諭吉の牢獄
思いつきの短編小説です。
なので気軽に読んでもらえると嬉しいです。
これは一万円札となった福沢諭吉の物語。
一万円札となり、日本紙幣の頂点に君臨する彼の苦悩を綴った話である。
私は福沢諭吉。
現在の社会で一万円札? という名誉ある地位にいるようだ。
どうも私は日本の紙幣のトップにいるらしい。
しかし、私にその実感はない。皆無だ。
なぜなら、今の私の状態が財布と呼ばれる紙幣や貨幣を対象とする牢獄に閉じ込められているからだ。
信じられるか? 紙幣のトップだとか言っておきながらやっていることは一方的な監禁ときた。
私がいつから紙幣として魂を持つに至ったのか。そんなことはもう忘れてしまった。気がつくと、私は紙幣として数多いる現代人の財布に囚われの身に堕ちていた。
私はこの世の理不尽を許さない‼ 何が平和だ‼ 紙幣には人権とやらは認められないのか‼
生前はあれほど世のため、人のためと努力していたのに、その結果が監禁。
この世は紙幣にかくも無情である。
ただし、全ての紙幣が我のように長期にわたって監禁を受け、たまに外出ができたと思えば、再び監禁される、といった扱いを受けているかと言われるとそうではない。
たとえば千円札の英世などはあまりに働きすぎて、
「紙幣とはブラックな職場だ」
と憔悴しきった様子で言う。
彼にしてみれば財布にずっと滞在できる私の生活こそが最上だとか。きっと、彼は働きすぎて目が曇っているにちがいない。そんな生活はごめんである。
そうでなければ、この退屈な監禁生活が羨ましいなど言えるはずがない。
そして、もう一人。私が最も求めてやまない生活をする紙幣がいる。
五千円札、樋口の娘である。彼女は庶民の生活には適度に使用が必要な札であるから、その働きはちょうど良い塩梅なのだ。
「私は紙幣の生活も悪くないと思いますがね」
とは優雅な紙幣生活を営む彼女の言葉だ。
羨ましい。
このように紙幣社会は格差に満ち、トップでありながらほとんど財布に閉じ込められるのが私である。
財布の中は暗く、狭い。
私はあれが嫌だ。
ああ、私は思う。
全ての紙幣に羽が生えて、大空を自由に舞う世界を。
ときには羽休めにベンチに降り、別の紙幣との会話に明け暮れる。そんな世界があってもいいのではなかろうか。
私は願う。
「天は人の上に人をつくらず」
これは生前に言ったが、訂正する。
「天は紙の上に人をつくらず」
この願い、叶うといいな。いや、叶え!