語り合う場。内容によっては重苦しく、子供たちを入れない場合もある。
ナヒロは息をのんだ。
最悪の事態が起きたのかもしれない。
背中を冷たい汗が流れる。
心臓が激しく鳴る。
(聞きたくない)
ナヒロは咄嗟にそう思った。
今すぐここから、走りだしたい。逃げだしたい。衝動に駆られる。
けれど、できない。
強くつかまれたミルリィーネの手がナヒロを前へ前へ進ませる。
両親が外へ出て行き、帰ってくるまで、いつも心配していた。無事帰ってくるように、毎日祈っていた。
二人の子供ではないけれど、幼いアカリをおいてどこかへ行かないで、と切に願っていた。
男の人の前に着く。
ナヒロは村人が座る床より一段高い床に座る男の人を見下ろした。
大体、村長しか座ってはならない場所で並んで座っている。ナヒロを見上げ、びくりと肩を大きく飛び跳ねさせた。一歩後ろに下がる。
「ローラ、顔が怖い」
村長に指摘される。朗らかに笑えと。この状況で出来るわけない。
見た目小心者のようにえる男。
この人は何をナヒロに言うつもりなのか。
ナヒロの不安を煽るようなことを言いに来たのだろうか。ナヒロは睨みつけるような鋭い視線を上から男へ送っていた。
「ローラ、座りな」
ミルリィーネの声ではっとする。
ミルリィーネはすでに床に座っていた。
立ったまま、じっと男の人を見下ろすナヒロの腕を引っ張り座るよう促す。
ナヒロはしぶしぶ座る。
「ローラ、心して聞きなさい」
ナヒロは座っても、じっと男の人を凝視した。男は顔を伏せている。必死でナヒロと顔をあわせないようにしているようにもとれる。
「内容によります」
「おぬしは今年で八歳になる。周りの同年代の子供やアカリより賢い。わしの言うことは理解できるであろう? それに、おぬしは知っておいた方がよいじゃろう」
男は一言も口を開かない代わりに、村長が話を進める。
(知っておいた方がいい? 一体何を?)
ジェナーンとミティーアのことだとばかり思っていたが違う話なのだろうか?
「ローラ、おぬしの両親は、今出稼ぎに行っているじゃろ?」
「そうだけど?」
「その、うぉっほん。あのな……その……」
村長は続きが言いづらいようで、先が進まない。
二人に何があったというのか。
まさか、ナヒロが一番避けたいと思っていた、最悪の事態が起きたのだろうか?
「村長。自分で言うと言ったでしょ? ちゃんと言ってください」
なかなか話そうとしない村長にじれったさを感じミルリィーネが口をはさむ。
「う、うむ」
なぜか脂汗を顔中にかきながら、村長はうなずいた。
いつもの「わかっとるわぁ!」という反撃が、ない。どこかおかしい。
ナヒロは首をかしげつつも、小さく息を吐いた。
村長の緊張が自分にも気付かぬうちに伝わってきていた。息をするのも忘れるほどに、ナジカも緊張し、村長の話を待つ。
「二人が、事故で亡くなったんじゃ」
ナヒロに衝撃がきた。
瞳がこぼれんばかりに目を大きく見開く。
亡くなった?
二人って、いったい誰が?
誰が事故に?
何の、事故に?
疑問符が頭の中でいっぱいになる。
「ねえ、二人って誰? 誰のこと?」
震える唇を抑えることが出来ず、声が震える。
「ジェナーンとミティーアじゃ」
村長が重い口を開いて、ナヒロに伝えた。ぐっと口を閉ざし、俯く。
「え?」
ナヒロは固まった。
「何を言っているの? そんなこと、ないよね? ねえ、ミネおばさん」
信じたくなくて、隣のミルリィーネにすがる。
違うと言ってほしくて。二人とは、ジェナーンとミティーアのことじゃないと。
まさか、まだ四歳の我が子をおいて他界したりなんてしないと。
「ローラ、信じたくないのはわかる。わたしだって信じたくない。――だけどね、この方がそうおっしゃるんだよ。その場にいたんだと」
ナヒロは、村長から隣に座る青年へ顔を動かした。
青年はびくりとして、体をちぢこめる。
「ローラ!!」
ナヒロは、ゆらりと立ち上がると、皆が止める声を無視して、青年の胸倉をつかみ上げた。
「どういうこと? ねぇ! どういうことよ!?」
声を荒げる。
その場にいたと村長は言った。その場にいたなら、何で二人を死なせたりした? どうして、助けを呼んでくれなかったのか。
その場にいたなら、なぜ……命を見捨てるような真似をしたのか。
二人にはまだ幼い子供がいる。可愛いアカリがいる。今も何も知らず、幸せな寝顔で昼寝をしているだろう。
「ローラ、やめなさい!」
横からミルリィーネが止めに入る。
ナヒロの両腕をつかみ、青年から引きはがそうとする。
その力に負けないように、青年の服をつかんでいた。
もう、人が死ぬことを聞きたくない。
死ぬのは自分の家族だけで十分だ。
あの時の悲しさと悔しさ、切なさを思い出し、涙があふれてきた。
こんな辛い思い、アカリにさせたくないのに。
「あんた、あたしよりも大人でしょ? どうして父さんと母さんを見捨てたの!」
泣き叫ぶ。
ナヒロはこの湧き上がる怒りを誰にぶち当てればいいのか、判らない。
「ローラ!」
他の大人たちも加わり、ナヒロから青年を無理やり引きはがした。
それでも、ナヒロは叫んだ。「人でなし」と。何度も何度も。
興奮して、まともに考えられないナヒロをミルリィーネは集会場から引きずって外へ連れだした。
ミルリィーネの夫、ルエンが後から外へ出てくる。
顔は涙で汚くなっていた。
集会場がどんどん遠くなる。
それでも、叫んだ。「どうして助けてくれなかったの」と。
集会場から離れ、時間がたつと、ナヒロは泣き疲れたのと叫び疲れたので、眠りについた。
そのナヒロをミルリィーネは、ナヒロの家ではなく、自分の家へ連れて行った。
夫に、三人の子供を連れ出す役目を負ってもらう。
ミルリィーネは、こんこんと眠る、ナヒロを前に、ふうと一息ついた。
この子は、賢い。
それは、ミルリィーネの長男イズミと比べても、賢いと思う。まだ八歳という年齢で周囲の空気を読み、人に心配させまいとする行動はとても八歳と思えない。
初めてあった日、ジェナーンとミティーアは「わたしたちの子供です」と言っていた。
けれど、おっとりとした二人の子だと言われても、やっぱり信じられない。
妹のアカリもそれを引き継いでいる。
だが、この子だけは。二人の性格のどれにも当てはまらない。
三人がおっとりとした性格だから、自然としっかりとしていったのだろうと思ったのだが……。
「わたしが、言わなきゃ、いけないのよね」
村長ではないけれど、言いたくない。まだ幼い二人を残して両親が他界したことを。
気が重いが、言わなければならない。
どうして、そうなったのかを。青年から、聞かされた事実を教える役目はミルリィーネなのだ。
眠るナヒロを眺めながら、夢の中だけは彼女に優しければいいと願う。
夢では幸せであるといい。
眠りから醒めたとき、つらい現実がまっているとしても、どうか、夢だけは幸せであるといい。
ミルリィーネは願いながら、何から話していくべきか、どう話せば、興奮させず、現実逃避せず聞いてもらえるのか、その順番に頭を悩ませた。