第6話 武闘大会 -前日-
アカリと立場を入れ替ったナヒロは、女官服に外套を羽織り裏庭の木の陰に隠れていた。
女官服に身を包んでいるとはいえ、女官が出歩く時間でもない。
外出をしたいのなら、外出届けを出さなくてはならない。きたばかりの新参者に、外出許可がおりると思えない。ナヒロは宿舎の窓から隠れて出てきていた。
見つかると厄介だ。即刻宿舎戻りとなってしまう。
抜け出たことがばれると、監視下のもとで寝なくてはならなくなると言うのだ。そんなの、耐えられない。
ほかの女官は今頃、宿舎で寝ている時間だ。女官の朝は早く、それに合わせて就寝時間も早い。
アカリは今頃客室にいる。高く聳える城壁がアカリを守ってくれると信じている。
アカリに危害が及ぶことがないと確信できる。アカリが無事であるなら、自分はどうなったっていい。ただ、領地に住まう人々をヒーオメから解放させることができるのなら、危険なことだとしてもしなければならない。
警備兵が二人一組になり、ナヒロが隠れる花壇のすぐ側をゆっくりとした足取りで去っていく。
危機は過ぎたと、身体を起こそうとした途端、次が現れた。今度の二人は先陣よりも歩きは遅く、そして周囲観察は入念だ。
(どこまで仕事熱心な人たちなのよ!)
なんとかやり過ごせると、早々に起き上がり目的地目掛けて急いだ。
裏門まで少し、というところで足を止める。
宿舎を出た辺りから気配を消さずに、ぴったりとついてきている人がいるなと気づいていた。
きっと気のせいだとやり過ごしていたのだけれど。さすがにここまでついて来られるとなるとナヒロも黙っていられない。
「私に、なにかご用事?」
後ろを振り返る。誰も立っていない。けれど、人の気配は感じる。
ナヒロが歩いてきた道を、風が一層強く横切る。結んでいる髪が風に煽られて、頬を打つけれど、視界を妨げるほどではない。スカートが足に絡んで少し厄介なぐらいで。
「よくわかったね」
周囲を入念に観察していると、木陰から、長い髪を風に揺らせ女官服を着た背の高い女性が姿を表した。
「初めまして、ローラ」
容姿と裏腹に声は男性のように低い。誰だろう。月光が邪魔をしてよく見えない。
「私、アカリの指導者になりましたリンスレットと言います」
綺麗すぎるお辞儀をリンスレットはした。お辞儀をしながらも、目線はナヒロを捉えたままだ。
「存じているわ。リンスレットさん」
アカリから指導者の名前、容姿を聞いておいて良かった。しかし、いま彼女はなんと言った?
(私のこと、ローラって。アカリの指導者って言わなかった?)
聞き間違っていなければ、彼女は姉妹の入れ替わりに気がついている。
アカリがボロを出したとも考えられるけれど、いまはそれよりも。
ナヒロはより一層警戒した。
入れ替わりを理由に何か言われやしないだろうか。
「こんな時間にどこへいかれるのかなと思って」
「探し物よ。大切な人からもらったものを落としたみたいで」
大切なひと。アカリがナヒロにくれた腰紐だ。いまは宿舎の部屋に置いてきている。手元にないのだから外へ出ているいい口実だ。
「それってこれかしら?」
リンスレットが手から紐のようなものがぶらりと垂れ下がる。月光が逆光でそれがナヒロのものか定かでないが、ぶらりと揺れるその様はまさに紐だ。太さもナヒロの腰紐と変わらないように見える。
部屋に置いてきたはずのものがなぜ。
睨むナヒロを相手にリンスレットは怯まなかった。相手の姿がよく見えないナヒロの方が不利だと思わさせられるぐらいには、リンスレットの方が有利なように感じる。
(月が隠れてくれれば)
空を見上げると雲ひとつない。
ぴったりと相手から付かず離れずつけるその術は、城へ上がった女性が学ぶべき技術ではないことは明らかだ。
城へ何をしにきているのかを知っていればわかる。
「貴女、誰なの!」
警戒を強める。ここで捕まるわけにいかないのに、この人が見逃してくれるか――。
「リンスレットですよ。ローラさん」
ぞくり。さっと頭から足まで、悪寒が走った。
この何とも言えない恐ろしさ。
動いたら許さないと暗に言われているような――ナヒロは恐怖を押し流すように唾を溜飲した。それでも身体の震えは収まらなかった。
腕を組み、無理やり震えを押さえつける。
「ええ、何処の家の方か気になって。聞きたかっただけよ」
「貴女が知っているところ、とでも言いましょうか」
上手くかわされた。ローラとて、素直に教えてくれそうにないことを聞きたい訳じゃない。
腰までの低い草木が風にゆらりと揺れた。その揺れに向けて、ぴっと手をあげ大きく振った。
「あ、兵士さん! 迷った人がこちらにおられます!」
ナヒロは誰もいないと判っていても声をあげる。影が揺れたのは風が一瞬強くなっただけだとしても、人がいるかのように演じた。
逃げられる隙ができればいい。ただ、必死だった。
とうとう、リンスレットの目線が、ナヒロから逸れた。ほんの一瞬だとしても、ナヒロはその瞬間を逃すことなく、全力で走り出した。
走るのに女官服は適していない。思ったよりも足にスカートが絡みついてきて走りにくかった。風の向きも良くない。風上に向けて走ってしまい、もろに風を受け、失速する。
必死に走るナヒロの後ろから追いかける足音は聞こえない。聞こえ無ない走りをする人もいると聞く。その人なのかもと、後ろへ視線を向けると誰もいなかった。
追いかけてこれば、追いつけなくない距離なのに、リンスレットは追いかけてこなかった。
あちらも同じ服装で、走りにくかったのかもしれない。
いずれにしろ、ナヒロはアカリの指導者から逃げ切った。
どうしても行かなければならないところがある。
誰かに足止めされている時間すら惜しい。
* * *
木陰に誰もいないと判っていたのに、ナヒロがあまりにも真剣に手を振るものだから、思わず視線を逸らしてしまった。
その隙に彼女は木陰を使って逃げていった。
「それでも行きますか」
女官の服を脱ぎ捨てると、動きやすい服装になった。こうなると予想して制服の下にもうひとつ着用していた。
鬘を髪から引き剥がす。肩にかかりそうな金色の髪が現れた。
「今夜こそ、大人しくしててほしかったですよ」
青年は、木陰に隠してあったもうひとつの鬘を頭に装着すると、何処からみても、女性の姿になる。
所々裂けている使い古された外套を羽織り、ローラの後を追いかけた。
情報屋ケヴィンが仕入れた情報によると、今夜例の賊――ナヒロ一家を襲った賊が城下に集まる。
情報屋ケヴィン曰く、罠だと言う。彼もそう思う。そんな情報を流すわけがないのだ。賊が城下に入り込むことは度々ある。どうぞ、捕らえに来てくださいと言わんばかりにくる輩は、そういない。が、今回の相手は良くない。
なにせ、情報を流しておきながら、偽であることがほとんどなのだ。その中に、本物を紛れ込ませてくるから厄介だ。
偽と本物の区別よりも罠かそうでないかの区別の方がつけやすい。
今回、ケヴィンが仕入れた情報は明らかな罠。誘き寄せる相手はナヒロただ一人。
その理由は、十余年前に消えた領主印だ。ナヒロが十八となり、相手はとうとう焦り始めているのだろう。
ナヒロはケヴィンの居場所を見つけるのが上手い。
ケヴィンには口止めしておいた。ケヴィンから情報を受け取らなくても、昔の何も知らない頃と違い、ナヒロはどこからでも情報を仕入れてくる。情報元はケヴィン以外にもある。
ナヒロには城内で大人しくしていて欲しかったのだが、彼女が大人しくしている性格でないことは重々知っていた。
裏門の外出リストに名を書き、門兵に止められる前に城下へ向けて駆け出していた。
ナヒロ柄最初に向かう場所は目星がついている。彼女と賊を会わせてはならない。
* * *
「久しぶりね、ケヴィン」
ナヒロはとあるボロ宿の一室のドアを開け、声をかけた。
部屋を借りている主は、来るはずのない来客に驚き、咥えたばかりの葉巻を取り落としそうになって、思わず手を出し、そこに火のついた先端が当たる。「あっちぃ!」と手を引っ込め、葉巻は床に落ちていった。床は乾ききった木板だ。急いでコップの水を葉巻にぶっかけ、火を消す。
ボヤ騒ぎなんて起こしてしまえば、隠れられる場所を一箇所なくしてしまうところだった。
「ナヒロか」
ケヴィンはダメになってしまった葉巻をゴミ箱へ捨てた。水に浸された葉巻は、吸い始めたばかりだったようだ。
「ごめんなさい、驚かせて」
物悲しそうに溜息をついたケヴィンに申し訳なくなってしまう。ナヒロが容赦なくドアを開けたが為に、唯一と言っていい楽しみの葉巻を捨てさせてしまった。
「い、いや、気にするな。それより、よくここが……」
ケヴィンが借りている宿は毎回違う。取り扱う情報が機密なものが多く、商品として取引されることを嫌う連中から常に命を狙われている。その対策として、出来たばかりの綺麗な宿よりも、隠れ家的な宿を好んで、数日泊まっているが。泊まっている間も何が起こるかわからない。日数分の料金は前払いに、いつでも出て行けれるようにしていることを知っていた。同じ宿には短スパンで泊まらない。
泊まるところを毎回変えていても、やはり、地区ごとに分けるとケヴィンがよく利用する区画がよりわかりやすい。
前回の宿から近くに泊まることをしないケヴィンの性格から、当たりをつけて、受付に問えばいい。それとなく。
借りる場所は、誰にも伝えていない。王都にいることすら言わない。ケヴィンの性格をしれば、案外簡単だったりする。
ケヴィンが無意識にやっていることはナヒロには完全に筒抜けだった。
一体どこから漏れていくのか、不思議そうに小首を掻きながら、自然に問われても、それにひっかかるように仕向けてきても、教えてしまったら、ケヴィンの所在が分からなくなってしまう。
それを恐れてあえて伝えていなかった。
いつまでもその理由を教えないままだと、ナヒロのように察しのいい人がほかに現れ、それがケヴィンの命を狙う側であれば、危険だ。
ケヴィンにはヒスメド地方が取り戻せた暁に、なぜわかるのか教えようと思う。
だから、今はまだ。
「それは秘密です」
ばっちんと片目をつぶり、にっこりと満面の笑みで拒否した。大きな溜息をつく何ヶ月ぶりかに会うケヴィンの部屋は、借りた当人以外の人が見当たらない。部屋は、ケヴィンとナヒロ、二人いるだけで狭い。
そのままの感想をケヴィンに言うと、ここしかなかったと、悪態をついた。この部屋は、素泊まりなどの旅人用の部屋なのだろう。よく見れば、テーブルやベッドは小さく、あまり質のいいものではなさそうだった。
ケヴィンは候補の中からこの宿屋を外しただろう。そうナヒロに思わせるぐらいには、イラついている。
灰皿には吸い潰された葉巻が山となっていた。
「ケヴィン、レイカは?」
こんな状況、助手のレイカは許さない。こゆな状況のケヴィンを放って、何処へ行ったのだろう。
「ああ、いない」
新しい葉巻を懐から取り出した。
火をつける前に、ナヒロはすぐさまひっ掴み、葉巻を回収する。
「何してんのよ」
先程ダメにしてしまい愁傷になったのだけれど。灰皿に溜まった量からして、これ以上は体に悪すぎる。
「ったく。吸わせろよ」
ケヴィンも情報屋の一面である、冷淡な顔を垣間見せつつ、葉巻につけようとした火を消した。
「レイカは?」
「そのうち来るだろ。それより、どうかしたのか」
なにかがあるから来たんだろうと、すでに悟られている。
見透かされていて、少し癪だった。だから。
「なにかないと来てダメなの?」
意地悪をしてみた。
「なにかないと来ないだろ?」
ケヴィンのところへ、これまで、なにもなしに来たことがなかった。今回もなにもなしに来たわけじゃないが。
「そうね」
ナヒロは取り上げた葉巻をケヴィンに返した。葉巻を懐に戻したケヴィンが、顎をしゃくり続きを促す。
こう言うところは流石、情報屋だ。
「ホラルダが今夜、この城下に集まっているって本当?」
ケヴィンの元へ来る前に、裏通りの酒場で集めた確たる情報を、情報屋へ聞いてみた。
結構騒がれていたから、知っているだろうに、彼は少し驚いた顔をした。
「ほぉ。どこから仕入れた?」
前のめりに聞きたがる。珍しい。知らないなんて。
「裏営業の酒場で噂が流れてるよ。明日の武闘大会にかこつけて集まっているって。あんたが知らないなんて珍しいね」
「あ、ああ。今日は一日篭りっぱなしだからな」
灰皿に捨てられた葉巻が、出ていないことを物語っている。
「でも良かった。多分デマね。それも」
ナヒロは積み上がった葉巻を指差した。
外に出ないから知らないなんてこと、情報屋を生業にしているのにあり得ない。外に出なくとも、情報屋の元へは集まってくるのだ。それはケヴィン自身がナヒロへ証明している。
情報屋は真実こそが商品だ。売る相手に偽を教えてはならない。双方の信頼関係が一気に崩れ落ちる。
ケヴィンがナヒロに真実を偽るは、決まってレイカが関わっている。
「今度はレイカがいるときにくる」
ナヒロはそう告げて、部屋を出た。
明日、何かが起こるかもしれない。
ナヒロは再び城下へ飛び出した。




