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あなたに会うまで  作者: 柚希
1幕
4/36

第4話 新しい名

 朝目が醒めると、(かたわら)でアカリがナヒロの顔を覗き込んでいた。

「え?」

 だれ? と言いそうになり、はたと気づく。

 若夫婦の子供だ。

 ベッドの淵を掴んでつま先立ち、珍しいものでも見るように、じっと見続けてくる。

 視線を全くそらさずに見てくるため、徐々にナヒロの方が気恥ずかしくなり、にこっと首をかしげながら笑いかけてみる。

「お、おはよう?」

 アカリは満面の笑みで返してくれた。

「なぁれー」

「え?」

「なぁれ?」

 舌足らずな発音でアカリはニコリと笑った。

 アカリはきちんとした発音で話すことが出来ず、何を言いているのかよく聞き取れない。

 ナヒロには難解だ。自分にもこんな頃があったのだろう。兄たちはナヒロの言葉をよく知らず足らないところを補って話を聞いてくれていた。

 ナヒロもそうしようと、アカリの言葉を理解する努力をする。

「ええと、私はナヒロです」

「あたちはアアリーなの」

 アカリだと言いたいのがまだ言えてない。昨日、ミティーアに子供の名前を聞いておいて良かった。聞いていなかったら、『アアリ』だと勘違いしていただろう。

 ベッドから立ち上がろうとしてよろめいた。顔面を床に叩きつける前に、手で衝撃を抑えた。熱が出たせいで体力も落ちてしまったらしい。これは少し時間がたてば問題なく歩けるようになる。

 熱にうなされたナヒロの危ない所を助けてくれた上に、子供の話を真剣に聞いてくれる心優しい夫婦。思わず、ナヒロの身の上話をしてしまった。幸せな家族をナヒロの家騒動に巻き込みたくなかったのに、叫び出してしまいそうな気持ちを、抱えきれない思いを誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

 屋敷の中でナヒロの話を、子供の話すことだからと突っぱねないで、真剣に聞いてくれたのはメリシィルと二人の兄の三人だけだった。

 ギオムは常に忙しい人で、家にいることがめったにない。女ともなれば、いつかは嫁いで行く。嫁ぐときに困らないように、作法に関してはとにかく厳しく(しつけ)けられた。

 事件があった日は、父が久しぶりに家に帰り、翌日に家族でのんびりと過ごす予定だった。全部、何もかもを奪っていった、叔父。ギオムに容姿以外はなにも勝ち目のなかった彼を、最後に二階から見た顔は、実の兄を手にかけた後悔など、微塵も感じなかった。

 家族、乳母、屋敷の人たち。皆の命を奪った叔父を(ゆる)せない。

 悔しい思いでいっぱいなのに、五歳の自分ができることといったら何もない。国で領主として名乗れる年齢が定められている。子が十八となる年に、親は子供へ、領地を託し、隠居する。子供が困ったら、自分たちは助言をする程度に留める。どこの領地でもやっていることだ。

 ナヒロの一家も例外なく、あと二年もすれば領主がキィラールへ移ることになっていた。仕事を覚えるため、キィラールはギオムと共に出かけて行き、家を空けている日数が増えていた。

 ナヒロの出迎えをいつも笑顔で受けてくれていたキィラール。目を閉じれば鮮明に思い出せる表情に、ナヒロは泣きたくなった。

 ナヒロに悲しむ時間は残されていない。

 まずは、勉強をして、人を騙すことを覚え、人を出し抜くことを学ばなければならない。全ては、叔父から領地を取り戻すために。

「一人で生きていく方法を考えないと」

 ベッドから起きて立ち上がり、足の具合を歩いて確かめる。ぐらつくことなく進めた。これならもう何所へだっていける。

「きゃっきゃっ」

 アカリが楽しそうにベッドの弾みが楽しいようでベッドの上によじ登り、揺らして遊び始めた。

 アカリが足にひっついてきてら困る。今のうちにと部屋を出た。廊下を走り、階段を慎重に下りる。

 助けてもらった感謝を恩返ししないままに出ていかなければならないのは気が引ける。このまま共にいれば、おのずとナヒロの家騒動に巻き込んでしまう。小さな子供がいる家族を巻き込みたくない。

 ナヒロは心の中で謝罪して、宿の外へと飛び出した。実は屋敷の外の世界をナヒロは全く知らない。

 必要ないと、誰も教えてくれなかった。

「ナヒロは女性らしくなることだけを勉強すればいい」と、皆が口をそろえて言っていた。

 家の周りで何か騒動が起きたら、両親が守ってくれた。

 お腹が空くと乳母がおいしいものを作ってくれて、ダセス兄は楽しい遊びと、イタズラをいくつも教えてくれた。

 ナヒロは一人になったらどうやって生活していけばいいのか考えつかない。

 料理の仕方も、身の安全も知らない。

 少しばかりの国の知識と、悪知恵。屋敷の使用人にしか通用しないあざとさ以外はなにももっていない。

 知っていることは、生活で何の役にも立たないことばかりだ。

 宿を後にすると、陽が中天に近い。眩しさに目が眩んで、瞼を閉じてやり過ごす。

 めまいが治ると村の中を闇雲に走った。どこかの道が村の外へ通じているのに、どれだけ走っても全然外に出られない。同じ場所をひたすらぐるぐると回っているような感覚がする。

 村に立つ建物が同じ形、色をしているせいで、そんな感覚に陥るのだ。

 違いがはっきりと分からず、すでに通った道なのか、まだ通っていない道なのか判断がつかない。

 初めての道は、知らないと怖いと、初めて感じた。

(次は……)

 別れ道で、足を止めどちらへ走るかを考えた。

 どちらといっても二つに一つ。どちらかしかない。

 行く先を睨んで、走り出そうとした身体が後ろから羽交い締めにされ、前に出した右足が(くう)を切る。

「捕まえたわ!」

「離して!」

 捕まりたくなくて、大暴れした。腕を振り回し、羽交い締めされた腕を引き剥がそうと躍起になる。

 親のいない子供が行く先は、修道所か孤児院と決まっている。そんなところへ入れられたら領地奪還どころじゃなくなる。

 成人になるまで閉じ込められる大きな檻のような場所は、叔父へ見つけてくれと言っているようなものだ。

 ナヒロのことを知らない大人は、親がいないとなると、近くのそういう施設へすぐさま連れて行ってしまうのだろう。

 厄介事は手元から早く手放したほうがいい。

「痛いっ。ナヒロ、わたし、ミティーアよ! 暴れないで」

 ナヒロがぴたりと動きを止めると、そっと慎重に(かせ)が外れた。

「何処へ行くの、心配したわよ」

 ミティーアがナヒロの正面に回って地面に両膝をつく。前の日に雨が降ったのか、地面は湿っていて、ミティーアの服を汚した。

「汚れちゃうから、立って」

 慌てたナヒロの両頬を両手で挟んで視線をミティーアと合わせる。

「まずは叱るのが先よ」

 見つかってしまった気まずさから目が泳ぐナヒロの目を青い瞳が真っ直ぐ見つめてくる。

「子供って元気よねぇ。アカリもちょっと目を離した隙に何処かへ行っちゃうんだから。ナヒロも同じね」

 叱ると言われて身構えたナヒロを、ミティーアはぎゅっと抱きしめた。

「ジェンと二人で心配したわ。はぁ良かった。まだ、外に出て行っていなくて」

 顔を伏せるナヒロを抱き上げ、来た道を戻った。


 借りている部屋へ戻ってくると、荷物をまとめアカリと遊ぶジェンの姿があった。

「お帰り」

 戻った妻に気づき、ジェンはアカリと遊ぶのをやめ、ミティーアが連れ帰ったナヒロのしょげた姿に安堵した。

 もっと遊びたいとアカリは声をあげるが、ジェンは頭をなでてやることで、もう終わりだと教える。

 ミティーアはほがらかに言うとナヒロを床に立たせる。背中をぽん、と叩かれて前に一歩踏み出した。

 ジェンは先程ミティーアがしたように、ナヒロの前で膝をつくと、ナヒロを抱きしめた。

 ただ偶然、あの日、行先を横切った子供に、なぜこんなにも優しく接してくれるのか。

 不思議に思いながらも、服越しに感じる人のぬくもりが暖かくて、涙が出そうになる。手を小さく握り締めて堪えた。

「ナヒロ。そんなに固くならないで。泣きたいなら泣くといい」

 背中を優しく撫でられると、力が抜けて涙は自然とこぼれ落ちた。

 そのまま、泣かせてくれる。声を上げて思い切りなくことは出来なくて、ポロポロと涙を零した。

「わたしたち、ナヒロが寝た後で二人で話し合ってね……決めたことがあるの」

ナヒロの涙が落ち着く頃、

「な、何を、ですか?」

 鼻をすすりながら尋ねる。

「ナヒロを、わたしたちの家族にしようって。ナヒロって名前のままだと、あなたの叔父さんにすぐに見つかってしまうから、少しの間だけ、アカリの姉として違う名前で暮らしていかない? もちろん、あなたのご両親が付けた名前を捨てなさいって言ってるわけじゃないのよ。時期が来たら、自分の本当の名前を言えばいいわ」

「で、でもっ」

 迷惑じゃないだろうか。

「小さい子供がたった一人で何ができるって言うの? もっと大人になって、世を知ってからでも遅くない。そしたら、わたしは何も言わない。この人も同じよ」

 冗談でも何でもなく、本気でナヒロのことを心配してくれていることが表情で分かる。

 一人で暮らすと決意して、ここを飛び出した。

 何ができるかなんて後で考えればいいと軽く考えていた。子供が一人で生活することがどれだけ難しいか。考えの甘さに歯噛みしたくなる。

 この人たちがいいというなら――

「私、ミティーアさんの子供になります」

 ナヒロは顔を上げ、喜ぶこともなく自分で決めた。

 今までは親に頼りきってばかりだったが、そうはいかない。これからは自分で決めていかなければならない。

「ふふ。いい子ね」

 ミティーアは両の手を拳に握り締めた小さな手を取り、抱きよせると額にやさしく口づけをした。

 母メリシィルが寝る前にナヒロにしてくれるおやすみのキスと同じ場所に、ミティーアの唇が触れる。

「ローラって名前でいい? わたしが考えたのよ」

「名前の由来は?」

「え? そんなの無いわ。わたしが子どもにつけたかった名前なだけよ」

 考える前にミティーアの口から出てきた名前にジャンが尋ねると、ミティーアは何でもないように答えた。

「君ねぇ。アカリが生まれた時も、確か『子供につけたかったのよ』って言って譲らなかったじゃないか。僕の意見も聞かないで」

「そうだったかしら?」

「そうだったじゃないか……」

 あきれる夫に嘘ではなく本気でとぼける妻に、なんだか、自分の両親を見ているようで少し笑えた。

「ローラでいいです」

 ナヒロは口元を引き上げて夫婦の会話に割って入る。

「ジェン。ローちゃんはいいって言ってるんだから、決まりよね!」

 ジェンは生返事を返し、ナヒロは妹になったアカリの元へ行く。

「今日からよろしくね。……アカリ」

 ナヒロよりも小さな手を取って挨拶をした。

「んー、よーちく?」

 アカリはナヒロに無邪気な笑顔を向けてくれた。

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