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あなたに会うまで  作者: 柚希
4幕
14/36

第2話 疑い

 数週間後。

 畑仕事を終えたナヒロが家に入ると、長い髪が鳥の巣のように乱れ、全身をぐっしょりと濡らしたアカリが玄関に立っていた。

「アカリ!? どうしたの!」

 いつからそこに立っていたのか、慌てて駆け寄る。

 虚ろな瞳でアカリはナヒロの姿をとらえたとたん、彷徨う。

 アカリの腕は氷のように冷たい。

 今日は村のはずれにある教会へ日曜学校に行っていた。近くの村中から同じ年頃の子供を集めて、神父が勉学を教えてくれる。

 家を出て行った時は、確かに手首まで袖がある服を着ていた。が、服は同じでも今や袖はなくなり、ところどころ破けている。

 なにかがあったのは明らかだった。

 身体を温めなくてはならない。冬がすぐそこまで近づいている近頃は、日に増して寒くなってくる。このままでは熱を出してしまう。

 微動だにしないアカリから濡れた服を脱がせると、全身に、細い傷と、何かで叩かれた跡がいくつもある。

(なにしてくれるのよ!)

 服を変え、毛布をくるませる。アカリが普段使っている毛布は薄く、暖をとるにはもう一枚いる。ナヒロが使っている同じ厚さの毛布を二重にかけて、濡れた髪を拭いた。

 髪から、淀んだ水の臭いがしてくる。

 この辺りで水が溜まっていて、教会から村までの間にある場所は一つしか知らない。

 村を出て森を沿って歩いていくと池がある。そこに落とされだ。アカリを気に入らない、誰かが。

 アカリを座らせると、鞄が落ちている。鞄はアカリと同じか、それ以上にぐっしょりと濡れていた。ナヒロが貯めたお金で隣町で買ってきたもので、アカリは大切に使っていた。

 洗濯ということをナヒロはあまりやらないが、鞄は泥で汚れていて、洗わないと使えない。

 鞄の中は勉学の本が入っている。水を含んでしまい、使い物にならないだろう。

 ナヒロは悔しさに歯を食いしばった。ここまでやられなければならないことをアカリが他人へしたと思えない。なにがあったか聞いても、アカリは一向に口を開かない。

 鞄以外にはなにもなかった。いつもなら、学校がある日は、帰りがけにミルリィーネの家へ寄り、夕飯を持って帰ってくる。

 髪の水滴をふき取り終わると、毛布ごとアカリを抱きしめた。アカリの身体が早く温まるように、全身をこする。


「ローちゃん、ごめんね」

 アカリはナヒロに体を預け瞳から大粒の涙を流していた。

「なにがあったの?」

 アカリの両腕をつかみナヒロは動揺していた。泣いて帰ってきたことが今までに一度としてなかったからだ。

 親のいない姉妹に村人はあまり優しくない。村で生まれ育ち、村の人と結ばれ、子をす。

 生粋の村育ちの人間ではないからなのか、両親が幼い姉妹を残して亡くなったことをあまりよく思っていない人間が多い。

 幼いアカリとナヒロを連れての村への移住と、移住後早々に亡くなったことも関係している。何かの事件を引き起こし、追われていたなどと噂し――ナヒロも移住理由を詳しく知らないが、そんなことはあの二人がしているとは思えない――子へ伝えられ、鵜呑みにした子がアカリやナヒロへ、主にアカリの方へ「親なし」といわれ中傷されるのだ。

 そういう子供を見つけ次第蹴散らしているのがナヒロの役目で、年齢関係なく容赦はしない。

 アカリはナヒロに体を預け、ひたすら泣き続け、疲れたのかそのまま寝てしまった。

 ずっしりと重くなったアカリを持ち上げる、と。

「!」

 身体が熱い。

 隣の部屋のベッドへ寝かせ、毛布を上から二枚かける。額をくっつけるとやはり熱い。

 ナヒロは台所へ引き返し、看病の準備に取り掛かる。氷のうを作りアカリの額に乗せる。腕まくりをして台所に立った。

 立ったはいいが、料理というものをしたことがないと気づく。したことなくてもなにかできるだろうと、包丁とまな板を探した。片づけられた食器の中、調味料の近く……何処を探しても見つからない。

 アカリはどこに片づけているのだろうか。

 ガタガタと探していると、ふと肝心なことを思い出した。この家には料理に使う調理器具自体なかったのだ。

 両親が亡くなり、暫くたった頃。ミルリィーネが、小さな子供だけの家に危険なものはおいておけないと、包丁とまな板を回収していった。

 すっかり忘れていた。これではなにも作れない。

 どうしようかと途方に暮れているとガタガタと玄関で音がした。

「はい?」

「ローラ? わたし」

 ナヒロは急いで玄関のついたてを外す。引き戸が引かれ、そこにマーリェが立っていた。

 腕に手籠を下げている。

「アカリちゃん、帰ってきてる?」

「奥で寝てる」

「帰ってきてるならよかった。これ、夕飯。母さんから」

 マーリェは安堵した。家に顔を出している時間を過ぎてもアカリが来ないので心配してくれていたようだ。

 全身ずぶ濡れな姿を見たら、ミルリィーネは卒倒していたかもしれない。

 ナヒロに手籠を渡しながら、奥を気にする。かぶせてあった布を外すと、野菜のスープに木の実をつぶし、ひらたくして固く焼いたものだった。

 病人に食べさせるわけにはいかない料理にナヒロは小さく唸った。

「アカリちゃん、うちによらずに帰ったなんて珍しいわね。なにかあったの?」

 なにがあったかこちらが聞きたい。ナヒロは知らないと首を振った。

「そう。母さんが心配していたから起きたら伝えておいてね」

 アカリが家にいることがわかれば、長居は無用と「帰るわね」と家を出ていく。

 その後ろ姿に夕飯を持ってきてくれた礼を言った。

 家に入ると小さな机に手籠を置き、中に入っている料理を眺める。野菜スープは食べられるかもしれない。野菜は体にいいというからには、病気にもきくかもしれない。

 スープの入った容器を見ると湯気が立ち上っている。温かい野菜スープを2人分にとりわけ、ナヒロのほうだけに木の実の固焼きを割って入れる。スープを吸ってしばらくしたら固かった木の実は木のスプーンで簡単に壊せるぐらいに柔らかくなった。

 アカリの元へ行くと呼吸が荒い。熱が上がったのかも、と手の平をアカリの額にあてると熱い。さっきよりも熱が上がっている。

 ナヒロは額を冷やしていた水袋の水を取り換えに急ぐ。マーリェが来る前に冷たい水だったのに水はぬるくなっていた。

 入れ替えた水袋をアカリの額に乗せた。ナヒロにできる限りのことをする。

 毛布をたくさん掛けてやり、熱がにげて寒くならないように。

 アカリが目を覚めたときに、最初に気が付いてあげられるように。

 アカリの両親がナヒロへしてくれたように。



 翌朝になっても、アカリの熱は一向に下がらない。

 何度水袋を変えても、熱が引いていくように感じられない。

 それどころか、上がっているようにも思える。

 親がいる家なら、熱が出たら村医者に見せる。町医者に処方された薬を飲めば、熱だって徐々に引いていき、治るから。

 けれど、村医者に妹を診てもらい、診療代と薬代を払うだけのお金がない。

 看病で疲れ切り、うとうとし始めていたナヒロは玄関を乱暴に叩く音に目を覚ました。

 外から人の声が聞こえる。

「なに?」

 アカリのぐっすりと寝ている様子を確認してから、玄関へ向かった。

 看病で疲れているのに誰なのだろう。村の奥地に立つ家へわざわざ来る人は限られている。アカリが訊ねなかったから心配になって様子を伺いにミルリィーネが来たのかもしれない。

「はい」

 ドアを開けると、いつもと様子の違ったミルリィーネと数人の男性と村長がそこにいた。

 顔をさぁっと青くしたミルリィーネはナヒロの両前腕を力強く掴む。

「ローラ、アカリは?」

「熱出して寝てる」

「どうしたんだい!?」

 熱を出した原因はまだ聞いていない。

「なにがあったのか知らないけど、下がってきてるから」

 やっと下がってきたところで、まだ油断できない。

 ミルリィーネのほっとした。当たり前のように家の中へ入ろうとする。それをナヒロが止めた。 家の中に入られまいとミルリィーネの行く手をナヒロは阻んだ。アカリの容体よりも、ミルリィーネと共にきた彼らのほうが気になる。

 数人の男性の中にミルリィーネの旦那、ルエンの姿を見つけ、眉をひそめた。彼は村長の後ろで腕を組みふんぞり返っていた。村長は四十代半ばの歳の割には若い外見をしている。蒼い目の下にクマをつくりげっそりと疲れ切った顔をしていた。

 村長がナヒロの家を訪ねてきたことがあったのは、アカリの両親を亡くした後の日以来だ。村の奥地にある姉妹が住む家へ村長を連れ立って村人が来ることはない。

 ナヒロの中に、嫌な予感しかしない。

「用件はなんでしょう?」

 昨日マーリェにはなにも言っていない。

「あの、そのね――なんというか、だね」

 歯切れの悪いミルリィーネの肩をルエンが掴んだ。後ろに下がっていろとばかりに追いやる。ルエンがナヒロの前に立ち塞がった。

 顎に無精ひげをはやし、本人はおしゃれでしているようだが、剃ったほうが断然男前に見える。幼く見えることを気にする彼は、きっと剃らない。

「ローラ」

 姉妹の家庭事情を村長よりは知っているルエンが、ナヒロを見下ろす。見下した目で。

「キミ、村長の蠟印ろういんを知らないか?」

「蠟印? あの、封書を閉じるときに使うものですか?」

 ヒスメド地方を治めていた父がよく使っていた。大事なものだから大切に取り扱わなければいけないとナヒロに教えてくれた。封書を閉じた後、開いて中が読まれてしまわないように、熱した蠟をたらし、その上から印を押していた。蠟印に刻まれているのは家紋。どこから出されているか、蠟印をみればわかる。

 村の長もその権限は持っていると、ナヒロは初めて知った。

「そうだ、よく知っているな」

 ルエンの目が細められる。村の子供は蠟印の存在すら知らない。人の目に入るものではない。

「その大事なものが今朝、忽然と消えていたそうだが……」

 使い方まで知っているとはな、ルエンの後ろに立つ男がそう呟いた。ミルリィーネ以外の皆がこの家を疑っている。

 目前に立つルエンの瞳は確信めいたものが宿っていた。

「蠟印の使い道は知っていますが、蠟印が何処へいったかなんて知りません。村長がいつもの場所にしまい忘れただけじゃないの?」

「今朝から家中を探し回っとるわ! まだ見つからないのじゃ」

 見つからないなら、見つかるまで家中を引っ掻き回せばいい。ナヒロに一切関係のないことだ。

「それで、村長は俺を呼び出し、キミのところへ行くように、と」

 そこまでいわれ、嫌な予感がナヒロの脳裏をよぎった。普通の子供ならそこまで感づく人はいない。生憎、ナヒロは五歳まで、領主としての仕事を兄キィラールからこっそりと教わっていた。そのおかげか、大人たちの会話を多少なりとも理解できる。

「私はなにももってない」

 ものがなくなると人はなぜ、新参者を真っ先に疑うのだろう。

 疑う前に、自分の周りを見てみろと言いたい。村長の娘に、その友人、はたまた、村長の座を狙う村民。いくらでも出てきそうなのに。

 村長の疑いを真っ先に信用して、家まで来てしまうのもどうかと思うわけだけども。

 ミルリィーネは違うわよね、と問いかけんばかりの表情でナヒロを凝視している。

「キミはもってなくても、アカリは? そっちはブリエッサと日曜学校が一緒じゃないか」

 ルエンではないもう一人が後ろから声を張り上げた。

「アカリがブリエッサに頼んで学校に持ってこさせたんじゃないかって? アカリはそんな子じゃない」

 ミティーアに似てのんびりとしたアカリが、性格や態度の大きいブリエッサに頼むことはしない。

 ナヒロが見上げるルエンの目は親のいない姉妹を疑っている。確実にこの家が怪しいと暗に言っている。

「それはわからないだろう。家の中をみせてもらえないだろうか? やましいことがなければ問題ないだろう?」

 家の中に何かを隠すほど家具はない。見られたところで何も出てきはしない。

 アカリが潔白だと知らしめるためにも、大人の、数人の目で確認してもらわなければならない。

「どうぞ。私たち姉妹には何もやましいことなんてないわ」

 ナヒロは大人たちを家の中へ招き入れた。蠟印はないと信じて。

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