第3話 ヒスメド地方の間所
荷馬車は間門をレイカが考えた方法で通り過ぎた。荷台に座るナヒロを監査人は疑り深く睨め回してきたが、通行記録に残さないことを条件に、予定よりも多少多い額を握らせると、詰所へ戻って言った。
監査人は通行証に書かれた年齢にしては大人びて見えるナヒロを、疑っていた。
多額の金を握られていなかったら、間門で長く足止めされていただろう。
どのような方法であろうとアルバ領に入れた。目指す先はアルバ領の北東に位置するヒスメド地方だ。ナヒロが通った間所からヒスメドの地まで荷馬車を休まず走らせれば一日半で着く。馬を休まなく走らせるわけにいかないので、二日半かけて目的地の目前まで来た。
ヒスメド地方が管理する舗道へ車輪が入った途端、荷台が大きく上下した。
身体が大きく跳ね上がり、思わず近くの木箱の縁を掴んだ。そこから何度か荷台は跳ねた後に、落ち着く。
木箱を重ねて積み上げられていなくてよかった。
木箱から手を離すと、馭者台から覗ける小さな横長の小窓にかけられたカーテンが開く。
「大丈夫でしたか?」
レイカが小窓から覗いてきた。目元しか見えない。
「ええ、平気」
「木箱は……無事ですね」
レイカは木箱とナヒロの無事を確認すると、カーテンを閉めた。
ナヒロは後部を覆う布を掴みあげた。
陽が空高く上っている。荷台の縁に足をかけ、遠くなっていく街道を睨みつけた。大小の石が無造作に散らばっている。
(領主はなにしてるのよ! 整備を怠けるなんて!)
街道の整備はアルバ領主の仕事だ。
この街道は隣国ウルマリーへ繋がっている大事な道になる。整備しないままに放ってほくことは決して許さることでない。
ナヒロが領地を離れている間に、ここは一体どう変わってしまったのか。
不安ばかりが大きく膨らんで、胸を苦しくさせた。
この土地から出られない民に、謝罪しか浮かんでこない。
(私は、逃げた人。だけど、必ず!)
救ってみせる。十八まであと二年。とても長い。
待っていてくれるのだろうか。
なぜだか、ふと、以前王都で冗談のようにして酒屋で聞いた噂を思い出した。
『アルバの領主はヒスメド地方の領主に買収されている』と。
地方を統括する領主がそんなことあらはずないだろうと、話を聞いていた相手の男性は笑い飛ばしていた。後ろの席でその話を聞いたナヒロは笑えなかった。
父の弟であるヒーオメは、十日に一度は必ず屋敷を訪れていた。頻繁にくるヒーオメは屋敷で働く人たちに暴言を吐いていたように思う。
彼は父に会うとなにかをせびっていた。
ナヒロが始めてヒーオメと会ったのは五歳になる数日前。あれは、父に会う前というより、用事を終え帰るところだったのだと思う。ヒーオメと廊下で会った。
冷ややかな、人を見下すような視線を浴びせられた。世話係の女性と話す途中、こちらへ伸びてくる大きな手の合間から見える顔に、子供心に恐怖を植え付けるには十分だった。
それからは彼が屋敷を訪れるたび、どちらかの兄の部屋に逃げこむようになった。兄の身体にしがみついて震えていたのを鮮明に覚えている。
あの頃のことを思い出すと、身体は萎縮してしまう。あまり思い出さないようにしていた。
この整備の酷さを目の当たりにすると、ナヒロが聞いた噂はあながち間違っていなかったのかもしれない。
領主は買収か、若しくは脅されているのだろう。
ヒーオメの野望のために。
ヒスメド地方目前。
荷馬車が止まった。
「どうかした?」
不思議に思って小窓から声をかけた。窓のカーテンは馭者台からしか開けられない。
カーテンは開けられなかった。そのかわりにケヴィンが窓の前に座り直したのが影でわかった。
「間所がある」
険しい声色で今起きている事をナヒロに伝えた。
「なんで、そんなものが!?」
声を最大に抑えて叫ぶ。
「わからない。嬢ちゃん、大人しくしていろよ」
前方が見えないナヒロは「わかった」と返した。
領と領の行き来には、間所が設けられ通った者の管理を行っているが、領内の地方間の行き来に間所は設けられていない。
ナヒロの記憶の中にこんなところに間所はなかった。
ヒーオメが作ったとしか思えない。
荷馬車がゆっくりと進み始め再び止まる。
「ここはヒスメド地方の間所だ。通行証をみせろ。みせなければここは通せない」
「へえ、ここから別の領地になるってことか?」
「ああそうだ。昨年アルバ領から独立したからな」
「そんな話、聞いたことないですね」
「通行証に押せる印はあるのか?」
「ああ、ある。印はこの中だ。残念だが押すところはみせられねぇな」
怪しむ二人に門を守る男性は事務的に対応した。
「そうですか。主人どうします?」
「ここを通らねえと、最短でウルマリーへ行けなくなる」
「通るってことでいいですか?」
「あ、ああ」
「通行証預からせてもらう」
出した手に三つの通行証を渡された男性は、あと一人はどこだと尋ねた。
後ろだと言うと、慌ただしく足音がする。
ナヒロは小窓から移動して、木箱に背を預けたところで、がばりと後ろの布が開けられた。
無遠慮に中へ侵入してくる。
「お前の通行証はどれだ」
レイカが手渡した通行証を三枚、ナヒロの前に出した。
無言でこれだと指す。
「卸売りの小間使い、か」
職業欄を読み、ジロリと容姿を見られた。
「フードを取れ」
顔が見えにくいように被っていたフードを外せと、命令してきた。
間所でこんなこと許されるはずがない。
通行証があるということは、怪しい人でないからだ。これがないままに通ろうとする人の方そこが怪しいというのに。
目的地はもう目の前。ここで拒否されてしまうとヒスメドに行けない。
ナヒロはフードを外した。
怪しい人を見る目で見下した後、男は踵を返す。
なにも言わないということに緊張する。
許可されるのか、されないのか。わからない。
馭者台の二人に伝えられる言葉に耳をすませた。
ダメだと言われたら、ナヒロはここに置いていかれる。
「全員通す。少しここで待て」
ナヒロは貯めていた息を吐き出した。
許可が出てよかった。
「よかったですね、主人」
「あ、ああ」
馭者台の二人も同じ気持ちなのか安堵した声がした。
許可が押された通行証を受け取り、荷馬車は間所を通った。間所が見えなくなるまで走らせ、間所の男性が後を追って来ていないか後方を確認後、道の脇に荷馬車を止めた。
「そこから出て来てくれませんか?」
「ん、わかった」
後部から降りたった。ここはもうヒスメドの土地になる。
久しぶりに降り立った生まれ故郷の土は乾燥していた。馭者台へ回る。
ケヴィンとレイカの間に座ると、通行証を渡された。
「これ本物ですか?」
開かれた通行証はヒスメド間所と日付が書かれて、印が押されている。
レイカが聞きたい虚偽は印の方だ。
違いはないかと眺めていると、自身が持つ領印と異なる所があった。
「残念だけど、違う」
「他の間所で使う通行印とも違いますからね、偽物でしょう」
別の通行証を眺めながらレイカが言う。
レイカが指摘した所を見れば、確かに違う。ヒスメド間所の前に通ったアルバ領間所と見比べれば違いが分かりやすい。
「あんな所に偽物の間所なんざ作って、通行金とって、ヒスメド地方領はどれだけ懐潤わせれば気がすむんだか」
「お金……」
(そうか、お金)
間所があれば、そこを通るという人から幾ばくかお金が払われる。
それはその領の整備に使われるが、沢山の通行人がいる所は金額が安い。
逆に、あまり通らない所となると……。
「いくらしたの?」
両手を握りしめた。
悔しい。そして、知らないことがまだあって、恥ずかしい。
「そんなこと、今はいい。お前がここの領主となってから知ればいい。知ったら返してくれればいい」
喚いたところでお金がケヴィンに返らない。
「わかった。返す」
ナヒロはきっと前を睨みつける。
まだ領主としての資格がないナヒロが出来ること。まずは、知らなければ。ここヒスメドの現実を。叔父が民に課していることを。
「早く行きましょう」




