第4話 ヒスメド地方の現実
「…………」
想像以上の光景にナヒロは言葉が出なかった。
ナヒロがかつて暮らした屋敷がある町はウルマリー王国とを隔てる山の麓にある。見上げれば、かつて見慣れた山々が懐かしい。山全体が麓から秋の色に染まりつつある。家々の合間から覗くジェバリア家屋敷の、空の青にも負けない爽やかな青い屋根が見えた。
ナヒロがかつて暮らしていた屋敷は山に沿う形で建ち、常に山と共に生活していた。
それが、今は閑散としている。
ウルマリー王国へ入る前の町として栄えていたのはもう過去の話なのか。
出店で賑わう主要通りは、店らしいものは見当たらない。寂れた通りを歩く人は誰もいない。人影や、気配すらもない。
「行きましょう」
現状に呆然とするナヒロをレイカがそっと背中を押した。
町の中をレイカと並んで歩く。
誰一人外にいない廃町のように成り果てた町の光景に胸が痛む。建ち並ぶ家々から人が住んでいる気配が全くしない。
人はここにいるのかと疑問を持ってしまうほどに気配を感じない。
ナヒロの頬を打つ秋の風が、この町のように冷たい。
街道は所々小さな穴が開いている。馬や馬車が通るには穴を塞がなくては危険だ。穴が風化した状態から察するにヒーオメは何年も整備をしていないのだろう。
父から領地を収める権利を奪い、叔父は今なにをしているのだろう。
答えは分からない。今のナヒロがもつ今までの情報と目の前の光景を繋ぎ合わせたところでヒーオメの考えを理解することなどできない。
なぜここまで凄惨な状態を放り、市民から徴収したお金を整備に充てることなく消えていく先は。
「そんなにも、遊びが大事か! ……ヒーオメッ!」
ナヒロは忌々しく乾いた地面へ吐き捨てた。
こんな世間から忘れ去られたような町の光景が見たかったわけでない。
もっと、父の代よりも活気溢れる、いい町になっていてほしいと、願い、信じた。
ヒスメド地方の情報の少なさの中、偶然掴んだ情報はナヒロを驚愕させるものだった。
王都には闇と言われる区画がいつくかある。
商人が客を相手に商売をする区画が王都の表の顔だとすれば、闇は表立って売れないものが蔓延る場所。
そこにはナヒロが知りたい情報を含め、良くない事ばかりが取引される。
窃盗依頼、闇の運び屋など多岐に渡る。
そういう闇にこそ、ナヒロが求める情報は集まってくるのだ。
女戦士のなりをしていないと、こういう区画は歩きづらい。
剣を携えていなくてもいいのだ。ただ、出来る女の雰囲気を醸し出しているだけで、周りは勝手に勘違いをしてくれる。まあ、ほんの一握りの人間には通用しなかったが。
その一握りの男たちに目をつけられ、追われていたところに偶然立っていた店へ飛び込んだ。
酒屋というより、道具を売りがてら休憩に酒を一杯出しているような店構えをしている。
呆けている暇はない。店主へ金を握らせ、カウンターの下へ隠れた。
後から追いかけてきた男たちは、店主と揉めたのち、店から出て行った。後から知ったのだけれど、実はこの店、ケヴィンの息がかかっていたのだった。
ケヴィンから店主は、ナヒロ容姿で咄嗟に気づいたという。たった何秒かでよく気づけたものだと感心したものだが。
ケヴィンの息がかかった店で、男たちを蹴散らしてくれた後に、店へ客がきた。
出るに出られなくなったナヒロはカウンターの下で息を潜め、買い物が終わるのを待った。
すると男たちから、世間話の一つのように、店主へヒーオメの話をし始めたのだ。
『店主、知ってるか?』
『お前たちが話す内容をわたしが知っているはずがない』
『ほお? 知らない話なら、割引してくれるか?』
『ああ、いいさ。……言ってみろ』
気を良くした男たちはカウンターに身体を乗り上げる。古くなったカウンターの木が軋んだ。
ナヒロは見つかるまいと身を縮こまらせる。
『ヒスメド地方の領主がヒーオメ・ラジエスタ・ジェバリアに変わってから、過度の度重なる税の搾取により、民は疲弊し、土地は荒れて手がつけられないそうだぜ?』
『ほう、とうとう自滅か』
冗談半分な返しに、男は間違いねぇと嘲笑した。
『お金の行き先は』
『それがだな、オヤジ。わっかんねぇんだ。昔からなにかと噂のあったヤツのことだから? 集めた金で遊んでんじゃねぇかって話』
真剣な眼差しで、男たちは店主からの値引き額を待つ。
『そりゃ面白い。他には?』
店主はさらに情報を請求した。これに男たちは落胆する。
『ねぇよ。持ってんのはこれで全部』
『……情報料で、七割に値引いてやるよ』
そのあと男たちから、そりゃねえ。そんだけかよ。もっと値引いてくれ、と嘆く声がした。もし使い道を知ってたとしても六.五割だと、店主に一蹴され男たちは黙った。
集めた金の使い道を知ることができたらよかったが、叔父になってから増えた税金が消える先は、良い使い道でないことは明らか。増えた分を整備や町の暮らしを良くするために使っていたなら、『わからない』なんて言葉は出てこない。情報を聞き出した店主も、ナヒロ同様の結論に至っていた。
ナヒロは屋敷がある方角を睨みつけ、歯を食いしばった。そうしなければ、眦に溜まった涙がこぼれてしまいそうだった。
彼らが、どこかで知り得、ナヒロへもたらした情報は正しかった。
悔しい。
まだ、十六の自分に。
領印はここにあるのに、権利を主張できない国の法に。
どうしようもないこの虚しさをぶつける先がない。
両掌を握りしめる。
爪が皮膚に食い込み痛い。
「領民の暮らしを犠牲にしてまで、父を――っ!」
言葉にならない叫びがほとばしる。
父に代わって、土地を治める主として、民に変わらない生活を与えているなら、ナヒロはそれだけでよかった。のに。
「大丈夫か?」
膝から崩れ折れるナヒロの腕を掴む。
男の人のような声がした。けれど、想像以上の故郷の景色に心を痛めすきだ。
その些細な痛みよりも、ヒーオメによって変わり果てていく生活に、嘆いている人がいる。今の状況をどうにかしようともがいている人は必ず何処かにいる! ――いて、ほしい。
溢れそうになる涙を腕で拭きとり、顔を上げた。虚ろな瞳が、腰を曲げて太く長い棒を支えに、道に立っている一人の姿をとらえる。
ヒスメド地方に来て初めての住人だ。よかった。まだ、この地に住人がいた。
幻かと瞬きをする。幻想がみせるまやかしでない、人は、こちらへ身体を方向転換させ、杖をつきながら、ゆっくり歩いてくる。
間違いなく、現実だ。
喜びを感じ、身体から力が抜ける。
「おい、気を緩めるな」
ここがどこだかわかっているのかと。そんなこと言われたって。
まだ、ここは廃れていないのだと、人がいることで、教えてくれている。なんとも言いようがない嬉しさがこみ上げる。
「仕方がないでしょう」
心ないレイカの言葉にむっとなりながら反論した。
足に力を入れ、立ち上がると、まだ少し膝が笑う。レイカの肩を借り、近づいてくる老人を迎えた。
「……とうとう来た、か」
外見と違い若い男性の嗄れてもいない相手の声は、年老いてもこういう声をしている人、なのかとおもえば、フードから見え隠れする肌は、老人にしてはハリがある。
なにかがおかしいと警戒した時には、もう老人らしき人に腕をとられていた。その手は若々しく、中の人は老人でないことをナヒロに教えてくれていた。
「こっちへ。何処に誰が隠れているかわからない」
案内された家は小屋のような家で、屋根は小さな穴が無数に空き、外の光を中へ通していた。
周囲を警戒した中の人は、フードをゆっくりと慎重に外した。曲げた腰を伸ばすと、ナヒロよりも上背がある青年だった。栗色の短髪の青年はナヒロを前に、すっと片膝をついた。
「久しぶりです、ナヒロ様」
「あ、なたは……?」
面識のない男性からの敬意にナヒロは一歩後ろに下がった。
「忘れた? 乳母タキの息子ジョーイです」
「……あ!」
頭をひねりまくって思い出した。幼少の頃、タキの膝の上を取り合っていた相手。互角の末にナヒロに譲ってくれていた心優しい少年は、昔の面影はそこになく、厳しい表情でナヒロの前に立った。
向かい合って立つと、よくわかる。面構えがタキと似ている。
「ご両親ことは……」
タキが乳母として、彼の父は屋敷の警備の一人として、ジェバリア家に仕えていなければ、一夜にして一家が壊滅する悲劇に巻き込まれてしまわなかった。まだ、甘えたい盛りの幼いジョーイから大切な親を奪ってしまった。
そのことをナヒロはまだ謝っていない。
「申し訳ありませんでした」
ナヒロは深々と頭を下げた。苦労はナヒロだけではない。きっと彼も両親を失い、これまでどれだけの苦労を強いていたのか。
「もう、いいのです。僕は父方の祖母の家へ引き取られましたから。まあ、苦労はしたが、貴女ほどでは……僕の方こそ、君が大変な時に、屋敷に居なくてすまなかった」
彼は屋敷襲来の日、別の家にいたおかげで難を逃れていた。ヒーオメは使えている者の家族構成まで把握しきれていなかった。休暇で屋敷を出ていた者たちが探されることも、剣先が向くこともなかった。
「それこそ、気にしないでほしいわ。今の暮らし、割と気に入っているのよ。可愛い義妹もいるんだから」
「へえ、今度会わせてよ」
ジョーイの目が不敵に笑う。
昔みたいな掛け合いに、ナヒロはおもわず笑った。
「会わせるわけないじゃない! もう、とっても可愛いんだから!!」
「義妹、溺愛かよ」
呆れたため息に、当然でしょ、と返した。
「町の中はもう?」
和やかな空気はわずか。ジョーイは緩めた表情を引き締めた。
「見られるところは全て」
「そうか。みてどう思った?」
「町として機能していない」
「あなたは?」
ジョーイはレイカにも同じ質問をした。
「彼女と同じ意見ですね。もう町というより、人から忘れ去られた町のようです」
レイカの例えにジョーイは唸った。
「こうなった原因はわたしの叔父なんでしょ?」
「いや、人が町を出歩けなくなったのは、ホラルダっていう賊のせい」
「……は?」
まさかこんなところでホラルダの名を聞くことになろうとは。
「知っている?」
「え、ええ、まぁ」
「よく知っていますよ、ねぇ?」
歯切れ悪く首肯すると、数年前ホラルダの幹部に連れ去られそうになったことを知っているレイカが、意地悪い笑みを浮かべた。
「何かあった?」
二人のやりとりにジョーイが顔を強張らせる。
「ちょっと、ね。わたしのことより、ジョーイ。ここにいるのはホラルダの誰?」
ホラルダ本人が町を闊歩しているわけであるまい。幹部クラスか、幹部に命じられた下端の者か。
「フェルドナって女幹部」
「あの、女……!」
歯をぎりりとかちあわせ、喉の奥から唸る声を出した。
忘れもしない。
人を騙して人身売買するだけに足りず、この町の人たちの暮らしを脅かしているとは許せない。
「なにか、あったのですか?」
発狂しそうなナヒロの姿に、ジェーンはレイカに尋ねる。とても本人に聞けるような状況じゃない。
「貴方は知らなくていい」
「ああ、そうですか」
上の考えていることはわからないと呟いて、ジェーンは離れていく。
「待ってなさい、ヒーオメ! あんたから大切な場所を取り戻してやるんだから! ジョーイ、貴方も待ってなさい! ヒーオメから取り戻したら貴方にも再建を手伝ってもらうから!」
「ええ、気長に待ちますよ」
ナヒロは町の側で隠していた荷馬車にのり、見送りについてきたジョーイに手を振った。




