ユーティリティ
真っ白な空間に、俺は浮かんでいた。
本当に何もない、真っ白な空間。
ちょうど、宇宙の闇を真っ白に塗り替えたようなそんな感じ。といっても、その空間の中には俺以外は何もない。
空虚、虚無。
そういう言葉をそのまま絵に描いたような場所だ。
どこだここ。
そういや、あのゴツいおっさんに首を絞められていたんだっけ。その後意識を失って……
そうか、俺は死んだのか。
せっかく友達を殺した奴を探そうって思ったのに。
しかも、探してくれって頼もうとした相手に殺されてたんじゃ世話ないな。
あーあ、つまんない人生だった……
でも、ここはあの世なのかな?
なんだかそんな感じがしない。
見ると、何もない白い空間にはたくさんの文字というか模様が浮き上がっては消えていた。
外国語・数字・記号・あとそれから、カタカナにひらがなに漢字まで。
変だな、俺がいるところって地獄なのか天国なのか分からない。
あいつは、栄太郎はここにいるのかな?
ふとそう思った。
あいつがそこにいるなら、会って謝りたい。
犯人を捜すつもりが、途中というか最初の最初でつまずいて、そこで終わりになってしまった。
その事を謝りたい、あいつは許してくれないかもしれない。でも、俺はそうしたかった。
あいつは、どこにいるのだろう?
『回答=田辺栄太郎はここにはいない』
突然何もない空間に、文字が現れた。
「え?」
何のことだか分からなかった。
『回答=ここは人類一般が信じるあの世、天国あるいは地獄等の死後の世界ではない』
じゃあ、ここは?
『回答=ここは青池一の脳内に作成されたストレージ空間であり、青池一の遺伝情報と脳を迅速に“最適化”し、使用者を “マギウス”として起動するための初期設定ユーティリティである』
は?おい、何を言ってるんだ?
俺が考える間もなく、様々な文章が現れては消えていく。
『回答=なお、初期設定に失敗した場合被験者の脳が自壊する確率は99.9999999%である』
ちょっと待て!脳が、自壊する?
『回答=初期設定を起動する』
『回答=汝に選択の余地は無い』
『回答=世界に神はなく人に善心なく天秤を揺らすはただ力のみなり』
『回答=妥協するな 汝のみを信じよ 汝マギウスなり』
真っ白だった空間が、少しずつ闇に飲まれていく。
そして、俺の頭の芯に熱が宿る。
『うあ…がああああああああああっ!』
脳全部が焼き尽くされるような痛み。
『青池遼助のブレインバイタルに異常 脳内物質を増量…』
全身の毛穴に針を突き刺されるような苦痛。
一瞬そいつは収まるが、すぐにまた始まる。
その間に目の前に様々な風景が巡る。
幼少時の記憶、小学校・中学校時代のイジメの光景とつまらない高校生活。
それらが目の前を超高速で通り過ぎていく。
あと、中学の頃に初めてスマートフォンを買って貰って……嬉しくって携帯についての専門書とか、電波についての基礎知識とかを読み漁っていた記憶。
その頃が俺にとっては一番幸せな……
『青池一の“フラグメント”特定 “電磁波”・“周波数”』
『開始』
目の前に赤い文字が現れた途端、俺の意識はめちゃちゃくちゃになった記憶の羅列と苦痛の中に消えていった。
俺はゆっくりと目を開いた。
苦しい。
息ができない。
大きな手のひらが俺の顔を圧迫している。
全力でそれを引き剥がす。
全力で息を吸い込む。
すると、強烈な頭痛が襲ってくる。
「ぐ、が…がああああっうわあああああああああああああっ!」
俺は絨毯の上を左右ににごろごろと転がった。
大きな手が伸びてきて、俺の頭を掴む。
指の間をからあの中年男の顔が見えた。
「生きているようだな、どうやらお前は適性があったらしい」
そいつはいけしゃあしゃあと、俺を見下ろして言いやがった。
「な…ん」
俺は精一杯の力を込めて、そいつに何事か言い返そうとする。
だがでかい手が俺の頭を強力で掴んでいる。
「いいか…良く聞け?今から俺の言う言葉を復唱しろ」
奴は俺の顔を床に押し付けながら、なおも言う。
「なんで…だよ」
俺はこいつが気に入らない、なんだか知らないが絶対に嫌だ。
「殺すぞ」
おそろしく冷たい響きの声だった。
俺は何も言えなくなった。
ただただ恐ろしくて、何度も何度も首を縦に振っていた。
「言え」
こくりと、俺は首を縦に振る。
死ぬほど悔しかった。
「一度しか言わんから良く聞けよ」
そのクソ中年は、俺の耳元で静かに囁いた。
俺は、できうる限りの声で叫んだ
『我が名はマギウス!青池一!全ての“周波数”は!俺に従う!』
その瞬間、俺は自分の体が浮き上がっている事に気づいた。いや、違う、俺の意識だけが体を離れて浮き上がっているのだ。
俺の意識は天井をつきぬけ、空へ空へ、高く高く上っていく。
気がつけば、いつも目にしている街を眼下に見下ろしていた。
「なんだよ…これ…」
街の中に、光の輪が見えた。
その輪は広がり、大きな輪となっていく。
大きな輪ができると、その輪は消えていく。
いや、輪というよりは波紋だ。
水面に水滴を垂らした時にできる、円形の波。
あれは、まさしく波紋だ。
光の波が、街を覆っていた。
まるでレーダーだ。
いや、こいつはレーダーそのものなのかもしれなかった。
その証拠に、そのレーダーには赤く光る“点”が映っていた。
あれは、何だろう?
意識をその赤い点に集中すると、自分の体が街へと物凄いスピードで落下していく。
そこは、駅前の本屋だった。
俺も、うちの生徒もよく利用するから良く知っていた。
さらに降下する。
俺の意識は本屋のビルの天井をすりぬけて、ビルの中へと入る。
そこで、俺は見た。
あいつが居た。
クラスメートの、大島ゆう子が。




