第2話 転機2
アカリを迎えに来た青年はハイゼルと名乗った。
呆然とする村長を家から追い出し、家を開ける準備に取り掛かった。
準備に割ける時間はあまり取ってもらえなかった。
限られた時間の中で真っ先にやるべきは、越冬のために準備をしていたどんぐりと野菜は事情を話して全てミルリィーネに引き取ってもらうことだった。まだ育ち途中の畑の野菜も全て管理を任せる。
ハイゼルは馬車で待たせている。
あとひとつ取りに行かなくてはならないものがあり家へ戻りながら、ナヒロは妹へある提案をした。これはアカリを守るためでもあり、ナヒロが自由に城下へ行けるようにするためでもあった。
城に仕える者たちは貴族出身だと聞く。平民、それも貴族からすれば、貧乏な村娘だとしれば、アカリに冷たい態度で接しられることは容易に想像できる。
ブリエッサによる一方的ないたぶりが原因で日曜学校を途中でやめてしまった。知識の薄いアカリが、王子の相手を狙う貴族令嬢に到底敵うはずがない。
ナヒロも五才までは地方領主の娘だった。知識はアカリよりあるけれど、貴族令嬢にしてみればまだ浅い。
教養のあるナヒロの方がまだ立ち居振る舞いは見れなくない。なによりアカリを守るため。
ナヒロだけが被るのは嫌だとナヒロの提案を嫌がるアカリの意見は聞かないと突っぱねた。王子は誤魔化せないが、初対面の人間は騙せるだろう。
家で麻袋を掴むと馬車が待つ広場へ向かった。
広場は、村人が集まり見慣れない黒塗りの箱馬車を遠巻きに眺めている中、ハイゼルは馬車の前で立っていた。
王城にある馬車の中でも一番地味なものを選んだのだろうが、馬車の側面に描かれた紋章が、王族のものだと周りに知らせている。二頭の獅子が向かい合い、後方に一本、旗が右の獅子へ向けて斜めに描かれている。
周囲の視線は気にならないのか、従者然とした態度で広場に現れた姉妹を迎え入れた。
「お待ちしておりました。準備は済みましたか?」
馬車を物珍しそうに囲っていた村人が広場に来た姉妹へ一斉に顔を向けた。
「終わったわ」
ハイゼルは馬車のドアを開けた。
中は落ち着いた色合いで、小窓に白いカーテンがひかれていた。
どうぞと示されれば、乗るだけだ。
姉妹に向けて開けられたドアに、広場の村人は驚きにざわつき始めた。
戸惑うアカリを馬車へ押し込み、ナヒロが馬車のステップに足をかけた。すると。
「お、おまえたちは俺たちに税金払わせといて、礼はなしか!」
震える声で叫んだのは、両親を亡くした姉妹を孤児院へ引き渡すかの村会議で姉妹の孤児院送りを賛成していたひとりだった。
「そ、そうよ! 孤児院送りにならなかったお礼もね!」
ひとりが叫べば、あとは順番に便乗していく。
「俺たちが替わりに払った金を置いていけ!」
溜まりに溜まった人が遠くから叫ぶ。
不服ながらも姉妹の生活援助をしていることに対して何もないのかと。
助けてくれたことに感謝はしている。
孤児院送りになれば、ナヒロを捜す叔父の元へいつかは連れていかれていった可能性がある。
孤児院へ行かなくて済んだのは、ミルリィーネの家族や慈悲深い一部の村人が意見して賛成派を黙らせてくれたおかげ。
ナヒロがステップから足を外し、集まった村人を振り返ったその時。
「静かにせんか」
騒ぐ者を黙らせた一声が輪の外からした。
村長はブリエッサと共に広場へ現れた。輪が割れ、村長がゆっくりと進む。
「ハイゼル殿。申し訳ないが、少し時間をもらえないだろうか?」
「ええ、構いません」
先程ナヒロの家に来た態度と打って変わって、周囲の村人を眇めた目で見渡す。
すると、いまにも声を上げそうになっていた村人たちは口を噤んだ。
ナヒロは馬車のステップから足を下ろした。睨みつけてくる村人の目を浴びながら、村長の前に立つ。
村長の後ろにブリエッサが、勝ち誇った笑みをナヒロへ向ける。一体その自信はどこからくるのかと呆れる。
「……ローちゃん」
馬車の中からアカリが瞳を不安げに揺らしている。そのアカリに手で大丈夫だと伝えた。
村長はハイゼルに礼を述べ、ナヒロに向き直る。その瞳には村長の威厳が宿っていた。
ナヒロが王都へ行くことを伝えに行くと、いつでも仕方がない奴だと許してくれていた破顔していたのが。今は違う。村の長として、言わなくてはならない事があると、姉妹を交互に見据えた。
「ローラ・ロウ。アカリ・ロウ」
村の長として立つ彼が発する気迫に息をのんだ。言葉を発する権限を相手に与えない迫力が、村長が発する声にも宿る。
「そなたらは、我らになにも言うことはないのか? 両親を亡くしたそなたらを孤児院へ送らず、村全体で面倒をみていたというのに……」
「お礼を言えと言いたいの?」
村長が言わんとすることを察したナヒロはその先を、続けた。
幼くして親を亡くした子供達のいく先は、孤児院と決められている。ただし、毎回の税金が払える場合はこの限りではない。
この税金を、本来なら世帯の人数分でいい。村人は、姉妹が村に住めるようにと、長年少しだけ負担して、家族分よりも少しだけ多く支払ってくれていた。
孤児院に行ってしまっていたら、ナヒロは王都へ、ヒスメドや盗賊ホラルダの情報を知りに行く事が出来なかった。
一部の、姉妹を嫌う人からの嫌がらせも度々あったけれど、村にいさせてくれた事は感謝しかない。
その感謝を示す時なのかもしれない。
家から持ってきた麻袋を村長へさし出そうとした、その時。
「そうよ。誰のおかげだと思ってるのよ!」
今度は集まった村人が味方だと思い込んでいるブリエッサが、強気な態度でナヒロを見下した。
ナヒロは、呆れた。ブリエッサの一体どこからその自信は出てくるのか。
ブリエッサを睨みつけると、ぎゃっと叫び村長の陰に隠れる。
「あんたのおかげじゃない。あんたはなんにもしてやしない」
「パパ、言ってやってよ! 次期村長にいつもこの態度なのよ!」
全く相手にされないことに憤り、ナヒロを指す。
村長はいつも娘には甘い。遅くにできた子だったから余計なのかもしれないが、その甘さがブリエッサを傲慢な態度にさせていた。だが、今日は違った。
村長はナヒロの前に、村を治める長として立っていると自覚していた。
腕にすがる娘の手を払いのける。地面に転がった娘を、使えない人間を見るかのような冷ややかな眼差しに、ブリエッサが慄く。
「誰か、こやつを外へつまみだせ。邪魔じゃ」
輪の外を顎でしゃくった。
「パ、パパ!?」
近くで様子を見守っていた男性陣の一人が、慌ててブリエッサの腕を掴む。ブリエッサは女にしては体格がぷよぷよとふくよかすぎて、一人では動かせない。
力に覚えのある腕っ節のいい男性が助けに入ると、ブリエッサの抵抗は可愛いものだ。地面に線を描きながら、引きずられて輪の外へ連れて行かれる。
「私は村長の娘よ!」と叫ぶ。その声が徐々に遠くへ行った。
「村長」
ローラは出しそびれた麻袋を村長に押し付けた。硬貨が擦れあう音がする。
想像以上にずしりとした重みが両手にかかり、村長が驚いた。
「お主、これは」
「村の人たちが払ってくれていた私たち姉妹の税金。村長が出稼ぎへ行かせてくれたおかげ。払ってくれてた人に渡して。多いかもしれないけど、余った分は分配でもしてよ」
「お主、もう戻らぬつもりか」
「ふ、そうね」
ナヒロの、本当の家は別にある。ヒスメド地方にある屋敷だ。城へ行けば、国王がいる。
領主のこれまでの悪事を知らせ、裁いてもらうことができるかもしれない。
裁かれたのちに、ナヒロは屋敷を取り戻すのだ。懐かしい我が家を。
「そうか」
ローラは村人へ頭を下げた。馬車から降りたアカリも義姉にならって深く頭を下げる。
大人たちに感謝している。だから。
「お世話になりました」
たっぷりと十秒下げ続けた後、ナヒロは振り向かずに馬車のステップに足をかけ、乗り込む。
アカリが乗り込み、ドアがゆっくりと閉められた。
カーテンがされていてよかった。外は見たくなかった。
馬が嘶き、馬車は動き出した。
――さようなら。デニレローエ村。
――私を育ててくれた第二の故郷。




