第2話 アルバ領、間所前
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東の空から陽が出る気配はない。静まり返る村をナヒロはひっそりと出た。
慣れた道は、灯に頼らなくても感覚で歩いていける。
今日中にレワノ領とアルバ領を繋ぐ間所近くまで行かなければ、翌明朝に指定された時間、指定された場所に間に合わない。
間所とは各領の間に設けられている機関の事だ。自他領に害をなす人か、害がない人かを調べる。問題なければ、通行申請をして五分程度で通ることができる。
間所は開いている時間が決まっていて、季節や日照時間によって左右される開門時間は、各門兵の中で一番上の人間が決めている。間所は季節、日照時間に左右されることなく常に決められた時間に開き、閉じられている。
野宿したナヒロは、間所の近くに生えている木の影に潜む。日はまだ登っておらず、辺りは闇に包まれている。
レワノ領にはナヒロが住むデニレローエ村があり、ヒスメド地方は、アルバ領に属する。
地方の主の権限は十八歳より与えられる。その地が属する領主より直に命じられ、各々の地方の領印は前地方主から現地方主へ直に渡る。
ヒスメド地方の領主印は、前地方主の父から母を介して渡され、現在はナヒロの手元にあった。
ナヒロが集めた情報によると、叔父ヒーオメはこの領印を探している。アルバ領中を表だって探せず、裏で賊を使い血眼で探させている。――ナヒロの生存確認と共に。
ヒーオメはナヒロが生きていると確信している。
ナヒロが十八となる前に領主印を手に入れなければならない。領主印が持つ者が領主と名乗れ、領主印を持たぬヒーオメは、領主ではない。
十八になれば、堂々とヒーオメに出て行けと啖呵を切れる。十八なるまで、叔父から隠れ通し、存在を気付かれてはならない。
藍色に染まる空が、東からゆっくりと明るくなりはじめる。指定された時間は近い。しかし、呼び出した相手は一向に姿を現さない。
(遅い!)
待ち合わせる場所を間違えたと思いたくない。指定された場所はレワノ領間所付近。
ナヒロが身を隠している場所は間所から五分離れた場所になる。木々が生い茂り、辺りは薄闇に染まっている。
時間は間違えていない。手紙と言えるか怪しい紙を受け取ってから二日目の朝だ。行くと伝えた使者らしき男性はナヒロが読んだ日、時刻まできっちりと伝えている。ナヒロはレワノ領周辺を離れていたとはいえ、知っている。待ち合わせ相手はきっと、ナヒロよりも土地勘がないと予想して。
「探しに行くしかないか」
土地勘があるナヒロが動く方が効率がいいと結論づけた。
潜んでいた太い木の枝から定めた着地地点に勢いよく飛び降りた。
着地した途端、腕をつかまれ木の幹に押さえつけられた。
「――っ!」
叫ぶ前に口を封じられ声も上げられない。
口をふさいだ人は、ナヒロよりも頭一つ分背が高く、スカートが見えた。
「捜しましたよ。こんなところにいると思いませんでした」
(それはこっちの台詞)
久しぶりに会った、ナヒロの言えない事情を知るレイカは、口を押さえながらにこりと微笑んだ。
腰に届きそうな長い髪を耳の下まで短く切り、短パンを履きこなすナヒロの姿に、レイカはにやりと笑った。
外套を目深に被ってしまえば、男にしか見えないとはしゃぐレイカにナヒロは内心複雑だ。
フードを外すと、雑に切ったせいか後ろの髪に少し長いところがあった。
「念のためにと持ってきておいてよかったです」
裏の読めない笑顔で取り出した短刀はシンプルなものだった。刃こぼれのなさから手入れはされているようだ。見えない箇所の残った髪を短刀で整えてもらう。きった髪は髪に包んだ。捨てる髪をここまで厳重に回収しなければならない理由がレワノ領にある。
間所に近い場所に髪の束が落ちているとどんなに短くて色が違っていても、消えた前領主の末っ子娘のものではないかと疑われる。ナヒロも度重なる情報収集でそれを最近知った。ナヒロが十八になるまであと二年。そこまで警戒されていてもなんら変でもない。レワノ領の領主へ何と言っているのか知りようがないが、ナヒロがヒスメド地方へ近づけないようにしているのは確かだった。外套についてしまった髪も地面に落とさずに回収する。
「なぜ短刀をもってきてるのよ」
「念のためです」
可愛らしくぱちりと片目を閉じられてもうさん臭さしか残らない。
短刀を持ってきているとなると、それほどまでに危険地帯となってしまっているのか、と不安がよぎる。
大切な領地を
険しい顔になるナヒロの目の前に手のひらにのる小さな紙が押し付けられた。慌てて受け取れば、通行証と書かれている。
【 氏名、ノルディス 】
【 年齢、十四 】
【 性別、男 】
【 職業、卸売りの小間使い 】
偽の通行証だった。
証明に押された印は本物。その印は王都を示している。
通行証の名前や、職業、発行した場所を偽造することは法で許されておらず、ナヒロは通行証を持っていなかった。"ローラ"の名で通行証を作ることは出来ない。通行証の限りでは"ローラ"は偽名になる。
偽名で作ることのできない通行証が、今ナヒロの手の中にある。
名前どころか、全てが偽造されたこの通行証は法に触れまくっている。これで領の門を通ったと知られたら牢屋行きでは済まない。
「これ、どうしたのよ!?」
あまりに恐ろしくて全身が凍りついた。
「まあ、あまり聞かないでくれると嬉しいかな」
苦笑いで頬を掻くレイカに、ナヒロはさらに詰め寄る。罪を犯せと言われているとしか思えない。
「私に偽物で通れっていうの!? あの厳重な間所を!」
頭がくらくらする。
偽物とわかっていて使えば、通行記録にこの名前が載る。
そうとわかっているから、ナヒロは間所を通ることができない。
ただ、王都へは村長の印が押された簡易通行証を馬車の馭者に託せば王都まで行くことが可能になる。ナヒロはこれまで、村長に印をもらって王都に限って言っていた。王都しか行けないからそこでしか情報収集は出来なかった。
足を使って走り回り収集するのとは別に、ほかにできることと言えば、情報屋を脅して高値で取引される極秘情報を手に入れることぐらいか。その犠牲になっているのが、唯一知り合いであるケヴィンだ。ナヒロに見つからないようにと毎度宿を変えているというのに、何処から知り得たのか必ず宿に顔を出すものだから、ケヴィンは最近王都に寄り付かなくなってしまった。
「仕方ない。間所に近くなったら話そうと思っていた
そう言って、レイカは懐から口を縛った小袋をナヒロの前に見せた。チャリンとした音からお金が入っている。見せてもらうと、銀貨がたんまりと入っている。レイカ一人では明らかに多すぎる金額だ。
短刀に、金銭。
あまりにも危険すぎる通り方だった。
ナヒロが導き出した通り方をレイカは察した。
「君が考えているその方法だよ」
(ああ、やっぱり)
ヒスメドへ入る方法をあらためて教えてもらう。
レイカがもうじきこの近くにある小道を卸売りの荷馬車が通る。その中に、正規のルートで買った商品をいくつか潜り込ませてある。
それらを隣の国へ売りに行くために間所を通りたいと述べる。
そんなことで通してくれるほど、ヒスメドの門扉は容易くない。そこでこの麻袋に入った大金の出番だ。
通行を渋る門兵へ銀貨十枚ほどをつかませる。
ただ、通すだけでは通行記録に載ってしまう。記録にも載せないためにさらに上乗せで銀貨二十枚。合わせて三十枚だ。門兵の給金に対して、銀貨三十枚は大金だ。これで黙らせてしまうというのだ。
それを何のためらいもなくはなすレイカに恐ろしさを感じた。
間所を通る方法がほかにあるのかと問われても、ナヒロには何も思いつかない。
レイカだけであれば、何の問題もなく通れる間所を、ナヒロがいて安全に通る方法はない。
「わかった。その馬車はいつ通るの」
レイカのやり方に渋々ながら同意した。
「もうすぐ」
外套を目深くかぶり、小道へ移動した。
しばらくして、小石をはじきながら一頭の馬が引く荷馬車が、明るみ出した小道の向こうから淡い光を背負い現れた。
道の小脇で身を潜めるレイカの姿を見つけると速度を落とした。
近づくにつれて、馭者が妙に変だ。
馬の機嫌を損ねないように手綱を扱っている。しかし、走ってくる馬は馭者に従うというより――馭者が馬に馬鹿にされているような……?
馬の機嫌を損ねないように荷馬車は二人の前を走りすぎたところでゆっくりと止まった。
レイカは荷馬車の馭者台に声をかけた。
「やあ、ケヴィン」
馭者台から古ぼけた茶色の帽子を被り、馭者の格好をした情報屋が、疲れ切った顔で二人を見下ろした。
「お、お前は! 俺になんてことをやらせるんだ!」
「無事、時間通り。開門時間が迫っているから、急いで」
不満をぶつけるケヴィンの隣にレイカは強引に座った。狭い馭者台は定員二人。ナヒロが乗る場所がない。
「ローラ、君は後ろ。荷台の中ですよ」
ローラと聞いて、ケヴィンが飛び上がった。慌ててレイカの前に身を乗り出し、反対側を見下げる。
以前よりも短くなった髪に驚きを見せながらも、意地の悪さが滲む顔でケヴィンを見上げる、少年の見た目をしたナヒロだ。
「な、な、なぁ!」
ケヴィンは瞠目し、天を仰ぎ、両手で顔を覆う。
その顔に会いたくなかったと大きく書かれているように見えるのはきっと気のせいだ。
ナヒロは近頃逃げられてばかりの情報屋に、満面の笑みを向けた。
「お久しぶりです。ケヴィンさん?」
対照に引き攣った笑顔で、ケヴィンは項垂れた。
「――ああ、久しぶりだな」
その声はくぐもって聞こえた。
荷台の中は意外と広く、ナヒロが両手で抱えられる大きさの木箱がいくつか、乱雑に積み上げられている。この中のいくつかはレイカが紛れ込ませてある商品なのだろう。上手くいく保証はないが、レイカが提案したやり方が最善の策であることは、理解している。
木箱の間に腰を下ろした。
馭者台では、助手と情報屋が声量を抑えて言い合っている。
気になってナヒロが耳をそばだてたところで、手綱が引かれ馬が嘶いた。
「くそっ、わーったよ! ったく人使いの荒い……」
言い負かされたケヴィンの嘆きの後に、馬車はゆっくりと動き出した。
馬車の振動に合わせて、後部を覆う布がはためく。合間から覗く外は、空に昇った朝日が辺りを明るく照らしていた。




