第3話 騙された?
酒屋「バーレイ」は店の場所を探すだけで八日もかかってしまった。約束の十日まであと二日しかない。
裏金の情報を集めなくてはならないため、安易に人へ場所を聞くわけにもいかない。子供が聞いたところで、不審な顔をされるだけだ。
ひたすら足を使って探した店は辺鄙な場所にぽつんと建っていた。外壁は一部崩れ落ち、入り口だろうドアは閉まらないのか、少し開いたまま。中から人の気配はしなくて、とても店をやっているように見えない。お偉い機関が目をつけるような店構えにも見えない。
小屋のような外見をした酒屋は、夕方にもかかわらず出入りがない。ナヒロがこの十日間みてきた店は夕方がら客が店へ入り始め、日が暮れると客足が増え、静寂だった店内が一気に騒々しくなる。
裏金を疑われるのなら、店が開いていなければおかしい。
ナヒロは店から離れた木陰に身を隠し様子を伺うことにした。
空は星が瞬き、辺りは闇に覆われていく。
じっと木陰に隠れて人が入っていくのをただ待っていたが、店に明かりがつかず、これでは誰が通ってもナヒロは気づかない。来ても見えない。店から漏れてくるはずの明かりがないのもおかしい。
ここまできて引き下がるわけにもいかず、期限はあと明日一日を残すだけ。今日何か情報を取らなければ、使えない人には欲しい情報は教えないといわれてしまったら困る。
ナヒロは知りたいのだ。なぜ叔父であるヒーオメがあのようなことをしたのか。
ナヒロの家族を殺してまで手にしたかったものが何なのか、解らないわけじゃない。年を重ねていくごとに大人たちの話している内容が理解できてくるようになり、少しずつヒーオメの狙いがなんであったのかも推測できるようになった。
あの男が欲しかったもの。ナヒロの祖父から父が受け継いだ領地、権力、財力、すべてがほしかったのだ。
ナヒロの祖父は厳しい人だったと聞く。
ナヒロが生まれる前に病で倒れ亡くなってしまった。生前、ナヒロの父ギオムとヒーオメ、どちらに領地を継がせるべきか相当悩んでいた。
どちらも領地を治められる知識を持ち、どちらにまかせても申し分ない。兄弟で決定的に違ったことは、当時、ヒーオメに結婚相手がいなかった。
兄であるギオムではなくヒーオメを領主にしたのち、ヒーオメの跡を誰が継ぐのか。このまま結婚することなく、一生を終えたとなれば誰が領主として、ヒスメド地方を治めていくのか。
自身が亡き後、子の子のさらに先までを考え、祖父は結婚をし、すでに子供が二人、将来任せても申し分ないギオムへ託すこととした。
その際、住んでいる屋敷は領主の住まいであり、ギオムのものとなる。
ヒーオメは長年暮らしてきた屋敷を出ていかなければならなくなった。
祖父はそのことも頭にいれ、ギオムには領地と屋敷、ヒーオメには生活に困らぬよう財産の三分の一を与えることとした。
祖父亡き後、ギオムは民が誇れるほど素晴らしい領主となり、その父をナヒロは誇りにしていた。
けれど、父は実の弟が差し向けた賊によって命を落とした。
ヒーオメはその罪をすべて賊になすりつけている。
ナヒロが今欲しいのはその賊の情報と、元領地がどうなったのか知りたい。
アカリの両親が、集めてくれた情報はほんの僅かで決定的なものはなかった。だが、ナヒロにとってとてもありがたいものばかりだった。
陽が暮れてから随分と時間が経つ。全く営業の気配がない酒屋に、人がいるのかどうか不安になってくる。お偉い機関が調べていることを察して店を休業してしまったのだろうか。
木陰から身を乗り出し、店の近くへ慎重に近づいて行く。
誰もいない、では困るのだ。とにかくなんでもいい。情報を一つ掴みたい思いで駆けだした。
とにかく必死だった。何か掴まなければ、約束の期限になってしまう。
店に人がいるかだけでも知りたい。
窓がある外壁に手がつくかつかないかの距離で、突然後ろから抱きすくめられた。声を上げられないように口を覆われ、引き摺られて、木陰へ舞い戻される。
暴れるナヒロの頭を低く地面に擦り付けられ、上から誰かに覆いかぶされた。塞がれた口から手が外れない。
「むー!」
離せ、と訴えれば、小声で静かに、と諭される。
年若い男性の緊張を含んだ強張った声に、大人しくせざるおえない。
ナヒロの胸の高さがある小さな樹木が葉を黒々とさせ、何本か並んでいる。葉の隙間から様子を伺うと、誰かが警戒しながらドアをゆっくりと開け現れた。一人が出てくるとその後に続いて何人も現れる。暗がりにぼんやりと立つ人影が空に浮かぶ半月に照らされ、姿が見えた。ナヒロは息を飲んだ。がっちりとした体躯の大人の男たちだ。
男たちは周囲を見回した後、変わり映えしない景色にいい顔をしなかった。
男たちの後からナヒロの見知った人物が出てくる。
酒屋「K」の女将、フェルドナだ。
酒屋で働く女将感は全くない。男たちを押し退け、周囲に目を光らせた。
「いったいつになったら来るんだ? フェルドナさんよぉ。アランお嬢ちゃんまだ来てないようだけどなぁ?」
フェルドナが周囲を熱心に探る姿に、男たちの一人が声を荒げた。
「あの小娘、所々に偽情報を教えるように仕向けた奴等にまだ引っかかってないのか、警戒心だけは強いのか……」
今、何と?
ナヒロはあいた口が開かなくなった。まさか自分がはめられていたとは思いもしなかった。フェルドナが仕掛けた罠にナヒロはまんまとハマった。ハマらなければ、こんな場所まで来ていない。
「気が付いてないんじゃないのか?」
けらけらと不気味に男が笑う。その後ろ頭をフェルドナが引っぱたいた。勢いがあり、立っていた男が吹っ飛ばされ、顔を地面にたたきつけた。起き上がる前に、その後頭部にフェルドナの片足が乗る。
「そんなこと、この私が許さないよっ。こっちはちゃーんと似顔絵付きで渡してあるんだからね。失敗するわけないだろう!」
いらだちを隠すことなくフェルドナは地面にうつぶせにさせた男のこめかみ付近を蹴飛ばすと小屋のほうへ歩いた。
「警戒心のカケラもない田舎娘だ。こっちのテリトリーに入ればあとは簡単。あんたたちはその辺を探してきな。もしかしたら道に迷ってるかもしれないからね。このあたりの土地勘のない娘だからすぐわかるだろ」
フェルドナは小屋に入ると、男たちはそれぞれに散っていく。アランお譲――ナヒロを見つけるために。
この時ほど偽名を使っておいてよかったと思ったことはなかった。
ミルリィーネに紹介されたといった時点で住んでいる場所は特定されてしまうだろうが、偽名では誰か分からない。
暫くは警戒が必要だ。知りもしない相手に、安易に誰に紹介されたと言ってはいけないと、教訓にもなった。
危険すぎる。
誰かに助けられていなかったら、ナヒロは今頃、あの明かりがない、店――と偽装した建物の中に囚われていた。
血の気がサッと引いて行くのが分かる。
あと数分遅ければ、ナヒロの運命は変わっていた。
動かなくなったナヒロの耳に助けた人が小声で囁く。
「今のうちに、場所を移動するよ」
ぎゅっと重い石のように背中からかけられていた重みが軽くなる。
口を覆う手が外れ、そのかわり手首を掴まれる。震える足を叱咤して、体制を低く保ち続けた。
フェルドナの手下たちは、じっと辺りを見回し小さな子供を見つけようと目を凝らしている。
草の踏む音ひとつでも立てればすぐにとびついてくるだろう。そうすれば、ナヒロは逃げられなくなる。音に気を配り、男たちの動きに神経質になりながら、なんとか離れる。離れたといってもまだ、油断できない。店からほんの数十メートル離れただけだ。
後ろから追われていないか、警戒しながら月明かりを頼りに王都へ戻る。やっと安堵できたのは、城下街の明かりが見えた頃だった。
助けたくれた相手の後ろ姿をやっとみれば、長い髪が背中を覆っている。
「助けてくれてありがとうございます」
「警告したのに、無視した結果がこれ。貴女、どれだけ危険だったか判ってる?」
助けてくれたお礼を言ったら、相手が振り返った。酒屋「K」へ入るナヒロを止めた少女、レイカだ。
目が座り、形容しがたい形相でナヒロを睨みつけている。
「あの人たちの本職は盗賊。ホラルダって聞いたことない? って、知るわけないね」
ホラルダ。
知らないわけがない。アカリの両親を、ナヒロの家族を奪った人たち。まさか、その人たちだとも知らず、ナヒロは情報を集めようと必死になっていたのだ。自身の馬鹿さにあきれてくる。ミルリィーネの紹介先だから安全だと信じ込んでしまっていた。
「貴女、もう少しで売りにだされる商品になるところだった」
レイカに止められていなかったら、何処かへ売りに出される商品になっていたのかと、思うと身体が震える。そうなっていたら、ナヒロはアカリ家に無事戻れなくなる。
離れるのが嫌だとぐずったアカリをミルリィーネに託してきているのに。戻ってこないと知ったアカリはどうなるのだ。まだ、両親がいない現実を受け止めきれていないアカリに追い打ちをかけてどうするのだ。
アカリに必ず帰ると約束したのに、守れなくなる。
身震いがして、両腕をさすった。
「あの人たちは最近人身売買に手を出し始めてるって聞いて、真偽を確かめに行って良かった。止めてなければ貴女は家に帰れなくなるところでした」
レイカは恐怖に顔を強張らせるナヒロを抱き寄せると、大丈夫だというように背中を二度優しく叩いた。
レイカはナヒロの手を握り、着いてくるよう促した。夜が更けて酒屋が並ぶ通りは酔いが回り、足元をフラつかせた客が店の前を歩いている。若い娘二人を見つけた男が執拗に声をかけてきたが、レイカが背負い投げをすると一目散に逃げて行った。
何の看板もないがドアには酒屋「ランズレイ」と書かれた一軒の店の前に辿り着く。
今までのことがありナヒロは、また騙されているのかと身構えてしまう。
「こんばんは。ナキトさん居ますか?」
レイカは何のためらいもなく酒屋の中へとはいって行った。子供が酒屋に入っていいのだろうか?
「いるよってなんだ、レイカかい。いつもの部屋さ」
勝手に行けと、手振りで示す。レイカは礼を言って、奥へ続く廊下に向いた。
ナヒロはその間、外でじっと酒屋の文字をにらみつけていた。酒屋。もう、嫌いな文字にしか見えない。踵を返して、逃げ出そうとしたナヒロの腕をレイカが掴んだ。
「なにしてるの、いくよ?」
掴まれた手を解こうとする。その顔は青い。
「い、いい。いかない。酒屋は子供がきちゃいけないとこでしょ?」
助けてくれた子なのに、だまされたのだろうか。危ないところを助け信頼させ、実は騙すために連れてきたとか。
不思議がる顔の裏では何を考えているのか判らない。
「あんたもあたしを騙す気なの?」
だから、きっぱりといった。
もう誰を信頼していいのか判らなくなっていた。
「大丈夫だよ。ちゃんとした人だから。それと君、危ない橋を渡るのは今日で最後にしときなよ?」
レイカはそういうとにこりと口角を引き上げて笑った。
(本当に騙されてない? 騙されてないんだよね? 信じてもいいんだよね……)
レイカに強引に引き入れられ、酒屋の入り口をくぐった。
入り口のあるフロアは大人の男女が入り乱れ、杯を酌み交わしていた。酔いつぶれテーブルで寝ている四十代ぐらいの男性の姿もある。だが、誰も咎めない。
酔いつぶれるほどに飲むのは明らかに店側にとって迷惑でしかないはずなのに、誰も注意しないのだ。
「酔いつぶれてるのは今日ここに泊らせてもらいますっていう意思表示。だから誰も起こしはしないし、店から追い出しもしない」
その男性をじっと見ていたナヒロに気がついてレイカが歩きながら説明をしてくれた。
それなら納得がいく。要するに酔いつぶれるということは今日ここに泊っていくということの意思表示だということなのだ。
どこかに泊れるような部屋を設けてもいるのだろう。あまり酔いつぶれた大人は見たくはない。連れていくならすぐにでも連れて行ってくれればいいのに。
「酔いつぶれると運ぶのが結構大変らしいんだ。だから人がまばらになった時間に運ぶんだって」
説明をしながらレイカは店の奥の階段を上がった。




